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2017-03-21

marginalism2017-03-21

男性解放宣言

  先月今月と私にしては動き回ってまして、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『カーネーション−NELKEN』3/16埼玉公演を観に行きました。

 創作当時や日本初演当時に立ち会った人々が受けた衝撃というのはある程度は想像できても、きっと言い当てることはできません。舞台というものが一回性のものである限り、言い換えると舞台舞台である限り、それはどうしようもないことです。時代背景も変わればダンサーも変わります。ダンサーを変えることを拒み封印される作品というものもありますが、この作品はそうではなかった。1982年のドイツはまだ東西分裂していた頃で、1989年の日本は昭和と平成が混在していた年だと思うと、そして私がまだ幼稚園児であったり小学校から中学校へ上がる年だったと思うと、当時既に大人だった人々とは感じるものも違うのは当然のことです。男性の女性装に対して「女装子」や「男の娘」という概念が定着している2017年の日本において感じるものと同じではむしろいけないんです。初演当時に受けたインパクトを得る代わりに2017年の3月の日本ではチャーミングという美点が増していたと思うんです。それはどちらが良いとか悪いとかの次元の問題ではなくて、ただそういうこと。

 ピナ作品を観ていていつも気になっていたのは「ここの男性ダンサー精神的に参りそう」ということでした。私は女性で、2017年でも依然抑圧されている側で、その立場からはピナ作品に向かい合うというより重なってしまう、ということが多く、ステージ上で常に私たちが漠然と感じているようなものを可視化して観客に突きつけるためにはどうしても抑圧を強いる側の表現も必要で、そのペルソナを与えられるのはだいたい男性ダンサーで、そういった加害者の役割を意識させられ続けるのは非常に辛いと思うんです。社会はそうだとしても、ダンサー個人はそうではないかもしれない「加害者意識」を背負い続けるというか背負わされ続けてしまうというのもまた暴力です。カンパニーの拠点となっている国が周辺国から常に「ナチス」という加害者を投影されてしまうお国柄もあるのかもしれませんが、国として、あるいは所属している母体が集団として帯びている性質の「加害者」を個人がどれだけ背負うべきかは戦争責任の所在を曖昧にして生き長らえてきた国の国民からすると実感が湧かないんですよね。でも、ピナはとても「加害者」に重きを置いていると感じていました。権力を象徴するのはいつもスーツを着た男性で、やりたくもない暴力を(女性の)コリオグラファーによって強制されるという多重構造があって、残酷なことにその描写が真実としての重みを伴っているからこそ切実さが増す作品となっていて、たかが性が違うくらいでどうしてこんなに目の前に広がる風景が違うのだろうと、作品観賞後はいつも悲しくなっていました。

 『カーネーション』最初の方から笑顔になってしまったのは、男性がスーツからもそしてコルセットやハイヒールからも解放された、空気を纏うようなドレス姿で、そして素足で登場したからです。薄くて風を孕むドレスを着て片言の日本語を話す人は性別を問わず愛らしい。他の国でピナ作品を観るような人相手には英語使えば伝わるんでしょうけど日本は例外なので、ものすごく頑張って日本語しか解さない私にも通じるような言葉を語りかけてくれることも嬉しかったです。ピナ作品で舞台からわかる言葉が降り続けるという事態は想定していなかったので思いがけない感動がありました。2017年現在の表現はこうなります、というものを体験できて、フレッシュな人材をフレッシュなまま提供します、というヴッパタール舞踊団の姿勢も好感が持てました。ピナ作品の強度を信じているからできることで、こうやってピナ・バウシュという人間を失ったことを抱えつつピナ作品に命を吹き込み続けることを選択した人たちの勇気ある決断を讃えたいです。

