Hatena::ブログ(Diary)

ドイツから学ぼう

2019-01-24

(359)ドイツから学ぶ未来(2)市民エネルギー転換への道標・尊厳最優先のともに生きる社会(マルクス・ガブリエルの倫理トーク3偏見、4トランプ)

ドイツから学ぶ未来(2)市民エネルギー転換への道標



ここ鈴鹿山麓の冬も暦の上では大寒を過ぎ、春へ温かい陽射しへの期待が実感されるようになって来た。
ここでも雪は降るが殆ど積もることはなく、毎朝山の畑へ野菜の収穫に出かけれることは、今の自分にとって無上の喜びに感じられる。
そして来月の如月からは、再び大地との営みが始まる。
太陽に向けた希望の拡がりであり、体だけでなく心にもエネルギーが充足されて行くイメージが強い。
それは私にとって太陽が、太陽光や風力、そしてバイオマスであれ、現在のグローバル化がもたらしている危機救出のシンボルであるからだ。
それを教えてくれたのは、ドイツ市民のエネルギー転換であり、そのエネルギー転換を研究面で率いてきた第一人者であり、市民のエネルギー転換の啓蒙実践者でもあるウベ・レプリヒ教授の主張であり、ジャーナリストのフランク・ファランスキーが自ら製作した『エネルギー転換の時代に生きる』であり、巨大電力企業が経営危機に追い込まれるまで全くエネルギー転換に取組まないなかで、再生可能エネルギーを急増させて来たのはドイツ市民(900にも上るエネルギー協同組合等の)であった。
事実レプリヒ教授は、ドイツ公共放送ZDFのエネルギー転換を描いたフィルム『Wer für die Energiewende bezahlen muss・誰がエネルギー転換のために支払わなければならないか』で、専門家第一人者として登場し、「エネルギー転換の敗者は巨大電力企業になる」と明言し、フィルムの終わりも「地域で安く電力を製造する無数の小さな発電装置が益々巨大発電所を負い詰めて行く」というナレーションで終わっていた。
今回上に載せたファランスキーの『レプリヒ教授に聞くエネルギー転換の道標』でも、レプリヒは2014年の再生可能エネルギー法改正でエネルギー転換がブレーキがかけられたことを指摘した上で、「再びエネルギー転換の推進力を燃え上がらせないことは、むしろ信じられないことだ」と強調している。
それはまさに、どのように巨大電力側が政治家をロビー支配しても、最早その流れは止められないことを確信させるものである。
何故なら巨大電力企業が洋上風力発電やメガソラー基地で大量に電力を製造し、巨大電力網で国土の隅々まで送電しようとしても、地域の身の丈規模の分散技術で造る太陽光、風力、バイオマスの電力コストに比べ圧倒的に高く、どのような優遇策を持ってしても勝てないからである。
最もそれ故に、巨大電力側は政治家のロビー支配で市民が自ら電力を全く造れないよいように、法の改悪で画策しているのである。
このフィルムでもファランスキーが指摘しているように、本来市民の側でなくてはならない社会民主党SPD党首で経済相のガブリエルが、産業側のロビー活動に絡め取られており、国民にエネルギー転換促進と石炭火力発電廃止を約束しながら、実際は石炭火力発電維持に努め、エネルギー転換にブレーキをかけている。
そうした裏切り行為ゆえに、ファランスキーはインタビューで経済ガブリエルを思わず罵ったのである。
まさにそこにこそ、現代の危機が潜んでいる。
すなわち格差や貧困の解消を目標に掲げ、本来市民の側に立たなければならない社会民主党が、格差と貧困を拡げる新自由主義の担い手にならない状況に、現在の世界が全体主義に向かう危機の本質がある。
それは前回のブログで述べたように、1998年の連邦選挙でコール政権での新自由主義の押し寄せる侵攻に、社会民主党が戦後の弱者救済を責務とした社会的市場経済を規制によって取戻すことを掲げて大勝利し、シュレーダー政権政権を誕生させた時から始まっている。
確かにシュレーダー政権公約に従って、企業の自由リストラを制限する解雇制限法の復活や病欠手当・年金減額法の廃止など労働者の権利を回復しただけでなく、脱原発環境税導入(エコロジー税制改革)などで新自由主義克服に積極的に取組んだことは事実である。
しかしそのような市民側への手厚い政策、そして世界一高い労働コストが、グローバル化で激しい国際競争にさらされるドイツ企業を存亡の危機へと陥らせ、必然的にシュレーダー政権を180度転換させて行ったといえるだろう。
すなわち産業側は企業の全面的国外移転という脅しによって、世界一強固といわれたドイツ労組御用組合化し、その結果社会民主党はその労組を通して格差と貧困を拡げる新自由主義推進の担い手を演じざるを得ず、それは現在においても継続されており、ドイツエネルギー転換にブレーキをかけるのである。
そうした表では格差と貧困の解消を訴え、裏では格差と貧困拡大の推進を演じている実体は、既に多くのドイツ市民は見抜いており、それ故に連邦選挙では選挙の度に得票を激減させ、このままでは解党さえもあり得ると言っても過言ではない。
こうしたドイツの悪しき状況のなかでも、ウベ・レプリヒの発言に見るように未来展望は決して暗くなく、むしろ障害を乗り越える意欲さえ感じられる。
それは2008年の世界金融危機で最大の被害を被ったドイツで、それ以降も産業のグローバル化が益々進行し、相も変わらず社会民主党のロビー支配が継続されているにもかかわららず、新自由主義カジノキャピタリズムとか、キャラバンキャピタリズムとして批判する報道が増え、ドイツの未来、そして世界の未来に公正さを求める世論が高まっているからだ。
そして地域で再び市民による分散技術の無数の自然エネルギー発電が燃え上がり、それが地球の隅々にまで拡がって行くとき、それらの地域はエネルギー自立だけでなく殆どが地産地消を実現され、経済コロニアリズムといわれる新自由主義グローバル化が克服されるだろう。
そこでは戦後のドイツナチズムを生み出し、ホロコーストを犯した過ちが深く反省されたように、人間の尊厳を不可侵とする民主国家が創られ、自ずと世界各地の衝突が平和へと転換されよう。
さらにそのような国では、戦後も競争原理最優先の新自由主義経済、戦争、環境破壊を生み出してきた道具的理性が本質的に反省され、理性と自然が和解し、倫理を通して世界の永遠平和が希求されよう。
そのような社会は、人が生きる喜びや幸福、そして尊厳ある生き方が出来る社会であり、現在の分断された世界においても、そのような社会を実現しようと考えている人は、ドイツでは決して少なくない。
昨年来日し、若き天才哲学者として一世を風靡したマルクスガブリエルもその一人であり、下の倫理トークなどを通してそのような社会実現にアンガージュマンしているのだ。

