『物語の外の虚構へ』リリース!

(追記2023年6月)
sakstyle.hatenadiary.jp

一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。
ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。
これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。
ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。

  • pdf版について(BOOTH)

ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。
固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。
また、価格はkindle版と同じです。

(追記ここまで)

(追記2022年5月6日)


分析美学、とりわけ描写の哲学について研究されている村山さんに紹介していただきました。
個人出版である本を、このように書評で取り上げていただけてありがたい限りです。
また、選書の基準は人それぞれだと思いますが、1年に1回、1人3冊紹介するという企画で、そのうちの1冊に選んでいただけたこと、大変光栄です。
論集という性格上、とりとめもないところもある本書ですが、『フィルカル』読者から興味を持ってもらえるような形で、簡にして要を得るような紹介文を書いていただけました。


実を言えば(?)国立国会図書館とゲンロン同人誌ライブラリーにも入っていますが、この二つは自分自身で寄贈したもの
こちらの富山大学図書館の方は、どうして所蔵していただけたのか経緯を全く知らず、エゴサしてたらたまたま見つけました。
誰かがリクエストしてくれてそれが通ったのかな、と思うと、これもまた大変ありがたい話です。
富山大学、自分とは縁もゆかりもないので、そういうところにリクエストしてくれるような人がいたこと、また、図書館に入ったことで、そこで新たな読者をえられるかもしれないこと、とても嬉しいです
(縁もゆかりもないと書きましたが、自分が認識していないだけで、自分の知り合いが入れてくれていたとかでも、また嬉しいことです)


(追記ここまで)


シノハラユウキ初の評論集『物語の外の虚構へ』をリリースします!
文学フリマコミケなどのイベント出店は行いませんが、AmazonとBOOTHにて販売します。

画像:難波さん作成

この素晴らしい装丁は、難波優輝さんにしていただきました。
この宣伝用の画像も難波さん作です。

sakstyle.booth.pm

Amazonでは、kindle版とペーパーバック版をお買い上げいただけます。
AmazonKindle Direct Publishingサービスで、日本でも2021年10月からペーパーバック版を発行が可能になったのを利用しました。
BOOTHでは、pdf版のダウンロード販売をしています。

続きを読む

ベンハミン・ラバトゥッツ『恐るべき緑』(松本健二・訳)

20世紀科学史・数学史における人物伝の形で、科学が人類の理解を越えてしまったのではないか、ということを描きだそうとうする中短編小説集
白水社エクス・リブリス
登場するのは、フリッツ・ハーバー(「プルシアン・ブルー」)、カール・シュヴァルツシルト(「シュヴァルツシルト特異点」)、アレクサンドル・グロタンディーク望月新一(「核心中の核心」)、エルヴィン・シュレディンガー、ルイ・ド・ブロイ、ヴェルナー・ハイゼンベルク(「私たちが世界を理解しなくなったとき」)である。
それぞれ独立した短編ないし中編となっているが、テーマとしては共通していて、最後に配置されているエピローグがまとめ的な位置づけとなっており、短編集全体で一つの作品となっている、ともいえる。


冒頭にも述べたが、科学が人類の理解を超えてしまったのではないか、というようなことを描いており、それこそ量子力学史を扱った「私たちが世界を理解しなくなったとき」のタイトルがそのことをわりと端的に表わしている。
科学による疎外、みたいにまとめると、これはまあ19世紀末・20世紀初頭から人類を悩ませている、非常にポピュラーなテーマかなと思うし、それを描くに当たって、ピークとして量子力学不確定性原理を持ってくる、というのも、それ自体は驚きも新しさもないところかな、と思う。
このテーマだと、AIを取り上げたことは現代的ではあるよなあ(それもまた、もはや当たり前過ぎるかもしれないが)と思いながらエピローグを読んでいたのだが、訳者あとがきによれば、ラバトゥッツの、これの次に書かれた長編小説は人工知能も出てくる話になっているらしい。
ところで、じゃあ大したことない作品なのかというと、もちろんそういうわけではないだろう(といいつつ、最初の方は正直どう面白いのかよく分からないなと思いながら読んでいたところはあるのだが)。
この短編集は、筆者自身が、次第にフィクションの度合いを大きくしていったと書いているのだが、ここでいうフィクションというのは(起きている出来事自体が事実と異なるというところもあるが)、登場してくる科学者の内面が描かれる、ということではないかと思う(三人称だけど、それが史実かどうかとは関係なく、本人しか知り得ないであろう状況について描かれるようになっていく)。
発見にいたる過程や発見したことへの悩み・苦しみが描かれている。
それも例えば倫理的な悩みということではなくて、認識上の苦しみであり、それが時に病気など肉体的な苦しみと重なり合って描写されていく。
自分で何かを見つけるのだが、それは自分で自分を追い込み苦しめた先に夢や幻視のような形で現れるので、後になって、自分がどうやってそれを見つけたのかが分からない、とか
そういう天才たちの凡人離れした苦悩の様が描かれていくのが、物語として面白い、というのはある。
ただ、引きつけられるのは、その筋というよりは、描写の力なのかなと思う。
訳者あとがきで書かれていたが、作者は詩人に師事していたらしくて、その点での描写力というか。
短編集全体の構成もよくて、最初の短編「プルシアン・ブルー」の中で、本全体のタイトルである「恐るべき緑」というワードが提示される。この緑は植物のことを指しているのだけど、エピローグは「夜の庭師」で再び植物の話として短編集全体が回収されていく。
また、本書全体に散らばっているキーワードとしては「核心」と「過剰」があると思う。この「過剰」という言葉が、広がりをもたらしているように思う。


チリの作家による作品である*1
とはいえ、この作品に、チリ性(?)とかラテンアメリカ性みたいなものはないと言っていいと思う。訳者によると、チリは独裁制崩壊後の90年代に西欧の文学が翻訳で入ってきて、本書の作者ラバトゥッツのように、それを若いときに読んでいた世代が現れてきた、という感じで、いわゆるラテンアメリカ文学とは距離があるらしい。
本書以前は無名の作家で、3作目である本書の英訳版がコロナ禍の中でヒットしていったらしい。
訳者あとがきでは、実は作者は理系ではない、と書かれているが、それ自体はそれほど驚きではない感じがする。
確かに本書は、科学者・数学者を主人公にした作品で、彼らの研究内容についても触れられているし、もっといえば科学そのものが主題ではある。しかし、そうした内容について専門家レベルで知識が必要なことを書いているか、といえば、必ずしもそんなことはないと思う。
SFではないので、既存の科学理論をもとにフィクションとしての理論を作っているというわけでもないし。
科学史小説であって、そういう意味では歴史小説の一種で、史実をもとにしたフィクションということになる。
読む上でも、量子力学について知っていることが本当に皆無、とかだと難しいかもしれないけれど、シュレディンガーの猫とか不確定性原理とか粒子と波の二重性とか、何となく聞いたことあれば、まあ読めるんじゃないかと思う。
逆に、物理学ちゃんとやった人が読むとどう思うのかはちょっと気になるかもしれない。


上の方で「倫理的な悩みということではなくて」と書いてしまったが、倫理的な問題について書かれていないわけではない。というか、むしろ本書のテーマ的にはそこも大きい。
ハーバーについていえば、毒ガス開発の結果、夥しい人数が死ぬことになるのだけど、しかし、ハーバー・ボッシュ法は、それとは桁違いの人数(何十億)の糧となっていて、単純に、この人の研究結果がもたらした人の生き死にを合算すると、プラスが圧倒的に多くなるけど、しかし、何ともいえない倫理的なモヤモヤは残る。
ただ、こういう直接的な軍事利用みたいな話はあんまりなくて、もう少し抽象的ないし神秘的な感じで示されることになる(シュヴァルツシルトの懸念とかグロタンディークが数学辞めた理由とかハイゼンベルクの見た幻影とか)。
考えてみれば、彼らが自分たちの発見に至った過程も、ロジカルなものではなく、夢や無意識の中で得られるものとして書かれていて、そういうのも科学者の発見のエピソードとしては珍しくはないものだけれど、そういう意味ではやっぱり、別に理系的な話ではないなと思う。
しかし、人類と科学という壮大なテーマを短編小説集で描き出すという試みは面白いものがあった。

プルシアン・ブルー

毒として知られるシアン化物についての歴史
一応、主人公はフリッツ・ハーバーということになるかもしれないが、ハーバーが登場してくるのは後半で、全体としては、上述した通り、プルシアン・ブルーとシアン化物の歴史とて書かれている。
筆者自身により「フィクションなのは1段落だけ」と明かされているが、文章自体、ノンフィクションの筆致で書かれており、これはあんまり小説を読んでいる感じがしなかった。
冒頭、第二次大戦末期から戦後にかけて、ナチスの高官たちがシアン化物で自殺していたというエピソードから始まり、そこから時代を遡って、プルシアン・ブルーという顔料の歴史が紐解かれる。そして、フリッツ・ハーバーの話へと至る。ナチスが台頭してきたところで、ハーバーが亡くなり、ちょうど円環を閉じるように話が終わる。
どこがフィクションなのかは分からないが、単純に考えると、一番最後の段落か。
ハーバーは、最後に後悔を綴ったが、それは毒ガス開発についてではなく、ハーバー・ボッシュ法によって植物が繁茂しすぎるのではないか、というもので、本書タイトルの「恐るべき緑」というフレーズはここに現れる。


18世紀初頭、ディースバッハによってプルシアン・ブルーという顔料ができる。画期的な青の顔料だった。北斎の作品にも使われている。
ディースバッハの助手に、ディッペルという錬金術師がいて、ディッペルはスウェーデンボリを魅了した人物で、のち、メアリ・シェリー『フランクシュタイン』の着想源にもなった、と。
1782年、化学者シェーレが、偶然にもプルシアン・プルーから「青酸」を生み出す。
シェーレがヒ素を用いて作った顔料は、セントヘレナ島でナポレオンを蝕んだ
また、シアン化物が使われた例として、ラスプーチンチューリングの挿話も
そして、1915年、史上初の毒ガス攻撃の計画者として、フリッツ・ハーバーが出てくる
戦後、ハーバーは戦犯となるが、その一方で、ハーバー・ボッシュ法によってノーベル化学賞も受賞する
ハーバーは、戦間期にシアン化物を用いたガス殺虫剤(ツィクロン)を開発するが、ドイツでは次第に反ユダヤ主義が高まりつつあった。しかし実は、ハーバーは、キリスト教に改宗した同化ユダヤ人でもあった。イギリスへ亡命するも、第一次大戦での毒ガス作戦の汚名により受け入れられない。各国を転々とするうち、自分の開発した毒ガスが同胞のユダヤ人を大量に殺すことになるとは知らずに、亡くなる


第一次大戦中の毒ガス計画に反対して、ハーバーの妻が自殺した話が途中で出てくるが、自分はこのことは、木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2で読んで知った

