ブライトノア・クロニクル(上)

254 名前:ブライト1/5 投稿日:03/12/26 16:08 ID:???
1 『   ブライトノア・クロニクル(上)  』  ブライト・ノア


第一章  MSピープル

1 デッキ
ガンダムが作り始められたのは僕が地球に第13独立艦艇部隊として地球に降下する最中のことだったと思う。
正確に言うと105年の4月25日のことである。

ガンダムを作り始めたのは僕が便宜的にMSピープル(モビルスーツピープル)と呼んでいる小さな人間たちだった。
どれくらい小さいかというと、一番背の高い男で僕の腰くらいの高さしかなく、まるで、精巧な人間のミニチュアのようであった。
彼らは僕が乗っていた旗艦ムーンクライシスのドッグの隅の一角を占拠して、黙々とガンダムをつくっていた。
誰にもそれを事前にことわることなく、だ。そう、彼らは許可を求めることはしない。ただ作り始めるのだ。
まるで夜中にこっそりきて朝には巣をしあげているクモのようにひっそりと淡々と彼らは突然に作業を始めるのだ。
そんな彼らをドッグにいるクルーは誰もそれをとがめることは無い。どうしてなのかは、僕にはわからない。
あるいは、これは普通考えられないことだが、彼らにはアナハイムがみえていないのかもしれない。
視野に入っていないのだ。
そうでも考えないと、いつも厳しくあたりを監視している鬼のようなチーフクルーが何もいわないわけはないからだ。
僕は最初そのような仮説を立てて自分を納得させていた。彼らは僕にしかみえないのだ、と。
だが、その仮説はドックで作業中のクルーの一人が彼らにぶつかったことで崩壊してしまった。クルーは彼に謝ることなくそのままいってしまった。
彼らはそこに存在しているのだ。そしてクルーはそれを当然のように思っている。まるで電柱かなにか、記号のように扱っているのだ。
僕はその光景に混乱することになったが、考えても仕方がないので、それ以上仮説をつくることはあきらめた。

とにかく、好むと好まざるとに関わらず、彼らは存在して、ガンダムを作りつづけているのだ。それでいいじゃないか、と僕は思った。
そして、僕は地球に降下したとしてもまだすることはとくになかったので、暇があると彼らの様子をみにいっていた。



彼ら、MSピープルは常に三人で行動していた。顔は全員全く同じだ。ただ、額に番号のようなあざが掘られているので区別できた。。
丸く光沢のある材質の合金を一番が器用に小さく分断し、二番がそれを査定し接着剤をくっつけ、三番が組み立てていった。
まるで子供がつくるプラモデルのような単純な工程で彼らは作っていた。ただ彼らの顔は真剣そのもので、ぴくりとも笑うことは無かった。
私語も何も無い。金属がこすれあう音や、切断するときに出る音だけが彼らが奏でる音の全てだった。
僕は、ビールをのみながら、その作業をキャビンから観察していた。別にビールを飲みたいわけじゃなかったが、
どうせ地球に着くにはあと二日はかかるので、僕はビールを飲むくらいしかすることがなかったのだ。
MSピープルは現在、足の部分を組み立てている。動作は正確で迷いがなかった。


「艦長、お電話です」
そのとき、クルーの一人が僕に声をかけた。時計をみる、いつもの時間だ。
その場を離れ、通路脇にある電話を受け取った。
「もしもし」
「ブライト?あたし。どう?そっちの様子は」
やはりミライだった。


255 名前:ブライト 2/5 投稿日:03/12/26 16:15 ID:???
彼女が電話を毎日同じ時間にするようになったのはシャアの反乱以後のことだ。
彼女はあれ以来やけに神経質になった。ひどく心配性になった。これは、アムロの死が影響しているのかもしれない。
不安なのだと思う。色々な意味で。彼女は年をとったのかもしれない。年をとるということと保守的になるということは切り離せないのだ。
僕は彼女と話す。

「あぁ、明後日には地球に降下する予定だよ。色々準備があってね。テロ対策の機体が必要らしくて。ん、ハサウェイ?
あぁ、わかってるよ。それじゃあ、明日にでも連絡をとってみるよ。必ず。一応、メールは既に送っておいたけどね。
ところで、そっちは変わったことはない?
そう。それならいいけど。あ、それとレストランの設計図が届いたら、こっちに伝送してもらえるかな。確認しておきたいんだ。
うん、それじゃあ、また明日。この時間に連絡もらえるかな。チェーミンによろしく」
僕は受話器をおき、取り次いだクルーに礼をいうと、またビールを飲んだ。宇宙で飲むビールもロンデニオンで飲むビールも味はかわらない。
ただ、胃の中に入っていくスピードが違う。それに、やはりパックにはいったビールは味気ない。
パックをダストシュートに投げ込みながら、ハサウェイに連絡をとらなくちゃな、と僕は思った。

そのころMSピープルは、両足を完成させようとしていた。僕はまたそれを眺める。
彼らは熱心で、それ以外のことには興味がないように思える。MSを作ることが彼らが存在しているテーマであり、レーゾンデートルである。
まるで哲学的とでもいうべきその作業を僕はただ感嘆してみていた。
もっともどんなものにも哲学は存在する。靴下にさえ、明確な哲学というものがあるのだ。