マルクスガブリエル倫理トーク(3)・偏見



人は子供たちに、先入観にとらわれず正直であれと教える。
しかし子供の正直さが障害者の振舞いを悪しきものと見なすとき、母である政治学者クリスチャンはどのように対処すべきかをガブリエルに尋ねる。
ガブリエルは正直さをそのままにするのは良心を咎める行為であり、子供に「これらの障害者の人たちは大そう弱い人たちである」と説明理解を求め、「私たちが障害者の人たちと向かい合い、責任を果たす」ことだと教えている。
すなわちそれが共同体に生きる人間が、ともに生きるための規範であり、ガブリエルの主張する倫理なのである。

マルクスガブリエル倫理トーク(4)・トランプについて



ガブリエル来日した際2018年7月6日毎日新聞の「政治に倫理は大事なものでなくなった」の記事で、ガブリエルはその典型がトランプであり安倍政権であると明言し、その理由として「古い価値観を捨てなければラジカルな未来は開けないという絵空事のような言葉が、人々の倫理を鈍らせるのです。安倍政権経済を安定させれば政権は揺るがないとわかっている。政権の中身がどうあれ、どれほどスキャンダルが続こうと、権威主義、強い男のイメージが備わっていればなんとなく支持されると。ただし、経済が傾けば、もともとイメージだけなので、崩れるときは早い」 と述べている。
今回の倫理トークでもガブリエルは、「トランプは心底から人々に語りかけているのではなく、操作するために人々の愚かさを利用している」と明言し、民主主義デマゴーグに利用される危機を警鐘している。
そしてそのような危機解決法として教育を挙げ、徹底した教育の機会平等を通して、教育による倫理啓蒙を推し進め、エリートを求めるトランプのようなデマゴーグを阻止して行かなくてはならないと訴えている。

2019-01-13

(358)ドイツから学ぶ未来(1)ドイツ社会、そして世界を変えるガブリエルの新実存主義



ここ鈴鹿山麓も時々雪が降るが二三日後には融けてくれるので、妙高山麓での凍てつくような寒さのなかで、毎日除雪に明け暮れていた者にとっては本当に有難い新年の始まりである。
もっともそうした有難さも、気候変動の問題として考える時有難さでは済まなくなる。
それは人類に課せられた試煉でもあるが、我国の極めて消極的な姿勢を見ていると、結局絶えず先送りされて、最悪のカタストロフィ到来を考えないではいられない。
しかも戦後「二度と戦争の過ちを繰返してはならない」と国民に誓った公共放送NHKは、この数年変質され続け、今年に至っては既に中旬に差し掛かろうとしているが、この国が今抱える山のような問題を議論する番組さえなくなっている。
まさに国民に考えることを求めない、新年号の新自由主義クライマックス時代の始まりであり、もはや戦前の翼賛社会にタイムスリップしたのではないかと、不安を通り越した思いに駆られる。
そうしたなかでドイツからメッセージは、私にとって未来への希望であり、道標でもある。
前回メルケルの新年挨拶で述べた『なぜ世界は存在しないのか』の著者マルクスガブリエルは、新実存主義を打ち立て評判になっているが、本質的にはドイツ観念論への回帰を求めており、彼自身ドイツ社会で上に載せた倫理トーク(1)などを通して、カント倫理を啓蒙すると同時に、カントの「目的の王国」へと導こうと実践している。
すなわちよき生き方を願う善意思をもつ人格が、お互いを尊重しあう、理想的な道徳共同体「目的の王国」目指し、カントの夢見た永遠平和の世界を希求している。
そのような彼の希求は、下に載せた倫理トークロビー活動を見れば、より具体的に理解できるだろう。



すなわちガブリエルは、道を切り開く若き理論創設の哲学者であるだけでなく、ここでは現在の政治腐敗の元凶である政治家ロビー活動と戦わなくてはならないと明言し、「最も重要なことは、高い倫理的要請を持ち、倫理の下に政治と市場経済にどのように圧力をかけて行くか模索することだ」と強調している。
こうした“よき行い”へと正すガブリエル倫理トークは、既に100近くに上り、現在の新自由主義社会への戦いこそが、彼の唱える新実存主義の生き方とも言えよう。

ドイツロビー活動の腐敗は、私がこのブログを始めた時から私の還暦後のドイツでの4年間の学びを通して書いてきたように、ドイツ統一によって、東ドイツの財宝を求めて押し寄せた新自由主義アメリカ資本が、巧妙に信託公社政治家を買収した時から始まっている。
そして1994年には刑法108条項を改正させ、それまで昼食の接待さえ厳禁とされていたドイツ社会を激変させ、議決に対する直接的便宜のみ有罪に出来ない程政治汚職が合法化され、蔓延して行った。
そうした汚職の蔓延のもう一つの要因は、あからさまなロビー活動容認であり、シュレーダー政権誕生前のコール政権で、国益追及を名目として大企業の300人にも上る経営トップが相談役として連邦議会への出入りを許され、さらに企業ロビイストたちも自由に入れるようになり、腐敗したロビー活動が激化して行ったのである。
そのような新自由主義に異議を唱えて1998年に誕生したのが社会民主党シュレーダー政権であるが、シュレーダー政権も一年後には産業界の圧力で懐柔され、逆に新自由主義を強力に推し進めて行ったのである。

話を戻すと、この倫理トークで問われたシュレーダー贈賄疑惑は、彼が首相退任後胸を張ってロシア天然ガス巨大コンツェルンガスブロムの企業顧問を引き受け、市民には考えられない高収入を得ていたことから、ドイツ市民から便宜への報酬として非難されていた経緯を踏まえている。
こうした腐敗したロビー活動の激化は、世界金融危機後の2009年にはブレーキがかかったものの、未だにベルリンだけで3000人近い企業ロビイストたちが連邦議会自由に出入りしているのも事実である。
こうした腐敗構造を変えて行かなくてはならないと、哲学者ガブリエル倫理啓蒙などを通して戦っているである。
そのようなドイツからの希望あるメッセージは、私に力を与えてくれると同時に、日本の意ある人たちにも力を与えてくれるだろう。
それ故次回も、ガブリエル倫理トークを載せるだけでなく、ドイツエネルギー転換を研究面で率いてきた第一人者であり、市民のエネルギー転換を啓蒙実践しているウベ・レプリヒ教授のインタビューを載せたいと思っている。

2019-01-03

(357)2019年新しい年のメルケル初頭挨拶が投げかけるもの

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私にとっても2018年は様々なことがあったが、新たな年を志をより高くして、無事に迎えれたのは有難く、森羅万象に感謝す思いと、困難に打ち克つ願いで、写真に見るようにヤドリギを玄関に飾った。
ドイツではヤドリギを飾るのは珍しくなく、古代ケルト人が樹々に寄生するヤドリギを見て、困難に打ち克つ力を感じたことに由来している。
飾ったヤドリギは、薪作りの際樹に登る必要のないところに偶然見つけたものであり、ヤドリギ花言葉が克服、忍耐(、求愛)と定着していることから、私としては現在の危機克服を希求して、今年も忍耐強く歩みたいと願って飾ったのである。
そして私の新しい年は、今年もメルケルの新年挨拶を翻訳することから始まった。