 前回来日公演の『コンタクトホーフ』まではピナと一緒に闘ってきたダンサーもかなりステージ上にいました。そのことが却ってピナの喪失を深く印象付けていたんだなと今回わかりました。作品の悲しさとカンパニーの悲しさが相まって暗闇に追い詰められてた部分もあったんだなと。フレッシュピナを直接知らないダンサーたちの軽やかさと直接知らないダンサーたちを包み込む世界観の優しさに触れて涙の代わりに笑顔がこぼれてしょうがなかったのも今回限りの貴重な体験かもしれないです。犬は吠えるが舞台は続きますし、この作品、ずっと男性ダンサーが主役なんですよね。今まで暴力装置や加害者のペルソナしか与えられていなかった男性ダンサーが個人としてユング言うところのペルソナではなくアニマ表現している。彼らの中にいる女性像がこんなに可愛らしいなんて思ってもみなかった。男性の表現する女性に対する違和感もありませんでした。性別を超えて花園で楽しそうにしている人々を追うのが楽しくて、世の中からスーツを剥奪して男性も女性もドレスを着て歩けばこんなに呼吸がしやすくなるのにとすら思っていたところ、男性はドレスを剥奪されスーツに磔にされ、つまらない暴力装置に呼び戻されて、柔軟な感性も剥奪されて飛び降りちゃうような社会に引き戻されると痛みがひどい。女性にもスーツを強要されるような社会の痛みがひどい。早く私たちの楽しい可愛い服を返してとその辺りのシークエンスはずっと堪えていた。1枚の布を切り刻んだスーツという存在の痛ましさがそれを着用するものにも分断することを強要しているようで、私がスーツを象徴するようなものをおしなべて嫌う理由がわかった気がした。スーツを着る時は常に社会的な生き物として振る舞うことを強制されている時だ。冠婚葬祭のような儀式で着るのはやぶさかではないけれども、それはいざという時さえ決めておけば普段は自由になるからという担保があるからこそで、日常的に着用するというかさせられると病んでしまうものだともやはり思う。スーツが象徴しているものに人格を乗っ取られてしまうことがとても怖い。あんなに魅力的だった男性ダンサー陣がいつものピナの男性ダンサーに戻ってしまわないかとても怖かった。女性ダンサーにもスーツを押し付けられたらどうしようと怯えていた。だから男性がドレスを取り戻して、女性もずっとそれを着用することを許されていたことがわかった時に安堵した。

 私は『カーネーション』がピナの代表作だというくらいの知識しかなかったので、ラストに関しては何も知らなかったんです。ハグされるような席にいたわけでもないので、ハグをするダンサーとされる観客を微笑ましく見守っていただけでしたし、それで充分満足していたし、観客全員立たされるとも思っていなかったんですね。でも観客への呼びかけが片言ながらもさりげなかったから自然に体が動きましたし、その場で振り付けを踊ることも抵抗なかったです。強制じゃなくてうまく乗せられた感じで楽しくて。元が手話として使われている動作だから難しい動きはないんですよね。そしてその手話が「愛しています」という意味だということも作中でずっと伝えられていたわけですから嫌なわけがないんです。今、私、ピナ・バウシュ振り付けの踊りを踊っている!という感動が舞台と観客を一体化させ、そのまま違う手話を用いた振り付けも「怖がらずに踊ってごらん」という言葉を思い出して一緒に踊ってみたら楽しくて楽しくて。その場にいる誰もを融合して終わるという感動が待っているとは思わなくてただひたすら笑っていて。なぜこの時代にこの演目を上演するかの意味が押し付けがましくなく伝わってきてニコニコしながらロビーに出たら踏みしだかれた後のカーネーションを売っていて。暴力的に踏みしだかれたものがこうやって再生されていく循環構造にも深く感じ入りました。ベルリンの壁の破片を売るのと同じ意味のような気がして、一回性の舞台の体験の思い出を形として持ち帰ることができるという豊かさが至れり尽くせりでピナのこういう感性本当好きですし、それが受け継がれていることにやっぱり感動して、家に帰ってからもしばらく春夏秋冬の振り付けをあやふやながら鼻歌を歌うように己の体で再生したりしています。ダンサーの肉体を持たない人間に手話をダンスとして与えるというアイディアが素晴らしい。

 芸術家が今やるべきことを漏らすことなく伝えてくれた人々に感謝します。力を抜くことが何より大事な気がするので、気負わず導いてくれたラストの後を私の場所でそのまま踊り続けられたらいいなと思います。

