松本城

一条真也です。
サンレー北陸社員旅行の2日目となる22日の朝、わたしたちは昼神温泉の宿「湯多利の里 伊那華」を出発しました。バスは飯田山本ICに乗って中央・長野道を走り、松本ICで下りました。そこから松本城に向かいました。


国宝・松本城

国宝・松本城にて



城といえば天守閣を指すほどですが、今年5月に島根県松江市に現存する松江城天守閣が「国宝」の指定を受けたのは記憶に新しいところです。日本国中に多くの天守閣があるものの、戦後に復興された鉄筋コンクリート製の天守閣が大半です。


案内図

松本城にて



現存する天守閣は12しかありません。松江城のほか、青森県弘前城福井県丸岡城、愛知県の犬山城滋賀県彦根城兵庫県の姫路城、岡山県備中松山城香川県丸亀城愛媛県松山城宇和島城高知県高知城、そして今回訪れる松本城です。ご存知のとおり、松本城天守閣も国宝に指定されています。ちなみに国宝の指定を受けている天守閣は姫路城、彦根城犬山城を加えた5城に過ぎません。


黒門にて

天守閣の図



長野県公式観光ウェブサイトでは、「松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。大天守と、泰平の世になって造られた辰巳附檜・月見檜のまとまりは「複合式天守」と呼び、それぞれの時代を象徴しています。この連結複合式天守松本城だけに見られる特徴的な構造です」と紹介しています。


天守閣にて

月見櫓にて



松本城管理事務所作成公式HPには、この松本城の魅力が満載されています。まずは松本城の歴史を見てみましょう。
松本城のあたりには深志城があり、これが現在の城の前身であるといわれています。深志城についてははっきりしない部分が多く、松本城築城にどのように引き継がれたかはわかっていません。室町時代に深志郷を統治していたのは坂西氏でした。坂西氏の居館があってその周囲には人々が生活する場があったのではないかとみられています。そこに城を築いたのが島立氏で、永正元年(1504)に深志城を造ったといわれています。二の丸北西部にある若宮八幡の跡地が深志城主島立右近貞永の埋葬地であるという言い伝えが残っています」


まことに美しい城です(絵葉書みたい!)



さらに松本城管理事務所作成公式HPには、こう書かれています。
武田信玄林城にいた小笠原長時を追い出すと、つぎの目標である北信濃への侵攻の拠点として、平地にあった深志城の場所を選びました。城代がおかれ、深志城にも改修の手が入りましたが、はっきりしたことは不明です。今後旧城下町の発掘調査が進むとこの辺りのことが明確になってくるでしょう。深志城を拠点とした武田氏の統治が32年間続きました。しかし、天正10年(1582)織田信長によって武田氏が滅ぼされると、木曽から入った木曽義昌、それを追って上杉景勝の後ろ盾を得て入った小笠原洞雪と城主がかわりました。小笠原長時の嫡子貞慶は信濃に帰って旧臣の支援を取り付け、深志城を奪還して深志を松本と改めました」
戦のための城には、やはり栄枯盛衰、人生の機微が満載ですね。


美しい松本城を背景に



その後、豊臣秀吉の命で松本へ入ったのが石川数正。元々は徳川家康の重臣で、今川家での人質生活をともに過ごしています。しかし、天正13年(1585)、数正は徳川家を出奔、豊臣秀吉の臣下となります。しかし、秀吉の死後、徳川家により石川氏は改易のうえ御家断絶。そして再び小笠原家が松本の領主に返り咲きます。


武者と



この小笠原家が弓馬術礼法小笠原流の祖である小笠原長清の直系であり、第20代の小笠原忠真信濃松本藩2代藩主播磨明石藩主を経て、細川家に替わり豊前小倉に入部。その後、小倉藩の小笠原初代藩主に当たります。ともに小笠原家が治めた松本と小倉の縁は非常に深いのです。そういえば、わたしが小笠原流礼法を学んだ小笠原忠統先生は松本市立中央図書館の館長を務められおられたと記憶しています。


姫君と



その後、戸田、松平、堀田、水野、戸田と領主家が替わり明治維新を迎えます。いま、松本市では官民あげて「国宝松本城世界遺産に」を合言葉に世界文化遺産登録を目指しているそうです。その活動を紹介する公式サイトには「市民アピール」として次のような文章が掲げられています。
「築城から400年余の歴史を刻む松本城は、日本を代表する古城であり、松本市民の誇り、松本平のシンボルです。100年ほど前、破壊の危機にさらされた時、明治の先覚者は、保存、修復の住民運動に立ち上がり、後に国宝とされました。松本城世界遺産とし、日本の宝から人類の宝に−が21世紀の市民の『ロマン』であり、熱き願いです」


本丸広場の人形



さらに、以下のような格調高い文章が以下のように続きます。
世界の叡智に学び、広い視野から松本城世界遺産登録への道を探り、松本城環境保全、整備や新たな松本の文化創造に立ち上がりましょう。松本城をこよなく愛する『国宝松本城世界遺産に』推進実行委員会と『国宝松本城セミナー』に参集した一同は、その先頭に立つことを高らかに宣言、広く市民の共鳴と結集を呼びかけます」


本丸広場の人形の前で



わたしも北アルプスを借景にした雄大な景色の中に立つ豪壮な松本城天守閣の「黒と白の対比の美」に深い感銘を受けました。
ぜひとも、松本市民の皆さんの悲願が叶うといいですね。
この松本城でわたしはサンレー北陸のみなさんと別れ、松本空港に向かいました。そこからJAL3542便で福岡へ・・・。本当はこの日、富士吉田で業界の大先輩の葬儀が行われたので参列したかったのですが、この日の午後、どうしても外せない大事な用事が北九州で入っていたので、弟に参列を頼みました。わたしは松本の地で、心より故人の御冥福をお祈りしました。


みんなを見送りました



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年10月29日 一条真也