Hatena::ブログ(Diary)

ドイツから学ぼう

2018-07-08

(348)鈴鹿山麓での農的創成(3)・地域を壊していく規制なきグローバル化・それでも人間の素晴らしさを信じたい(沖縄慰霊平和の詩「生きる」)

鈴鹿山麓での農的創成(3)

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7月に入り毎日激しい雨が続いている。
6月には既に真夏が続き、益々気候変動の進展を感ぜずにはいられない。
そうしたなかで雨が続く前に、電気柵で守られたジャガイモが収穫できたことは喜びである。
黄色いジャガイモキタアカリは通常に比べ3分の一程と小さく、収穫量も半分以下であるが、アンデス原種の赤いジャガイモは葦の節根が蔓延る大地の自然農法に向き、写真で見るように30平米(9坪)程の畝で、中ぐらいの大きさが9キロも収穫できたことは大きなフロイデであった。

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もっともそのフロイデも束の間であり、翌日には電気柵外の畑に植えた60株ほどの順調に育っていた里芋の大半が掘り起こされ(写真左)、種芋だけでなく実を付けた小指ほどの芋も齧られており、悲哀(トラウリヒカイト)へと変わり果てた(里芋については芋を好物とする猪もそのヌメリを嫌うと過信していた)。
それでも悲哀に浸ったままではおられず、その日も予定通り冬に備えて薪作りにチェーンソーで明け暮れ、小屋の前に乾燥のため置くことができた(写真左下)。
もっともこの量では数日分しか持たないため、9月までに一冬分の薪を作ろうと思っている。

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ここでは殆どの森林で間伐がされておらず、森林所有者から細い間伐材は伐採してもかまわないと言われており、伐採せずとも畑の隣接する森には杉、檜、松などの針葉樹の倒木が溢れており、薪作りの手間を楽しめば、冬の暖房も自給可能である。
また現在住む古民家屋根の太陽光熱温水器は冬でも風呂の水を温かくし、この6月は半分近く水で埋めないと熱くて入れない程であり、太陽光の威力を実感している。
それ故現在は乾電池による電気柵も今月末には太陽光パネルに変え、自ら太陽光発電に取り組もうと思っている。
それは地域でのエネルギー自給の第一歩であり、私の考える地域での農的創成へとつながるものである。

私の考える地域創成




現在の政府が掲げる地方創生とは、第二次安倍政権が掲げたローカルアベノミクスと称される規制なきグローバル化に他ならず、グローバリゼーションが地域を崩壊させていると思う私とは真反対のものである。
ローカルアベノミクス地方創生原動力特区などの規制なきグローバル化であり、その穴埋めにお金がバラマカレているのであり、最早お金のバラマキでは地方は一時的にも活性化せず、益々衰退が進展しており、政府に近い産経新聞社説では過疎が限界を超える地域自治体では「畳んでいくことも考えなくてはなるまい」と、地域放棄さえ主張される始末である。
このような政府地方創生は70年代の日本列島改造論に発しており、工業製品輸出のため犠牲となった農林業を生業としていた全国津々浦々の地域弱体を、高速道路開発で土建国家に一変させた。
しかしそれは後から振り返って見れば、高速道路日本中グローバル化が進み、地域の商店が巨大資本のスーパーによって壊滅させられるだけでなく、負債という将来世代の富が喰い尽くされていると言っても過言ではない。
地域がグローバル化で壊れて行くのは、既にブログに訳して乗せた世界一幸せと称された3500メートルの高地ラダックの急速な変化を見れば明らかだろう(翻訳して載せた動画『幸せの経済学』参照)。
数十年前まで完全な自給自足で、暮らしだけでなく、伝統文化が訪れる人に生き生きと輝き、暮らす人々も自ら語るように幸せが溢れていた。
しかしインド本国から道路建設によってグローバル化の波が押し寄せると、これまで高価で十分な余剰があった小麦やコメが恐ろしく暴落し、その穴埋めをするため若者が都市へ出ていくことを出ていく余儀なくされ激変した。
すなわちそこでは、都市でお金を稼ぐ若者がお金を生み出さない暮らしや伝統文化、そして親や老人を蔑み、経済的だけでなく、あらゆる価値観も崩壊していく。
そのような事実からも他の地域に農産物さえ依存させるグローバル化は、本質的に住民の幸せを奪うものであり、最終的には地域を破綻させるものである。
それ故私の考える地域創成は、政府地方創生に対して地域自治体が地域創成を唱える時地産地消の地域自立を希求するように、それが本物であれば近いものであり、さらに一歩進んで「地域で消費するものは殆ど地域で創る」ものでなくてはならないと思っている。
それは他の地域に依存することでは、結局グローバル化の波に飲み込まれ壊されて行くからだ。
「地域で消費するものは殆ど地域で創る」といった地域創成は、化石燃料エネルギーから自然エネルギーへのエネルギー転換で地域がエネルギー自給できるだけでなく、地域に自然エネルギーが溢れることを前提としている。
それについては長くなるため、追々書いていこうと思う。
現在のように既にグローバル化が進展するなかでは、一気に都市を含めて他の地域に依存しないことは不可能であり、上に載せた動画ZDF『問われる食料品の地域性3−3』が描いているように、意ある女性市民グループ起業して、地域の健全なビオ(無農薬有機栽培)生産者と都市の関心の高い消費者を結び付け、即日届ける配送サービスを拡げて行くことが地域創成の第一歩であろう。