2017-03-06

長崎沈黙聖地巡礼記

3/2-4の二泊三日で長崎市と五島列島『沈黙』聖地巡礼の旅に出ました。スコセッシ版の映画公開後に東京から巡礼した人の記事をまだ見かけないので、どなたかの参考になればと思い、ここに記しておきます。

 必読携帯書は『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)』なのですが、「歩き方」と説明している文では、ところどころアクセスが難しい方を紹介していたりするので、そこはおいおい注釈を入れていきます。遠方からの旅であってもレンタカーを運転できる人はそれなりになんとかなりそうですけども、私は運転免許を持たない女一人旅だったので、公共交通機関を駆使しています。

遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)

遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 (とんぼの本)

 自治体も力を入れているようで、HPは大変参考になります。

 映画沈黙サイレンス−』原作ゆかりの地 特設サイト https://www.nagasaki-tabinet.com/silence/

 ここはスコセッシ監督訪問地、制作関係者訪問地がそれぞれ示されているので、いわゆる最近のライトな意味での「聖地巡礼」チェックに役立ちます。

 映画沈黙サイレンス−」長崎ゆかりの地を巡る https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60242/

 私はトモギ村のモデルとなった外海地区に関してはここを基本に旅程を組み立てました。そして、Spot4の外海歴史民俗資料館・Spot5の沈黙の碑・Spot6のド・ロ神父記念館・Spot7の旧出津救助院・Spot8の出津教会堂をカバーしてくれる長崎さるくのオーダーさるく『夕陽が美しいキリシタンの里』コースを10:00-12:00で申し込みました。参加料は1800円ですが、外海歴史民俗資料館&ド・ロ神父記念館共通入館料(大人300円)・旧出津救助院入館料(大人300円)込みなのでおひとりさまでなければお得ではあるかと。おひとりさまの場合はプラス1000円の計2800円ですが、私の場合はその価値は充分ありました。

http://www.saruku.info/course/Y030.html

 なぜ10:00-12:00にしたかというと、長崎駅近辺から6:30頃の始発のバスで黒崎教会前まで行くと到着が7:54なんですが、その次の9:34の黒崎教会前発のバスに乗るとちょうど長崎さるくの待ち合わせ時間10分前くらいに出津文化村バス停に着いて待ち合わせ場所の旧まちづくり記念館に行けるんです。なのでその1時間半の間にSpot3の枯松神社とSpot2の黒崎教会を回ることにしました。そしてさるくのコース終了後にまたバスか徒歩でSpot10の遠藤周作文学館を見学することにしました。(バスで向かう場合、長崎さるくの担当の方が目的地への時刻表をPDFで送って下さいますが、私はその前に勝手に旅程を加えているのでnavitime検索しました)

※参考までに私が使ったバス時間の検索結果貼っておきます。 https://www.navitime.co.jp/bustransit/search?orvArea=42&orvStationName=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E9%A7%85%E5%89%8D&dnvArea=42&dnvStationName=%E9%BB%92%E5%B4%8E%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%89%8D&month=2017%2F3&day=3&hour=8&minute=0&through=0&basis=0&orvStationCode=&dnvStationCode=

Spot1のバスチャン屋敷跡はバス移動だと限界があるのでさすがに諦めました。Spot9のド・ロ神父の墓は出津教会のあたりから眺めることはできます。Spot11の道の駅 夕陽が丘そとめは遠藤周作文学館のすぐそばというか、バス停と遠藤周作文学館の間なので簡単に寄れます。

キリシタンの里そとめ 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 https://www.nagasaki-tabinet.com/tour/62503/

 こういうバスツアーも紹介されていますが、日程が合わなかったので利用できませんでした。土曜日に都合がつき、枯松神社にどうしても行きたい、とか、黒崎教会に入りたい、などこだわらなければ、これを利用するのが一番楽かと思います。(ただ、枯松神社は実際に沈黙巡礼をしてみると一番推したい所です)

 長崎市内中心部は観光地として確立されていて、交通の便も動き方もよく整備されているので、まずは外海地区を攻略するのが鍵になります。私の場合は行くなら五島列島は絶対外せなかったのでタイトなスケジュールになりましたが、五島列島に渡らなければ二泊三日で特設サイトで紹介されている分の沈黙聖地巡礼は余裕を持って回れると思います。