メルケルは、昨年バイエルン州及びヘッセン州キリスト教民主同盟CDUの敗北を受けて、10月末引退声明を出したと言われているが、この新年挨拶からは明らかにそれが間違いであると、私には感じられた。
事実この挨拶でも、2005年に首相になってからの13年間は満足のいくものであったことを自負しており、最初反新自由主義を掲げた社会民主党SPDシュレーダー政権によって競争原理の坩堝とかし、恐怖のハルツ第四法によって市民の権利が根こそぎにされ、豊かな市民の八人に一人が相対貧困者に没落していたドイツを、現在の豊かさを取り戻しつつある社会へと導いたのは、ひとえにメルケルの尽力によるものだ確信する。
世界金融危機後の2010年には、まるで新自由主義を加速するような呼び名の「経済成長加速法」で、反新自由主義的な低所得者市民及び中小企業への240億ユーロにも上る大型減税を断行し、逆に大企業には支援なしに創意工夫の努力を呼びかけ、財政健全化を実現させていったのである。
それまでは私自身メルケルに対しサッチャー同様の悪いイメージであったが、この頃から一変し、2011年の見事なドイツ脱原発宣言、2015年には高い法定最低時間給賃金法実施、さらに同年与党内の激しい批判のなかでシリアからの100万人を超えるドイツへの避難民を政治生命を賭けて守り抜き、基本法庇護権には上限はないと跳ね除け、「救いの手を差し伸べないなら、私の祖国ではない」との明言には、感動せざるを得なかった。
今回の挨拶では、気候変動の問題解決避難民とテロを生み出さない平和世界構築に向けてイニシアティブが取れるようEUを創り上ていかなくてはならないという、メルケルの静かな闘志さえ感じられる。
その闘志ゆえに5期メルケル内閣はないと退路を断って、その目標達成に2021年までの目途をつけたと言えるだろう。
そしてメルケルドイツ国民、そして世界の私たちにそれを実現するために呼びかけたものは、公明正大、忍耐、尊敬の3つの価値に他ならない。
それはドイツナチズムの過ちを犯した深い反省から、ドイツ憲法の最初に「人間の尊厳は不可侵である」と掲げる基本法を創り上げ、現在のドイツ市民に定着していると言えよう。
それは私の最近見た動画『Markus Gabriel in Japan(注1)』でも、ドイツの若き新実存主義創設哲学者マルクスガブリエルと人間型ロボットの世界的権威石黒浩論議を通して強く感じられたことであり、人間型ロボットドイツを除いてフランスでもイタリアでもヨーロッパ中で絶賛されたのに、ドイツでは多くの人がヒューマノイドを拒絶し、理解できないと非難したことを石黒が問い正したのに対し、ガブリエルは即座に、ドイツ強制収容所での非人間化を犯したからであり、ヒューマノイドのような研究は人間性を壊すからだと明言していた。
そしてドイツ人観念論で統一されているとも言い切った。
それは世界の永遠平和と真の民主主義希求するカント観念論であり、ホロコーストの過ちを通して蘇り、新自由主義に砕かれても不死鳥である。
それこそがメルケルが世界に呼びかける3つの価値、公明正大、忍耐、尊敬であり、新しい年がそれを通して人間を幸せにする経済を構築し、世界平和と真の民主主義を創り出す契機となることを切に願う。

(注1)https://www.youtube.com/watch?v=H9J19m4ey8g&t=2173s

2018-12-12

(356)鈴鹿山麓での農的創成(最終回)ドイツの限界集落(最終回)エネルギー転換の象徴ユンデ村の危機・ともに生きる(最終回)日産ゴーン不正が投げかけるもの

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今年も師走を無事迎えることができ有り難いが、師も走るように毎日冬支度に追われている。
前回野焼きした0,4反ほどの畑には、来年の野菜の不足する時期の予備として、大根小松菜パクチーなどの種をまき、既に発芽した芽は勢いよく伸び始めている。
忙しいのは薪作りであり、毎日午後から歩いて15分ほどの森林に出かけ、林道沿いに放置されている杉、松、檜などの間伐を30センチ程にチェーンソーで切りそろえている。
最初は以前に書いたように森の畑の倒木で300キロほど薪を作った後は、隣のお爺さんが言うように残りは製材所で端切れをわけてもらうつもりだった。
しかしこの近辺の製材所は、下に載せた木材価格(原木市場)のさらなる下落で何処も倒産、もしくは製材事業を取りやめていた。
それは此処の森林組合も同じであり、森林の育成管理は細々と継続しているが、電話で問い合わせたところ、需要のない薪販売など以前にやめており、製材の端切れもないということであった。
もっとも北へ40キロほどの高島の森林組合では、1キロ40円ほどで薪がわけてもらえるそうであるが、軽トラも持たない私には現実的でなかった。
それで林道沿いの放置されて邪魔となっている倒木なら、切ってもよいのじゃないかという話を聞いて、薪作りを開始したのであった。
もっとも始めて数日後に森林組合職員に出会い、叱られると思ったが、電話で話した職員であり、逆に「そんな針葉樹じゃ、ストーブが傷むのではないか」と気付かわれてしまった。
放置されている倒木は台風などで倒れたものが半分ほどであり、半分ほどは間伐材である。
間伐材が放置されるのは、原木市場で1立法メートルあたり3000円から4000円と驚くほど安く、地元に需要がなく原木市場まで運んでいては採算が取れないからである。
明らかに日本の国土の7割を占める森林は病んでいるというより、現場では倒壊していると言っても過言ではない。
そのような放置され倒壊している森林を救う名目で、今年2018年政府は「森林管理法」を決議し、事業意欲のない森林所有者の同意がなくても市町村が意欲ある民間企業事業を委託可能にした。
これは結論から言えば、採算の取れない間伐材木材も丸ごとビオマスとして利用し、国民の支払う20年固定買取制度で電力を製造して売れば(ビオマス発電の場合1キロワットあたり24円)、大きな利益になるからである。
実際それを見越していたかのように今年住友商事酒田市で、住友林業八戸市バイオマス発電を開始しており、清水建設なども建設を開始しており、利益の得るところには大企業の参入は目白押しである。
しかし本来バイオマス発電分散技術であり、今回もドイツのビオエネルギー村で述べているように地域の電力自給と地域暖房の熱電併給利用で真価が発揮できるものであり、過疎限界集落の救世主として利用されるべきである。
しかも大企業バイオマス発電では地域に殆ど利益が得られず、高額な固定買取制度や驚くほど安価バイオマス木材を取り尽くせば、経済的にも成り立たなくなり閉鎖は目に見えている。
事実ドイツ第二の巨大電力企業RWEは、世界最大の英国バイオマス発電所を2013年経済的理由で閉鎖している。
私の薪作りから少し話がずれてしまったが、私の言いたいことは現在の地域崩壊は政官財の飽くなき目先利益追求にあり、かつてのように林業農業を生業として取り戻せるように将来視点に立つべきである。
例えば林業再生で言えば、バイオマス発電では一律に支援助成するのではなく、全国至る所に拡がる限界集落に対して、エネルギー自給による再生ができるように長期視点で支援助成しなくてはならない。