生命の詩が投げかける人間の素晴らしさと希望




私の考える今回書いた地域創成、そして前回書いた世界に理念あるルールの構築で永遠の平和を創り出して行くことは、限りなく難しい。
何故なら世界の政治が、現在の競争原理を最優先する規制なき産業社会に支配されているからであり、少なくとも20世紀は平和のシンボルであったE Uでさえブリュッセルに集う3万人とも称されるロビイストたちに支配されているからである(動画ZDF『EUがロビー支配される理由』参照)。
すなわちブリュッセルでは各テーマごとに年間130ほどの巨大企業や企業連盟主催の会議が開催され、そこに集まった政治家官僚、そして多くのロビイストによって取り仕切られ、EU議会開催前に実質的に産業界の意に沿ってEU政策が決定されている(そうした実態がドイツの公共放送ZDFで明らかにされるのは、戦後ドイツ社会が革命的に、産業への官僚支配から国民への官僚奉仕へと激変したからである)。
しかしどのように困難であろうと成し遂げなくてはならない。
何故ならそうしなくては、気候変動や地域崩壊で世界が滅ぶ前に、格差に意を反する国や集団でも世界を滅ぼすことができる時代に突入したからである。
すなわち世界格差が北朝鮮のような小国をサイバー攻撃大国、核大国に変え、その手段は絶えず世界に拡散しているからである。
そうした絶望的現実にもかかわらず、それでも希望を持ち続けることができるは、今年の沖縄慰霊祭で絶望的な基地化が進むなかで、沖縄少女の平和の詩『生きる』を聞き、平和に向かって今を生きる人間の素晴らしさを実感できるからだろう。

2018-06-19

(347)鈴鹿山麓での農的創成(2)・見えて来たもの・『事件の涙』(内部告発の非情)が呼覚ます理念あるルールとバランスの構築

見えて来た理念あるルールとバランス

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不耕起自然農を始めた畑は以前は棚田で少なくとも10年は放置されていたため、葦の硬い節根が地面の深くまで覆い、殆どミミズさえいないやせ地であることから、大豆の畝を基本として沢山播いた。
それらはやせ地ににもかかわらず10日程で見事に目を出し、青々とした芽には勢いがあり順調に見えた。
しかしそう思う間もなく、写真のように大豆だけでなく青菜もバッサリ食べられていた。
最初は犯人を特定できなかったが、食べられた後再び大豆の種を播き直し同じことを繰り返すうちに、糞や足跡から鹿であることがわかった。
そのため1反ほどの畑は、高さ2メートルまで網フェンスを高くした(1メートル程では容易に飛び越えるため)。
それで再び平穏を取戻した畑も、ある日まだ育っていない馬鈴薯の一部が掘り返されていた。
今度は網の下が掻い潜られた形跡から猪と推定された。
また翌日の昼に行って見ると森がざわめいており、2頭の猿が高い木によじ登り数十匹の猿が集団で山から下りて来て、私の畑にも数匹の猿が小松菜や青梗菜を食べていた。
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こうした悪戦苦闘を繰り返していく中で辿り着いたのは電気柵であり、乾電池6個で発生する7000ボルトのショックパルス電流が野生動物心理的恐怖を学習させ(ルール)、二度と侵入させないという触込みが目に止まり、最早他に頼むものもないという思いで設置した。
それから既に3週間近くが経つが、それ以後は動物の侵入した形跡はない。
もっともそれで万事解決とは行かないだろうし、電気柵設置が動物と共存するための適正なルール構築とは思っていないが、かつては共存していた里山などの復活を模索しながら、たえず理念あるルールの構築を求めて行こうと思っている。 
そうすれば節根で覆われたやせ地もいずれ豊かな土壌生態系バランスを生み出し、実りある日が来ると思っている(もっとも今は青菜も小さく、花が咲き黄色に枯れた馬鈴薯からは親指ほどの小粒芋しか育っていない。それでも紫色のアンデス種のものには勢いがあり、小さな青菜も緑が深く、収穫できたものから有難くいただいている)。
そのようにルールとバランスを感じる新たな暮らしのなかで、下に見るEテレ『事件の涙』に深く心を動かされ、またアメリカの身勝手な関税断行やEU亀裂の要因となり得るイタリヤの右派政権の誕生、そして具体性のない米朝首脳会談後の行先を危惧し、国内および世界における理念あるルールとバランス構築を切望せずにはいられない。