 五島列島はガイドブックでも『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』でもあまり詳しく紹介されていないので特にHPを頼りにしました。

五島列島キリシタンクルーズ

https://www.nagasaki-tabinet.com/tour/62490/

https://www.nagasaki-tabinet.com/course/c60885/

https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60864/

このツアーがよくおすすめされていたので申し込みました。が、最小催行人数が2名で申込期限の運行日1週間前になっても私以外の申込がなくツアー中止に。とにかく昔からキリシタン洞窟に興味があって、キリシタン洞窟だけはどうしても行きたいどうしよう、とりあえずどうしよう、HPだけでも見るか。

キリシタン洞窟 https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/1098/

なんか電話番号書いてる。電話かけた。船出してくれることになった。キリシタン洞窟行けることになった。

おひとりさまでなければこんなにドタバタせず五島列島キリシタンクルーズが問題なく催行されます。ただ、それだとキリシタン洞窟に上陸できないので結果オーライ。

 飛行機とホテルは楽天トラベルの楽パックが私が探した中では一番安いです。ANAでもJALでもできるんだとは思いますが私はANA楽パックで行きが羽田-長崎、帰りが五島福江-羽田で取りました。最初は長崎に戻らなきゃならないのかなと思い込んでたけど、五島の空港指定でも平気だった。ホテルも一泊目長崎市・二泊目五島市と違う宿を指定できた。五島から羽田へは直行便がないので私の日程では福岡乗り換えになりました。

 それではここからは私の実際の巡礼ルートを書いておきます。

 3月2日(木)

 1:羽田空港11:05発、長崎空港13:00着。確か定時。

 2:長崎空港から高速バスでココウォーク茂里町へ。なぜそこまで乗ったかというと、まず原爆落下中心地と浦上天主堂に行きたかったから。ここは『沈黙』自体には関係ないので、大浦天主堂を見学なさりたい方は長崎新地で降りられると良いです。大浦天主堂の拝観料を払った時にもらえるパンフレットとチケットを持っていると日本二十六聖人記念館が半額になるみたいです、あとクリアファイルもらえるらしいです。私は時間的に逆ルート選択するしかなかったのですが(他の施設は17時閉館、大浦天主堂は18時閉館)、大浦天主堂以外はだいたい長崎市内中心部に固まっているので『沈黙』巡礼ならここを早めに片付けた方がいいです。信徒発見を『沈黙』と結びつけなければ削っても構いません。その場合は長崎駅前でバスを降りられるのが無難だと思います。

 3:路面電車の茂里町から松山町へ。『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』では浜口町を紹介していますが、最寄は松山町です。

 4:松山町で路面電車を降りるとすぐ看板が立っているのでそれに従い歩いて原爆落下中心地に。原爆資料館は高校の修学旅行で行ったのでパスしました。『沈黙』には関係ありませんが遠藤周作女の一生』と今日マチ子『ぱらいそ』で浦上は大事な場所になっているので足を運びました。ちなみに私がこの場所に着いた瞬間、雨が降り出してびっくりしました。

 5:原爆落下中心地碑で突然雨に降られてぼんやりしてたら後から来た人が手を合わせていたのでトモギ村でご飯もらったロドリゴやガルペのごとく急いで私も手を合わせた後、隣に立っている旧浦上天主堂遺壁で少しだけ雨宿り。この時は雹らしきものまでが降っていた。少し待つと弱まったので浦上天主堂を目指す。

 6:看板などの道順に従って浦上天主堂へ。被爆マリアのレプリカや原爆で吹き飛ばされた鐘楼など見る。

 7:日本二十六聖人記念館を目指し電車に乗ろうかと思ったら長崎駅前行きのバスを見かけたのでそちらに飛び乗る。いずれにせよ長崎駅前に出れば問題ないので。

 8:日本二十六聖人殉教地及び記念館見学。こちらはスコセッシ監督訪問地です。映画の中でモキチが歌っていたと思しきサクラメンタ提要の楽譜はここにあったので、ここで塚本晋也が当時歌われていた曲を見つけたのかなと、出発前日に再放送で見かけたBSの番組を思い出す。劇中に出てきた「雪のサンタマリア」の本物もありますが、お土産用に500円で雪のサンタマリア掛け軸も売ってます。スコセッシ監督サイン入り『沈黙脚本も展示されてました。ついでに入り口あたりにもスコセッシ&塚本晋也サイン入り『沈黙ポスターありますが、職員さんは塚本晋也サインの方は私が言うまで気づいてなかった。入り口近くのサイン入りポスターは撮影可だそうです。

