広告寅さん

一条真也です。

東京は亀戸の結婚式場「アンフェリシオン」の会議室で、このブログを書いています。
わたしが副会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の正副会長会議が12時から、理事会が13時から開催されるのです。
昨日、豊川稲荷を出てから寒気に襲われました。
「さては、狐に憑かれたか!?」と一瞬思いましたが、単に東京が寒いのでした。
昨夜は6度、今朝はなんと3度です。
4月なのに、なんでこんなに寒いんだ?
またしてもコートを忘れるという失敗をおかし、昨夜から震え上がっています。ぶるぶる。
さて、昨夜は20年ぶりに東急エージェンシー時代の同期の友人と再会し、深夜まで痛飲しました。現在、営業本部・戦略営業局・第一営業部長の大下寿夫君です。


                 東急エージェンシーの大下部長


大下君は、両国の酒販店の息子さんで、チャキチャキの江戸っ子です。
日本大学時代は雄弁部に所属していました。
昔は非常に実直なイメージが強かったのですが、久しぶりに会ってみると非常に華やかになっていて驚きました。
髪の色も明るく、首にはネクタイの代わりにストールをかけていて、とてもオシャレです。腕にもカラフルな九谷焼のブレスレットが巻かれていますし、指にはゴツイ指輪がはめられ、さらにシャツの中にはネックレスが。
まるで、ホイチョイ・プロダクションの『気まぐれコンセプト』に出てくるような業界人そのものです。久しぶりに「これぞ、ギョーカイ人!」という感じの人に会って、わたしのテンションは一気に上がりました。
ちなみに、彼はいま独身です。オシャレな広告代理店の独身部長さんに興味がある方は、東急エージェンシー第一営業部までご連絡下さい。



大下君から美味しい中華料理をごちそうになったので、そのお礼に「東京の止まり木」ことカラオケ・スナック「DAN」に案内しました。
大下君を佳山明生似のDANのマスターに紹介したところ、なんと大下君は「ああ、佳山明生は義兄ですよ」と事もなげに言うのです。
驚いたわたしが「氷雨」をリクエストしたところ、大下君は上手に歌ってくれました。


大下君は、自分のカラオケ・レパートリーを詳細に書いたメモをスーツの内ポケットに入れていました。
いつも、接待のときなど、そのメモを見ながらカラオケで歌う曲を選ぶのだそうです。
そんな真面目な大下君に、かつての実直な面影を感じて、わたしは安心しました。
いくら外見が変わっても、人間の中身までは変わらないのですね。
ところで、わたしはマーク・ハマーの「夜がくる」、サザンオールスターズの「素敵なバーディー」、沢田研二の「おまえがパラダイス」の3曲を歌ったところ、いずれも1位となり、周囲の人たちにビールをおごらされました。



その後、大下君がもう一軒誘ってくれました。
そこでも酒を飲み、カラオケを歌いましたが、接客の女性たちが大下君に「寅さん」と呼びかけているのに気づきました。
大下君も自分のことを「寅」と呼んでいます。
その理由を聞くと、彼は「フーテンの寅さん」が大好きだからだそうです。
おお大下君よ、君は「広告寅さん」だったのか!
元祖・車寅次郎が「フーテンの寅さん」で、桑田佳祐が「音楽寅さん」で、内海準二さんが「出版寅さん」で、大下寿夫は「広告寅さん」!
わはははは。「寅さん」がたくさんいて、なんだか愉快じゃありませんか!



大下君の第一営業部は、自治体や日本郵政などを担当しているそうです。
最近の広告業界はなかなか厳しく、大下君は会社の将来を大いに憂いていました。
大下君は、東急エージェンシーの元社長で、わたしの仲人でもある故・前野徹氏の日大の後輩にあたります。
しばし二人で、しみじみと前野元社長の思い出話をしました。
大下君は政治にも関心が深く、石原慎太郎都知事を尊敬しているそうです。
会社や社会を良くしたいという大下君の志は高く、わたしは嬉しくなりました。
なんでも、二人の息子さんには勝海舟坂本龍馬にあやかって、「麟太郎」(海舟の本名)と「龍馬」と名づけたそうです!
いやあ、熱いなあ。いいなあ、こういう熱血漢。
「広告寅さん」の志で、たちあがれ東急エージェンシー



