ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

初診料

 ハッと気がついたら明日は5月で、ここから大きな総合病院へ直接見て貰いにいこうとすると初診料がバカ高くなるんだそうです。
 不安なものがあります。ホームドクターたるべき開業医に行かないと大病院へ行かなきゃならないのかぁというのは気が重い。いや、別に問題がない状況では良いんですが、あんまり医者に何回も説明するのは気が引けるような症状な場合、何度も何度も口にしなくちゃいないという状況があり得ますよねぇ。それから、開業医ってのは患者が自分で行きたい総合病院を紹介してくれるんですかねぇ。自分が行きたくない病院を紹介されちゃうんだったとしたら行きたくないしなぁ。
 この辺のことを誰がどこで説明してくれるんだろうかという点が不安です。

土曜

 土曜日のテレビってのは実に面白いものがなくて、できることなら朝早いMLBのテレビを見たいなと思っていたのですが、なにしろ午前4時まで起きていましたから、その肝心な時間には白河夜船だったわけです。気がついたときには田中将大は追いつかれちゃって勝敗つかず。驚くべきは8回に一回だけ投げただけなのに勝利投手になっていましたね。
 午後になると土曜日はラジオが突然面白くなります。午後1時からはTBSラジオ久米宏になります。これは面白い!多分久米宏がほとんど仕切っているんでしょうけれど、意外な展開、これまでのラジオとしてのありようとは思いっきり違っている転がり方がするところがどうしようもなく面白い。
 例えば今日なんて聴取者のところへ突然電話をして話し始めるんだけれど、久米宏はこの人が、シングル・マザーかもしれない!と思った途端に「いわなくって良いです、こんな質問には!」って切り返し、聴取者(今の人たちはリスナーなんていうらしい)もかなり巧く対応するわけです。挙げ句の果てに今日のゲストは新潟でLGBTのプロダクションをやってるご本人もLGBTの人です。
 何回か出てきた赤坂居住のお婆さんなんてのは久米宏が赤坂の通りで偶然出会ったお婆さんです。全くの素人のお婆さんで、何をいうのかわからない怖さはありますが、久米宏が相手ですから、どうにでもするだろうという安心感もあります。
 この番組のおもしろさは以前の永六輔の土曜ワイドとはまったく違う世界です。あっちは永六輔を中心とした仲間の番組でしたから、常連さんのその世界の話という安定感がありますが、我々としては立ち入れない雰囲気があります。一体どんな連中がここに安定感を見いだしているのかというのを確認するのには年末の紀伊國屋ホールに行くという場がありました。
 午後3時を過ぎると、文化放送吉田照美伊東四朗の「親父・熱愛(オヤジパッション)」が始まる。吉田照美はどこまで本当か知らないけれど、非常に正常なリベラルタレントで、安倍晋三を徹底的にやり玉に挙げる。伊東四朗はかなりなレベルで、古い日本人典型常識爺さんである。つまり伊東四朗は思想心情的には私とはまったく異なる、というよりも正反対じゃないかという気がしますが、彼の芸風はまさに私にとってはど真ん中の直球ストライクなんですな。これには様々に感じるものがあります。
 つまり土曜日の午後はずっとラジオです。日曜日は午前中の安住だけですねぇ。特に午後の爆笑問題が大っ嫌いなので。

あっ!

 まったく忘れておりました。昨日はなんで休みなんだったかといえば元々は昭和天皇の誕生日ってことでしたよねぇ。その後「緑の日」とかって誤魔化しがあって、その実態は!ッてんで「昭和の日」なんてぇことになってございますな。なんと「みどりの日」はその時に紛れて5月4日になっちゃって、さぁどうだ、これで繋がっただろ!といういい加減さでございますな。なぁに、休みが増えるってんで誰も彼もが諸手を挙げて歓迎でございました。私もでございますよ。
 じゃ、大正の日とか、明治の日ってのはどこかにあるんですかい?ご隠居!てぇことになりますが、明治の日ってぇ名前はついてはおりませんけれど、今、文化の日っていっているのが明治天皇の誕生日でございますよねぇ。今でこそ建国記念日だなんていっておりますが、2月11日は紀元節といって、神武天皇の誕生日だてぇことになってございますよ。みんな世を忍ぶ仮の姿となってございますが、昭和の日に習ってこれから、どんどん昔の姿に変えていこうというのが安倍晋三を使いっ走りとして動かしてございます日本会議の皆様のお考えなんでございましょうねぇ。そのうちみんなで揃って歌わされることになろうかと思いますよ、「紀元節の唄」を。

 さすがにこの唄は頭のところしきゃ聴いたことがありません。
 しかし、こっちの唄は耳にしっかりと残っておりますよ。戦後の生まれの私がなんでこの唄に馴染みがあるのか、まったく理解に苦しむのですが、多分おふくろが口ずさんでいたのか、あるいは戦争映画なんかでこの歌を唄う場面が出てきたのか、まったく自分でもわからないのですが、紀元節の唄がダークダックスで、こっちが藤山一郎安西愛子であるのを見ると当然バックの伴奏の音質の良さから見て、戦後に録音しなおしてあるわけですから、それだけの需要がずっと続いていたというわけですよねぇ。

 話がずれてしまいましたけれど、大正天皇のお誕生日というのは8月31日です。この日がお休みになった形跡というのは戦後まったくございません。勿論大正時代には「天長節天皇の誕生日)」として当然祝われたはずでございますが、なんでも夏だからといって10月にやったなんて話もございます。
 大正天皇の在位は非常に短かった上に最後の5年間は昭和天皇がまだ皇太子のまま摂政宮となりました。あの時代は実は大変に安定した良い時代だったと保阪正康が解説をしていますが、とかく、大正天皇は国会の開会に来て詔書を丸めて遠めがねにした、と噂されてそれがそのまま今にまでしたり顔で語られたりしていますが、大変に文学的な天皇だったといわれております。病気だ、病気だと喧伝されて、皇太子に摂政を任せたってぇことになっております。でも、だからって、どうして大正天皇だけ、誕生日がお祝い日になってないんすか?未だに安倍晋三を使いっ走りにする日本会議の皆さんからも遠ざけられているんですかねぇ。
 いや、そんなことをいったら万世一系の歴代の天皇さん全員の誕生日を祝日にしなけりゃならなくなっちまわないんですかねぇ。そうなるとこれは大変でございましょう。
 それでこのまんまになっているんですかねぇ。

2016年04月29日のツイート