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ドイツ限界集落克服(最終回)

   

ドイツのビオエネルギー村は連邦農林省の支援の基に、ゲッチンゲン大学循環型社会センターで構想されたもので、条件不利地農村において必要なエネルギー(電気と熱)をバイオマス(家畜糞尿と間伐材)、及びトウモロコシなどのエネルギー作物によるバイオマス発電によって全てを賄う計画である。
今回上の動画に取り上げたユンデ村は、既に私のブログでも以前に紹介しているが、2005年にバイオマス発電を開始したドイツ最初のビオエネルギー村であり、それは村に経済的成功をもたらすだけでなく、豊かな文化的生活をもたらし、その名をドイツだけでなく世界に轟かせた。
実際2013年には、200人ほどのエネルギー協同組合の出資者でもある組合員に配当を開始しており、順調そのものであった。
しかし2014年ドイツの巨大電力企業4社がドル箱原子力発電を失い、市民がエネルギー協同組合で創り出した驚くほど安い再生可能エネルギーで経営危機に陥ったことから、ドイツ政府は再生エネルギー法(EEG)を改悪し、エネルギー転換のスピードにブレーキをかけ、将来的にEEGの支援が見込めないようにした。
そのためユンデ村は、現在1kwあたり0,21ユーロの高額な電力の買取も2016年で終了することから、その後も村内及び近隣に電力と暖房をフレキシブルで効率的に、より安く供給できるように新しい技術を導入し、2015年村民組合員190人の300万ユーロ投資ユンデ2.0プロジェクトを実現した。
しかし2017年連邦政府は、家畜糞尿の地下水汚染の理由で新たな肥料条例を決議し、これまで6カ月の糞尿発酵期間が9カ月に延長した。
そのため貯蔵容量の不十分なユンデ村バイオマス発電施設は改修を迫られ、70万ユーロの再投資が求められていた。
しかも2015年の新技術導入で再生可能エネルギー法による毎年8万ユーロの助成支払いが約束されていたが、ユンデ村の新技術導入を支払側は認めず、2017年より赤字に陥っていた(現在それについては提訴されており、来年2月に裁判が始まる)。
そしてドイツの地方公共放送北ドイツ放送(NDR)は今年11月11日に「ビオエネルギー村のパイオニア計画金融危機」と報じた(注1)。
また14日には、「ビオエネルギー村の連帯が壊れて行く」と続報した(注2)。
そこでは既にユンエネルギー協同組合の10人が協同組合から退会したことが報じられていたが、組合員のロジータクレーマー夫人は、「困難な時期を団結して乗り越えていかなければならない。何故なら私たちは快適な暮らしを手に入れ、暖房ではこれまでに5000ユーロから6000ユーロを節約してきた」と、退会は正しくないことを訴えていた。
また組合設立当初から世界のCO2排出の世界という高い理想を掲げる代表者エクハート・ファングマイヤー物理学者)は、「もちろん協同組合は力を合わせて乗り越えるほど強く、すぐに解決策見つけることは明らかです。少数の退会は組合をより適するものへと成長させ、物事を熟慮する設立当初の初心に戻らせます」と述べていた。
戦いは始まったばかりで小さいが、まさにそこには、これまで世界を支配してきた集中型技術の化石燃料エネルギーの潮流と、化石燃料支配の行き詰りによって市民自らに湧き上がってきた、分散型技術の自然エネルギーの潮流の激突を感じないではいられない。
そして究極的には市民のエネルギー転換を明言するエネルギー専門家が言うように、自然エネルギー太陽光として世界の何処にでも必要とする数千倍のエネルギーが降り注ぎ、既に自然エネルギー経済的にも凌ぐようになりつつあることから、ユンデ村のような地域でのエネルギー協同組合の市民勝利を信じたい。

(注1)https://www.ndr.de/nachrichten/niedersachsen/braunschweig_harz_goettingen/Bioenergiedorf-Juehnde-Pionierprojekt-in-Finanznot,juehnde126.html
(注2)https://www.ndr.de/nachrichten/niedersachsen/braunschweig_harz_goettingen/Bioenergiedorf-Juehnde-Die-Solidaritaet-broeckelt,juehnde128.html

ともに生きる(7・最終回)日産ゴーン不正が投げかけるもの



日産をV字回復させた立役者カルロス・ゴーンの突然逮捕は、日本だけでなく世界を驚かせた。
11月25日放映のNHKスペシャル『"ゴーン・ショック"逮捕の舞台裏で何が』では、既に逮捕が予期されたものとし、その舞台裏が念入りに取材されていた。
私にとってこの番組は、働く市民もカジノ資本主義と呼ばれる新自由主義のなかで生きており、日産で働く日本の労働者ルノーで働くフランス労働者が連帯して「ともに生きる」ことの難しさを感じないではいられなかった。
私の見た動画55『日産ゴーン逮捕が投げかけるもの』では、フィルムが描くその難しさを取り出して見た。
日産のV字回復は、2万人を超える従業員のリストラと、日産アジア及び北米拠点とルノーヨーロッパ拠点でのウイン・ウインの一体化によるものであり、まさに強いものが勝利する新自由主義象徴している。
また英雄視されていたゴーンの巨額の不正は、日産の社員だけでなく一般市民にとっても大きな裏切りである。
しかしこうした巨額報酬は、世間では格差社会のガン凶と非難されているにもかかわらず、カジノ資本主義では利益に見合った巨額な報酬が、新自由主義原動力として教義にさえなっている。
合法的に報酬が支払われなかったのは、フランスにおいても日本においても市民がそうした教義を認めていないからに他ならない。
それ故に、タックスヘイブンペーパーカンパニーが利用されていた。
すなわちそうした不正利用が巨大企業の首脳陣には、既に秘密裏常態化していることを裏返している。
そうした秘密裏常態化のなかで、このようにカジノ資本主義の裏側の本質をあからさまに世に出すことができたのは、日産経営陣のルノー合併される危機感である。
それはこのフィルムで描かれているように、長年ゴーン前会長の取材を続けてきた井上久男氏の、「外国人が日産を植民地支配していると社内の中は見ていた。支配力が強まるともっとさらに酷いことが起こるののではないかと、我慢の限界ということではないか」との言葉からも理解できるだろう。
すなわち株式買収による企業買収や企業合併は、買収する側からすれば合法的な企業戦略であっても、買収される側からすれば経済的植民地支配の何ものでもない。
したがって現在の規制なき自由貿易希求する経済世界は、「経済的な植民地支配競争であることを認識している」と言っても過言ではない。
そしてこうしたカジノ資本主義が肥大の限界に近づいているからこそ、一握りの人たちだけが益々富み、大部分の市民が益々貧困へと没落して行く。
しかも暮らしに困窮する市民は自らを救う公正で単純な擬似的世界観に救済を求めており、全体主義独裁国家誕生が拡がりつつあり、世界戦争(絶滅戦争)の兆しを感じないではいられない。
さらにこうした不正を容認するカジノ経済のなかでは、世界の市民が希求する気候変動条約もいつまで経っても先送りしかできないだろう。
それ故に植民地支配競争の不正な経済は、万人を幸せにする経済に転換されて行かなくてはならない。
それは、自然エネルギーへのエネルギー転換によって世界のすべての人たちが「ともに生きる」ことを通して可能だと、2018年の終わりに切に思う。