 9:長崎駅前から路面電車に乗って築町で乗り換え(この時に運賃支払いと一緒に乗り換え証明書みたいなのをもらう)大浦天主堂下へ。大浦天主堂下に着いた時に運賃を払わず乗り換え証明書のようなものを入れればOKです。このあたりが地味に迷って、ファミマに駆け込んで「大浦天主堂ってどうやって行けばいいんですか」と聞いたらそのファミマのすぐ左横の坂を登ればいいだけだった。教えてもらったおかげでギリギリ拝観時間に間に合う。日本語通じて良かった。国内旅行楽だな。

 10:18時を大浦天主堂で迎えて、あとはご飯とホテルへ。食物アレルギー持ちで面倒なんでリンガーハット出島店で麺抜きの野菜たっぷりスープ食べました。小麦も卵も(あと私は反応しませんが乳製品も)入ってないのは事前に確かめてきたのでチェーン店は気楽でいいです。

 3月3日(金)

 1:ホテルから一番近いバス停が五島町だったので6:35桜の里ターミナル行き乗車。桜の里ターミナル7:18着。その後7:40発の板の浦行き乗車。黒崎教会前7:54着。だいたい定時。

 2:黒崎教会を横目に枯松神社へ出発。『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』では永田浜下車となっていますが、黒崎教会前の方がわかりやすくて良いです。橋を渡ってバスで通らなかった曲がりくねった道をひたすら登ります。ここは海抜が低いバス停から歩いてこそ醍醐味があると思いました。枯松神社は制作関係者がロケハンしてるんですけど、トモギ村の村人がロドリゴとガルペをかくまい、コンヒサンをするために登った山道のイメージここだと思います。イチゾウやモキチが水磔にされているのをパードレ二人が見ていたのもこの辺りの茂みのイメージだと思いました。歩けばわかる。巡礼感高まる一方です。

 3:巡礼感を味わい尽くして登ったため、目安徒歩20分のところ、1時間近くかけて枯松神社に到着。祈りの岩や隠れキリシタンのお墓なども見つける。下りキチジロー走り的に急いだら15分くらいで黒崎教会に着いた。黒崎教会は9時から開いているようなので、さっくり見学させていただきバス停に戻る。

 4:無事バスに乗り長崎さるくの待ち合わせ場所に到着すると、待ち合わせ場所の横に沈黙の碑が。長崎さるく『夕陽が美しいキリシタンの里』コース出発。内容的にはド・ロ神父様最強コースなんですけど面白いです。時代が違えばロドリゴやガルペもこうなっていたのだろうか、ド・ロ神父も時代が違えばロドリゴやガルペみたいになっていたのだろうか、などと考えたりもします。

 5:なんだかんだで盛り上がってしまい120分コースが180分くらいになってガイドさん「時間守れなかった怒られる…」とか言ってた。でもその後「私も今の展示見たいから」と遠藤周作文学館まで車で連れて行ってくれた。ただ、翌日にイベントがあるのでガイドさんそれに合わせて展示見るって帰って行った。本当にお世話になりました。

 6:遠藤周作文学館は展示物自体の見学はさっくり30分もあればだいたい済みますがロケーションが良いので何時間でも過ごそうと思えば過ごせそうです。ただ、私はさるくの時間が押してしまったのでさっくり見て14:30頃のバスに乗ります。長崎港16:30発のジェットフォイルで五島列島に移動しなければならないからです。無事桜の里ターミナルに戻り、長崎新地ターミナル行きのバスに乗り込んだ、が、ここで痛恨のミステイク。最終目的地は一緒でも、私が乗るべきバスはその1本後のものだったようで、乗ったバスは大回りするバスだったみたいなんです。予定では16時には長崎港に着いていたはずなのにもう全然着かない。バス停から徒歩4分とか書いてたから最悪16:20に着けば何とかなるだろうと言い聞かせてても16:10時点で浦上だ。仕方ないのでバス車内から長崎港に電話する。ジェットフォイルは待ってくれないけど最終フェリーが16:50発だからそっち目指して頑張れと。16:40くらいにフェリー切符やっと買えたよ。頑張ったよ。