何故内部告発者の悲惨な現実が容認されているのか



5月8日に見たNHKドキュメンタリー「正義の告発雪印食品牛肉偽装事件」が、心に深く突き刺さった。
16年前正義の告発を行った西宮冷蔵社長の水谷洋一さんが本来なら社会から讃えられるべきであるにもかかわらず、逆にバッシングによって悲惨な現実に向かい合っているからだ。
悔しい、悔しいと嘆きながらも、それでも未来を信じて必死に歩もうとする姿に胸が熱くなった。
このように内部告発者が悲惨な現実に向かい合わなくてはならない背景には、日本の実社会には内部告発者が組織破壊者と見なされる権威構造が根深いからである。
それ故2006年に施行された公益通報者保護法にはバッシング行為への罰則規定がなく、「正直者が馬鹿を見る」といった印象も強く、寧ろ告発を受けた企業側を保護すると言っても過言でない。
それは情報公開法が非公開を実質的に合法化しており、公共工事での公開入札の仕組がリニア開発に見られるように談合を巧妙化している実態からも理解できるだろう。
(実際私が体験したゴルフ場開発でも、環境アセスメントが開発事業者によって作成されることから、本質的に開発を合法化するものであった)。
そうした手厚い企業側への保護にもかかわらず、最近はこれまで日本を牽引してきたトップにまで不正が最早内部告発なくしても溢れ出しており、昨年末の神戸製鋼三菱マテリアル東レなどの組織ぐるみのデーター改ざん不正では、不正が以前から日常化していたことを明るみに出している。
また南スーダン日報問題、森安問題、加計学園問題で、政府組織自体が資料改ざん等の不正実態を露見させている。
そのように不正が蔓延している実態は、既に日本の経済発展が70年頃から行詰まり、利益追求を最優先させるために法案による公正さ追求とは逆に、不正が容認されてきたからと言えよう。
そこには戦後も、日本が明治ドイツから学んだ富国強兵へと導く仕組の継続が垣間見られる。
すなわち明治国際社会での日本の近代化を求めた大久保利通使節団は、鉄血宰相ビスマルクに「国と国との関係は万国公法と言う国際ルールに基づいている。しかしそのような約束事は絵空事に過ぎない。大国は自分に利益がある場合は万国公法に従うが、ひとたび不利益と見れば、たちまち軍事力にものを言わせてくる。国際社会で小国が生き残るためには国家を強くしなければならない」と諭され、富国強兵へと導くドイツ官僚制度を学んだのであった。
それは殖産興業を通して絶えざる外への発展を求め、国益のためには国民の犠牲も厭わない仕組と言えるだろう。
ドイツは戦後ナチズムの反省から、そのような恐るべき仕組みを国益よりも国民の幸せを優先させることで、官僚支配から官僚奉仕するものへと180度転換させた。
すなわち行政の責任が容易に問えるよう、司法行政から完全に独立させ、お金のない市民の口答での申請でも行政裁判を可能にし、強制的に行政に資料提出を課することで、官僚支配から官僚奉仕へと大変革を遂げたのである。