2018-11-17

(355)鈴鹿山麓での農的創成(10)私の体再生(最終回)・ドイツの限界集落(4)その克服1・ともに生きる(6)全体主義への傾斜

農的創成(10)新規蒔き直しでの野焼

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妙高からここへ帰ってからこの1か月は試練の時であった。
収獲を間近に控えた大豆と勢いよく育っていたアンデスジャガイモが、待ち構えていたように猿の群れに荒らされ、人参や大根なども一夜にして全滅した(もっとも里芋や、目を出したばかりの野菜は食べられず、それら野菜も現在のところ育っている)。
残っているのはおびただしい食べかすと引き抜かれたジャガイモであり、2メートル近い網もその中の電気柵も、それを越えるやり方を学習した群れには機能しなかった。
それは、最早鉄柵外の森からの撤退しかないことを意味した。
上の写真はそれ故の田畑の野焼であり、2メートル鉄柵内の10年近く放置されていた1、4反の田を管理する農協から借りることにし、早速新規蒔き直しで取組んでいる。
既に書いているように鹿の害から自給のため1反ほどの田を来年から借りるつもりであったが、鉄柵内に畑に使用する苗育成用の0,4反の田と1反の田が地続きであったのは幸いであった。
もっとも直ぐに借りられるのは、鉄柵内の田も既に3分の1ほどが耕作されていないからであり、それは山村では既に稲作も経済的に成り立たないことを意味している。
すなわち嘗て生業であった林業が壊滅的に放置され、今コメの自由化に向けて大規模が進むなかで、条件不利地での稲作がこのままでは壊滅するのは時間の問題である。

私の体再生(最終回)

それを具体的になんとか処方箋を見つけていくことが、私のこの地での農的創成への願望であり、その実現のために日々農的暮らしを継続することが私の体の再生でもある。
もっともそうは言っても、前回述べたように少なくとも5年前までは、命の危機に晒されてもアルコールと食の欲求を断てなかった。
しかし「もう少し生きたい」という希求が心の底から湧き上がって来ると、アルコールを完全に断つことも難しくなく、現在ではまったく飲みたいと思わず、これからも飲むことはないと確信できる。
しかし食欲についてはそのようには上手く行かず、食べ過ぎることもあるが、てき面に夜中口が乾くことから、戒めながら自給した玄米と3食菜食のカレー(来客は禅僧カレーとも呼ぶ)を感謝して食べている(昼は玄米粉のチャパティ)。
それに加えて現在の私の体再生は、そのまま休んでいては食後の血糖値が200を超えることから、食後30分ほど散歩すること、さらには朝夕合わせて3時間ほどの農作業を欠かさないことにある。
幸い庭で育てている野菜は鳥獣被害もなく、日々の暮らしを充足させてくれており、既に野焼後の畑には、大根春菊、赤かぶ小松菜チンゲンサイなどの野菜を育て始めているので、むしろ気力は日々たくましくなっている気がする。。

ドイツ限界集落(4)その克服1



前回約束したように今回は、バイエルン州のニュールンベルクから100キロほどのビオエネルギー村グロースパールドルフを取り上げて見た。
私がドイツの農村を探索した2000年頃は、まだこの地域ではビオエネルギー計画は開始されておらず、山岳地であるバイエルン州の環境農業政策(田園景観維持計画)で手厚く補償され、村民も魅力的景観、社会的安定性と文化的多様性に溢れた質の高い暮らしは農業なしに在り得ないと自負していた。
しかしEU東欧拡大によって農産物への競争原理が激化し、環境農業補償政策だけでは最早将来が見通せなくなり、ドイツでも農家廃業は激増して行った。
実際農業で生業を立てていた人口900人ほどのグロースパールドルフ村でも、専業農家が7件へと激減し、このままでは将来限界集落となることは目に見えていた筈である(注1資料参照)。
そうしたなかでこの村では2005年から(再生可能エネルギー法の20年固定買取制度を利用した)太陽光発電が始まり、2007年にはバイオガスによる発電と熱供給のプロジェクトが始まり、このフィルムで見るように村の自給エネルギーの5倍を生み出している。
しかもこの村での取り組みは、19世紀のドイツ農村信用組合創設者であるフリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼンの理念貧困からの救済と万人の幸せ」に基づき、「村のお金は村で」という目標が掲げられている。
そうした目標でライファイゼン・エネルギー協同組合が創設され(現在ドイツの800を超える市民エネルギー協同組合の一つ)、そこでは村民一人一人が参加して協同出資できる仕組みもつくられ、概ね実現している。
これに較べて日本の農業が衰退して行く地域は、既に述べたように他力本願で、政府の広域化政策で滅びようとしている。
すなわち林業が生業として廃絶した地域が殆どであり、農業も稲作までがグローバル化の競争原理に向かって動き出し、既に衰退が進行している地域では、お店だけでなく、子供の通う学校や老人のかかる医療機関がないことから益々若い世帯が激減している。
かつての宝の山も倒木に溢れ、今では自然災害の原因ともなり、先人の築いた山地の棚田も放棄され、鹿や猿の領域となり、私の暮らすここでは最早鉄柵なしには耕作できないと言っても過言ではない。
それとは対照的にドイツのビオエネルギーグロスバードルフでは、ビオガス用のトウモロコシ栽培することで隈なく農地が利用され、森林が徹底して育成管理されるだけでなく間伐木くずさえビオマスとして利用され、快適な暖房網と安価な電力を創出している。
その安い熱と電力で必然的に企業が移転し、雇用を生み出し、さらに村民自ら近隣の村を巻き込んで風力発電産業に協同組合で取組み、村民の暮らしからは文化的な豊かな暮らしに満足する活力ある声が聞こえて来る(注2)。
そこにはエネルギー自立だけでなく、地産地消の地域自立の希望ある未来が見えて来ている。

(注1)「地域からのエネルギー転換における事例研究」
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/26127/1/keizai0070200670.pdf