少し話を戻そう。
僕が地球に降下することになったのはここ数年、活動が活発化しているマフティーと名乗るテロリスト集団の撲滅のためだった。
彼らは103年には地球連邦の監視人工衛星を破壊するなどし、さらにここ最近は政府要人を無差別テロにより暗殺していた。
その無差別テロというやり方にも関わらず彼らが大衆の支持を強く得ているのは、やはり連邦への不満というのはかなりのものなの
だろうと僕は思う。かといって首謀者とされるマフティー・ナビーユ・エリンという人物がシャアやアムロだと決め付けてしまう大衆に
僕がうんざりしていたのも事実だった。やれやれ、どうして、いつまでも彼らを自由にしてあげないんだ?
自分たちのことを彼らがいつもしてくれるのだとでも思っているのだろうか?僕は、それがとても憂鬱に思えた。
大衆はヒーローの登場を待つだけだ。彼ら自身がしなければならないという意識は無い。
それがいいかわるいかはともかくとして、僕はシャア、アムロという言葉が出るたびにうんざりしていた。

今年の二月ごろの話だけど。カイがロンデニオンにいた僕を訪ねてきて、同じことを聞いてきたことがあった。
そのとき、僕はカイでさえ、そんなことを考えているという事実にやや愕然としたものだった。
僕が否定すると、カイはやっぱりね、という顔をして、「これも仕事なんだ」と、肩をすくめていった。
そして、同時に、僕に対する監視も強くなっていることを彼は教えてくれた。電話は盗聴されていたし、外出のさいに監視がついていた。
もしもマフティーアムロならば僕に連絡がいくかもしれないと考えているからだろう。結局のところ、僕は信用されてないのだ。
「艦長、連邦という組織は心底腐りきっている。端から見るとその悪臭はよくわかる」
カイが僕にそういった。僕もそう思う。


256 名前:ブライト 3/5 投稿日:03/12/26 16:23 ID:???
2  モビルスーツ


翌日、僕はミライの電話を待つ間、なんとなく彼らの間近に近寄ってみることにした。どうしてそう思ったのかはよくわからない。
ただあれだけ熱心につくっているのをもっとまじまじとみてみたいと思ったからかもしれない。
僕はキャビンをエレベーターを使って降りて、ドックにいくと、彼らの後ろにそっと立ち、ガンダムを眺めた。
ガンダムは既に90パーセント程度完成しているようだった。彼らは夜も寝ることがなく、ひたすら作り続けていたのだ。
ただ、ひとつ問題があるとすればそれがガンダムには全くみえないという点だった。その大きな原因としてあまりにゴテゴテしている点があげられた。
ガンダムのデザインは基本的にMK−?のようにシンプルであるべきだと僕は思うからだ。
それにコクピットの部分が小さすぎた。彼らなら入れるかもしれないが、普通のパイロットはそこに入ることはできないだろう。
ただそんなことは関係ないように、彼らはおそらくどこのクルーよりも熱心に作っていた。
スパナを使いボルトを締め、隙間に接着剤を流し込み、表面にヤスリをかけて光沢を出していた。
みたこともない道具を使い、計数をはかり、それの結果を小さなメモ帳に熱心に書いていた。字は僕の理解できる文字ではなかった。
僕が後ろからそれをのぞきこんでいると、額に三と彫ったアナハイムがきて話し掛けてきた。僕は彼らがしゃべるのを初めて聞いた。

「もうすぐガンダムができるよ」


その声はまるで抑揚がなかった。平坦でふくらみが無い。まるでスプーンの裏を舐めた味のような声色だった。
「とてもガンダムにはみえないな」と、僕は言った。「こんな変なガンダムみたことがない」
声をだしてみると僕の声もまるでヘルメットのバイザー越しのように遠く聞こえた。
アナハイムの彼は首をかるく傾げて、
「きっと色をまだ塗ってないからだよ。明日には、これに塗装をするからきっとガンダムにみえる」と、言った。
「色の問題じゃない。形状が問題なんだ」
このモビルスーツにはガンダムである要素がほとんどかけている。
街中でこれの写真をとり、ガンダムにみえるかどうかアンケートをとってみても誰もいわないだろう。
少なくともこんなごたごたと余分なものが飾り付けられているモビルスーツガンダムとは僕は思えなかった。
首が二つあるようなこんな機体は第一、モビルアーマーというべきものにみえた。


「これがガンダムでないとすると、いったいなんなんだい?」とMSピープルはいった。
「なんだろう」と僕は言った。これはガンダムじゃないとすると一体なんなんだ?僕には何も思いつかなかった。
ガンダムじゃないとするとこれは一体なんなのだ?そもそもガンダムとはなんなんだろう。

反骨精神の具現?まさか。


257 名前:ブライト 4/5 投稿日:03/12/26 16:26 ID:???
「ね、ガンダムでしょう?」と、やさしい声で彼は言った。僕はやむなくうなずいた。
別にどうだっていいことだ。これが、ガンダムだろうとゲルググだろうと、いったいそれがなんだっていうんだ?
どちらだってかまいやしない。好きなようにつくればいい。それにしてもミライはまだ電話をくれない。
僕は、視界のすみに電話をとどめておきながら、彼らの作業を観察した。

MSピープル達は僕のことなど眼中にないようで、決められた作業を続けていた。
彼らの頭の中には既に完成図が浮かんでいるようで、相談もなにもすることなくそれぞれが定められた仕事をてきぱきとこなしていた。
金槌を振り下ろし金属のプレートを延ばす、乾いた高い音が断続的に響いた。
そのおとを聞きながら、僕はまた時計に目を落とした。もう約束の時間はとっくに過ぎている。