シュヴァルツシルト特異点

シュヴァルツシルト半径に名前を残す、カール・シュヴァルツシルトの後半生について
アインシュタインのもとに、シュヴァルツシルトから相対性理論の厳密解が書かれた手紙が送られてくるところから始まる。まさかこんなに早く、解く人が現れるとは、とアインシュタインを驚かせている。
シュヴァルツシルトは幼いころから天文に興味をもち、研究者になると、あちこちのテーマを次々と移りながら、生涯で120本もの論文を書いたという。
年齢的にも職業的にも兵役を免れていたが、志願して第一次世界大戦に従軍する。
従軍中に、毒ガスにあたったためなのか、天疱瘡となり、病床で苦しむ中、自分が導き出した解と戦っていた。
シュヴァルツシルトの導き出した相対性理論の解によれば、物理法則の成り立たない、誰にも観測不可能で理解不可能な特異点が存在することになってしまう。しかし、そんなものは本当にあるのか、と。この解を導くにあたって、シュヴァルツシルトは単純化された架空の天体を用いているので、それのせいかと、色々考えるのだけど
最期、彼は特異点が人類の倫理にもあるのではないかとまで懸念するようになる。これは、アウシュビッツを示唆しているのだろう。

核心中の核心

数学者望月新一アレクサンドル・グロタンディーク
望月がabc予想を説いたとする論文をブログで発表し、宇宙際タイヒミュラー理論を展開するが、その後、姿をくらまし、ブログも閉鎖してしまう、という顛末と、望月はグロタンディークの呪いの屈したのだと人々が噂したということが語られる(なお、筆者により、望月にまつわるエピソードはすべてフィクションだと明かされている)。
そのうえで、では、望月が心酔したグロタンディークはどんな人物だったのか
グロタンディークは、父親がロシアのアナキストナチスの収容所のガス室で死んでいる
若い時から数学の天才で、様々な人を自分のプロジェクトに巻きこみながら、数学の統一を図ろうとした。俯瞰した視点から誰も思わなかったようなスケールで研究を行い、何万ページもの論文を書いた。
しかし、ルーマニアアルジェリアベトナムを旅行し、核兵器拡散に悩み、42歳の時に「大転換」が起きる。
自宅をコミューンにしてしまい、数学から離れ、環境問題を気にかけ、宗教的というか神秘思想的な生活や言動をするようになる。
晩年の彼に接触することに成功した数学者は、彼が、人類を守るために孤立していると語ったのを聞いている。
物理学が核兵器を作ってしまったように、自分の理論が「核心中の核心」に触れてしまったとき、どのような恐怖があらわれてしまうのか、ということを危惧したのだ。
なお、望月もブログ閉鎖の理由を、万人の利益を守るため、としていた。
グロタンディークが最期の日々を過ごした病院で、唯一、彼が面会を許した人物(おそらく望月)がいた、というエピソードで終わっている

私たちが世界を理解しなくなったとき

これは中編で、他の作品よりも長い。
ハイゼンベルク、ド・ブロイ、シュレディンガーについて描いている。
ミクロの世界を波として捉えようとするシュレディンガー、ド・ブロイ、アインシュタイン陣営と
ミクロの世界は古典的な物理観では捉えることができない(最終的に波でもあり粒子でもあり、それは観測するまでは分からないというコペンハーゲン解釈に結実する)と考えるハイゼンベルク、ボーア陣営との対立、というのが背景にある。
1926年のミュンヘンでのセミナーでシュレディンガーハイゼンベルクに勝利したところから始まり、
最後、1927年、ブリュッセルでのソルベー会議で、ボーアがアインシュタインに勝つところで終わる。

  • 一 ヘルゴラント島の夜

花粉症(枯草熱)によるひどいアレルギーから逃れるためヘルゴラント島にやってきたハイゼンベルク
とにかくひどい顔になっていったので、ひたすら看病しようとかまってくる宿屋の女将さんと、それを振りはらおうとするハイゼンベルク、みたいな感じで進む。
ハイゼンベルクは、ただ観測データだけをもとに、それを粒子とか波とか古典的な物理でとらえるような前提をもたずに、捉える方法をひたすら考え続ける。
ゲーテが14世紀の詩人ハーフェズに影響されて書いた『西東詩集』が宿屋の部屋に置かれていて、熱にうなされながら、ハイゼンベルクはそれを暗唱する。
ゲーテ=ハーフェズの詩と、量子の振る舞いを記述するための行列とをひたすら行ったり来たりしながら、思索を続けながら、行列力学を作り上げていく。

  • 二 公子の波

ド・ブロイについて
幼い頃は姉の影響下にあったが、のちに、物理学者だった兄の影響で物理学の道へと進む。
第一次大戦に従軍していて、数少ない友人となった画家ヴァセクのコレクションを引き継ぐ。このヴァセクのコレクションというのが、いわゆるアール・ブリュット的な奴で、ド・ブロイがこれの展覧会を開催する、というのが書かれているが、このあたりはフィクション。
博士論文で、光だけでなく物質もまた波であるというアイデアを提唱する。
審査委員はこれを評価できず、アインシュタインに手紙を送ると、アインシュタインはこれに賛同する。

  • 三 耳の中の真珠

シュレディンガーにとっては、第一次世界大戦中は平穏な時代だった(従軍しているけれど戦闘の起きないところでむしろ非常に暇な時間を過ごしていたらしい)、と。
戦後、オーストリア帝国が崩壊したことで混乱がおとずれ、さらに結核となってしまう。
結核治療のために訪れたヘルヴィッヒ医師の別荘で、波動関数を作り上げていく日々が描かれている。
ヘルヴィッヒ医師には娘がいるのだが、患者の近くで生活していたため、幼い頃から結核を患っている。別荘から出たことはないが、読書しまくって、非常に頭脳は優秀。
シュレディンガーは彼女の数学の家庭教師を引き受けることになる。
雪に閉ざされた山荘で、この少女に惹かれながらも、波動関数を作るために苦悩する。
ある時目が覚めると、ノートに目的の方程式が書かれているんだけど、ノートの他のところに書かれている内容から飛躍していて、どうやってここにたどり着けたのか分からない、と悩んだり。
クリスマスの夜、パーティに参加したくない娘とシュレディンガーは、最後の授業を行う。

  • 四 不確実性の王国

ハイゼンベルクコペンハーゲンのバーでからまれる
帯にも書かれている「この素晴らしい地獄は、あなた方のおかげでないとしたら、いったい誰のおかげでしょうか」という台詞はここで出てくる。
逃げ出したハイゼンベルクは、幻影を見る。この幻影の内容は、死んだ赤ん坊だったり、焼かれた幾人もの影だったりしていて、原爆を示唆しているようである。
ハイゼンベルクは、師匠のボーアに不確定性原理について語り、賛同を得る。しかし、この幻影のことは話せない。

  • 五 神とサイコロ

1927年 ブリュッセルでのソルベー会議
シュレディンガーの発表の翌日、ハイゼンベルクとボーアがコペンハーゲン解釈について発表した。「現実世界」は存在しないのだ、と。
これについて、アインシュタインが会議期間中、毎朝、ボーアに反例となるような思考実験をしめし、夜にボーアが反論したという、有名な顛末が書かれる。結局、ボーアの主張を崩せなかったアインシュタインが言ったとされるのが「神はサイコロを振らない
最後に、アインシュタインシュレディンガー量子力学を憎むようになった旨のエピソードがつけられている。
どっちがどうというわけではないが、ハイゼンベルク側の方がややヒールっぽい印象をうけるように書かれていると思う。アインシュタインが必死に抵抗したように、コペンハーゲン解釈が、物理学者にとって悲劇的なものであるかのように(もっとも、その後の世代はむしろハイゼンベルク・ボーア派になったことも少し触れられているが)。


個人的に、このあたりの量子力学の歴史をよく分かっていなかったので(本作はもちろん史実をもとにしたフィクションであり史実ではないにせよ)、こういう対立図式があったのかーと面白かった。
アインシュタイン量子力学に反対していたとか、シュレディンガーの猫不確定性原理への反論として作られた話だとかは、知っていたけれど、それがどういう流れの中で言われたことなのかを把握していなかったので。


あと、とにかく行列式というのが、複雑で難しいということが再三強調されている。ハイゼンベルク自身がよく分かってないところがあったり。シュレディンガーの式とハイゼンベルクの式が等価であることが示されるんだけど、だとしたら、こんな得体の知れないハイゼンベルクの式は使いたくない、みたいなのが科学者たちの反応として書かれていたりする。
でも、最後にはこっちの方が説明できるのが多い、ということになっていく。


でもまあ、この話の読みどころは、シュレディンガーハイゼンベルクそれぞれが、病気に苦しみながら、夢だか幻だかよく分からないところで、ひらめきを得るところと、そのシチュエーションの異様さかな(片やゲーテの詩集と格闘しながら、片や結核の少女と関わりながら)。

エピローグ 夜の庭師

小さな村に引っ越してきた「私」が、夜散歩をしていると、庭の手入れをしている男と出会う。
「夜の庭師」は、中が腐って伐採しなければならないのだが伐ることができないでいる樫の木の話をする。それは、彼の祖母が首をくくった木だという。
7歳の娘と散歩中に犬の死骸を見つける。害獣駆除のための毒団子的なものを誤って食べてしまったもので、この毒というのがシアン化物
庭師がハーバーについて語る
「夜の庭師」は実は元数学者。いずれ人間の理解ができなくなってしまうことに気付き、数学をやめた。例えば、使い方はわかるが本当の意味は分からなくなってしまった物理理論のように……。
レモンの木は、死ぬ間際に過剰に果実を実らせるのだ、と「夜の庭師」は語る。寿命はどのように知ることができるのかと聞く「私」に対して、切り倒して年輪を見ないと分からないけどそんなことする奴はいないと「庭師」は答える。
このレモンの木の話は、明らかに人類ないし科学についての比喩になっていると思うが、「恐るべき緑」とか樫の木とか、本書の中で植物のイメージが反響し合う感じになっている。
夜の庭師が、使えるけど意味が分からなくなっていると語るのは、量子力学のことを指しているはずだけれど、今だと、ディープラーニングAIの話をしているように読める(というか、本書自体2020年の作品なので、意識していないとも思えないが)。

*1:オランダ生まれとあるが、14歳でチリに移住、両親もチリ出身ということなので、チリの人ということでよいのだろう

岡崎乾二郎『抽象の力』(一部)

抽象絵画についての批評。抽象を、単に視覚的な実験として捉えるのではなく、物質的・運動的な観点で捉える。また、日本での抽象美術の動きがヨーロッパの動向の後追いではなく、同時並行的なものだったことを論じている。
色々なものが次々とリンクしていくので、読んでいてとても面白かった。それとそれが繋がるのか、みたいな。次々読み進めていきたくなるのだが、出てきたものを調べたくなって読むのが止まってもしまう。
元々、ヒルマ・アフ・クリントについて論じられているものとして興味をもったのだが、ソフィー・トイバー=アルプがかなり重要人物として論じられていた。
「ヒルマ・アフ・クリント」展 - logical cypher scape2
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展 - logical cypher scape2