2010年4月16日 一条真也

一条真也の母

一条真也です。

同期の大下君と久々に会いましたが、もう1人、なつかしい方にお会いしました。
東急エージェンシー・コーポレート本部・社長室・広報担当スーパーバイザーの伏見貴子さんです。20年前とほとんど変わっていらっしゃらないので、驚きました。


                  伏見貴子さん


伏見さんは、わたしが入社した当時は出版事業部にいらっしゃって、「出版寅さん」こと内海準二さんと一緒に、わがデビュー作『ハートフルに遊ぶ』を作っていただきました。
長身の内海さんと小柄な伏見さんのお二人に初めてお会いしたとき、わたしは「あっ、チッチとサリーだ!」と思いました。
昔、『小さな恋のものがたり』(みつはしちかこ著)というマンガがあって、その主人公が小さなチッチとのっぽのサリーだったのです。もちろん、東急エージェンシーのチッチとサリーは恋人同士ではありませんでしたけど。(笑)
当時のわたしは、社会に出たばかりで何もわからないばかりか、入社早々に本を出版して社内でもなかなか微妙な立場にありました。
社内には「ルーキーに学べ」などというポスターは貼られるし、そのことを週刊誌などで大々的に紹介されました。当然ながら、わたしは「針のむしろ」というか、新入社員でありながら大きなストレスを抱えていたのです。


                 「週刊朝日」などに紹介されました


伏見さんは、そんなわたしをさりげなく気遣って下さり、やさしく接して下さいました。
内海さんと伏見さんには本当にお世話になりました。
昨日は内海さんも一緒だったのですが、内海さんと伏見さんも久しぶりとのことでした。
お二人は、「一条真也」にとっての父と母のような存在かもしれません。
「兄と姉」というより、「父と母」ですね。
それくらい、新入社員にとって、会社の先輩というのは大人に見えました。



伏見さんは、その後、いろんな部署を回られて、現在はまた出版の仕事に携わっておられます。主にマーケティング関係の本を手がけておられますが、そういえば20年前に『主婦が動き始めた!』というベストセラーを出されています。たしか表紙のイラストレーターが『男3人ギョーカイ物語』と同じ人でした。
お互いに名刺交換したとき、「一緒に仕事ができるといいね」と嬉しい言葉をかけていただきました。本当に、また東急エージェンシーから本が出せて、伏見さんに編集していただけたら幸せです。



伏見さんは4年前にご結婚されたそうです。
なんでも、ご自身の結婚式の話題で、あの「とくダネ!」にも出演されたとか。
伏見さんは、とても幸せそうでした。
その笑顔を見ていると、わたしまで幸せな気分になってきました。
最後に、「今度、会社にも遊びにいらっしゃいよ!」と言って下さいました。
お言葉に甘えて、今度、東急エージェンシーを訪ねてみようと思います。
いま、「無縁社会」の到来が叫ばれています。
その大きな原因としては、「血縁」や「地縁」とともに、「社縁」というものがなくなったことが考えられます。同じ会社で働き、同じ会社の釜の飯を食べたことは、大きな縁です。
「社縁」を大切にすることは、「無縁社会」を乗り越える道のひとつでしょう。



伏見さんや大下君と昔の思い出話をしていたら、広告マン時代を思い出しました。
本棚の奥から『男3人ギョーカイ物語』でも引っ張り出して読もうかな?
そういえば、あのとき一緒に本を出した高義太郎さん、野田保さんの2人は、今頃どうしているのでしょう?


                  広告代理店ちょっといい話


2010年4月16日 一条真也

『澁澤龍彦 映画論集成』

一条真也です。

東京から小倉に戻ってきました。
昨日、『澁澤龍彦 映画論集成』(河出文庫)を読みました。
『書評集成』に続いて、この『映画論集成』も刺激的な内容でした。


               「趣味」と「思想」が溶け合った映画論


わたしは映画論の類が好きです。
たくさん読んできましたが、本書はとにかく面白かったです。
まず、わたしの趣味と完全に一致している。
というより、わたしが澁澤の影響を受けているだけかもしれませんが。(笑)
澁澤は徹底的に自分が興味のある話しかしません。
映画史全体に対する目配りなど一切しないのですが、それでいて映画というメディアの本質を暴き出し、自身の思想をも語ります。
本書の「解説」で、この澁澤に離れ業について評論家の川本三郎氏も次のように書いています。
澁澤龍彦は徹頭徹尾、趣味の人である。自分の好きな世界にしか興味を示さない。ただ好みの小宇宙に入り込む。あまりに徹底しているのでついには趣味が強固な思想になってゆく。『趣味』と『思想』という本来、相容れない二つのものが澁澤龍彦のなかでは自然に無理なく溶け合う。」