「ミライはもう貴方に電話をかけてこないよ」と突然、もう一人のMSピープルが言った。
僕はそれが最初理解できなかった。その言葉が自分にかけられたものだと理解するのにしばらく時間がかかった。
耳がおかしくなったのかと思った。だが、彼はもう金槌を床において、こちらを空洞のような目で見ていた。
「ミライはもう君に電話をしない。もう彼女にあうことも二度とない」
三と彫られたアナハイムも僕にそういった。僕は彼を振り返る。
「どうしてだ?」
それはまるでオブラートに何十にも包まれたように、遠く、薄く掠れて聞こえた。
「どうして、ってもう駄目だからだよ」
彼はそこで一旦言葉を切った。


「君が電話しなかったからもう駄目なんだ」



電話しなかったからもう駄目なんだ。僕はその言葉を口のなかで反復してみた。
全く理解できない。電話?誰にだ?ハサウェイにか?僕がハサウェイに電話しなかったからミライが僕にもう会うことはない・・?
そういうことなのだろうか。その相関関係が僕にはさっぱり理解できなかった。展開が飛躍しすぎている。
だけど、彼の口調からしてそれがなんの脈絡もない嘘だとは思えなかった。そういえば確かに僕はハサウェイに電話をするのを忘れていたのだ。
僕は彼が言葉を補足してくれることを期待したが、彼はもうこちらに興味をなくしたように、作業に戻っていた。
僕はアナハイムのそばを通り抜けて、壁に設置されてある電話を取ると、内線を呼び出した。
でてきたクルーにハサウェイのいる植物監査官の自宅の電話番号を調べてもらい、礼をいってから受話器を置く。
そして、今度はそのアドレスに電話をする。が、呼び出し音が続くだけで誰も電話に出なかった


258 名前:ブライト 5/5 投稿日:03/12/26 16:29 ID:???

3   ミライ・ノア


20回呼び出しがなった後で、僕はあきらめて受話器を置いた。ハサウェイは自宅にいないようだった。
ビールが無性に飲みたかったが、あいにく僕はもっていなかった。だから、代わりに僕はポケットにあったガムを口に入れた。
少し考えた後に、受話器を再び持ち上げて、今度はミライにかけてみた。ロンデニオンにある僕の自宅だ。
だけど、それはハサウェイの時とおなじく呼び出し音がずっとうつろに響くだけだった。プルルルルプルルルル。虚しく響くだけだ。
僕は自分の家に、電話が鳴り響いている光景を想像して、どこかやるせなくなった。
誰も僕の呼びかけを必要としていない気がしたからだ。僕は、どこか宇宙のそこから一人で虚しく呼びかけているようだった。
そして僕の呼びかけは、誰にも届かないからだ。
おなじく二十回ほど鳴らしたあとで、諦めて受話器を置いた。

僕はため息をつくと、ガンダムを振りかえった。

ガンダムはほぼ完成していた。
だが、この全長4メートル足らずの極端に小さなガンダムにはいくつもの矛盾が内在していた。
もしあのガンダムがーーガンダムだと仮定すればだがーー起動するのならばエンジンはなんなんだ?
推進力はなんだ?ランドセルを背負うのか?それにコードらしきものは何もないじゃないか。武装はなんなんだ?
戦闘に使えるようにはまったく思えないし、接着剤でくっつけた装甲はすぐに剥がれそうな気がした。

僕は時計をみた。そろそろブリッジに戻り地球降下の準備をしなければならない。
ミライはきっと、なにか用事があって電話をかけられないだけなのだ。ロンデニオンは今、昼間なのだろうか?よくわからなかった。
そしてミライの用事というのも何も思い浮かばなかった。彼女が僕との会話を棄ててまで一体何を優先するというのだ?
彼らはミライがもう僕に二度と会わないといった。僕はそのことについてかんがえることにした。
確かに僕らは問題がまったくない夫婦ではなかった。ひとなみの問題くらいは当然抱えていた。
僕らは長い間地球と宇宙に別れて住んでいたし、その間に些細な問題が起きたこともあった。子供の教育のこともあった。
オーケー、認めよう。僕らは確かに問題のある夫婦だった。だがそれがなんだというんだ?
この年まで長年いたら問題のひとつや二つないほうがおかしいのではないか?
だが、そういった問題も僕らはなんとか乗り越えていままでやってきたのだし、いまさら、電話一本の問題で僕らが
終わりになるとはどうも思えなかった。物事はしかるべきの時の経過を経て、しかるべき場所に収まるはずだったのだ。
僕は無意識のうちに、爪を噛んだ。
ハサウェイ?それが何かの重要なポイントなのか?わからなかった。

MSピープルの作業を僕は見つづけた。
彼らの自信に満ち溢れた、確信を持った作業をみていると、彼らは自分が100パーセント正しいと考えていることがわかった。
そして、時折こちらをみては、その空洞のような目で僕を覗き込んだ。そこには、同情のようなものが混じっているような気がした。


そうかもしれないな、とその目で見られているうちに僕は考えはじめた。ミライは本当に戻ってこないかもしれない。
僕がハサウェイに電話しなかったせいで。ロンデニオンにある僕の家にはおそらく彼女とチェーミンはいないのだ。
彼女たちは恐らくもう僕が二度と届かない場所にまでいってしまったのかもしれない。今ごろ、木星への連絡船の中かもしれない。
月への定期便の中かもしれない。たいした違いは無い。どちらにしろロンデニオンの彼女達はいないのだ。
僕らは本当は取り返しのつかない地点までいっていたのかもしれない。何もわかっていなかったのは、僕なのだ。
おそらく電話とはその理由の一つなのだ。

259 名前:ブライト 6/5 投稿日:03/12/26 16:39 ID:???