ドイツ内部告発の実情

そのように官僚奉仕が求められるドイツにおいても、VW(フォルクスワーゲン)社に見られるように企業の不正に対しては容認されていると言っても過言ではない。
その理由は戦後国民の幸せを最優先するために、企業活動は共同決定法を通して従事する市民に任せられたからである。
すなわち市民を豊かにする企業活動は従業員の半数が経営に参加することで、企業活動の不正は市民に委託されたと言えるだろう。
少なくともそれは、VWが93年に20億マルクという大きな赤字を出した際まで機能していた。
その際経営陣は10万人の従業員のうち3万人のリストラを強く求めたが、経営決定会議で半数を占める従業員役員の主張が通り、リストラなしで従業員の賃金15パーセント削減と週休二日の36時間から週休三日の28、8時間という労働の分かち合いで決着し、ドイツ労働者の連帯が世界に誇示されると同時に、その公正さがアッピールされた。
しかしシュレーダー政権の誕生時には、殆どのドイツ企業はグローバル競争の激化で危機に晒され、従業員の属する組合が御用組合化することで共同決定法が機能しなくなり、企業活動の公正さが激変した。
すなわち企業の国際競争力強化と利益追求が最優先され、長年をかけて築いた世界一豊かな労働者の権利が根こそぎ奪われ、企業活動の公正さも失われて行った。
現在グローバルな競争原理主義をキャラバン資本主義と辛辣に批判するシュピーゲル誌さえ、当時は国際競争力の強化こそがすべての解決への道であるといった主張が大半を占めていた。
そのように企業活動の公正さを失って行ったドイツにおいても、豊かであったドイツ市民の暮しが一気に低下し、市民の8人に1人が相対的貧困者に没落するに至り、競争原理優先の「アジェンダ2010」政策を実施した社会民主党(SPD)が2007年のハンブルグ綱領で自ら反省した時点から変化し始め、2008年のドイツが最大の被害を受けた世界金融危機で目覚めたと言えよう。
すなわち企業活動の不正を正すために、下の動画でもわかるようにZDFなどの公共放送から新聞や週刊誌に至るまで市民の側に立って企業活動の公正さを追求している。
そのように公正さを追求するドイツも、メルケルシリア難民受入れ挫折に見られるように、国際的公正さに対しては本質的には及び腰である。
それはドイツがEU域内で、経済的に一人勝ちである事実と決して無関係ではない。
すなわちドイツは自国での規制なきグローバル競争をキャラバン資本主義批判できても、EUでの自国利益が国民の豊かさをもたらしていることから、EUでの競争原理優先の利益追求を実質的に容認している。
それがEU加盟国の経済格差を肥大させ、東欧に右派政権を誕生させるだけでなく、大国イタリアにおいても若者の失業率30%を招くことで右派政権を誕生させたと言えよう。
しかしEU加盟国の経済格差肥大がこのまま進行すれば、いずれ亀裂が弾けることは明白である。
そうなれば、歯止め役を失った世界が終末戦争に向かうことも絵空事ではない。
本来EUの理念は加盟国全体が豊かになって行くことであり、その理念は少なくとも京都議定書の際まで機能しており、理念あるルールとして産業大国ドイツには大幅な二酸化炭素削減義務が課せられ、非産業国には逆に大幅の増大を認めていた。
そうした理念あるルールの実現こそが今EU、そして国連に切に求められ、世界の現在の危機を救うものであると確信する。
それは下の『問われている食料品の地域性』が暗示させるように、商品の輸送距離に対応した地産地消促進のための課税がその第一歩となり得るだろう。
最初の私の直面する暮らしに戻れば、そうした理念あるルールの実現こそが地域を蘇らせ、地域そして世界に豊かで平和なバランスを生み出して行くと切に感じている。

2018-05-16

(346)鈴鹿山麓での農的創成(1)・問われる地域性3−1・平和的生存権・官僚支配による憲法改正

鈴鹿山麓での農的創成(1)