冒頭に、いきなり「恐怖映画の誘い」というエッセイが出てきて、わたしを狂喜させてくれます。ブログ「こわい映画を求めて」にも書いたように、わたしは恐怖映画が三度の飯より好きなのです。
澁澤は、恐怖映画を大きく3つのジャンルに類別します。
第1は、心理主義ないしサスペンス・ドラマ。
第2は、グラン・ギニョルないしショック映画。
第3は、怪人ないし怪物映画(SF映画をふくむ)。

そして、澁澤は次のように書いています。
「そもそも出発当時から、映画は物語であり、同時に見世物であったから、幻想映画あるいは恐怖映画と呼ばれる種類のそれもまた、当然、古来の怪談あるいは幻想文学のすべてのモティーフを利用すると同時に、さらにスペクタクルの要素、つまり、多かれ少なかれ血みどろのグラン・ギニョル趣味を利用せざるを得なかった。したがって、もし恐怖映画をモティーフ別の観点からのみ分類するとすれば、それは昔からよく行われてきた怪奇小説の分類法と、ほとんど変わらない結果を示すことになるであろう。」



第1は、ヒッチコックの「サイコ」とか「白い恐怖」などの諸作品、あるいは「何がジェーンに起こったか」や「回転」などが代表的です。
第2は、アンリ・クルーゾーの「悪魔のような女」とジョルジェ・フランジュの「顔のない眼」を筆頭に、「生血を吸う女」「骸骨面」「ギロチンの二人」などの作品ですね。
グラン・ギニョルというのは、19世紀末のパリの浅草みたいなモンマルトルに創立された恐怖芝居の小屋です。日本でいえば因果物めかした鶴屋南北とか、血みどろの無残絵で知られる月岡芳年などのテイストです。
第3の分類に属する怪物映画で主演を演じた俳優たち、すなわち、ロン・チャニー、ボリス・カーロフベラ・ルゴシピーター・ローレクリストファー・リーピーター・カッシングなどの著名な怪奇映画スターたちに澁澤は限りない賞賛を贈ります。
そして、彼らが演じたフランケンシュタイン博士、フランケンシュタインのモンスター、ドラキュラ伯爵、ヴァン・ヘルシング教授、あるいはジキル博士とハイド氏カリガリ博士などの怪人たちへの共感を語ります。
わたしは昨年、『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)を監修しましたが、怪人というテーマには心惹かれるものがあります。