(注2)「Unser Dorf hat Zukunft」
http://www.grossbardorf.rhoen-saale.net/fileServer/LKRG/1008/16923/Gro__bardorf_Pr__sentation_2017.pdf

ともに生きる(6)全体主義への傾斜



「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」といった類の声は、社会学者最首悟が明言するように、現在の社会が作り出している病であり、「ともに生きる」視点はそれを越えるものとして限りなく重要である。
しかしトランプのアメリカ中間選挙ではSMS交信が実証するように、トランプ陣営の人たちと反トランプ陣営の人たちが全く交信ないほど分断されており、陣営内だけで共に生きようとしている。
しかもトランプのような全体主義的な独裁政権を望む機運が、ヨーロッパではハンガリーポーランド東欧だけでなく、オーストリアイタリアにも波及し、さらにはブラジルエクアドルに見られるように右派左派の分目なく拡がり続けている。
こうした状況はナチズムが全権を握った当時の世界と同じ様相と危惧されており、今回は国家社会主義のナチ党が議会第一党となった1932年7月選挙(翌年全権を掌握した)におけるヒトラー演説を通して、全体主義傾斜を検証して見た。
私の直訳なので多少間違いがあるかも知れないが(下の直訳参照)、世界第一次世界大戦後誕生した当時としては世界一民主的で自由憲法を要するワイマール共和国が、市場経済のなかで民主的で自由であるが故に、経済格差が限界を越え、様々な分野で階層的分断と対立を生じていたことを、ヒトラー演説は巧みに利用している。
当時の近代化の流れの中で地域から都会へ出てきて根無し草になった人たちは、製鉄や機械といった重工業産業の世界的行き詰まりの中で困窮し、民衆自身が公平公正でわかりやすい世界観を求めていたからだ。
それはアーレントによれば、複雑極まりない世界を単純化し、敵と味方に明確に分け、自らも高揚させるわかりやすい疑似的世界観に他ならない。
すなわちヒトラー演説が述べるように、国家主義右派陣営)と社会主義左派陣営)がナチズムに一体化して民族共同体を創り出すことであり、それによって栄誉と自由、労働と糧の王国の到来を約束する疑似的世界観である。
それは、同じ考えの人たちが疑似的に「ともに生きる」ことでもある。
そして現在も地域がグローバル化によって益々崩壊するなかで、都会に押し寄せ根無し草となった人たちが困窮し、自らを救う公平公正な疑似的世界観がツイッターなどのSMSで拡散し、益々全体主義への傾斜が加速していると言えよう。