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既にブログ(339)でも書いたように、昨年の11月までは妙高で骨を埋めるつもりであったことから、この半年近くの急転直下の激変に自ら驚くと同時に、人生には予期せぬ出来事で変わり得るものだと実感している。
驚異的に変わったのは暮らしであり、豪雪地帯妙高では毎日除雪に追われていたが、ここでは殆どその必要もなく(今年は除雪作業が全くなかった)、移り住んだ1月下旬から農作業ができることは本当に有難いことである。
怠惰な私の暮らしのなかで、ベルリンで学んだ4年間を除き四半世紀近くも有機農で自給用の野菜や稲栽培が継続されて来たのは、それが私にとって快く、糖尿の私の体をそれなりに維持してくれているからだ。
そしてここでの農作業がこれまでと大きく異なるのは、有機農から自然農に変化したことである。
有機農は堆肥や完熟鶏糞などの肥料を地中にすき込むことから、稲作では少なくとも耕運機が欠かせない(最初の十数年は中古トラクターを購入し自ら耕耘して来たが、最近は田んぼの耕耘とコンバインでの刈取りを知合いに依存していた)。
それに対して自然農は地中を耕さない、地中に肥料を持ち込まない、草や虫を敵としないことを掲げており、道具は鍬、鎌、シャベルしか要らず、本当にそれで自給用作物ができれば夢のような話である。
これまでの有機農から自然農に変えた理由は、娘が現代の機械農業に不信感を持ち、書物を通して川口由一さんの自然農に傾倒していたからであり、それに移住したここで耕耘などを農協に頼めば、最早自給するよりも購入したほうが安くなり、私の農作業道楽に成り果てるからである。
もっとも私の場合これまでの経験から、地中に肥料を持ち込まず地表の草を刈るだけの自然農法では、収量が余り期待できないことから、例えばジャガイモなどの植付けでは元肥に完熟堆肥を施すなど自然農の掲げる鉄則に執らわておらず、自らが快く農的暮しが出来ることを優先させている。
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1月下旬に移住して、すぐさま自給目的の農的暮らしを始め、写真で見るように庭の50坪ほどの畑と、自宅から歩いて10分ほどの以前棚田であった森に1反(300坪)程の耕さない自然農を開始している。
既にレタス小松菜、二十日大根などが収穫出来始め、青菜は充足出来ていると言えるだろう。




何故地域での農的創成を始めるか

その理由は妙高の暮らしでも感じたことであるが、日本の地域がバブル以降如実に衰退し、グローバル化が進むなかで破綻へと向かっていると思えるからである。
ここでも集落の50件ほどの民家は3分1近くが空家となり、最早専業として生業とする農家は見あたらず、近くにはお店もなく、小学校は2キロ離れ、中学校に至っては5キロ近くも離れ、子供が通う家庭は2件しかなく、このままでは集落の未来はないと言えるだろう。
そうした地域の未来がないのはこれまでの妙高でも同じであり、3校あった小学校が1校に統合され、高校からは列車通学を余儀なくされ、地域に殆ど若者を受け入れる雇用がないことから東京などの都会へ出て行かざるを得ない。
そうした状況にもかかわらず、選挙の度に地域活性化が唱えられ、目先のお金がインフラ整備にばら撒かれるだけで、益々地域破綻の速度を速めている。
しかもゴルフ場開発反対運動で戦った私には、地域の翼賛化が加速しているように見える。
そうした思いで絶えずブログを書いて来たことから、娘の大学での研究テーマである「地域の生業をオルタナティブに復活させ、如何に人、動物、自然のためのより良い未来、暮らしに生きる喜びを創成するか(マリア・ミースのサブシステンス実践)」には、私のこれまで唱えて来たドイツから学ぶ大きな目標とは異なるように見えるが、同じ思いが感じられ、父親であるというより同士的思いでここへ移住参加したと言えるだろう。
何故なら「地域の農的創成」にこそ、私が絶えず唱えて来た官僚奉仕、そして世界の恒久平和、さらには自然エネルギーへのエネルギー転換への鍵があると、今思うからである。
それは追々述べて行きたいと思うが、今回載せるZDFプラネットeの『問われる地域産の食料品』、私の見た動画45『平和に生きる権利を求めて』、私の見た動画46『日本人と憲法』を見てもらえば、その片鱗が理解できるだろう。