                    前代未聞の怪人カタログ 


さて、『澁澤龍彦 映画論集成』の中でも「ドラキュラはなぜこわい? 恐怖についての試論」というエッセイが特に秀逸です。
冒頭で、いきなり澁澤はこう述べます。
「あえて極言するならば、文化も宗教も、狂気も夢も、すべて人間の不安の投影でしかなく、恐怖による虚無からの創造物だと称することができよう。恐怖こそ、すべての人間の上部構造の原因なのである。」
わたしは、人間が言語の習得とともに抱えてしまった「死の恐怖」こそが宗教も芸術も哲学も生んだのだと日頃から言っていますので、澁澤説には大いに共感しました。
シネマトグラフィー(映画)は、誕生したとき、「第七芸術」と呼ばれました。
その新芸術が、すでに19世紀の文学が捨てて顧みなくなった人類の強迫観念ともいうべき、もろもろの恐怖を蘇生させ、しかも、これに新しい表現形式を与えたわけです。  澁澤は、「スクリーンの上に生きて動き出すようになった吸血鬼も、フランケンシュタインも、狼男も、ゴジラのごとき巨大な怪獣も、すべて非合理的であるがゆえに現実的な、古くてしかも新しい、人類の強迫観念の視覚化にほかならなかった」と断じ、さらには「吸血鬼ドラキュラはなぜこわいのか?」という問いに対して、次のように答えます。
「この答えは簡単である。もっとも本質的な恐怖は死の恐怖だからである。ドラキュラは死んでも死にきれず、夜間、墓地から抜け出してきて、村人たちの血を吸う。死を忌むべきもの、危険なものと見なした古代人にとって、これ以上の恐怖は考えられなかったであろう。」
澁澤が一目置いたフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、「死者は、残されている者にとって危険なのである」と書きました。
さらにバタイユは、「もしも彼らが死者を埋葬しなければならないとすれば、それは死者を保護するためよりも、死の伝染性から彼ら自身が退避するためなのである」と述べています。
澁澤は、このバタイユの言葉を引用して、「このような信仰は、現在でも、わたしたちの潜在意識の奥底に残存しているのではなかろうか」と書いています。
たしかに、葬式が「村八分」の例外とされた原因を「死因が伝染病であった場合、埋葬しないと伝染するから」と見る意見があります。
ちなみに葬式とともに「村八分」の例外とされた火事についても、「消化しないと隣家に燃え移るから」というのが原因だったという見方もあります。
しかしながら、わたしは、やはり「生者の命を救うこと」と「死者を弔うこと」の二つだけは村八分などを超えた不変の「人の道」であったと思っているのですが。
そして、かくも恐怖映画を愛した澁澤にとって、一番こわい映画とは何か。
それは、「吸血鬼ドラキュラ」でも「フランケンシュタイン」でも「エクソシスト」でもなく、中川信夫監督の「東海道四谷怪談」でした。
こういうところも、澁澤龍彦がなかなか油断できない人物であることを示していますね。 




さらに澁澤は、映画を通じて、いろいろなことを縦横無尽に語ります。
たとえば、大島渚の「絞死刑」について、「申すまでもあるまいと思うが、私は死刑反対論者である。その理由は、一言をもってすれば、理想主義的倫理はすべて幻想であると信じているからである」と述べています。なるほど。
そして、ウィリアム・ワイラーの「コレクター」の試写会では、こんなことを言っています。
「試写会を見終わって、暗い夜道を歩きながら、わたしの友人がこんなことを言った。『車とクロロフォルムさえあれば、簡単に女の子が手に入れられる。そんなことは、僕だって、昔から考えていたことだよ』と。わたしもそれに答えて、『僕だって、何べん考えたか知れやしないよ』と言った。」
いやあ、危険な匂いをプンプンさせた素晴らしすぎる発言ですよね。
さすがはエロティシズムの伝道師です!


最後に興味深かったのは、「E・Tは人間そのもの」というエッセイの中で、「E.T.」の作中、主人公の少年が理科の授業中に解剖用のカエルを片っぱしから逃がしてやるシーンについて触れ、澁澤が次のように述べている部分です。
「みなさん御記憶のことと思うが、九州の漁民がイルカを虐殺するのはけしからんといって、アメリカから船を仕立ててやってきて、イルカを逃がすために、漁民の張った網をやぶろうとした連中があった。イルカはかわいい動物だと頭からきめこんでいるので、イルカを捕える人間は鬼みたいに見えるのであろう。むろんスピルバーグ監督には、このエコロジストのような単細胞なところはあるまいが、動物愛護はえてして手前勝手な意識を生み出しがちだということを指摘しておきたい。」


これで思い浮かぶのは、和歌山県太地町のイルカ漁を告発した米映画「ザ・コーヴ」(ルイ・シホヨス監督)が第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したことです。
澁澤が上記の文章を書いたのは、「E.T.」の公開直後ですから、おそらく1982年だと思われます。
今から28年も前に、イルカ愛護の偽善を見抜いていたわけですね。
それにしても、死刑制度には反対し、女の子の拉致を妄想し、イルカを救おうとするエコロジストを「単細胞」と呼ぶ。もう、こわい者なしですね!
こんなに澁澤の「思想」がストレートに伝わってくる本も珍しいのではないでしょうか。
その人の考え方は、そのまま思想を語るよりも、映画という窓を通すことによって、より鮮明に示されるのかもしれません。
なんだか、いろんな映画論が読んでみたくなりました。