本書は、岡崎が美術展のカタログや雑誌などに書いてきたものを、大幅に加筆修正して収録した論集となっている。
表題作「抽象の力」が第1部となっていて、これも元は美術展のカタログで書いたもの。
第2部は、第1部と内容的に関連している論文が複数収録されている(ここには書き下ろしも一部ある)。
今回、第1部と第2部を半分くらい読んだ。

第Ⅰ部 抽象の力 本論
第Ⅱ部 抽象の力 補論
 守一について、いま語れることのすべて
 先行するF
 末期の眼
 戦後美術の楔石としての内間安瑆の仕事
 明晰、曇りなき霧
第Ⅲ部 メタボリズム-自然弁証法
 名を葬る場所
 白井晟一という問題群1~3
 乃木坂とポストヒストリー
第Ⅳ部 具体の批評
 批評を召喚する
あとがき

第Ⅰ部 抽象の力 本論

緒言

抽象芸術の核心が忘却された原因
(1)抽象を単なる視覚的追求とみなす誤読(抽象表現主義
(2)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見(岡本太郎
(3)具体という用語の誤用(具体グループ)

キュビスムと「見えないもの」

キュビスムを、単に視点の多数化という視覚原理で説明しても、何故分析的キュビスムに色彩がなかったのか、何故立体作品も作られたのか、ということに答えられない。
視覚によって得られる情報と、人が対象として認識しているものとの間にはズレがある。
キュビスムにおいて、視覚への関心はむしろ低下している。対象を把握するリアルなものにこそ関心がある(アフリカ彫刻に衝撃をうけた理由)

漱石と「f+F」

漱石は文学を、無数の印象・感情feelingと、それらを一つの対象に統合する概念・焦点Focusの関数ととらえる
そしてこれは、後期印象派の理論に対応
草枕』(1906)の主人公は画家だが、そこで展開される美術論は、抽象絵画を予期している
草枕』は、『トリストラム・シャンディ』のように実験的な作品

熊谷守一の「光学」

漱石の理論に影響をうけた世代の中で、もっとも漱石の理論に近接した画家=熊谷守一
ここで、熊谷がデッサン教室で、三角や四角をひたすら書いていたエピソードが紹介され、北斎の指南書を参照しているが、一方で、この北斎の指南書について、ホガースやテプフェールが参照されている。これらは、複数の視覚印象を一つに統合するもの(F)
熊谷《轢死》について
注釈にて、熊谷がヘルムホルツに影響を受けていたことが書かれている。ヘルムホルツ統計力学や自由エネルギーの考えに興味を持っていたとのこと。


読んでいて、え、テプフェールがここで? ヘルムホルツまで? みたいになってた。

恩地孝四郎と「感情」

キュビスムからの展開として抽象芸術は出現しない。同じ土台から派生したもの
事実、日本では、最初のキュビスムとされる萬鐵五郎《もたれて立つ人》(1917)より恩地孝四郎の抒情シリーズが先立つ
これもわりと驚いたとこ。


恩地に影響を与えたものとして、神秘主義とフレーベルをあげる
『月映』
このうち、神秘主義のところにつけられた注釈で、ヒルマ・アフ・クリントについて取り上げられている。
ヒルマ・アフ・クリント、恩地、アメリカのダヴやオキーフなど、抽象表現は世界各地で出現
科学への関心、その後、神智学へ。
盲目の母の看護・らせん状の建築堂計画→視覚を通さずとも理解されるだろう形態の原理への関心
クリントと同時代・スウェーデンのエレン・ケイ→こどもの視点からの家庭生活デザイン改革運動、アーツ&クラフツとの呼応
シュタイナーの示唆により抽象表現をやめる。
シュタイナーの色彩理論・造形理論はクリント作品の理論化ではないか。カンディンスキーモンドリアンマレーヴィチ、ドローネーはシュタイナーを介して間接的にクリントの影響を受けたのではないか、とか(マジかよ)


フレーベルの幼児教育遊具
恩地自身が幼児教育の本を書いていて、恩地家は教育者の家系。児童文学の北原白秋とも親しい。
遊戯=行為、玩具を操作するという身体行為による世界の把握
フレーベルの玩具(恩物)には、回転による形態変化をもたらすものがある(回転すると円柱になるとかそういう)
恩地は版画を制作しているが、版画を複製芸術として捉えていなくて、複数の版を重ねるところを重視している。


フレーベルの幼児教育が美術に与えた影響、というのは、あまり指摘されていないが、これについての研究が一応あって、紹介されている。
幼児教育なので、どういう影響あったのかたぶん実証できないんだけども。
フランク・ロイド・ライトモンドリアンカンディンスキー、クレー、コルビュジェあたりがフレーベルの幼児教育を受けているらしい。

第一次世界大戦ダダイスム

第一次世界大戦キュビスムが求心力を失う
ガートルード・スタインの回想録で、ピカソが迷彩の戦車をみて、あれは自分たちがつくったとはしゃいでいた、というエピソードがあるらしい。
イギリスでは、ヴォーティシズムの画家たちがダズル迷彩を発案している
キュビスムは、装飾形式として普及してしまい、前衛ではなくなった、と。
生産的だったのがダダイスム
反戦と反芸術が一致していた運動
「反芸術」でありながら生産性が高かったのは、日常の中での生産物として工芸・応用美術を取り入れたから。
ソフィー・トイバー=アルプ(本書ではゾフィー・トイベル=アルプと表記されている)が、ダダイストの中で重要人物だったことが論じられている。ダダのメンバーはほとんど詩人で、実際に舞踊とか応用美術とかの経験者はトイバー=アルプだけだったから、と。
トイバー=アルプは、ダンスをラバンに師事している。ラバンは、ダンスの記譜法、ラバノーテーションというのを作った人なのだけど、何か聞いたことあるなと思ったら、グッドマン『芸術の言語』で言及されている奴だった。
ダダは偶然性を好むが、それは全体を俯瞰する視点の拒否
事物とのかかわりからの生成。事物との関係=ユニットがネットワーク的に連結
→トイバー=アルプの作品や、彼女の共同制作はまさにそれ。
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展 - logical cypher scape2で「夏の線」が好きだなあと思ったけど、これと同系統の作品(《色のついた線の運動》)がこの文脈で言及されていた。


また、注釈において、ゴンブリッチの「棒馬考」は、明示していないけれどダダ論である、として取り上げられている。

「ピュトー・グループ」

ピュトー・グループがポアンカレを読んでいた話
数学の複数化・相対化
現象は、複数の形式に変換可能


「ここでポアンカレまで出てくるのかー」と読んでて思った。ポアンカレもいずれ読みたい。

ポアンカレ・『明暗』・三体問題

ポアンカレは日本でも読まれる
『明暗』では、主人公がポアンカレの「偶然」概念について述べている

「不気味なもの」と「無形」

ヘルムホルツポアンカレの確率的思考が、当時の芸術家へ浸透していたという
坂田一男は渡欧して、レジェに師事するが、特にピュトー・グループと接近していたという。坂田の作品を、ハンガリーの美術理論家ジョージ・ケペッシュによる透明性概念と比較しながら論じている。
坂田が、当時のヨーロッパの美術についていけたのは、日本で岸田劉生を見ていたからと言っている、と。

「写実の欠除」としての超現実

岸田劉生
偶有性、可塑性、変換可能性への注目
モランディ、フォートリエ、フォンタナなどアンフォルムの美学に通じる
来日していたブルリュークも岸田から影響を受けている。

新感覚派」の変形物・奇形物・実用物・具象物

章タイトルは新感覚派だけど、内容は村山知義について(新感覚派と通じているよ、という話ではある。
村山の活動の本拠地は、『子供之友』であり自由学園だった、と。
(『子供之友』は婦人の友社から発行されており、自由学園婦人之友社も創設者が同じ。ちなみに、Wikipedia読んでてしったのだが、福音館書店の『こどものとも』は戦後に主婦の友社から譲り受けたものらしい)
この時期、円高で、日本人留学生はヨーロッパいって本とか色々買いあさっていたらしく、村山もその1人だったとか(前述、ブルリュークが日本に来たのも円高のためらしい)
村山は、構成主義主知主義と批判
美術作品とは、触覚性の協調・身体を作動させるものだ、と。
《コンストルクチオン》について
複数の開口部があり、背後に何かあるような感じ。電話交換台のようになっている。インターフェース的
こうした特徴が、「朝から夜まで」の舞台装置、MAVOの他アーティストの作品、石本喜久治設計の朝日新聞社東京本社ビルにも共有されている、という。
死の欲動川端康成古賀春江の話が差し挟まれる。古賀春江の話は、補論の方でやってる。
村山は何度か転回しているが(何度か検挙もされている)、思想的な転向はなかったと。新感覚派とも通じるが、主体というのはないんだという考えなので(構成主義主知主義と批判して、作品を、触覚性とか身体の作動とかから捉えるのも同じ)
村山は、朝鮮の演劇人との交流があって、第二次大戦末期に朝鮮に渡ってもいる、とか。
村山については以前五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2で少し知った。
「ABSTRACTION抽象絵画の覚醒と展開」展 - logical cypher scape2ででてた「サディスティッシュな空間」は本書でも言及されていた。

「アール・コンクレ」、ダダをこねる

フレーベルの教育玩具を、さらに批判的に発展させた、モンテッソーリやシュタイナー
事物との関わりからこそ知性が生じる、という考え
正直、この章タイトルから、モンテッソーリ教育の話が始まるとは思わんかった……
マリネッティは、モンテッソーリから影響を受けているらしい。妻経由で影響受けて変わった、と
「円と正方形」「アール・コンクレ」(ドゥースブルフ)「アブストラクシオン・クレアシオン」の流れ、「具体」という言葉
重要人物として、トイバー=アルプ(オーガナイザー)とホアキントーレス・ガルシア(理論家)
ガルシアは玩具制作もしている。

長谷川三郎のトポロジー

日本の抽象絵画界では1930年代、長谷川三郎の自由美術家協会と吉原治良の二科九室会が作られる。
長谷川はモンドリアンのアトリエを訪れてインスピレーションを受けているが、カルダーも同様の経験をしている。2人とも、空間の拡張を考えた。
瑛九
10代の頃から頭角を現わした若き天才で、長谷川の自由美術家協会発足も瑛九ありき
モホリ=ナジのフォトグラムないしフォトプラスティックからの影響を受けている。ケペッシュとも思考が合致。
絵画に対して映画は時間を表現できるというアドバンテージがあるが、フォトプラスティックは、映画には不可能な複数の時間軸を表現できる、と。
注において、モホイ=ナジやケペッシュとともに活動した写真家のハーバート・マターが、アメリカでは、リー・クラズナーやジャクソン・ポロックと交流があり、ポロックが影響を受けていることが論じられている。瑛九ポロックも、複数の次元が重なっている、というところにポイントがある。
長谷川三郎はマルチブロックという手法を作るが、内間安瑆からの示唆があった、と。
内間は、戦後、オリヴァー・スタットラーというコレクターに協力しており、スタットラーの著作で恩地の版画が再発見されている、とか。