彼らは正しいのだ。そう思って彼らが作っているモビルスーツをみると、これは紛れもないガンダムのような気がし始めた。
今まで僕が知っているのとは別の、別の次元のガンダム。新しいガンダム
もう僕が慣れ親しんでいたガンダムというのは、遠い昔のものなのかもしれない。僕だけが置いて行かれているのだ。
アムロにも、ミライにも、ガンダムにさえも。


「仕方ないよ。君がハサウェイに連絡をとらなかったせいなんだから」と、MSピープルは慰めるようにいった。
僕は時計をみた。そろそろブリッジに戻って地球降下の指示をしなければ行けない時間だった。僕はため息をつく。
肺の中の空気を全て搾り出してしまうと、なんとなく気が楽になった。とにかく今できることは、なにもないのだ。

「そろそろいったほうがいいよ」と。MSピープルがいった。「ここにいてもどうにもならない」
実に現実的な言葉だった。確かにその通りである。僕は動かなければならない。好むと好まざると関わらず。
「最後にひとつだけいいかな?」と、僕はいった。
「なに?」
「このガンダム、名前はなんていうのかな?」
僕が尋ねると、彼は自分の額を黙って指差した。 そこには≡とかかれた文字がある。
「さん?サンガンダム?」と、 僕は尋ねた。だが、彼はそれに首をゆっくりと振った。
「・・イー」
「え?」
僕は聞き返す。


「クスイーだよ。クスイーガンダムっていうんだ」
「ありがとう」
僕は礼をいって、その場を離れた。そして、それきり二度とMSピープルをみることはなかった。


だけど、地球に降りた僕はこの機体をもう一度みることになる。別の場所で、別の理由で。
(中編へ続く)


アオリ  「  地球に降下した彼に待ち受けていたのはケネス准将であった。そこで彼がみた世界は何か?ミライはどこへ?
           謎を残したまま、過酷な現実はブライトの運命をもてあそぶ。緊迫の中編は第九号に続く!君はこの現実に耐えられるか?」

315 名前:ブライトおまけ 投稿日:04/01/14 03:30 ID:???
  『  ブライトノア・クロノクル(中) 』
1章  ポストウォー アデレート

アデレート空港の被害は僕が想像したよりもずっとひどかった。
いたるところにミサイルの爆撃の跡と推測される巨大なクレーターができていたし、更にモビルスーツの核爆発跡らしき空洞が地面に
ぼっかりと深淵の穴を穿っていた。空港のビルは粉々に砕け瓦礫の山と化していて、もはやその機能を果たすことは不可能のように思われた。
森らしき所はもはや赤茶色の土壌を隠すことはしていなかったし、また、もはや隠す必要も無かった。
その中で、比較的被害の少なかった南部一帯に僕はいた。
空港の南はじの所には、マフティー・ナビーユ・エリンの機体である≡ガンダムが鎮座されていたからだ。
その機体は、ラーカイラムのなかでみたMSピープルが作っていたガンダム其れ自体にみえた。もっともサイズが極端に違うことを除けば、だ。
カニックの話ではどこで製造されたのかはわからない、ということだったが、僕からみればアナハイム・エレクトロニクス社の製品だとは
容易に推測できた。勿論、連邦の上層部でもそのことはわかっている筈だ。だが、それをいわないのがまた、大人の世界というものなのだ。
少なくともMSピープルが作ったものではない。その事実が僕を安心させた。
僕は手を伸ばして装甲に触れる。全体的にうっすらと焼け爛れているのは、新しく開発されたビームシールドによるものだと聞いた。
新しい技術がどんどんと出てくるのは、歓迎すべきことなのかもしれない。だが、結局のところ、それは人を殺すためのものにしか過ぎないのだ。

僕はコクピットに入る。
最新型リニア式の3重装甲で覆われたコクピットの中は、実現ディスプレーの面にヒビがはいっているのを除けば、すぐに使えそうだった。
シートに座り正面をむくと、開かれたハッチからガンダムが墜落したときの衝撃波で、なぎ倒されたままの森林がみえる。ひどい有様だ。
僕はそのままの態勢で目を瞑る。ここにいたパイロットがどんなことを思って乗っていたのかを考える。

”全ての人々が宇宙に出なければ、地球は本当に浄化されることはありません。現在、宇宙は人類にとって平等な空間なのです。
問題は、新しい差別を発生させて、連邦に従うもののみが、正義であるという一方的なインテリジェンスなのです”

こちらに到着したときに読ませてもらったマフティーの発言をまとめた書類に書いてあった内容の一部だ。
彼の思想はシャア・アズナブルの影響を多分にうけている。彼の反乱の失敗をうけて更に急進的に尖らせたようなものだ。
マフティー・ナビーユ・エリン。真実、正当な、預言者の王。そのネーミングは自惚れというより、極めて自嘲的なように思える。
僕は彼のなかにシャア・アズナブルの幻影をみることができる。マフティーニュータイプなのだろうか?
仮にそうだとすると、ニュータイプという名の新人類はやはり、大衆主義に敗北する運命なのかもしれない。

