洛北孫子亭通信−亭主消息

2016-04-30 海域アジア史研究会報告

5月7日更新

午前中は、関西大学SGHの卒業研究報告会を傍聴してきました。昨年度後期は、毎週一度は高槻に足を運び、生徒たちの卒業論文の指導、と申しますか相談に乗っていたのですが、よく寄せられた生徒の声が

「資料がなくて…」

いやいや、そんな莫迦なことはないのだが・・・と思う一方で、その都度、その時点での職場での応対を思い浮かべては考え込んでしまう、そんなことを繰り返しておりました。

午後は待兼山へ。大阪大学で行われた海域アジア史研究会の4月例会での報告の機会をいただきました。これもなかなか、というところでありまして、「海域アジア」という研究会の名前から知れる通り、出席者はほとんど東アジア史の専門家ばかり。そのような中に

「アッタロス朝ペルガモンの王権と大祭壇」

などという題目の研究報告を抱えて乗り込む気分といったらもう、自分が報告者であるにもかかわらず、目が点でした。まず私の分野になじみがある人が少なかろう、というので最初に時代状況の整理と研究傾向をざっと紹介してから報告をすると、およそ想像もしないくらいに質問が雨あられ、アドバイスも山のように、という状態。結論としては

東南アジア史を勉強してください」

というビックリ仰天な、しかし貴重なご意見をいただいた、他流試合の一日でした。

2016-03-30 派遣職員生活に別れを告げて

本日をもって、2年間の派遣職員の仕事に区切りをつけることとなりました。

研究と旅にひたすら明け暮れてきた人生、なにかと浮世離れした世慣れぬ人間が、それも博士論文の提出締め切り間際という文字通り修羅場の中でスタートした

似非リーマン生活」

でしたが、とりわけ教員の方々から、思いも寄らぬほどに可愛がっていただき、何とか勤め上げることができました。

4月からどうするのか、・・・といろいろな方からいろいろな場所で訊かれまして、2月頃までまったく白紙の状態だったのですが、

「じゃあ非常勤講師やらない?」

という望外の申し出をいただきまして、この1ヶ月はその下準備で右往左往するという思いも寄らない事態となりました。私より周囲の方が喜んでくださっている様子、私としては嬉しさよりも安堵の気持ちがより強い、今日この頃です。

送別会で申し上げたことの繰り返しになってしまうのですが、・・・思えばこの2年、博論執筆追い込みの土壇場の中で始まり、その他諸々バタバタの中で国立国会図書館に納入するオフィシャル版を提出したのがこの3月18日、自分のものと他人のもの、二様の博論と向き合い続けた日々でした。

今改めまして、私の面倒を見続けてくださった方々に、深く感謝するものです。

2016-03-21 東方キリスト教圏研究会報告「旅人たちのアーカイブをどうするか」

3月27日アップロード

本日、東方キリスト教圏研究会という研究会で、報告をしてきました。報告題目は

「旅人たちのアーカイブをどうするか − 「情報ノート」研究の可能性と課題」

ということで。

なぜ、このテーマを選んだのかと申しますと。

私がシルクロード横断をした2000年当時に旅人たちが溜まっていた日本人宿、もしくは日本料理屋に置いてあり、散々お世話になった「情報ノート」でありますが、その情報更新と情報ノートそのものの散逸が、ここのところ著しいということに危惧を抱いてきたということが、そもそもの発端。会の主催者の1人であるH川氏は、もともとバックパッカーということもあり、半年ほど前に古本祭でその話をしたところ意気投合してしまい、その時から

「いずれは、ワークショップなり開いて報告を」

とお話をしていたのですが、今回はその助走的な位置づけということになりましょうか、喜んで報告をお引き受けした次第。

・・・なのですが、・・・これほど困った報告もありませんでした(苦笑)。というのは、普段、折に触れて各所で話していることを、ほぼそっくりそのまま、まとめた形で話しただけでしたので。・・・事前準備も

「うわ、これ以上、準備ってなにできることがあるんだろ」

と困り果てる始末。なんとかパワーポイントを作りまして、滔々と話をしました。意外にもウケは良かったようで、報告者としてはホッと一息、胸をなで下ろした次第であります。

2016-03-14 旧友との小宴&アコリス研究会@国士舘大学

3月27日アップロード

この土・日は、毎年恒例となった感のあるアコリス研究会に参加してきました。ただ例年と違い、名古屋ではなく東京国士舘大学での開催となった次第。おかげで帰省ついでに、といった雰囲気がなくなってしまったのは、いささか遺憾。

さて、国士舘に行くのは初めてのこと、土地勘もなく、いろいろと不自由しましたが、何とか到着して2日間の研究会、・・・2日目に遅刻しましたが、何とか無事に参加できました。今回は、初日が埋葬−とくに幼児の埋葬に関するミニシンポジウム、2日目が通常の発掘報告でした。ただまぁ、お約束といいましょうか、2日目は当初予定では3時くらいには終わるはずが、プログラムが後ろに後ろに遅れまして(笑)、終わったのは5時近くでした。面白いから良かったとは申し状、なんとも自由なことだと苦笑してしまった2日間でした。

その前日、11日の金曜日には、台北からエディンバラ時代の知己・スタンリー夫妻が遊びに来てくれまして、四条川端のSIBAで一献傾けました。2人の間には可愛いお子さんも生まれており、目出度い目出度いと酒盃が進む一晩でした。

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これは、国士舘大学の古い講堂の写真ですね。

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SIBAでのスタンリー夫妻との小宴での一枚。

2016-03-01 ロシア料理屋で、ホッと一息

3月27日アップロード

現在勤めている職場は京都の市内北部にある大学なのですが、そこの国文学系の院生に前のバイト先の後輩が居ることもあって、他の学部よりも親しく声をかけてくださる先生が多くいらっしゃいます。そんな先生の1人に、大学院修了者複数と一緒に晩餐をご馳走していただくとの約束を、以前からいただいておりました。いつにするか、というのが問題でしたが、今回はその約束がやっと実現した次第。

場所は、ご馳走してもらう側が協議した結果、四条川端のロシア料理屋「キエフ」となりました。先生から昔話などをうかがいながら、旨い酒と料理にうち興じた一晩でありました。