異なった考えの人たちが対立を越えて「ともに生きる」社会を創出するためには、地域から都会に押し寄せ困窮する根無し草の人たちが、自らの意思で再び戻れる活力ある地域を創出して行かなくてはならないだろう。
それは決して不可能ではなく、上に述べたようにドイツの条件不利地の村々が自然エネルギーへのエネルギー転換で既に実践していることである。
(日本では福島原発事故にもかかわらず原発維持政策が継続されており、それがエネルギー転換の最大の障害になっている)
                                                                                                                          1932ヒトラー演説
Über 13 Jahre hat das Schicksal den heutigen Machthabern zu ihrer Erprobung
und Bewährung zugemessen. Das schärfste Urteil sprechen sie sich aber,
indem sie durch die Art ihrer heutigen Propaganda das Versagen ihrer
Leistungen selbst bekennen.
13年以上運命が今日の(ワイマール政府の)権力者に信頼と統治を付与してきた。しかし彼らは今日のプロパガンダを通して統治の失敗を自ら認めることで、決してあってはならない判決を下した。
Sie wollten einst Deutschland für die Zukunft besser regieren als in der
Vergangenheit und können als Ergebnis ihrer Regierungskunst in
Wirklichkeit nur feststellen, daß Deutschland und das deutsche Volk noch
immer leben.
彼らはドイツの未来をこれまでの過去よりよりよく統治することを望んだが、彼らの統治能力の成果として、ドイツドイツ民族が絶えることなく生存していることを実際に確証しただけである。 
Sie haben in den Novembertagen ‘18 feierlich versprochen unser Volk, und
insbesonderes den deutschen Arbeiter einer besseren wirtschaftlichen
Zukunft entgegenzuführen. Sie können heute, nachdem sie nahezu 14 Jahre
Zeit zur Erfüllung ihres Versprechens hatten, nicht einen einzigen
deutschen Berufsstand als Zeugen für die Güte ihres Tuns anführen.
彼らは1918年11月厳粛にドイツ民族、特にどいつの労働者によりよい経済的将来を導くことを宣言した。彼らの公約を満たすのに14年も経ているが、彼らの善行の証としてひとかけら雇用状況の改善ももたらせていない。
Der deutsche Bauer verelendet, der Mittelstand ruiniert, die sozialen
Hoffnungen vieler Millionen Menschen vernichtet, ein Drittel aller im
Erwerbsleben stehenden deutschen Männer und Frauen ohne Arbeit und damit
ohne Verdienst, das Reich, die Kommunen und die Länder überschuldet,
sämtliche Finanzen in Unordnung und alle Kassen leer.
ドイツ農民貧困化し、中産階級は滅び、何千万人の社会的期待が失せ、成人の3人に一人が職業なしで無給であり、帝国、州、自治体負債をかかえ財政に窮乏し、金庫は空である。
Was hätten sie überhaupt noch mehr zerstören können? Das schlimmste aber
ist die Vernichtung des Vertrauens in unserem Volk, die Beseitigung aller
Hoffnungen und aller Zuversicht.
彼らがこれ以上まだ滅ぼすものがあるだろうか?最も悪いのは、国民の信頼を失い、全ての人の期待と希望を奪ったことだ。
In 13 Jahren ist es ihnen nicht gelungen, die in unserem Volk schlummernden
Kräfte irgendwie zu mobilisieren. Im Gegenteil. In ihrer Angst vor dem
Erwachen der Nation, haben sie die Menschen gegeneinander ausgespielt, die
Stadt gegen das Land, den Angestellten gegen den Beamten, den Handarbeiter
gegen den Arbeiter der Stirne, den Bayern gegen den Preußen, den Katholiken
gegen den Protestanten uns so fort und umgekehrt.
13年の間に我々民族に潜む力を動員することに失敗し、逆に国民の目覚めを恐れ、彼らは人々を都会者と田舎者、勤め人と公務員、職人と頭脳労働者バーバリアン人とプロイセン人、カトリックプロテスタントのごとく、相互に争わせた。
Der Aktivismus unserer Rasse wurde nur im Inneren verbraucht, nach außen
aber blieben Phantasien übrig, phantastische Hoffnungen auf Kulturgewissen,
Völkerrecht, Weltgewissen, Botschafterkonferenzen, Völkerbund, Zweite
Internationale, Dritte Internationale, proletarische Solidarität und so
weiter, und die Welt hat uns dementsprechend behandelt. 
我々人種の活力は内側だけで使い果たされ、外側には空想だけが残されているだけである。すなわち文化的良心、国際法大使会議、国際連合第二インター第三インタープロレタリアートの連帯、などの空想であり、世界はそれに基づいて対処して来た。
So ist Deutschland langsam verfallen und nur ein Wahnsinniger kann hoffen,
daß die Kräfte, die erst den Verfall herbeiführten, nunmehr die
Wiederauferstehung bringen könnten.
だからドイツはゆっくりと崩壊に向かい、狂人だけが、最初崩壊を導いた力が今や復活をもたらすことが出来ると願う。
Wenn die bisherigen Parteien Deutschland ernstlich retten möchten, warum
haben sie es dann nicht schon bisher getan? Haben sie aber Deutschland
retten wollen, weshalb ist es unterblieben? Haben die Männer dieser
Parteien es ehrlich beabsichtigt, dann müßten ihre Programme schlecht
gewesen sein. Waren aber ihre Programme richtig, dann können sie selbst
es nicht aufrichtig gewollt haben oder sie waren zu unwissend oder zu
schwach.
これまでの政党ドイツを真摯に救うことを願うなら、なぜこれまでしてこなかったのだろうか?彼らがドイツを救う気持ちがあるなら、何ゆえに救われていないのだろうか?これらの政党の党員が本当につもりがあるなら、彼らの綱領が悪かったのだろう。彼らの綱領が正しいとするなら、彼らは誠実に望まないか、無知であるか、弱虫だったのだろう。
Nun, nach 13 Jahren, da sie alles in Deutschland vernichteten, ist endlich
die Zeit ihrer eigenen Beseitigung gekommen.
彼らがドイツのすべてを滅ぼした13年後の今、ついに彼ら自身を葬る時が到来した。
Ob die heutigen parlamentarischen Parteien leben, ist nicht wichtig, aber
notwendig ist es, daß verhindert wird, daß die deutsche Nation vollkommen
zugrundegeht. Die Überwindung dieser Parteien aber ist deshalb Pflicht,
weil sie, um selbst zu leben, die Nation immer wieder zerreißen müssen.
Jahrelang haben sie dem deutschen Arbeiter eingeredet, daß er allein sich
retten könnte.
今日の議会政党が生き残るかどうかは重要ではなく、ドイツ国民の全てが破滅することを阻止することが必要である。これらの政党の克服は責務である。
何故なら彼らは、生き残るために再び国民を分断させるからである。長い間彼らは、ドイツ労働者に自分たちだけが救うことができると信じ込ませて来た。
Jahrelang dem Bauer vorgemacht, daß nur seine Organisation ihm helfen würde.
Der Mittelstand sollte durch Mittelstandsparteien und die Wirtschaft durch
Wirtschaftsparteien dem Verderben entrissen werden.
長い間農民に、彼らの組織だけが救うことができ、中産階級には中産階級政党によって、そして経済経済政党によって堕落から抜け出せると誤魔化してきた。
Der Katholik mußte seine Zuflucht beim Zentrum nehmen und der Protestant
beim Christlich-Sozialen Volksdienst. Ja am Ende erhielten die
Hausbesitzer ihre eigene politische Vertretung, genauso wie die Mieter,
die Angestellten und die Beamten. Diese Versuche aber, die Nation in Klassen,
Stände, Berufe und Konfessionen zu zerlegen und Bruckstückweisen dem
wirtschaftlichen Glück der Zukunft entgegenzuführen, sind heute endgültig
gescheitert.
カトリック教徒は中央党を、プロテスタント教徒はキリスト教社会国民党を拠り所としなければならなかった。そして最終的には家所有者までが、賃貸人、務め人や公務員のように自らの代表を獲得した。国民を階級、地位、職業、宗派なかで付け足し、少しづつ橋渡しすることで未来の経済的幸福を導くという追及は今日最終的に終わりを遂げた。                    
Am Tage der Begründung unserer Nationalsozialistischen Bewegung
beherrschte uns schon die Überzeugung, daß das Schicksal des deutschen
Menschen unzertrennlich verbunden ist mit dem Schicksal der gesamten
Nation.
我々の国家社会主義創設の日においてさえ、ドイツ国民の運命が離れることなく国家全体と結ばれているという確信が支配していた。
Wenn Deutschland verfällt, wird nicht der Arbeiter in sozialem Glück
gedeihen und genauso wenig der Unternehmer. Und nicht der Bauer wird sich
dann retten und nicht der Mittelstand. Nein, der Ruin des Reiches, der
Verfall der Nation, ist der Ruin und der Verfall aller. Auch keine