                  わが書斎の映画書コーナー



2010年4月16日 一条真也

『ぼくの映画をみる尺度』

一条真也です。
澁澤龍彦 映画論集成』を読んだら、どうしても今度は三島由紀夫の映画論が読みたくなりました。「澁澤はこう言った、では三島はどうか」というのが、わたしの思考回路に組み込まれているのかもしれません。
そこで、三島由紀夫著『ぼくの映画をみる尺度』(潮出版社)を再読しました。


                  わが青春の映画ガイドブック


この中の「忘我」というエッセイが好きで、もう数えきれないぐらい読みました。
次のような出だしで始まります。
「どうしても心の憂悶の晴れぬときは、むかしから酒にたよらずに映画を見るたちの私は、自分の周囲の現実をしばしが間、完全に除去してくれるという作用を、映画のもっとも大きな作用と考えてきた。大スクリーンで立体音響なら申し分がないがそれは形式上のこと、それで退屈な映画では何にもならぬ。テレビとちがってわれわれを闇の中に置き、一定時間否応なしに第二の現実へ引きずり込む映画であれば、沢山の約束事の黙認の上に成立つ演劇などは、どんな文学的傑作でも、その足許にも寄ることはできぬ。これを一概に『娯楽』という名で呼ぶのは当を得ていない。私の映画に求めているのは『忘我』であって、娯楽という名で括られるのは不本意である。私はただの一度も、映画で『目ざめさせて』もらった経験もなく、また目ざめさせてもらうために、映画館の闇の中へ入ってゆくという、ばからしい欲求を持ったこともないのである。」

三島に限らず、映画について書かれたあらゆる文章の中で一番好きなものです。
そう、映画とは「娯楽」でなくて、「忘我」。
三島と違って、憂悶の晴れぬときはもちろん、別に憂悶に縁のないときでも酒をよく飲むわたしでさえ、映画で周囲の現実を完全に除去される至福を何度も味わってきました。
三島はまた、本書の巻頭にある「ぼくの映画をみる尺度〜シネマスコープと演劇」というエッセイで、「私がいい映画だと思うのは、首尾一貫した映画である。当り前のことである。しかしこれがなかなかない。各部分が均質で、主題がよく納得され、均整美をもち、その上、力と風格が加われば申し分がない。それは映画以外の芸術作品に対する要請と同じものである。」

それでは、三島のいう「忘我」を与えてくれる映画とは、そして「首尾一貫した」いい映画とは、どういう映画か。
三島由紀夫は、具体的な映画のタイトルでその問いに答えます。
それは、まず、「裏窓」などの一連のヒッチコックの映画であり、「天上桟敷の人々」や「エデンの東」や「マーティ」などです。
一方、三島が「いい映画」ではない、あるいは「いい映画」になりそこねた作品と見たのは、「足ながおじさん」であり、「青銅の基督」であり、「恐怖の報酬」や「重役室」などでした。


本書で三島が取り上げる映画は、基本的に彼が認める「いい映画」です。
たとえば、ヴィヴィアン・リー主演の「シーザーとクレオパトラ」、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演の「女相続人」、オードリー・ヘップバーン主演の「麗しのサブリナ」、マリリン・モンロー主演の「紳士は金髪がお好き」、デボラ・カー主演の「情事の終わり」など。
こうやってみると、三島由紀夫は美人女優が好きだったようですね。
特に三島が絶賛している映画は、ジャン・コクトーの「双頭の鷲」、ヴィスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」、それにクロード・オータン=ララの「肉体の悪魔」やマルセル・カミュの「黒いオルフェ」などの名前があがっています。これらの作品の内容は、三島文学にも通じるものが大いにあると思います。
わたしは学生時代に本書を読んだのですが、レンタルビデオ・ショップが流行しはじめたこともあり、本書をガイドブックとして、三島おススメの映画をビデオで片っ端から観た思い出があります。
三島おススメの映画はどれも面白く、わたしは敬愛する三島と自分の好みが一致していることを心から喜んだものでした。


なお、さらなる三島の映画についての考えを知りたい方には、『三島由紀夫 映画論集成』平岡威一郎&藤井浩明監修、山内由紀人編(ワイズ出版)があります。
こちらは、三島の映画について書いたすべての文章に加えて、インタビューや対談の類まで、映画についての全発言を網羅したものです。
全部で696ページもある大冊で、価格も5700円と高めですが、やはり三島ファンには必携の書でしょう。


              映画論が照射する、もうひとりの三島由紀夫



2010年4月16日 一条真也