第二次世界大戦の「視覚言語」

『みずゑ』の座談会で情報局長が前衛画家批判を展開する。表向き、情報局は前衛美術を攻撃したが、一方で、情報局は前衛芸術を利用してもいた。
情報局発行の海外向けプロパガンダ雑誌には、ロシア語と構成主義の分かる者たちが起用された。
映画も重視されていて、『ハワイ・マレー沖海戦』とか『加藤隼戦闘隊』とか。ここでは、戦闘機による空中戦シーンや落下傘部隊のシーンに、前衛性が見出されている。
ケペッシュやモホイ=ナジもアメリカで戦争協力していた

戦争体制と技術的ロマン主義

戦争協力した画家や作家は戦後批判されがちだけど、技術系だとあんまり批判されてないよね、と。技術系の機会主義やロマン主義への指摘
具体的には、丹下健三とかコルビュジエとか、戦時中のコンペに出てた話とか
技術系を批判すると、ハイデッガーみたく、技術全否定にいっちゃう。
技術的な回収への抵抗として残ったのは、アンフォルム
具体例として、フォートリエと靉光

戦後の余波 具体美術協会

戦後の具体美術協会とかアンフォルムとかを、偶然性を過度に強調しただけの運動と批判している。「具体」という概念を、受け入れられやすいように単純化しすぎてる、と。
本書は、その中で田中敦子を例外的な存在として評価している。
カレンダーや電気回路をモチーフにしているが、それらには自律的秩序がある。

戦後の余波 ジョン・D・グラハムとロンドンスクール

グリーンバーグは、抽象表現主義を、視覚性と平面性の限界・到達点として評価した
しかし、このふたつは美術館の展示という制度がもたらしたものでしかない、と
実際、抽象表現主義はもっと複雑な問題を抱えてて、その点で欠かせないのが、ジョン・D・グラハムだという
ジョン・D・グラハムは、アメリカの抽象表現主義の画家たちに影響を与えた画家・理論家
経歴不詳の人物だけど、重要人物らしい
グラハムにとり抽象とは、感覚を人が把握するプロセス。視覚に限った話ではない。
グラハムの理論は、ベーコンとハミルトン、ブリティッシュ・ポップとコンセプチュアル・アートを結びつける、とも。

戦後の余波 ミニマルアート

ミニマルアートについては、ここでは、カルメン・ヘレラという人が取り上げられて、評価されている
しかし、カルメン・ヘレラのような活動の先駆者として、トイバー=アルプやヒルマ・アフ・クリントがいるよね、と結ばれている。


第Ⅱ部 抽象の力 補論

気になったものだけ読んでみた。

先行するF

夏目漱石のF+fの話を、時枝文法の詞と辞と類比させている。
注釈で、筆者が別のところで書いたガートルード・スタイン論が長々と引用されていて、そちらでは時枝の話とスタインの詩とが類比されている。

末期の眼

古賀春江について
川端は、古賀の死後に書いたエッセイで、古賀の作風に東洋的な死の観念を読み取っている
が、古賀にとってのシュールレアリスムフロイト死の欲動から捉える


それはそれとして
《海》に描かれている女性って、どこからトレスされたかがわかっていて、あるサイレント映画のスチル写真(をもとにした絵葉書)である
実は、このシーンには、当時のスター犬が映っている
古賀はブルドッグを飼っていて犬好き。犬とも牛ともつかぬ動物の絵を描いていたりする。
あと、晩年の《深海の情景》とか《サーカスの景》とか


古賀というと、《海》が圧倒的に有名であれ面白い絵だけど、「ABSTRACTION抽象絵画の覚醒と展開」展 - logical cypher scape2で見た抽象画もよかった
で、本書、白黒の小さいサイズの図版でしかないけど、1930年代の絵が結構面白そうに見える。

明晰、曇りなき霧

中谷宇吉郎の娘が中谷芙二子というアーティストなの知らんかった。
最終的に、この中谷芙二子の霧の彫刻についての論。初出が、中谷芙二子についての本
まず、ターナーにちょっと触れつつ、ルーク・ハワードの雲の理論の話から始まる
コンスタブルが影響受けたこととか、ゲーテが、ヴェルナーやハットンの地質学と並べてハワードの雲の理論を形態学として重要視したとか。
雲という生成変化するものを把握可能なものとして記述した(美術では、それまで雲は埋め草だった)
ゲーテの形態学を彫刻の形成原理ととらえるなら、彫刻はむしろ時間芸術だ、とも筆者は論じている
寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」は、天災とは人間の認識や制度の問題、という論らしい)
それから、中谷宇吉郎の雪の研究
雪の結晶というと、きれいな形したもの(ベントレーの写真)を思い浮かべるけれど、実際にはあれはまれで、多くはもっと崩れた形をしている。中谷は、そうした「失敗」に着目した
雪の結晶は、気象条件をパラメータとして、無数の形態が生じうる。
写真を撮るときに、人間がきれいなものを選別して残しているだけ。
中谷芙二子は、自然の生成変化(有機物の腐敗とか)の過程を作品にとりこもうとしてきた
霧の彫刻も、霧を何かを隠したり神秘的に見せたりするもの、としてとらえてはならない、と。霧を神秘的と考えるのは、雲を埋め草にしたり、雪の結晶のきれいな写真だけ残したりするのと同じ、人間側の認識に過ぎない。霧を微粒子の運動として組織しているのが、中谷の霧の彫刻なのだ、と


ルーク・ハワードは橋本毅彦『図説科学史入門』 - logical cypher scape2で知った。
雪の結晶の話はロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン『客観性』(瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪訳) - logical cypher scape2でも出てきたけど、ちょっと違う感じだな。ただ、きれいな形だけ表象していたのから、ノイズだと思われてたものも記録するようになるという変化は、ちょっと似ているかも?

感想

とにかくたくさんの固有名詞などが次から次へと連鎖していく内容で、読んでいて面白くはあるし、興奮するところがある。
ただ、パッパッと進んでいくので、論理展開などについては、本当は丁寧に読んでいく必要はあるのだろう。
それはそれとして、単純に、知らなかったものを知れてよかった、というのはある。
日本の近現代美術史は、本当に何も頭に入っていなくて断片的にしか知らないので、この本も決してそういう意味では通史を書いたものではないけれど、少しとっかかりにはなった。
当時のヨーロッパの美術動向と絡めてくれているので、その点ではわかりやすかった気もする
それから、フレーベルをはじめとする幼児教育の話。
モンテッソーリは名前は知っているけれど、いつの時代の人とかはちゃんとはわかっていなかったので、なるほどその頃で、先駆者としてフレーベルがいたのかあ、と
フレーベルにしたところで、自分はむしろ出版社のフレーベル館しか知らなかったので、そうかあの出版社の名前の元ネタはここなのか、と。
そこから、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)の付属幼稚園とか、自由学園とか主婦の友社とかがつながってくるのかー、というのも、単純に全然知らなかったので面白かった。
『美術手帖2025年4月号』(特集ヒルマ・アフ・クリント) - logical cypher scape2の対談で、なんでいきなり幼児教育の話から始めているのかが、これで分かったし。
それから、夏目漱石にようやくちゃんと興味がわいたかもしれない。


「抽象の力」本論は、筆者あとがきによれば、時系列順になるように並べたが、気になる作家のところからランダムに読んでもよい、とされている。
なので、確かに一つのものとして読んだときに、一つの筋を見つけ出すのは少し難しい。
が、簡単にまとめると、抽象絵画というと、視覚性と平面性というのが特徴かと思うのだけど、この両方を否定している話なんだと思う。
これはグリーンバーグ批判として、本論の中でも書かれている。
自分はこの考えをわりと素朴に受け入れていたので、確かにその意味で、衝撃というか、ヒルマ・アフ・クリントをまじめに取り込もうとすると、既存の美術史を壊すことになるよ、と先の対談で言っていたのは、まあこういうことなのかな、と。
で、まず視覚のほうだけど
ヘルムホルツがちょっと出てきたのが個人的にはヒントになった
逆光学問題、というか、ボトムアップだけでは認識というのは得られなくて、トップダウンの仮説が必要になる。ボトムアップであがってくる情報がfで、トップダウンの仮説がFなのかなあ、と。
絵画というのは、世界を二次元に写し取っていることになっているけれど、二次元像から世界を復元することはできない。というか、どのような二次元像もありうる。客観的な世界像なんてないんじゃないか、というのが、近代美術の抱えた問題なんだろう、と。
で、そこで、視覚だけじゃだめだ、触覚や運動だ、ということになってくる。
これも、予測脳理論とかを踏まえて考えると、人間の認識って触覚とか運動とかのフィードバックを受けて作られているから、ということだと納得できそう。
それを、抽象絵画というの個々の作品からどうやって読み取っていくのか、というと、それはまた難しいなあ、と個人的には思ってしまうけど。
それから、平面性のほうだと
恩地の版画の話とか、瑛九がモホリ=ナジから影響を受けたフォトグラムの話とかなんだろうなあ、と。
マルチレイヤーになっているという話なんだと思う。マルチレイヤーだとまだ平面っぽい感じかもしれないけど


最後の「明晰、曇りなき霧」は、ちょっと科学の表象の話もしていて、それが面白いなあとも思った。
ゲーテゲーテな。

岡田進之介「悲劇を観てなぜ悲しむべきなのか ─フィクション鑑賞における適切な情動的反応について」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/75/1/75_49/_pdf/-char/ja
『美学』264 号(2024年7月)
去年のものだが、最近読んだ(刊行を知ったタイミングだとまだオンラインで公開されていなかった気がする。待っているうちに忘れていて、最近オンライン公開されていたことに気付いた)
ブクマでもよいのだが、ブログに書いておくことにした。
フィクション観賞における情動的反応について、既存の「キャラクター共感説」「意図説」「類似説」を検討したのち*1、ギルモアによるデザイン説を紹介し、これにジャンルの観点を踏まえるなどの修正を加えている。
岡田による、ギルモアのデザイン説の紹介は、2024年2月に関西学院大学で行われたWSでもなされており、以下がその時の資料となる(自分はこのWSに参加していない。あとから資料だけ見た)。
https://researchmap.jp/shinokada/presentations/45570521/attachment_file.pdf
ギルモアは、情動的反応を引き起こすものとして「芸術的デバイス」というのがあって、さらにその例として「感情ヒューリスティック」「情動的感染」「視点」をあげているという
この「芸術的デバイス」の話は面白そうだな、と思う。
そこを紐解こうとすると、哲学というよりは、個別のメディアごとの研究になりそう、という感じもするけど、それも含めて面白い。


ググっていたら、ギルモアの当該書籍について、高田さんがブログで紹介していた。
この記事、当時見た記憶はある。
https://at-akada.hatenablog.com/entry/2023/12/22/220057
フィクションによる感情と、日常での感情は、別物だけど、ウォルトンのように種類が異なるというのではなくて、規範が異なるとするということかー、なるほど


ところで、このギルモアの本が気になったのだけど、kindleでも1万円越えしていてちょっと……。

「なぜ存在しないものについて語るのか」

『美学』265号には、岡田さんの第75回美学会全国大会の発表要旨も掲載されていた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/75/2/75_98/_pdf/-char/ja
こちらもフィクションの情動についての話だが、そこから、フィクションの中の非虚構文にも射程を広げている。
フィクションの観賞態度を、虚構性に気付きつつ注意しない態度、と考えるもの
これ、不信の宙吊りとかとどう違うんだろ?