 7:なんだかんだで20時頃、福江港に到着。頑張った。でもお店がほとんど閉まってる。なんとかコンビニ的なものを見つけておにぎり買う。食物アレルギーだと安心安全なのがおにぎりしかない。おにぎりがライフライン。ホテル到着。

 3月4日(土)

 1:キリシタン洞窟を目指すために8:00のフェリーで福江港から奈良尾港に移動。最初から上五島に宿取れば良かったんですけど、てっきりキリシタンクルーズで動くものだと思っていたので、空港がある福江島のホテル押さえてクルーズキャンセルになった時点ではもう宿変更できないパッケージだったんですよね。

 2:キリシタン洞窟行く前にせめて少しでも五島の教会も見学したいなと思って、近めの福見教会と浜串教会とその横の希望の聖母像見たくてタクシー移動。上五島はさすがの私も断念するほどバスは期待できないです。レンタカーを借りれなければタクシーしか移動手段なし。

 3:タクシーに送ってもらってキリシタン洞窟クルーズへ10時過ぎに出航。釣り人の方と同乗。私が待ち合わせ時間に遅れてしまったため船頭さんと釣り人の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ない限りです…

 4:キリシタン洞窟到着。上陸してみたら思ってた以上に足場が本気の探検モードだ。そこらへんにあった木の棒を拾ってみると格段に歩きやすくてキチジローがなんであれ握りしめてたのかよくわかった。

 5:キリシタン洞窟堪能しすぎてどうやらまた時間オーバーしてたみたい。本当に船頭さんすみませんでした…

 6:港に帰ってきてタクシー呼んでもらってまたすぐ福江港に戻る。タクシーの運転手さんが五島の石をくれた。ありがとうございます。ジェットフォイルが長崎でトラブッて引き返しとかで1時間くらい待ち、売店の方と話したりして上五島いい所だなと思いつつ福江港へ。他の予定を決めていなかったので、福江港に着いてからすぐ空港行きのバスに乗ります。すぐと言っても1時間後くらいだったけど。

 7:五島福江空港到着。15時過ぎ。飛行機19時出発。やることなさすぎて寝てました。

 8:18:30頃やっと保安所通過。キリシタン洞窟で拾ってなんとなくそのまま持ってきたキチジロー棒の空港職員に対する目立ち方半端ない。けど無事通過してプロペラ機に乗り込み福岡経由で無事東京に戻りました。

一部記事文中と重複がありますが、参考にしたサイトを貼っておきます。

長崎さるく http://www.saruku.info/

五島列島キリシタンクルーズ(上五島発)【五島うどんの里発/7:30、福江港着/11:45】 http://www.nagasaki-tabinet.com/course/60885/

五島列島キリシタンクルーズ http://www.nagasaki-tabinet.com/tour/62490/

pdf http://www.campanahotel.com/gotobus_top/_userdata/H28kirikuru.pdf

=五島定期観光バスモデルコース= http://www.campanahotel.com/gotobus_top/pg459.html

九州商船ジェットフォイル http://www.kyusho.co.jp/kouro/n-jf.php

五島列島バスタクシーなど交通機関 http://islands.chicappa.jp/goto-web/03traffic.htm

有川タクシー http://www.arikawataxi.net/access.html

沈黙ゆかりの地 http://www.nagasaki-tabinet.com/silence/

枯松神社 http://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/1097/

枯松神社 http://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000609.html

長崎さるく夕陽が美しいキリシタンの里コース http://www.saruku.info/course/Y030.html

pdf http://www.saruku.info/coursemap/ai25.pdf

日本二十六聖人記念館 http://www.nagasaki-tabinet.com/guide/60788/

電車路線案内図 http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nagasnet/

バス乗換案内 長崎駅前 ⇒ 黒崎教会前(6:36長崎駅前出発) 長崎バス [1]長崎新地-大波止・板の浦接続-桜の里ターミナル 漁港通り経由桜の里ターミナルhttps://www.navitime.co.jp/bustransit/search?orvArea=42&orvStationName=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E9%A7%85%E5%89%8D&dnvArea=42&dnvStationName=%E9%BB%92%E5%B4%8E%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%89%8D&month=2017%2F3&day=3&hour=8&minute=0&through=0&basis=0&orvStationCode=&dnvStationCode=