ZDFプラネットe『問われる地域産の食料品3−1』



私自身ベルリンに暮らした際、ドイツのスーパーのお店に寧ろお世話になった気がしていた。
何故なら食料価格も日本に比べて非常に安く、既に地域産表示も多く、このフィルムで提示されるスーパーの偽装とも言うべきトリックなど思いもよらず信頼していたからである。
もっとも近くの公園で開かれる週末マーケットには多くの市民が訪れ、多少高くても近郊の生産者から購入する市民の意識の高さには感心したものであった。
このフィルムに登場するビオダイナミック農法(注1)アルプスホーフのような有機農産物を生産する安心できる農家が売りに来ており、今フィルムを見ると地産地消を求る市民の声が益々盛り上がっているのを感じる。
それに対してスーパーを経営するドイツの食料品巨大企業からは、グローバルな規制なき市場競争に益々巻き込まれ、地産食料品への市民ニーズを逆手に取り、偽装とも言うべきトリックで売る戦略が垣間見えてくる。
(注1)ビオダイナミック農業シュタイナー提唱の農法に由来する循環型農業であり、耕作地に鶏や牛などを移設して飼い、人、植物、動物、大地が共創して、エコロジーで安全な食料品を提供する農業である。

私の見た動画45『平和に生きる権利を求めて』



4月28日ETV特集『平和に生きる権利を求めて』75分を、私の印象深かったシーンで13分ほどに編集した。
戦後70年を経て、憲法9条及び自衛隊の合憲、違憲めぐり争われた恵庭裁判長沼裁判の録音記録公開を受けて、このフィルムでは平和に生きる権利、平和的生存権を問うていた。
この両裁判で失われたかに見えた平和的生存権が、2008年イラク派遣差し止め訴訟名古屋高裁で権利として確定し、今沖縄基地問題で叫ばれ、さらには世界の危機が深刻となる中で、世界の人々が平和的に生きる権利こそが世界平和の切札になると思った。
またこのフィルムで語られる平賀書簡を通して、日本の司法は戦前同様独立しておらず、官僚支配の翼賛ムラ社会に生きていることを感ぜずにはいられない。
それでも長沼裁判後あからさまに15年もバッシングされた福島裁判官が、「後悔はしないですよ。自分の良心に従って生きてきた大きな喜びと僕は思っています」と胸を張って言い、さらに今、原発訴訟などでバッシング覚悟で住民の危険性に立った判決が出るようになって来た事に、日本もドイツのように変わり得る可能性を感じる。

私の見た動画46『日本人と憲法



5月3日NHKスペシャル『日本人と憲法〜1949−64 知られざる攻防〜』50分を4分1ほどに、憲法改正に生涯をかけた政治家広瀬久忠に焦点を絞り纏めて見た。
この広瀬の改正案には、発掘された膨大な資料を通して外務省大蔵省防衛省の総そうたるメンバーが関与するだけでなく、法務局の首脳たちが関わっていたことが明るみにされる。
改憲案では個人の権利や自由が行過ぎているとして国民の権利を制限し、憲法9条については戦力不保持の2項を削除し、国民に防衛の義務を課することを明記していた。
それは憲法改正のすぐ後に、戦前のような徴兵制が控えているように思える。
しかし戦後の平和憲法が押付の憲法でないと判明すると、憲法改正勢力も衰退し、憲法調査会が終わるに際して広瀬は手記を残し、「現行憲法を改正するか否か、いかに改正するかは、すべて主権者たる国民の判断にかかっている。5年かかっても、10年かかってもよいではないか、国民の大部分の納得を取付けるまで飽くまで努力を重ねるべきである」と述べている。
それは改憲案作成に奔走していた頃の広瀬の考えとは、180度転換した考えに思える。
そこから浮かび上がる私の思いは、戦前の官僚支配復活を模索する勢力に利用され、消耗品となった末路政治家の本音、良心に見える。
すなわち戦後奇跡の高度成長を遂げた60年代には、日本の産業社会は再び国益最優先の戦前の富国強兵策を掲げる官僚支配を求め、憲法改正官僚組織によって仕組まれたと言えるだろう。
憲法改正の国民支持は得られなかったものの、官僚支配は裏側で巧妙化して行き、次なる政治家田中角栄を利用し、国債発行禁止を実質的に解き、日本を土建国家にするなかで肥大し、戦前の翼賛ムラ社会を復活させて行ったように思える。

2018-04-28

(345)時代の終わりに(29最終回)・ソ連崩壊以来の最大の危機(6)危機を最大のチャンスに変えるとき・官僚支配が辿るいつか来た道(6)世界が官僚奉仕に変わるとき