岡田さんの過去の奴

researchmap眺めてて見かけた

  • 「フィクション鑑賞における共感とは何か:ナナイの代理経験理論の検討 」表象文化論学会オンライン研究フォーラム2024

https://researchmap.jp/shinokada/presentations/48523430
このスライドは、以前眺めたことがあった気がする。

  • 「物語におけるストーリー─関心相対説─」(『美学』261号)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/73/2/73_13/_pdf/-char/ja
これ読んだことなかった。
ストーリーという存在者について、高田さんの論文があったけど、その高田説も含めていくつかの先行研究を批判している。
ストーリーとは何か、を存在論的な問題ではなく、認識論的な問題として捉え直す。高田説含む先行研究は、存在論的な問題として解こうとしたのが間違い、と。
ディスコースに先立ってストーリーが存在するのではなく、ストーリーはディスコースから関心に応じて構成される、というのは、確かに、納得のいく話で、我々の実践にも沿っている。
アダプテーションの話をするときの基礎となる話。


関心相対説、基本路線としてはよいとして、もう少し深掘り(?)できそうな
これだと、ストーリーは人それぞれ、みたいにもとれる。実際、ある面ではそういうこともあるとは思う。
ただ、「この作品はあの作品の映画化作品なのでストーリーは共有してるよね」という判断は多くの人に共有されていて、それはつまり、多くの人が同じ関心を共有してる、ということかな、と思う。
で、映画化にあたっては異なるところももちろんあって、そこが気になる人にとっては、別物なんだけど、そうだとしても、やはりある面では同じだ、というのは共有されるはず。
アダプテーションって、この、ある面では同じだけど、ある面では違う、みたいなのをうまく定式化するのが難しいなと思って。
関心相対説はいい感じだな、と思うけど


岡田さんについては、以前、以下のも読んだ。
『ユリイカ2023年11月臨時増刊号 総特集=J・R・R・トールキン』 - logical cypher scape2


フィクションってのは作り物・拵えものであって、現実とは違う、というのがやっぱりフィクションの特徴であって、芸術的デバイスとか不連続性とか、あるいはストーリーはディスコースに先だって存在してるわけではない、とかってそういうことだと思うし、そこが共感できる。

*1:これら3つは、表出についての諸説と対応しているのかな、という気がした。違うところもあるけど

『ソウルの春』

1979年12月12日に韓国で起きた粛軍クーデターを題材とした映画
以前、『KCIA 南山の部長たち』 - logical cypher scape2を見て、次は『ソウルの春』を見るぞ、と思っていたのだが、気付いたら半年たっていた。プライム入りしたので、これはよい機会と思って、見た。
KCIA 南山の男たち』が1979年10月に起きた朴正熙大統領暗殺事件までを描いた作品で、本作は、暗殺以後、全斗煥が軍を掌握するまでの話となる。そして、この後に起こる、1980年光州事件全斗煥による政権奪取)を描いたのが『タクシー運転手』、また、『1987、ある闘いの真実』というのが、全斗煥政権下での民主化運動を描いた映画、ということなのでそれらもいずれ見たい。韓国現代史の映画化のされっぷりすごいな。


と知ったような感じで書いたが、韓国現代史全然知らん状態で、『ソウルの春』に関する史実も、実は見るまで全く知らなかった。
なので、最後どうなるのか分かっていない状態で見ていて、「うわ、胸クソ映画じゃん」となってしまった。無論、重たい内容の作品であることは分かって見たので、だから嫌だった、とかいう話ではなく、史実を知っていれば驚かないところで驚いてしまったという間抜けな話である。


2時間21分の作品で、夜遅い時間に見始めたので、2回に分けて見ようかなあと思っていたのだが、見始めると止まらなくて一気に見てしまった
12月12日の夕方から深夜までを特に克明に描いた作品で、ハラハラドキドキと飽きさせない展開であった。
それでいて、ちょっと思わず笑ってしまうようなところもあったりする
史実をもとにしたフィクションであり、人名や部隊名、あるいは最後の出来事などは史実と異なっている(上述した通り自分は見るまで史実について全く知らず、映画を見終わった後にWikipedaをざっと流し読みしただけなのであるが、しかし、そのレベルでも、話の展開のどこがフィクションなのかとかはすぐ分かった)。


パク大統領暗殺後、軍の保安司令官であり、暗殺事件の捜査本部長となったチョン・ドゥグアン将軍(階級は少将、モデルは全斗煥)が、おおいに権勢を振るうようになっていった。
これをよく思わないチョン・サンホ参謀総長は、首都警備司令官にイ・テシン将軍(やはり階級は少将)を任命する。
ファン・ジョンミン演じるチョン・ドゥグンと、チョン・ウソンが演じるイ・テシンがW主人公で、この2人が戦っていく感じになる。
全然気付いていなかったが、チョン・ウソン『鋼鉄の雨』 - logical cypher scape2北の工作員オムを演じていた人だった。
非常に対照的な2人で、映画内で初めて顔をあわすシーンから、チョン・ドゥグンは自分の髪が薄いことについての冗談を交えながら、これから仲良くさせてくださいよ~というのに対して、イ・テシンは全く笑わず「そうやって群れるのはよくないと思いますよ」と言って去って行くなど。


チョン・ドゥングンは「ハナ会」という軍内部に秘密の私組織を結成している。
参謀総長は、このハナ会に軍を掌握されてはならないと考えており、ハナ会を批判する論文を書いたこともあるイ・テシンを要職に引っ張り上げたのである。
さらに参謀総長は、チョン・ドゥングンと、ハナ会No.2のノ・テゴン(盧泰愚がモデル)を左遷する人事計画を練る。
これを知ったチョン・ドゥングンは、行動を起こすことを決める。
つまり、それこそが、12月12日の粛軍クーデターである。
参謀総長は、大統領暗殺事件の現場に居合わせており*1、既に嫌疑は晴れていたのだが、この件を蒸し返して拘束することにしたのだ。
だが、参謀総長を逮捕するためには、大統領の裁可が必要となる。
このため、チョン・ドゥングンの部下たちが参謀総長逮捕に向かうと同時に、チョン・ドゥングン自身は大統領の元へ赴き、逮捕と同時に裁可を得るという作戦をたてる。
また、企ての邪魔になるイ・テシン、特戦司令官、憲兵監については、酒席に招いて、動けないようにするという算段であった。
ところが、これらの計画はそれぞれ目論見が外れる。
まず、逮捕にあたって、銃撃戦が発生してしまい、異常事態が起きていることが伝わってしまう。また、公邸からその様子を目撃した国防長官が逃げ出す。
次に、大統領の裁可は取れるだろうというチョン・ドゥングンの楽観は外れる。参謀総長の逮捕にあたっては、国防長官の同意が必要になるという原則論を大統領は固持する。
そして、宴席にチョン・ドゥングンが一向に現れないことをイ・テシンは怪しく思い、企みを知るに至る。
こうしてイ・テシンは、チョン・ドゥングンらの動きを軍事叛乱とみなし、その鎮圧へと行動を開始した。


チョン・ドゥングははっきり言ってふざけた奴であり、嫌な奴である。
(彼のはっきりとした悪行として、大統領暗殺事件捜査を名目に、片っ端から逮捕・尋問しながら、上司である参謀総長兼戒厳司令官に報告せず、独断専行で行動している、というのがある)
大統領の裁可は必ずとる、と啖呵を切って出ていきながら、いや、取れなかったわと言って飄々と戻ってくるとか、なかなかふざけている。
しかし、さすがにクーデターの将となっただけのことはあって、ここぞという時に難局を切り抜けてしまう何かを持ち合わせているのである。
ハナ会はチョン・ドゥングンがリーダーなのであるが、それ以外にチョン・ドゥングンが「先輩」と呼んでいる将官たちが何人かいる。チョン・ドゥングンから見て、おそらく年齢も階級も上なので、その顔を立ててはいるのだが、彼ら、日和見的なところがあって、大統領の裁可が取れないとか、何かと作戦に綻びがでると、すぐにオロオロしはじめるのである。その度に、チョン・ドゥングンがヘラヘラしたり、活を入れたりして、反乱軍をまとめているのである。


さて、叛乱側も鎮圧側も、ソウル市内ですぐに動かせる手駒は少なく、いかに早くソウルに兵力を集結させるかどうかが鍵であった。
叛乱側は、第2空挺旅団を動かすが、それを察した鎮圧側は、ソウルに入るために通行する橋を次々と封鎖する。最後には、イ・テシン自身が橋の上に立ち、第2空挺旅団を止めるのだった。
イ・テシンは、ソウル近郊の各部隊へと連絡し協力を依頼する。
前半は、鎮圧側がうまくいくのでは、という感じもするのだが、次第に劣勢に立たされていく。

叛乱側の「先輩」たちもわりと役立たず感があったが、それに輪をかけてダメなのが、鎮圧側の、参謀次長と国防長官である。
鎮圧側では、憲兵監が優秀で、彼の矢継ぎ早な指示によって大統領府にいたチョン・ドゥングンを逮捕する直前までいくのだが、参謀次長の慎重策によって取り逃がす。
その後も、一度は止めた第2空挺旅団が戻ってきたのに対して、鎮圧側は、第8空挺旅団を動かすことに成功し、先にソウル入りが可能という状況で、チョン・ドゥングンからの「紳士協定」を真に受けて、第8空挺旅団を下げてしまったのが参謀次長である。この時も、憲兵監は強く反対したのだが、階級の壁に阻まれてしまう。
一方の国防長官だが、彼は北によるテロだと考え、在韓米国大使のもとへ逃げ隠れていた。しかし、アメリカ側から北は動いていないと言われて放り出されてしまう。鎮圧側と合流後、陸軍本部からの撤退とチョン・ドゥングンとの対話による解決を主張する。これは、危ない目に遭いたくない、という意味でしかない。


そもそもチョン・ドゥングンは保安司令部であり、軍内部の回線を盗聴することができたため、鎮圧側の動きをいち早く察知することができた。
また、後半では、ハナ会メンバーが同期に電話をかけまくるという情報戦をしかけて、鎮圧側に協力するかどうか見極めていた各部隊を足止めさせることに成功する。
再度、「先輩」たちを引き連れて上申したものの、大統領の裁可はなお下りなかったが、一方で、特戦司令部や陸軍本部を次々と制圧。イ・テシンと協力して、鎮圧に向け尽力した特戦司令官、憲兵監はいずれも拘束されてしまう。
イ・テシンにはもはや約100名の直属部隊(非戦闘員含む)しか残されていない状況まで陥ってしまう。