Konfession und kein einzelner deutscher Stamm wird sich dem allgemeinen
Los entziehen können.
ドイツが破綻するなら、労働者は社会的恩恵を受けられず、もちろん企業家も受けられず、農民、そして中産階級も救われない。ドイツ帝国の崩壊は国家の破綻であり、すべての国民の崩壊とはたんである。同様にいかなる宗派も、特定の人たちだけが共通の宿命から逃れることはできない。
Am Tage der Begründung der nationalsozialistischen Bewegung waren wir uns
längst darüber klar, daß nicht das Proletariat der Sieger über das Bürgertum
sein wird und nicht das Bürgertum der Sieger über das Proletariat, sondern
daß dann die internationale Hochfinanz am Ende ausschließlicher Sieger über
beide werden muß.
国家主義運動創設の日にさえ、プロレタリアブルジョア勝利することでも、ブルジョアプロレタリア勝利することでもなく、世界の巨額の富を得ることが両者の究極的勝利にならなければならない。
Und so ist das gekommen! In der Erkenntnis dieses Verfalls habe ich vor
13 Jahren mit einer Handvoll Menschen eine neue Bewegung gebildet, die schon
in ihrer Bezeichnung eine Proklamation der neuen Volksgemeinschaft sein
soll. Es gibt keinen Sozialismus, der nicht die Kraft des Geistes zu seiner
Verfügung hat, kein soziales Glück, das nicht durch die Kraft einer Nation
beschützt wird, ja seine Voraussetzung erhält. Und es gibt aber auch keine
Nation und damit keinen Nationalismus, wenn zur Millionenarmee der
geistigen Arbeiter die Millionenarmee der Arbeiter der Faust, die
Millionenarmee des Bauern stößt.
そして今それがやって来ている。これらの崩壊の認識において13年前数人の人たちと、新しい民族共同体宣言を提示する新しい運動を始めた。民族共同体への想いを持たない社会主義はありえず、国家権力に忠誠でない社会的幸せはあり得ない。すなわちそれが前提条件である。農民を押しのける労働者知識人対立するなら、いかなる国家も国家主義も存在しいないだろう。
Solange der Nationalismus und der Sozialismus als getrennte Ideen
marschieren, werden sie von ihrem vereinten Gegner geschlagen. Am Tage,
an dem sich die beiden Ideen in einer einzigen verschmelzen, sind sie
unbesiegbar!
国家主義社会主義が分かれた思想となっている限り、一体化した敵に打ち負かされるだろう。両者の思想を唯一つに融合する日には、不滅となるだろう。
Und wer will bestreiten, daß in einer Zeit, da in Deutschland alles
zerbricht und verkommt, da in der Wirtschaft und im politischen Leben alles
in Stillstand gerät oder überhaupt sein Ende findet, eine einzige
Organisation einen unerhörten und wundervollen Aufschwung nahm?
ドイツのすべてが崩壊し、荒廃し、経済及び政治がすべて停止に陥り最後を迎
えると考える時代に、比類なき機関が信じられない驚くべき躍進もたらすということを、誰がり疑わないだろうか?
Mit 7 Mann habe ich vor 13 Jahren dieses Werk der deutschen Einigung
begonnen und heute stehen in unseren Reihen über 13 Millionen! Aber nicht
die Zahl ist es, die entscheidet, sondern ihr innerer Wert!
13年前私は7人の同志とドイツ統一の運動を始め、現在我々の隊列は1300万人を超えているのである!しかし重要なのは数ではなく、内部同士の価値観である!
13 Millionen Menschen aller Berufe und Stände, 13 Millionen Arbeiter,
Bauern und Intellektuelle, 13 Millionen Katholiken und Protestanten,
Angehörige aller deutschen Länder und Stämme – haben einen
unzertrennlichen Bund gebildet. Und 13 Millionen haben erkannt, daß die
Zukunft aller nur im gemeinsamen Kampf und im gemeinsamen Erfolge aller
liegt.
すべての職業、階級に属する労働者農民知識人カトリック教徒とプロテスタント教徒、すべての州に属する1300万の人たちが固い絆で結ばれている。そして1300万の人たちがすべての未来は共通の戦い、共通の勝利にあると確信している。
Millionen Bauern haben nun eingesehen, daß es nicht wichtig ist, daß sie
selbst die Notwendigkeit ihrer Existenz begreifen, sondern daß es nötig
ist, die anderen Lebens- und Berufsstände über den deutschen Bauern
aufzuklären und für ihn zu gewinnen.
数百万人の農民たちは、彼らが生存に必要なもの自ら獲得することが重要ではなく、農民を越えて他の職業の人たちを啓蒙し、勝利することが必要であると今や悟っている。
Und Millionen Arbeiter haben genauso heute erkannt, daß trotz aller
Theorien ihre Zukunft nicht in irgendeiner Internationale liegt, sondern
in der Erkenntnis ihrer übrigen Volksgenossen, daß es ohne deutschen Bauern
und deutschen Arbeiter keine deutsche Kraft gibt.
そして数百万人の労働者はまさに今、すべての論理にかかわらず彼らの未来はインターナショナルのようなものにあるのではなく、彼らの民族共同体にこそあり、農民労働者なくしてドイツの活力はあり得ないと気付いている。
Und ebenso haben Millionen an bürgerlichen Intellektuellen einsehen
gelernt, wie belanglos ihre eigene Einbildung ist, wenn nicht die
Millionenmassen des übrigen Volkes die Wichtigkeit der deutschen
Intelligenz endlich begreifen.まさに同様に数万のブルジョア知識人階級もそれ以外の他の民衆が知識人の重要性を最終的に理解しないなら、彼ら特有の空想はいかに些細なものか、悟り学んでいる。
Vor 13 Jahren wurden wir Nationalsozialisten verspottet und verhöhnt, heute
ist unseren Gegnern das Lachen vergangen! Eine gläubige Gemeinschaft von
Menschen ist erstanden, die langsam die Vorurteile des Klassenwahnsinns
und des Standesdünkels überwinden wird.
13年前我々国家社会主義者は嘲笑であざ笑われていたが、今日我々の敵は笑いが消えている。人間の信頼に満ちた共同体が生まれ、徐々に階級的異質や高慢な身分意識の偏見が克服された。
Eine gläubige Gemeinschaft von Menschen, die entschlossen ist, den Kampf
für ihre Haltung und ihre Rasse aufzunehmen, nicht weil es sich um Bayern
oder Preußen, Württemberg oder Sachsen, Katholiken oder Protestanten,
Arbeiter oder Beamte, Bürger oder Angestellte und so weiter handelt,
sondern weil sie alle Deutsche sind.
振舞と純潔のために戦うことを決めた信頼に満ち溢れた民族共同体は、ババリアンかプロイセンか、ヴュルテンブルグかザクセンか、カトリックプロテスタントか、労働者か役人か、ブルジョアか給料所得者であるかが問題ではなく、ドイツ人であるかが問題なのである。
Mit diesem Gefühl der unzertrennlichen Verbundenheit ist die gegenseitige
Achtung gewachsen. Aus der Achtung aber kam das Verständnis, nach dem
Verständnis die gewaltige Kraft, die uns alle bewegt. 堅い団結の絆で現
在尊敬の念が育まれて来た。尊敬の念からお互の理解が生じ、理解に従い我々すべてを動かす驚くべき力が生じた。
Wir Nationalsozialisten marschieren daher auch in jede Wahl hinein, mit
dem einzigen Bekenntnis, am nächsten Tage die Arbeit wieder erneut
aufzunehmen für die innere Reorganisation unseres Volkskörpers. Denn nicht um Mandate oder Ministerstühle kämpfen wir, sondern um den deutschen Menschen, den wir wieder zusammenfügen wollen und werden, zu einer
unzertrennlichen Schicksalsgemeinschaft.
私たち国家社会主義者は選挙で、翌日には我々民族共同体に再構成ための仕事を刷新する認識で前進する。すなわち議席や大臣職のために戦うのではなく、再び一体化し、離れることのない運命共同体になるドイツ人のために戦うのである。
Der Allmächtige, der es bisher gestattete, daß wir in 13 Jahren von sieben Mann zu 13 Millionen wurden, wird es weiter gestatten, daß aus den 13
Millionen dereinst ein deutsches Volk wird. An dieses Volk aber glauben wir, für dieses Volk kämpfen wir und für dieses Volk sind wir wenn nötig
bereit, so wie die Tausende der Kameraden vor uns, uns einzusetzen mit Leibe
und mit Seele. Wenn die Nation ihre Pflicht erfüllt, muß dann einst ein
Tag erstehen, der uns wiedergibt ein Reich der Ehre und Freiheit, Arbeit
und Brot!
我々が13年で7人から1300万となるように取り計らった全能の神は、1300万からいつか一つの民族なるよう取り計らわれよう。我々はこの民族を信じ、この民族のために戦い、この民族のために必要とあれば我々の幾千の同志のように体と魂を投げ出す覚悟である。 国家がその責務を全うすれば、いつの日か栄誉と自由、労働と糧の王国を再現する日が到来するだろう。