遠藤周作記念館 http://www.city.nagasaki.lg.jp/endou/

五島交通ナビ http://www.goto-koutsu.jp/pctime/timetable.php?kbn=ship

五島旅客船 http://kogushi.cool.coocan.jp/goto-ryokyakusen.html

 東京の方は長崎県のアンテナショップに行かれるのも良いです。窪塚洋介イッセー尾形塚本晋也舞台挨拶日本橋であった時に『沈黙』2回目鑑賞したのですがちょうど日本橋長崎館というアンテナショップがありまして、そこの職員の方にもお世話になりました。五島列島関係はこちらでもらったパンフレットが一番役に立ちました。教えてただいた「しまとく通貨」もまあまあ使いました。

日本橋長崎館 https://www.nagasakikan.jp/

 個人的な雑感や写真などは以下においおい追加して行きます。まずは実用的な記事のみにて失礼。

女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)

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女の一生〈2部〉サチ子の場合 (新潮文庫)

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ぱらいそ(書籍扱いコミックス)

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2017-02-22

marginalism2017-02-22

子供達を責めないで

 Noism1近代童話劇シリーズvol.2『マッチ売りの話』+『passacaglia』埼玉公演を2/9(木)に観ました。観たんです、が、このままだとNoismは空中分解するんではないか、という思いが心に広がるような時間になっていましました。

 こんな時代の空気を感じていると、“踊って、作品を創れて幸せです!”というノリで舞台を創出することはできない、と言う。

金森「高度経済成長時代や、バブル経済の頃は、豊かさと言う余白があったから、既成概念をぶち壊すことをクリエイティブとして行い、陶酔することもできた。でも、格差、貧困、そうした問題を社会が抱えている今、純粋に舞踊だけを見せればいいとは思えない。それができる人たちもいるのかも知れないけれど少なくとも俺は、世相と全く関係のないことに集中できない。実は、今回の新作を創ると決めた時、最初は抽象的な作品一本で行こうと考えていた。でも、これだけ問題が山積になっている社会の中にいると、抽象的なことをやると自分が現実から逃げているように思えてくる。特に、Noismは、(平たく言えば)税金で作品を創っているわけだから責任がある」

(Noism Supporters #30の金森穣インタビューP3より)

 この発言を受けての作品がああなっていたと思うと、責任を負って創ってすごいですね、とは私は言えないです。

 2017年現在、我々は非常に困難な時代を生きています。世界中のいたるところでテロが起き、その因果関係を読み解くことの難しさは、専門家たちが世の趨勢を見紛う事態からも顕著なように、もはや誰にも理解できぬほど複雑に絡み合っています。このような時代において我々にできることは、複雑な事象に対する解を短絡化することではなく、ポピュリズムによって集約することでもなく、複雑な事象を複雑なまま、多様な価値を多様なままに、その“混沌”を享受する強さを身につけることではないでしょうか。そしてその強さとは、恥ずかしげもなく高尚な理念を掲げ、同時に成す術なく卑近な己を噛み締め、自らのその足で歩いていくことでしか、養えないものではないでしょうか。

(近代童話劇シリーズvol.2『マッチ売りの話』+『passacaglia』プログラムより)

 ここに書いてあることはごもっともだとは思います。でも、貴方の場合はその前にやることあるでしょう、と。金森穣が一人で視野狭く前のめりで歩いていくだけじゃ駄目なんだ。

 前半の『マッチ売りの話』の意図を私は掴みあぐねました。それは不条理劇を下敷きにしているから、という高尚な次元ではなく、単に作品としての完成度が低かったからです。生煮えだったからです。ダンサーごとに作品理解度・咀嚼度が異なって温度のムラが激しかったからです。何が起こっていたのだろうと登場人物のキャストの名前を終演後に確かめたら腑に落ちました。高らかな宣言と裏腹に異文化への配慮がなされてなかったからことが理由の一つだと判明したからです。