こうして、イ・テシンによる叛乱鎮圧は失敗に終わり、悪役チョン・ドゥングンが勝利に酔いしれる胸クソエンディングを迎えるわけだが、この作品、最後での「ヘイトコントロール」が巧みだなあと思わせるところがあった。
イ・テシンはわずかな直属部隊を率いて、チョン・ドゥングンら反乱軍の本部へと向かう。そして、野戦砲の発射を命じる。脅しでもなんでもなく、イ・テシンは本気で野戦砲を撃たせようとしていて、どちらも全く一歩も引かず、一体どうなってしまうのか全然分からないカウントダウンへと突入していくのだが、これを止めたのは国防長官だった。
陸軍本部の隅に隠れていた長官は反乱軍に身柄を抑えられており、言われるがままに用意された紙を読み上げ、イ・テシンの首都警備司令官の任を解いてしまったのである。
これによりイ・テシンは為す術もなくなり、事態は決することになる。
国防長官は、徹頭徹尾、情けない存在として描かれ、最後もその情けなさが決定打となるので、見ていて「うあ、国防長官が一番悪いじゃん」となる。
いやまあ、一番悪いのは間違いなくチョン・ドゥングンではあるんだけども、しかし、あの
ラストシーン、本気で撃ってこようとするイ・テシンに対峙するチョン・ドゥングンには、狡猾な悪役としてのかっこよさみたいなのがあって、憎たらしいことには変わりないのだが、しかしそれ自体を魅力的にしているファン・ジョンミンの演技があって、
なので、観客に対して、「国防長官のせいじゃん」って思わせるように仕向ける展開がうまいなと思った。
というのも、実はここが本作が現実と離れてフィクションになるところにもなっている、というのに、見終わった後Wikipedia読んで知ったからなのだけど
イ・テシンのモデルとなったチャン・テワンも、やはり100名程度の部隊を率いて出撃しようとしたのだが、部下からの進言に従って、これを断念している。で、国防長官の拘束は、さらにその後のことっぽい。
なので、最後にイ・テシンとチョン・ドゥングンが直接対決するところは、フィクションということになる。
そして、ここでは両者一歩も引かず、というのを撮りたいわけなので、やはり史実にはなかった形で国防長官に憎まれ役を負わせたのだろう、と。


ところで、参謀総長逮捕の裁可を下さなかった大統領は、チョン・ドゥングンが国防長官を連れてきたことで、逮捕状に署名することになるのだが、そこに日時を書き込み、あくまで事後承認であったことを記録させた、という筋を通した人であった(これはWikipediaによれば史実)。
このケース、ハナ会という軍内部での数を力として無理矢理押し切ったものであるけれど、それでも、大統領決裁をとって合法であるという体裁を整えた、というのはやっぱり面白いといえば面白いというか
こう、最近、アメリカとかで起きてる暴挙を考えるとね……


イ・テシンとチョン・ドゥングンは、まるっきり対照的な人物ではあるけれど、危機的シーンで部下を従わせる方法が似ていたのは面白かった。
いずれも、部下に自分を撃たせようとしている。つまり、自分の方が正しいと思うのならいつでも俺を撃っていい、と言うところである。
ただし、細部は異なっている。
チョン・ドゥングンは、空挺への指示を躊躇う部下に対して、自分で銃を抜きその銃を相手に渡す。結果、チョンに従うことにした部下は(指示を出すべく)その場を離れる。
イ・テシンは、降伏を促すためにイ・テシンに銃を向けた部下に対して、自分を撃つようにいい、結果、部下は撃てなかったので、イ・テシンがその場を離れる。
つまり、チョン・ドゥングンの場合、銃を抜くのはチョン、その後に実際に動くのは部下
イ・テシンの場合、銃を抜くのは部下、その後に実際に動くのはイ・テシン
という違いがあって、同じようなことをやっているのだけど、印象が異なる。
また、チョン・ドゥングンの方は、チョンにそれをやられた部下が、さらに自分の部下に指示を出す際に全く同じ方法をとることで、その方法をパロディ化してしまい、「俺を撃て」というやり取りを茶番として演出している。


イ・テシンとチョン・ドゥングンの違いとして、行動にあたって、前者は信念、後者は勝ち負けを基準としているというのもある。
後者は、周囲をアジる際に、勝てば官軍的なことを言って煽っている。実際、その通りになった。
前者は、他の部隊に協力を依頼する際、仮に負けるとしても軍人としてやるべきことをやらないといけないという説得をしている。


エンドロール、叛乱側の飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎと、参謀総長とイ・テシンが収監された牢獄とが対比されている。参謀総長はすでに拷問を受けたことも示されていて、これもまた、胸クソ感の強い終わり方になっている。ほんと、叛乱側がアホみたいに踊り狂っているからな
ちなみに、参謀総長とイ・テシンのモデルになった人は、どちらも70代まで生きたようである。2人とも一時的に政界進出しているが、すぐに引退していて、やっぱり政治とか向いてなかったんだな感がある。

*1:KCIA南山の男たち』の犯行シーンを見返してみたけど、テーブルに潜って隠れているだけの人だった

ショクーフェ・アーザル『スモモの木の啓示』(堤幸・訳)

イラクの次はイラン、ということで、イラン革命によって翻弄された家族を描いた作品を読んだ。
白水社エクス・リブリス
本作は長編だが、ハサン・ブラーシム『死体展覧会』(藤井光・訳) - logical cypher scape2と同様、奇想というか非現実的な描かれ方をした作品であり、いわゆるマジック・リアリズムとも位置づけられている。
筆者はイラン人だが、政治難民となり、現在はオーストラリア在住。本書もオーストラリアで書かれた。創作自体はペルシア語で行っているが、それが英訳されたものが出版され注目を集めたという次第。本書も英訳からの重訳となる*1
なお、英訳者は安全を理由に匿名とされている。英語圏では翻訳者の地位が低く、クレジットされないことも珍しくはないらしいが、安全を理由として匿名になるのはやはりあまりないことだという。
と、訳者あとがきではわりと他人事のように解説されているのだが、本書の翻訳者についても、雑にググった程度だと、本書の翻訳者である以上の情報がない。


ところで、イラクとイラン、それぞれ違う国だということは頭では分かっているけれど、文化とか生活とかの面でどのように違うのかとなると、全然知らないわけで
イラクを舞台にした『死体展覧会』と、イランを舞台にした本作を連続して読んで、まず一番最初に注意がいったのが、人名である。
『死体展覧会』で出てきた名前は、例えばマフディ、ハッジャール、ジャアファル、サリームなどである。
本作だと、主人公の「私」はバハール、父はフーシャンク、母はロザー、兄がソフラーブで、姉がビーターである。
本作の途中で、革命に感化されてペルシア語人名からアラビア語人名に改名した人物が出てくるが、なるほど、イラクの人名はアラビア語、イランの人名はペルシア語なのだな、と遅ればせながら気付いた。
アラビア語人名は、分からなくても中東の名前っぽいなあと思うが、ペルシア語人名は、全然聞き覚えのない響きであった。
「私」の家族は、もともとテヘランに住んでいたが、革命から逃れるために、ラーザーンという村へと辿り着く。そしてこのラーザーンという村、もとはゾロアスター教徒たちの村だったのである。
ホメイニによるイスラム共和制によって弾圧を受けるようになった時に、逃げ出す先として、ゾロアスター教が見出されている。
中東というと、何となく雑にアラブと思ってしまいがちだが、イランは非アラブ国である(「アラビアン・ナイト」は本当は「千夜一夜物語」だし元はペルシア語)し、イスラム化する以前にゾロアスター教があったわけで、実際のイランの人たちの文化やアイデンティティがどのように形成されているのか、小説を1編読んだだけで分かるものではないが、少なくとも本作は、イスラーム体制に対する抵抗の拠り所として、ペルシアやゾロアスター教を置いているのだろうなと思わせる。
もうひとつ、イラン革命というのは文革だんだなというのもあって、つまり、主人公の家族はインテリ階級であって、革命はそこで享受していた文化が奪われていった過程であり、彼らのアイデンティティをつなぎ止めているのは、文学なのである。
ペルシアの古典から『日の名残り』まで古今の文学作品のタイトルがよく出てくる。物語中、そうした文学を登場人物たちが読みあさるシーンも2,3回出てくる。文学を読むことが、革命からの逃避でもあるし、心を守る手段でもある、ということが示されている。


「私」の母親ロザーが、スモモの木の上で啓示を受けた日、兄のソフラーブが処刑された、というところから始まる。
全体としては、「私」を含めた5人家族の悲劇の物語ではある。
少し後の方の時期まで話が進んだ後、次の章でまた時間が戻ったり、あるいは、登場人物が回想を語る章があったりと、逆に一気に時間が進んでその間のことが省略されていたりと、時系列がわりと行ったり来たりするところがあって、直線的に話が進まない語りになっている。
幽霊や幽鬼ジンも、当然のように登場してくる。
訳者のあとがきでは伏せられていたが、全19章の5章時点で明らかになることなので書いてしまうと、語り手である「私」=バハール自身、実は既に亡くなっている。幽霊なので、他の人が知りえないところも知っているという語りの上でのメリットがあるのだが、それはそれとして、この物語が生者と死者の関係というか、そういうことを取り扱っている。生と死の間には絶対超えられない線があるのだけれど、それでいて、まるで生きている者かのように死者との関わりがあったりする。
『死体展覧会』でも、死者が語り手となっている短編がいくつかあったけれど、しかし、あれらは、語り手が実は死者だったことがオチになっているような感じで、物語世界の中に幽霊として関与していくような話ではなかったと思うのだけど、こちららは、物語世界の中に幽霊という存在がちゃんと位置づけられている。「私」も幽霊だけど、「私」以外にも幽霊が結構沢山出てくる。
語り手は「私」なのだけど、主人公は「私」の両親かな、という気もしている。
タイトルにある「スモモの木の啓示」を受けているのは母親で(象徴的な意味を持っていそうなタイトルが最初の1ページ目で早々に回収されていたので、ちょっとびっくりした)、前半のクライマックスは母親の失踪かなと思うし、終盤で物語の中心にいるのは父親である。
やはり「私」は幽霊なので、どこにでも行って見聞きすることができるけれども、主体的に行動できない、という制約があるので、「私」を主人公にした物語にはならないのかな、と。


本書について、いつも自分が参考にさせてもらっているブログで、以下の書評が書かれている。

この書評での本書への評価は「抜きん出て良い部分と抜きん出て悪い部分とが混在した作品」というもので、後者について、イラン革命への批判を書くためにつまらなくなっている、というものである。
個人的には、それが本書をつまらなくしている、とは思わなかったのだが、「虫歯」についての指摘は的確で鋭いものだと思えたので、引用しておきたい。

そうしてイラン文化への追憶を馳せる主人公一家が、良家・金持ち(ブルジョワ)・インテリであることに注意をしなければならない。(中略)かくも自分たちの特権的地位にあまりに無自覚的に書かれてしまうと、たんに西側的価値観を特権維持のための方便として使用しているようにしか思えなくなってしまう。
(中略)
この民兵の少年は、14歳ということになっている。さて、著者はなぜ彼を虫歯にしてしまったのだろう?
にやりと笑って見えるくらいの虫歯なのだから、それなりに酷い虫歯だろう。ここで敢えてこの虫歯を描写したということは、この少年の低い教育水準と、もしかすると低い生活水準をも示しているのだろう。
彼はこの場面だけに見切れる端役中の端役だ。従って、虫歯であるという以上の人物描写はない。逆にいえば、本来、虫歯であるという描写をする必要さえなかったはずだ。そこに敢えて彼のプアーな出自を示したところに、私は著者の無意識的な嘲りの感覚をを感じざるを得ない。