危機を最大のチャンスに変えるとき

最終回の議論でも、現在は最大の危機ゆえにチャンスであると、イシンガーが再度強調している。
しかもこの討論の数日前、トルコドイツ製戦車でシリア国境を越えて侵攻し、ドイツが支援する反アサト市民グループクルド人民防衛隊の攻撃に踏み切ったことから、トルコ独裁制を厳しく批判するドイツとの関係も一層危機に陥っている。
そのような世界の危機はこの討論会でも述べられているように、これまで危機ではなかった地域であり、世界の何処に居ても危機が差し迫っている。

それは下に載せた私の見た動画44『金正恩の野望』(4月22日NHK放送『金正恩の野望第3集』の印象に残ったシーンをテレビから編集)を見れば、世界の危機は決して他人ごとではなく、寧ろ日本こそが現在も最大の危機にあるとわかるだろう。
北朝鮮が核開発放棄を前提とした対話路線に180度転換したのは、トランプの仄めかしていた核基地の局地攻撃が現実化しているのを察知したからだと私には思える。
すなわち既に攻撃のXデイが決められ、それに対しては報復攻撃も意味を為さないことから、熟慮のしたたかな決断であったように思える。
しかしその転換も北朝鮮が核を手放すわけでなく、北朝鮮元高官や元米国務長官が述べるように、北挑戦は核保有を死守することが予想され、期待される米朝首脳会談も拙速に運べば決裂する公算は大きい。
その場合トランプが核基地局地攻撃に踏切れば、当然同胞韓国よりも日本への報復公算が高いと言えるだろう。
それ故に北朝鮮の野望がどのようであれ長期的な対話を求め、単に北朝鮮の核を全廃させるだけでなく、世界に戦争が起こらないルールを確立すると言った気構えで取組まなくてはならないだろう。
何故なら最早強国が世界を支配できる時代は、弱国でも軍事に特化することで北朝鮮のように核とサイバー攻撃保有を通して世界破滅の脅威となり得、終を告げたからである。
既に北朝鮮の核とサイバー攻撃のノウハウとマテリアルは、紛争国からテロリスト集団に至るまで売り渡たされていることさえ予想されることから、人類破滅の危機は秒読み段階に入ったと言っても過言ではない。
それは世界平和の最大の危機であると同時に、最大のチャンスでもある。
何故なら強国も弱国を尊重して、全ての国、そして全ての人が豊かになれるよう行動しなければ、強国の未来、さらには人類の未来がない時代に突入したからである。
世界平和を実現できる機関は国連であるが、現在のように各国の国益追求の手段とされているなかでは殆ど機能していないのが現状である。
それを機能させるためには、下に述べるように国連世界市民にガラス張りに開き、国益ではなく世界市民への奉仕を最優先できるシステムに変えていかなくてはならない。



官僚支配が辿るいつか来た道(6)世界が官僚奉仕に変わるとき

世界に類を見ない革命的なドイツ官僚奉仕は、ナチズム反省から戦後司法法務省から完全に独立させ、無謬神話の無責任な国益を最優先する官僚支配を問える仕組を創り出したことに依っている(それは一夜に達成されたものではなく、官僚一人ひとりの責任が問えるように権限の現場官僚への委譲が50年代より模索され、権限委譲のハルツブルクモデルとして断行されて行き、1960年の行政裁判所法制定で行政の資料提出が義務付けられたことで官僚の一人ひとりの責任が問えるようになって行った)。
すなわち市民からの行政に対する訴えがあれば検証し、事実であれば行政から強制的に資料や証拠書類を提出させ、無料でしかも短期行政訴訟を決着させる仕組みに革命的に変化し、官僚の責任が問われることから官僚支配から官僚奉仕へ、国民への奉仕に徹せざるを得ないと言えるだろう。
また言葉だけの国民発案の審議会を、連邦であれ州であれ議会政党投票率で各党推薦の専門家審議委員の選出で、政治が透明化され、市民のための政治へと変化して行った。
さらにそのように開かれた市民のための民主政治は、60年代の「競争よりも連帯」を標語とする教育の民主改革で市民一人ひとりに定着して行った。
そうしたなかで60年後半には裁判官さえも市民奉仕が優先され、高座の裁判官を傍聴人と同等の席の高さまで引き下げ、傍聴人と隔てる柵が取り払われ、裁判所自体市民のサービス機関に変わることが目標とされ、ドイツ官僚奉仕が完成されて行ったと言えよう。
そして現在問題になっている日本の官僚組織は、相変わらず無謬神話に基づく責任の所在のない無責任体制であり、国益のための官僚支配と言っても過言ではなく、再び戦前のように国益のために国民を犠牲する方向へと旋回している。
まさに現在の財務省防衛省等などの不祥事が物語っていると言えるだろう。
それを変えて行くためには国民一人ひとりが、現在の危機を認識することから始まり、まさに危機ゆえに、国民のために奉仕する官僚組織に変わり得る最大のチャンスであると思っている。
そして国連も、気候変動、シリア紛争北朝鮮核問題を通して、従来のように各国の国益追求の手段であり続けるなら、最早人類に未来はないところまで追い込まれている。
国連を世界の人々のために奉仕するようにするには、繰返し述べる必要もないと思うが、戦後のドイツの革命的変化に学べばよい。