僕はシートに座る。座席は、とても硬質で、お世辞にもやすらぐことなどできそうにない。
そのことは僕にとって意外なことに思える。これでは高揚したパイロットの精神を落ち着かせることなどできないのではないだろうか?
居心地の悪いものを感じて、僕は一旦コクピットのなかで立ち上がり、もう一度深く座りなおす。
だが、シートは相変わらず硬く、生理的にもあまり好ましいとは思えなかった。不愉快といっていい。
僕はモビルスーツコクピットに乗るという機会はほぼないといっていいが、それでもこの硬さはあまりに旧時代的だと思わざるを得なかった。
これは初期、つまりアムロがRX78に乗っていた時のシートのようで、近代工学の粋を集めたと思われる≡ガンダムが、シーツの部分だけに
手抜かりをしていると考えるのはどうも納得がいかなかった。わざわざ、このようなタイプのシートを選んだとしか考えられない。
なぜだろう?
僕は、暫くこのことについて考えたが、思いついた答えはこういうものだった。
つまり、どんな崇高な理想を唱えているといえども、無差別殺人的なテロリズムをしている自分が、軟らかいシートに座って、
ぬくぬくと人殺しをすることをマフティーは好まなかった。自分を律するために、あえてこのシートに乗っていたというのはどうだろう?
こう考えることで、少しだけマフティー・ナビーユ・エリンというテロリストのことが理解できる気がした。
彼はピュアなのだ。たとえ、それが極めて陳腐な感傷的行為にすぎなくても、そういった感情を捨てきらない男というのが僕は好きだった。

316 名前:ブライトおまけ 投稿日:04/01/14 03:43 ID:???

「艦長、そろそろ戻りませんと・・・早朝には、マフティーの処刑もありますし」
副艦長のシーゲンが、コクピットを覗きこむようにして、そういったので、僕は立ち上がった。
少し眩暈がした。

ガンダムから降りて、車に乗るときに、僕はもう一度振りかえり、壊れたガンダムの姿を網膜にやきつける。
僕はこれまでガンダムという機体に乗ったことは無いが、それにもかかわらずガンダムという機体にもっとも関係を持った男だとおもう。
そういう意味では僕は、除隊の前にこうして壊れたガンダムをみるのはキリがいいといえるような気もした。
僕はガンダムというフォークロワ(民間伝承)の始まりと終わりを見届けたのだ。おそらく。
ガンダムという一つのフォークロワはこれで終わることになる。そして、おそらくニュータイプという名のフォークロワも同時に終わる。
「それにしても、不穏分子がガンダムという名称の機体に乗るなんて許せないでしょう?」と、ハンドルを握ったシーゲンがいった。
「そうでもない。おおかれすくなかれ、ガンダムパイロットには反骨の精神があったのさ」
と、助手席の僕は応える。「・・・たとえ、機体がなくなったあともね。それに、ガンダムの最後はいつもあんな感じさ」
「そうなんですか?」 
「そうさ。ばらばらになったり、首がなかったり、機体が焼かれたり・・・総体的に不幸なんだよ」
答えながら僕は振り向く。アデレートの絵に描いたように鮮やかな夕焼けが、ガンダムを赤く染め上げ、ゆっくりと飲み込もうとしていた。


2章  処刑 と 少女


軍用ワゴンから降りた僕が最初に目にしたのは処刑が行われるにしては豪華すぎる屋敷ではなく、
屋敷の前でこちらをみている、その少女ーーといっても17,8くらいだろうがーーだった。

少女の顔は美しかった。色が白く、長い金髪がよく似合っていた。きっと、僕がもう20歳わかければ恋をしていたに違いない。
こちらをじっと見つめるその瞳はくるっと見開かれている。薄紅色した唇が小刻みに震えているのがわかった。
寒いからではなく、その震えは精神的な面のようにおもえた。彼女は僕をみて、ひどく動揺しているように思える。
僕は少し彼女の態度と容姿に興味を持ったが、護衛していた兵士がこちらにきて大仰に敬礼したので、そちらに目をやった。
「准将は、屋敷で、お待ちであります」
「ン・・・」
と、僕は敬礼をすると、屋敷に向けてゆっくりと歩いた。軍が民間用に接収した屋敷であると聞いていたが、ひどく立派なものだった。
財閥が所有しているものかもしれない。振りかえると、まだあの少女がこちらをみている。まだ震えている。
「あの少女は?」と、僕は護衛の兵に聞いたが、彼は首を振って何も答えなかった。このあたりに民間人が近寄れるわけがないということを
考えると、誰かの愛人か妾だろうということは容易に推察できた。政府の高官連中・・・、ひょっとしたらケネス准将の愛人かもしれない。
だとしたらうらやましいことだな、と僕は思った。そして、ミライのことを思った。彼女はどこにいってしまったのだろう?
やれやれ、僕は何をしているのだろう?決まっている。マフティー・ナビーユ・エリンの処刑に立ち会おうとしているのだ。

僕は屋敷に直接向かわず、処刑が行われる裏庭にいってみることにした。
庭は、左右に、つたのからんだ古めかしいレンガの塀に囲まれていて、真正面には、夜明けの光に、時折反射するアレキサンドリア湖が見えた。
中央に、一本の柱が立てられていた。マフティー・ナビーユ・エリンをつなぐための柱だろう。
十数名の緊張した面持ちの新兵達が拳銃を手にし、休めの姿勢のまま立っていた。黒い服に身を包んだ牧師もいたが、
マフティーはきっと祝福を拒否するのではないかな、と僕は思った。彼が噂どうりの男なら、少なくとも人生の最後に直面して、
神にすがるような男とは思えないからだ。すくなくとも、僕なら祈らない。

”テロは、あらゆるケースであろうと、許されるものではないからです”
彼はアデレートを侵攻する直前にこう述べた。僕もそうおもう。だけど、この銃殺もまた軍事裁判という正当な手続きを踏んでいない以上、
連邦政府による私刑である。そして、私刑もテロと同じようにまた、あらゆるケースで許されない。
もっとも、こういった処刑が政治にはつきものといえばそうなんだけど。屋敷に戻りながら、僕は思った。

317 名前:ブライトおまけ 投稿日:04/01/14 03:55 ID:???