本書を読む前にこの記事を読んでいたので、このシーンが出てきた時にすぐ分かったものの、自分だったら多分見逃してしまうところだった。
先ほど、主人公の家族がインテリであると述べたが、加えてこの書評にも書かれているとおり、金持ちの良家でもある。テヘランに伝統ある屋敷をもっていて、主人公の祖父母は、テヘラン市長がこの屋敷を接収しようとするのに対して、抵抗を続けている。
語り手に、自分の家が特権階級であるかもしれないことへの自覚みたいなものは、確かに、ない。
ところでこの「虫歯」であるが、実は、本書では指摘のあった箇所含めて3カ所で「虫歯」が出てきている。1つは明らかに、ネガティブな意味で「虫歯」が使われていたが、もう1カ所は、ビーターが「虫歯」になりそうになっているというものだった。
自分にはこの、ビーターの「虫歯」が何を意味しているのか読み取ることができなかったので何ともいえないのだが、ビーターに対しても「虫歯」があるっぽいことを踏まえると、民兵の少年の「虫歯」を一概に無意識的な嘲りと言ってしまっていいのか、疑いを差し挟む余地があるのではないか、とは思った。
ただ、このビーターの「虫歯」も何とも言えなくて、これがあるから少年の「虫歯」はネガティブなものではない、と断言できるわけでは全然なくて、先の指摘はやっぱり妥当である可能性も十分あるとも思う。


本作では、わりとマニアという言葉が繰り返されている。その都度、「熱狂する」とか色々訳語があてられている。例えば、木登りにハマッている時期とかがあって、それを木登りに熱狂(マニア)していた、とかそういう風に書いている。カタカナでルビふってるのでちょっと目立つというだけの話なのだけど、最終的に「私」の家族が行き着いたマニアは、読書だった、という結論に至るので、キーワードではあるのだろう。


わりと最初の方で、母ロザーが、ソフラーブを妊娠していた時の夢について語るのだが、この夢がラストシーンにつながっていた。登ると成長していく樹
基本的に、文学が結構重視されているけれど、姉のビーターについては、バレエの話が結構されている。テヘランの子ども時代、バレエを習っていたのだが、テヘランを離れる際に辞めることになったとか。革命が起きた際、バレエをそのまま教え続けた先生がデモ隊に殴られたとか。革命によって奪われたものが、姉にとってはバレエだった、というのが結構繰り返し書かれている。


「私」はシベリアから来た幽霊に出会う。復讐のため幽霊となって彷徨っているが、シベリアへの帰り方が分からなくなっているので、シベリアの位置を教える。


母は、革命のことを"アラブ人来襲"と呼んでいる。


マジックリアリズム的なエピソードとして、ラーザーンで降り続いた黒い雪の話がある。
117日黒い雪が降り続けて、その間、ゾロアスター教徒たちが「私」の家に訪れる、とかいう奴


ソフラーブのほか処刑された5千人が幽霊となる。彼らはホメイニのもとへと向かう。
ホメイニは、鏡の宮殿を地下に作らせる。その建築作業に幽霊たちが現れるようになって、行方不明になった家族に会えるという噂がたって、幽霊にあうために作業員になる女性が相次ぐ話とか。


教育隊から革命防衛隊へ


親を失った子どもを孤児というなら、子どもを失った母は孤母というのでは、という書き出しから始まる章で、ロザーと孤母たちが森の中へと失踪する。
特にロザーがどんどん1人で森の中へと歩いて行って、見知らぬ男性にであって、アゼルバイジャンクルディスタンの方まで一緒に旅をして、その男と結ばれるという、謎といえば謎のエピソードなんだけど、ぐんぐん読み進んでいく感じがあって、面白くなってきたぞ感があった。


母が失踪し、父親と2人暮らしになったビーターは、俄然家事に取り組むようになり、庭を整えるために、庭仕事をイーサーという村の若者に頼むことになる。
で、このイーサーの家系というのが、祖母が幽鬼(ジン)と取引して、癒やしの力と産婆の力を手に入れているんだけど、他方で幽鬼(ジン)からの呪いも受けている。
で、ビーターとイーサーは恋人になるのだが、イーサーというのは、トンボを見ることで運命を知ることができるという人で、トンボを見て、自分が他の女性と結婚することが分かってビーターと別れる。
イーサーには、エッフェトという姉がいて、彼女はたまたま村に立ち寄った羊飼いに恋をして「黒い愛」にとらわれてしまう。羊の鳴き真似してみたり、黒い愛を他の村人にも感染(?)させようとしたりする。イーサー家の、癒やしの力はエッフェトの代で断絶する。


ロザーとかイーサーとか、なんだろう、ちょっと破滅的な愛みたいなエピソードが続く。
このあたり、わりと面白かった感じがする。


失恋の痛手から家を離れたビーターは、川辺に集まる幽霊たちと出会う。
彼らは、自分が生きていた頃の話とかをお互いにしている。
その中で1人、自分が何故死ぬに至ったのかという自分たち3兄弟の話をするのだが、これを一気に話した、というので、5ページくらい、句読点なしで書かれていたりする。


ビーターは1人テヘランへ戻ることを決める。ビーターがテヘランに行っていた時の話はがっつり省略されている。あとで少し触れられたりもしていたはずだけど、基本的にはビーターがテヘランで何していたのかは分からない。どれだけの期間テヘランで一人暮らししたのかも分からないのだけど、数年以上の月日が流れていたと思われる。
で、ラーザーンへと帰ってくる。
帰ってきたビーターが、本を読みまくるというシーンがある。文学作品のタイトルずらずら
そしてその後、ビーターは魚になりたかったことを思い出し、なんと人魚化してしまう。
父親は、風呂場を改装してプールを作ったりするが、最終的にビーターを海へと連れて行く。
ここでいう海はカスピ海のこと。ラーザーンはテヘランの北にあるので、そこからさらに北へ行くと、確かにそれほどかからずにカスピ海なのだな、と改めて地図を見て気付いた。
なお、ロザーが辿りついたとされるアゼルバイジャンクルディスタンは、さらに北西方向。
カスピ海には他にも人魚がいて、ビーターはそこで暮らし始めると、次第に記憶力がもたないようになっていく。


ラーザーンの住人たちが夢を見るようになってしまう、というエピソードが、『百年の孤独』での眠り病の話へのオマージュなのかなあ、という感じがした。


父フーシャンクがテヘランの実家へと戻る。「私」の家族は、テヘランから逃げ出しているのだけど、フーシャンクの両親と祖父はテヘランにとどまり続けている。
フーシャンクの実家というのが、長く続く家柄で、ロザーが初めて来たときびびった、みたいなエピソードが最初の方にあった気がする。
テヘラン市長が、この家を奪いたがっているのだけど、祖父等はずっと抵抗している、と。
フーシャンクは、ひたすら文学を読みあさる。
家族も一緒に呼んで文学談義をするような日々を送るのだけど、その中で次第にフーシャンクは、今のイランのあり方とそこからずっと逃避してきたことに怒りを覚えるようになる。
フーシャンクの弟、語り手の「私」からすると叔父であるホスローは、神秘主義者で、インドとかにも行って神秘思想を学んでいるのだが、フーシャンクの怒りはホスロー叔父に向かうようになったりもする。
ずっとテヘランの市街を歩くことをしていなかったのだけど、いざ、歩いてみて、風紀警察に隠れて手を繋いでいるカップルとか、隠れてロックのCDを売ってるCD屋とかを見ることになる。
で、CD買って歩いてたら逮捕されちゃう。尋問の時に、自分の罪を書き出せって言われて書いている内容が、本書のここまでの内容に相当する話になってて、ちょっとメタフィクショナルな仕掛けなんだけど、書き直せって言われて書き直した内容は、ロザーは精神病院に入っているとか、ビーターは死んだとか、普通に現実的な話になっていて、そこはちょっと残念というか寂しいというか。


人魚として暮らしていたビーターは、家族のことを一瞬思い出して海岸に向かったところで、人々に捕まってしまって、暴行を受けて死んでしまう。
版元の紹介文に「死者や幽鬼との交わり、SNSなどの現代世界が融合した」ということが書かれているのだが、ここで、民衆が人魚ビーターをスマホで写真撮ってフェイスブックにアップするというのがでてくるので、「SNSなどの現代世界」ってここを指しているのかなあと思うが、別にそんなにSNSっぽい話(?)が出てくるわけではない。


ロザーがラーザーンに帰ってくる。
テヘランの実家も、結局市長の強制執行により、破壊されてしまい、フーシャンクも帰ってくる。
ソフラーブ、ビーター、「私」、と幽霊になってしまった3人の子どもたちは、子どもたち全員に先立たれてしまった両親のことを思ったり、もし生きていたら何がしたかったかを語ったりする。
最後、5人は、登ると登っただけ成長し続けるスモモの木に登り、宇宙空間まで達すると、木の中に入って消滅する。おしまい。


後半、フーシャンクの逮捕やテヘランの家の破壊、ビーターの死などは、物語の中で膨らんでいったマジック的・幻想的・非現実的な部分が、現実の暴力によって叩き潰されていくようであり、悲しいところであり、バッドエンド的な終わり方をしている。
これは、圧政によって文化が抑圧されていることへの批判であろう(ビーターを殺すのは直接的には政府・政治ではなく民衆だが、男性による暴力であり(女性たちはビーターを哀れむが生活のために口を噤む)、これも現状の抑圧的な社会に対する批判だろう)。なので、ここの部分をどう評価するかは、色々好みが分かれるところかもしれない。
個人的には、確かに分かりやすく政治批判的な展開であるなあと感じたが、物語の面白さを損なうようなものでもないと思った。
子どもの「私」を語り手としつつ、その両親を主人公として、子ども3人全員に死なれてしまった夫婦へと辿り着く悲劇として、物語の説得力はあったなと思う
最後に家族5人で木を登っていくラストシーンは、悲しくもあるけれど、美しくもあるし、全滅エンドではあるのだけど、決して鬱々しくはなくて、どこかマジックリアリズムの愉快さもあった。

*1:そういえば、割注がついていて、てっきり全部訳注だと思っていたのだけど、山括弧のものと丸括弧のものがあって、原注と訳注の両方があった。原注というのは、英訳された際の注なので、どちらも訳出にあたって、イラン文化などにかかわる固有名詞などについた注釈なので、読んでいて区別する必要はあまりないわけだが

『美術手帖2025年4月号』(特集ヒルマ・アフ・クリント)