 第1部『マッチ売りの話』ではほぼ全員が面をつけています。面をつけている意味は何だったのでしょう?キャスト内で意思統一されていたでしょうか?中川賢や石原悠子は理解していたと思うんです。その人たちが踊ると何かが見えかけました、が、他の人が入ってくると途端にまたうやむやになってしまうんです。うやむやなまま踊っているから。特に男性陣で戸惑いが強く伝わってくる人たちがいました。結局あれは何だったんだろうとキャスト名を確認したところ、その人たちは台湾人ダンサーでした。

 日本の人にとって「面をつける」という行為はどういうことなのか、特にNoismは新潟のカンパニーですから能楽ベースに共有しているものがあると思うんです。能楽師能面をつけるほどの意味を表現できなくとも、おぼろげであろうとイメージは少なからず持っているはずなんです。でも、台湾の人はそれを共有していない。共有していない人が悪目立ちしてしまっている。この悪目立ちはダンサーに責任があるわけではない、演出家が適切に導けなかったのが問題だ。

 最近の金森穣はカンパニーの若い人たちに苛立っているように思える。自分が要求するものを自分が要求するレベルで答えてくれないことに対してフラストレーションを溜め続けているように思える。舞台上の若い人たちが可哀想にも思える。昨夏同じ会場で観たNoism0は素晴らしかった、けど、その素晴らしさは「大人最高!何も言わなくてもやりたいことわかってくれる!きちんと自分で仕上げてくる同世代パフォーマーは楽!」という前提があって成り立っている。見方を変えると若い人たちを突き放している。私が今ここのカンパニーの若いダンサーだったら萎縮して自信を無くして踊ることが楽しくないと思う。演出家本人の問題意識を若い人たちが理解できるように噛み砕いて伝えて向き合う作業を放棄しているからこんな舞台になってしまったんだと思う。

 そして作品理解度が図抜けて高い井関佐和子にも依存していないだろうか。最後まで観ればわかるんです、ああ最初のシークエンスは処女懐胎のモチーフかと。その後に出てくるダンサーたちの姿は世を忍ぶ仮の姿かと。第2部『pasacaglia』はわかりやすいです。全員が意識の共有できているから。温度差ないから。Noismの基礎を押さえて創っているから。だからこそ、前半で放り投げたものも見えてきます。『マッチ売りの話』でも意識の共有ができていた部分はありました。『スリラー』だと全員が共有して踊っている部分はとても楽しそうだった。ずっと戸惑っていた若い人たちがやっと安堵したように見えた。でもそこまでの長い時間、若い人たちをこんなに不安にさせる大人はよろしくないなと少し怒った。

 自分の周囲にいる迷える子羊をネグレクトして高尚な理念を掲げるのは愚かな行為だ。近くにいる人に八つ当たりしているだけのような舞台に足を運んだ人間もまた置き去りにされてしまう。『ラ・バヤデール―幻の国』の時も感じたけど、金森穣の空回りは何が原因で起こっているのだろうと気を揉んでしまう。このままだとカンパニー空中分解してしまうか大化けするかどちらかなんだけど、それはただ一点、金森穣の焦燥がどこに着地するかにかかっている。

 そして私、金森穣が提起している問題に対して素晴らしいクオリティで回答を出した作品を知っているんだよね。

 この人うだうだしてないで一刻も早くマーティン・スコセッシの『沈黙-サイレンス-』を観ればいいと思った。正直私も金森穣と似た程度でしかキリスト教モチーフをこねくり回せないんだけど、そのことを恥ずかしくて情けないと思ったし、そのことは高々と掲げられるほど恥を知らないわけでもない。もう本当にドヤ顏で書き連ねた文言を消し去りたくなるし、恥ずかしげもなく高尚な理念を掲げている人がどうなるか/成す術なく卑近な己を噛み締め、自らのその足で歩いていく人がどうなるかを見事に描き切っているあの作品に触れてそうならないなら芸術家を名乗れないです。

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