3章  閃光のハサウェイ


通された応接間で、眠気覚ましに熱いコーヒーを飲んでいるとケネス准将がやってきたので、僕は立ちあがって敬礼をした。
「ブライト大佐。それではいまからマフティー・ナビーユ・エリンの処刑を、地球連邦政府、ケネス准将の名において執行します」
ケネス准将の顔はこころなしかやつれてみえる。まるで処刑されるのはマフティーではなくて彼みたいだ。
そのことを彼に言うと、苦笑しながら「最近、寝てなくてね」といった。僕は、大変ですね、と同情する。
僕は彼がマフティーにたいして友情のようなものを感じていることを知っている。
マフティーを絞首刑にすべきだという声が、政府首脳にあり、それを阻止し、銃殺という軍人的な名誉を与えるように進言したのが、
彼だということも聞いている。そのことを不思議に思い、マフティーとケネスはつうじていたのではないか、といったようなくだらない
推察をしたものがいることもしっている。だけど、それは実にばかげたことだ。
シャアとアムロの例をあげるまでもなく、戦争という特殊な状況下では敵対する人と人は極めて特殊な関係を築くことがあるのだ。
そして、そういうものがなければ僕らの存在はあまりにも無意味にすぎる。人は兵器ではないのだ。
「それでは、立ち会いましょう」
と僕がいうと、ケネス准将は首を横に振った。
「これは、私の仕事です。どうぞ終わるまでここにいてください。わざわざ処刑をみることはありません」
「しかし、それでは・・」
「いや、いいのです。是非、そうしてください。こんな仕事に准将と大佐の二人が揃って顔を出すまでもないのですから」
「そうですか?そこまでおっしゃられるのならば、そうします」
「ええ、是非そうなさっていてください」と、彼はどこかほっとしたようにいった。「こんなこと、私だけで充分です」
それでは、と去っていく後姿を見送った後、ソファに沈みこみ、コーヒーを啜った。やけに苦かった。
僕は最近、コーヒーはミルクを入れて飲むことにしているのだ。ミライがそうやって飲んでいたのを真似しただけだけど。

銃声が聞こえたのは、それから五分程した後のことだった。
それを合図に、僕は立ちあがると窓際に近寄った。先程と同じ、強張った顔のままの兵士達が柩を運んでいくところが目に入った。
中には勿論、マフティーが入っているのだろうと僕は漠然と思った。彼らの歩く先には一台の軍用ワゴンが待っていた。
僕がそちらに気を取られているとケネス准将が戻ってきた。右手には、鞭を持っている。
「ご苦労でした」と、僕は声をかける。「マフティーの様子はどうでしたか?」
「あぁ・・・いさぎよい。堂々としていましたよ・・本当に」と、彼は言った。
「彼の遺体は?」
「火葬場行きです」と、彼はいって、鞭を放り投げ、ふぅ、っと溜息をついた。
僕と彼は屋敷を出て、道路に止めてある車のところまで二人で歩いた。周りをみまわしたけど、もう朝方見た少女はいなかった。
「大佐もアデレートの任務が終われば除隊でしょう?どうなさるのです?」と、車に乗りこみながらケネス准将がいった。
「サイド1のロンデニオンで、妻とレストランをやろうと思ってます」
と、僕は答えながら、それはもう無理だろうな、と思った。彼女はもういないのだ。
引継ぎの打ち合わせの時間を確認し、ケネス准将の車の後ろに止めてあるワゴンに乗りこむと、僕は大きくため息をついた。
なんだかよくわからないけど、気分が悪かった。むかむかと身体の底から吐き気のようなものがこみあげてきた。
外気をいれれば、少しは気持ちがよくなるかもしれないと思ったので、僕はウインドウを下ろした。
太陽はもうすっかり昇っていて、アレクサンドリア湖は、その身体一杯に太陽を浴びて気持ちよさそうにたゆたっていた。
その風景をみると、つい十分前にそこで死んだものなどがいることなど、僕には信じられなかった。
(以下、4章以降割愛)


コメント 「 マフティーの正体を知った後の、ブライトの行動は、いつか発表の機会があれば」

ブライトノア・クロニクル(中)

103 名前: ブライトノア・クロニクル(中) [sage] 投稿日: 04/07/17 13:35 ID:???