「ヒルマ・アフ・クリント」展 - logical cypher scape2で見てきたけど、もう少し解説とかを読もうかと思い。

代表作 徹底解説 中島水緖、高嶋晋一

抽象絵画のディスクリプションってこうやってやるんだなー、と思いながら読んだりした。

神殿のための絵画

各シリーズごとに解説等がなされているが、以下は、その中から一部だけピックアップしたメモ
「10の最大物」は、全体で2か月で制作され、1枚レベルだと4日で制作されたものもあるらしい。本書の他の記事でも、この「10の最大物」が短期間で制作されたことについて言及されている箇所がある。それにしても、あの大きさ、あの量を2ヶ月って……。
「白鳥、SUW シリーズ」について、メタモルフォーゼでもあるよね、と指摘されている。
どのシリーズについての解説に書いてあったか忘れたけど、ヒルマ・アフ・クリント全体に関わる話だと思うが、彼女の着想源は絵画史ではなく本や印刷文化にあったのではないだろうか、という指摘。具体的にはゲーテ『色彩論』やヘッケルの名前が挙げられていた。


ところで、アフ・クリントが神智学・人智学だけでなく、当時の自然科学からも影響を受けていたのではないかという指摘は、展覧会会場の解説でも本書の中でも、度々出てくる。
特に進化論については、「進化、WUS /七芒星シリーズ」という作品があって、でっかくEVOLUTIONって書いてたりする絵があるので、まあ何らかの形で受容しているんだけど、おそらくは霊的進化みたいな話の文脈っぽくって、あれ。とはいえ、この時代の一般的な進化論理解って、現代の進化生物学から見るとどれも無茶苦茶な気がするけれど、それはそれとして、時代の雰囲気を形作っていったようでもあるので、どう把握すればいいのかが難しい(つまり、現代の自分からしてみると「それは別に進化論じゃねーだろ」って思うんだけども、広い意味では、進化論からの影響であると受け止めるべきなのか? と)。

Works on Paper and other

「神殿のための絵画」以外の作品について

Notebooks

ノート類について

未知の力、隠された知を描く 沢山遼

当時のオカルティズム・スピリチュアリズムと自然科学・テクノロジーの関係(例えば、アメリカのフォックス姉妹の霊との交信は、モールス信号による遠隔通信に衝撃を受けたことに着想があるという)
目に見えないものの可視化としての、電磁波や放射線の発見
あるいは、目に見えないものを見えるようにすることを芸術の原理と考えたルドンやクレー
アフ・クリントやそれに先駆けるジョージアナ・ホートンにおける波動や螺旋
ロバート・フラッド『両宇宙誌』、アフ・クリント、アンナ・カッセル作品に現れる球体モチーフ
集団的な制作→「神殿のための絵画」に霊媒的役割を果たした人物13名の名前が記録されているが、「作者」としてのアフ・クリントの署名はない

魂の明け渡し 江尻潔

作品を制作するものとしての「霊媒」と「芸術家」とを区別する(前者の例としては例えば出口なおなどが挙げられている)。「霊媒」も作品制作したりすることがあるけれど、それを美しくしようとか、そういう反省的な意図がない点で「芸術家」とは区別される。
しかし、ヒルマ・アフ・クリントには両方の面が見られる、と。
ところで、神智学には、霊媒(受動)とアデプト(能動)という区別があって、アデプトを重視していたらしい。シュタイナーはアフ・クリントに対して「霊媒のように描くな」というアドバイスをしていて、アデプトのことを指していたのではないかと。
実際のアフ・クリントの作品を分析しながら、アフ・クリントはこれを実際に「見ていた」のだという。普通の抽象画家が、自らの理論を形而下にしようと試みていたのに対して、おのれが見たものをいかに形而上にもっていくか試みていたのがアフ・クリントなのだ、とまとめられている。

すべて緑になるときまで──スピリチュアリズムと図示の隘路 高嶋晋一

「見えないものを見る」というのが、スピリチュアリズムだったり原子物理学だったり、当時のテーマだったのだ、と。
その上でスピリチュアリズムというのは「私」が問題となる。死すべき運命にある「私」とか、「私」のアイデンティティとか。
霊と霊媒の二重性と、描かれるものと絵画という媒体という二重性

CHRONOLOGY Hilma af Klint Chronology──旅と同志とともにあったその人生 齋木優城

アフ・クリントの年譜
若い頃に妹が亡くなっていて、これが神秘思想に関心をもつきっかけだったらしい。
王立美術アカデミーに通って美術教育を受けているけれど、そこで、アンナ・カッセルと出会っている。カッセルは、アフ・クリントの親友で、共同制作者的な面もあったり、同性愛的パートナーであったりもしたらしい。
美術アカデミーを卒業後、職業画家となっていて、動物の解剖画なども手がけている。微生物のスケッチとかもしていて、後の作品に影響をしただろうと指摘されている。絵本の挿絵なども描いている。
「5人」を結成して、交霊会をしている。それを繰り返している中で、高次存在から「神殿のための絵画」を制作するようにという啓示を受ける。
「神殿のための絵画」は、この啓示に従って制作されたということであるが、この制作にあたっては「5人」の他のメンバーとの意見対立があって、アフ・クリント1人で作ることになったらしい(ただし、近年の研究で、カッセルが協力していただろうとなっている)
スウェーデンに籠もっていて外の交流がなかった画家、のように捉えられていたことが、実はそんなことはなかった、として、イタリア旅行が挙げられている。「10の最大物」を作るにあたって、影響があったのではないか、とか。
第一次大戦頃、ストックホルムからムンセー島へ移住している。
人智学の中心地であるドルナッハへも旅行している。憧れの地、みたいな感じだったみたい。ここでシュタイナーとも直接会っている。シュタイナーの死後は、人智学協会の中で後継者争いみたいなのが起きたのに辟易して、ドルナッハには行かなくなった、とか。
アフ・クリントは、自分の死後20年は作品を公開しない旨書き残していることもあって、評価を求めていなかったと言われることもあるが、これもまた違う、と。
この死後20年云々は1930年代から言い始めたことで、それ以前は、自作が展示される場を求めていたりもして、実際、機会を得て展示に至り、アムステルダムやロンドンへ行っている(しかし、どの作品が展示されたのかは不明)。
ただ、同時代的には評価を得られず、未来に賭けた、と。
実際には死後20年どころか、死後70年近くたってようやく評価されるようになった

INTERVIEW ユリア・フォス 齋木優城=聞き手・構成

アフ・クリントの伝記を書いたユリア・フォスへのインタビュー
美大出て美術系の編集者をやっていたのだが、初めてアフ・クリント作品を見たとき、美術教育を受けて美術の仕事をしていたのに知らなかったことへ衝撃を受ける。アフ・クリントの記事を出す際には社内外で賛否両論あったらしい。
上述の年表にもあったが、アフ・クリントが旅行していたことに注目したのは、フォスの伝記
当時のスウェーデンは保守的なプロテスタント国家であり、そうした中で「5人」のような神秘主義の活動をしていた
ジェンダーをコード化した表現を用いて、性が流動的であることを描こうとしていた。雌雄同体であることからカタツムリも描いていた。

ヒルマ・アフ・クリントとスウェーデン・フォークアートの復興 ヴィヴィアン・グリーン(田村かのこ・訳)

アフ・クリントが活動していた頃のスウェーデンは、フォークアートの復興運動が起きていた時期で、これはアフ・クリント理解の伏線になるだろう、と。
スウェーデンで18世紀から19世紀にかけて民衆の間で描かれていた装飾画として「ボーナダー」というのがある。
ボーナダーは、大きな布に描かれて、結婚式などの際に家を飾る。美術教育を受けていない人たちの手によって描かれていて、遠近法などは用いられておらず、文字(聖書のフレーズとか)が一緒に書き込まれたりもしている。
本論では、アフ・クリント作品とボーナダーとの間の類似点(巨大さとか)を指摘し、また、アフ・クリントが当時ボーナダーを見ていたはず、という傍証を重ねている。
最後に、従来、「工芸や装飾」と「ハイ・アート」が対比され、後者が低位(ロウ)に置かれていた。そして、それはジェンダーとも重ねられていた(女性の手仕事としての工芸・装飾)が、こうしたハイとロウとの区別は見直されてきており、本論もそういう文脈にあるよ、と。
「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展 - logical cypher scape2でトイバー=アルプが、やはり、刺繍といった応用美術に関わっていたことに着目されていたこと、同型の話だなと思った。

私的な抽象:ヒルマ・アフ・クリント作品におけるジェンダーと性の主題 井上絵美

当時、第一波フェミニズムの時代で、公的な制度としては女性の権利が認められ始めていた。アフ・クリントが美術アカデミーで美術教育を受けているのも、制度的な整備によるものである。しかし、制度的に整備されたからといって、実態として女性差別がなくなったかといえば、そうとは限らない。
アフ・クリントの作品が「5人」という私的な営みの中から生まれてきたことを忘れてはならない、と指摘している
また、アフ・クリントは、男性をパートナーとしたことはなく、同性愛的な関係を持っていたと考えられている。
近年、「クィアアブストラクション」という概念があるらしく、簡単に言及されている。

SPECIAL DIALOGUE 岡﨑乾二郎×三輪健仁 ヒルマ・アフ・クリントを見るとは、どのようなことか?

『抽象の力』でアフ・クリントについて論じた岡崎と、アフ・クリント展を担当した学芸員である三輪の対談。わりと、三輪からのコメントに対して、岡崎が「いや、そうじゃないよ」っていう展開が多かったような。
まず岡崎から、近代啓蒙主義・幼児教育・スピリチュアリズム、というのが当時のパラダイムだったんだよーみたいな話。「見たら分かる」、という考え。
三輪が、アフ・クリントはこれまで美術史でマイナーとされてきたもの(神秘思想、スウェーデン、女性)ですよね、みたいに振ったら、岡崎が、シュタイナーは全然マイナーじゃないよ、と応答してたり。
三輪が、アフ・クリントとこれこれについての関係を述べてますけど、アフ・クリントの書いたものに出てきませんよね、と言うと、岡崎は、美術史は、書かれたものだけをファクトとして扱うのは悪弊と一蹴している。これは、この時代のある人が何を見ていたか、は、物証から言えるでしょ、と(岡崎は例として、自分(岡崎)がドラえもんについて書いていないからといって岡崎がドラえもんを知らないことはないでしょ、と述べている。これ、本誌でいうと、アフ・クリントは多分ボーナダーを見ていたでしょう、という論がそれにあたると思う。あれは、当時この美術館にボーナダーが展示されていて、クリントはこの美術館に行っていた事が分かっているので、見たことあるでしょう、という推論をしていた)。
当時のスウェーデンの文化改革ムーブメントから、『ニルスのふしぎな旅』のセルマ・ラーゲルレーヴ、教育学者のエレン・ケイが輩出されている、と。日本では同じ流れでお茶の水女子大や自由学園が生まれていて、平塚らいてう伊藤野枝がエレン・ケイを翻訳してるよと、と。
また、三輪が、アフ・クリント作品が神智学・人智学の解説になってしまっているというと、岡崎は、絵解きしていてはだめ、と。なぜ正方形かではなくどのように正方形を描いたかを考えろ、と。
また、アフ・クリントが研究所を作っていること、「10の最大物」がビルボード看板のように作られていて、また、「青の書」のように縮小版を作っていたり、バリエショーンが許容されていることから、共同制作に開かれていたものだったのではないか、という話も。