*次回からは私の今の暮らしを通して、「鈴鹿山麓での農的創成」を書き始めようと思っています。

2018-04-13

(344)時代の終わりに(28)・ソ連崩壊以来の最大の危機(5)トランプアメリカの正体・官僚支配が辿るいつか来た道(5)NHKの執念と“悪い奴”の正体

タブー破壊から見えて来たトランプアメリカの正体



核攻撃威嚇、懲罰的関税エルサレムへの首都移転擁護、気候変動パリ協定からの離脱、ユネスコからの脱退というタブー破壊から見えて来たものは、今回の冒頭でアメリカ政治評論家のピーター・ラオが述べているように、トランプ権力政治の象徴であり、アメリカ強化によって同盟国とアメリカ支配の世界を築いて行くことであり、トランプアメリカの正体と言えよう。
しかしながらその原因は、そのようなタブー破壊を露骨に実行する大統領を誕生させた時代背景にあり、それこそが暴走を加速する現在の資本主義終焉を告げるものである。
今回も議論の締め括り役として登場したメルケル後継者の一人と称されるノルベルト・レットゲンCDU連邦議員は、アメリカ依存からの脱却と国際的責任を強調している。
しかしそれはメルケル同様、現在の新自由主義に支配されて行く世界、さらには終焉の時代を本質的に変えるものではなく、戦後国内政治では理想を追求して来たドイツの国際的限界さえ感じられる。

“二度と戦争を起こしてはならない”と誓ったNHKの執念と“悪い奴”の正体



公共放送NHKは安倍政権役員人事によって、この数年社会問題や政治問題を考える番組が激減し、時の内閣を擁護する国家放送への転身さえ危惧されるなかで、4月4日放送の『森友文章“改ざん”問題』には『何故日本人は戦争に向かったのか』シリーズで誓って来た執念が感じられた。
すなわち佐川国税庁長官国会答弁904回を徹底分析し、政治的関与を鮮明にした。
そこには二度と同じ過ちをしてはならないと、戦後長年に渡って引継がれて来た民主主義国家を希求する執念が息衝いていた。
また改ざんの舞台となった近畿財務局を徹底取材し、自殺した改ざんを余儀なくされた官僚の同僚友人の証言を通して、ひずみを生じゆがんできていると明かされる組織の論理で、現場官僚が信念に反することをさせられる実態を炙りだしている。
今回の森友問題では、財務省内閣府政治家の言うがままに改ざんしたように推測されるが、その政治家日本産業がグローバル競争で行き詰まるなかで戦前の重商主義が求められ、以前から憲法改正で普通の軍隊を持てる国を希求して来たからこそ奇跡の復活がなされたと言えよう。
そうした経緯からすれば、安倍政権を誕生させたのは、、福島原発事故で問われた政官財の原発ムラ社会と根源を同じくするものであり、それこそが“悪い奴”の正体である。
そして番組の最後では再発を防止する政府の取組が紹介され、これまで一部で安倍内閣スポークスマンと化したと批判されてきたNHK政治部記者吉川衛が、「いくらルールを厳しくしても守らなければ何の意味もない」と述べているのが印象的であった。
既に事態は4月4日の放送から大きく動き出し、森友用地値引き教唆証拠書類やかけ学園の「首相案件」証拠書類など、田中角栄鈴木宗男の時のように次から次へと出てきて、最早安倍政権退陣へと動きだしている。
しかし安倍政権が退陣し、厳しい新しい規則が運用されても、官僚の無謬神話に基づく無責任な官僚制度が戦後のドイツのように官僚支配のルールから国民奉仕のルールへ転換されなければ、益々巧妙化し繰返されることは目に見えている。