四章   木馬ホテル。




 ケネス准将から今後の引継ぎの手続きを済ましたぼくは、軍が用意してくれた木馬ホテルに向かった。
本当は司令部に泊まるようにいわれたのだが、あそこは肩もこるしマフティーの問題も残党狩りなどがまだ解決してないので、
市内に程近いホテルのほうがなにかと交渉の際に便利なのだ。ぼくは参謀本部に挨拶をすませると用意されたリムジンに乗って
木馬ホテルにいった。どうして木馬ホテルという名前なのかというと、一年戦争が終わった年の秋にちょうどつくられたホテルで、
ここのオーナーがそのころテレビでいつも特集されていたニュータイプ論にはまっていたからということだった。
ここにくるホテル客がみんなニュータイプになればいい、という希望を木馬、つまりホワイトベースにあやかって名付けたのだろう。
木馬と言うのは連邦政府にとってジオンに対する勝利の象徴みたいなものだったので、この名前は彼ら政府高官には受けた。
けれど、僕にはただのミーハーにしかおもえなかった。俗物とまではいかないけれど、それに近いセンスだ。
第一、一年戦争中のオーストラリアで観光ホテルをつくるなんて何を考えているというのだ?
とはいえ、外見はそれほど悪くない。白を基調とした品のある造りの超高層ホテルだ。そこのスイートルームを僕はオーナーから
ほとんど只に近い値段で借りることができた。おそらく僕が「木馬」の艦長だったからだろう。これはわるくないことだった。


 部屋に入った僕が真っ先にしたことは、暑苦しい軍服を放り投げることだった。床に乱暴に脱ぎ散らかして、下着一枚の姿になる。
ブリーフ一枚の姿だ。とてもじゃないが中年のブリーフ姿は人に見せられるものじゃない。それに僕の脇腹には宿命的に肉がついていた。
どれだけ運動してもその肉はまるで太陽によって生じる影のように、けっしておちてくれないのだ。
どうしてブリーフを履いているかというとトランクスが嫌いだからだった。宇宙空間ではどうもあれでは落ち着かない。不安定だ。
そういえば昔、ホワイトベースにいたときのことだけど、男のクルーだけでどんなものを履いているかアンケートをしたことがある。
アムロはトランクスじゃないと落ち着かないといったし、リュウホセイはノーパンじゃないと気持悪いといった。
僕はリュウホセイがノーパンでコクピットにいることを想像して気分が悪くなったものだった。それは限りなく犯罪に近い。
おかげでその日の晩の食事が喉を通らなかったくらいだ。ハヤトはフンドシといっていた気がする。
そして、話は次第に女性クルーのつけている下着へと話題が移った。カイが嬉しそうに話していたのをいまでも覚えている。
セイラがつけている下着について討論がはじまったところで、敵襲の報がきて会話はそれきりになったけれど。


104 名前: ブライトノア・クロニクル(中)2/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 13:42 ID:???


 備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して、一息で半分近く飲んだ。ビールはよく冷えていて、実に美味かった。
唇についた泡を手の甲で拭いながら、先程の屋敷での出来事を思い出した。短い時間だったが、起きた出来事は歴史的なことだ。
宇宙世紀のゲリラ活動を制圧した輝かしい一ページとして連邦の記録ファイルに記されることになるだろうし、マフティー側、つまり
スペースノイドの側としたらシャアにつぐ殉教的犠牲者。なげかわしい暗黒の出来事ということになるだろう。全く対照的な記載だ。
同じ出来事でもうけとる対象によって、物事は全く別の側面を見せる。善が悪になり、悪が善になる。
僕はビール缶のプルトップをながめた。このプルトップをひねるのと同じくらい簡単にマフティーは殺されてしまったのだ。
それは僕にはどうも理解できないことだった。彼の思いはどこに消えていってしまったのだろう。まるでビールの泡みたいに、
銃声と共にそれは損なわれてしまったのだ。崇高な理念も若さゆえの熱情も、全ては弾丸の中に吸い込まれてしまったのだ。
僕はアムロのことを思い出す。シャアのことを思い出す。彼らが踊っていたステップを思い出す。それはもう既に損なわれてしまったものだ。
結局のところ、彼らの死は僕らに何を残してくれたのだろう?


 ビールを更に喉に流し込んだ。冷たい液体が喉をとおって、胃の中にゆっくりとおちていくのを感じた。
死刑執行に立ち会うと言うのはやはりどう考えても気分のいいものではなかった。
あんなところにはやはりいくべきじゃなかったのだ。すくなくとも僕はあそこにいるべき人間じゃなかったのだ。
あそこにいることが軍人の職務だというのであれば、僕は辞表をだしてよかったと本当に思う。
といっても、これはケネス准将たちを非難するということでもない。マフティーはさばかれるべき人間だったことは確かだし、
仮に裁判になったとしても死刑は免れ得ないということは明白だった。私刑であることは勿論、許されることではないのだけれど。
これはいうなれば僕個人の問題だった。ようするに、僕はもう人が死ぬ所は誰であれなんであれ見たくなかったのだ。
ビールを全部飲んでしまうと、僕は下着も脱いで、バスルームへと向かった。


冷たいシャワーを浴びてしまうと、幾分か気分が良くなった。同時にひどく眠くなった。
ベッドに横になると、朝早く起きたこともあってか、休息に意識が薄れていった。
意識がなくなる直前に、屋敷に入るまえにみた金色の少女のことをふと考えた。綺麗な少女だった。
僕が15歳だったらきっと恋をしているな、と呟いたと同時に意識は井戸に投げ込んだ石のようにストンと暗闇の中へ落ちていった。


105 名前: ブライトノア・クロニクル(中)3/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 13:53 ID:???




 目を覚ましたのは三時を少し回ったくらいのところだった。どうして目を覚ましたかというと何か工事をするような機械音が聞こえたからだ。
それはとても微かな音なのだけれど、僕の意識を乱した。長い戦場暮らしの所為で僕はかなり神経質になってしまっているのだ。
ほんのささいな物音でさえも、敵襲と感じてしまうこの癖はもうどうしようもない。
やれやれ、僕は溜息をついた。
ぐっすりと眠る事すら満足にできないということなのだろう。こどものときのように何の心配もなく眠ることは不可能なのだ。
それはとても不幸なことだ。けれど、永遠に眠りについてしまった人よりは幾分ハッピーなことかもしれない。
ベッドをはなれて下着を身に着ける。放り投げていたズボンと服を身につけ、大きく背伸びをする。
そこで、僕はふとあることに気がついた。いったいどこから工事の音がしていたというのだ?
別に僕はバスルームの配水管の水漏れの修理も、電球の取替えも頼んではいないし、ドアには鍵もかけていた。部屋の中ではない。
扉をあけて廊下をみても、そこには誰もいなかった。真っ赤なカーペットが山に捨てて行かれた飼い犬のように置かれているだけだった。
おかしい。僕は確かに工事をする独特の機械音を確かに聞いたのだ。
部屋に戻って、窓をあける。ここは市内の中心部にほど近いところにある超高級ホテル「もくば」の最上階なので、
アデレート市全体を一望することができる。
下を見るとゲリラで破壊された道路やビルにゴマ粒のように人が沢山集まっているのがみえた。みな落盤に備えてヘルメットを被っている。
そのせいか、ここからみると黄色の塊がうごいているようにしかみえなかった。黄色の塊はくっついたり離れたりをいくども繰り返していた。
彼らはそれぞれ指示をだしあっているようだったが、その声はさっぱり聞こえなかった。ただ風の音だけが僕の耳に入った。
工事の音がどこから聞こえたのか、さっぱり検討もつかなかった。僕は首をひねる。地球ぼけというやつかもしれない。
僕はあきらめて窓を閉めた。



 革張りのソファに座り、備え付けの液晶テレビをつけると、なにやら料理教室の番組をやっていた。今日はどうやらステーキのようだった。
化粧の濃い中年の女性と、初老にちかい男性コックが二人でなごやかに話しながら、料理をしていた。二人は夫婦のようにもみえた。
夫婦で料理をするという趣旨の番組かもしれない。だが、僕にはわからない。彼らがタレントかどうかすらわからない。
地球のテレビ放送にでるタレントなど知っているわけがないのだ。それにテレビをみるのはとても久しぶりだった。
僕はぼんやりとその二人が画面中で動き回る姿を眺めていた。働きアリのように男が動き、女はキリギリスのように喋ってばかりだった。
そうこうしているうちに、料理は完成に近づいていた。女性が野菜を大きな皿に盛り付けをはじめたところで、番組はCMに入った。
洗剤のCMが流れ始めたところで、僕はテレビを切り、おおきな欠伸をした。
そしてふと僕は自分が昨日の夜から何も食べていない事に気がついた。途端に、驚くくらいの猛烈な空腹を覚えた。
それは木星よりも巨大な、本当に底抜けのブラックホール的で、虚数空間に匹敵する途方もない空腹だった。
あまりの空腹に吐き気まで催すほどだった。これほどの空腹を覚えたのは生まれて初めてのことだった。


106 名前: ブライトノア・クロニクル(中)4/4 [sage] 投稿日: 04/07/17 14:04 ID:???

 僕はホテルの食堂に行き、やたら背の高いウェイターから献立表を貰うと中身を開きもせずにステーキを二枚頼んだ。
一枚は塩コショウだけにしてもらい、もう一枚はシェフご自慢という特製のタレにしてもらった。どちらも焼き方はウェルダンで
注文した。ビールを頼もうと思ったが、思いなおしてやめた。さっきものんだばかりなのだ。昼間からあまり飲み過ぎるのはよくない。
かわりに僕は先程のテレビを考え、そしてつぎにステーキについて考えた。レアが食べられなくなったのはいつからだろう。
戦場でいい具合にこんがりと焼けてしまったジオン兵士の死体をみてからだっただろうか。それとも、
戻ってきた連邦兵の脇腹から流れ落ちる真っ赤な血液を見てしまってからだろうか。よく覚えてない。どちらでも同じ事だ。
とにかくそれ以来、僕は血が滴るようなレアステーキは食べられなくなったのだ。
他の士官にそのことを話すと彼らは僕の神経質さを嘲笑った。
そんなことじゃあ戦場で生きていけないよ、君。兵士なんて消耗品なんだ。替えなどいくらでもあるんだ。
と僕にしたり顔で諭してくれた中佐はシャアの反乱の時に戦死した。
彼は投降して来るとみせかけたシャアの艦隊の不意打ちをくらい、大量の対艦ミサイルとともに宇宙の塵になってしまったのだ。

「お待たせしました」

 その声と同時に目の前のテーブルによく焼けた分厚いステーキが二枚置かれた。鉄板ごと運ばれてきたので、
肉が焼ける音が辺りに響いた。僕は周りを見渡したが、中と半端な時間だということもあって客も少なく、別に
こちらを気にしている人はいないようだった。

早速、僕は肉に齧り付いた。
最高級の牛の最高級の部位の肉だということだったが、正直な所あまり美味しいとは思えなかった。脂身が多すぎる。
僕は肉は赤身が多い方が好きなのだ。これは年をとったからかもしれない。
特製のタレというのもそれほど僕の舌を満足させなかった。正直なところ、これならば近所のマーケットで売っている
市販のタレの方が美味しいのじゃないかと思った。くどい。とはいえ、僕の空腹を満たすのには二枚の特大肉は多いに役立った。
木星に住む人に生活物資を運ぶ連絡船のように僕の手は休むことなく食べ物を胃の中に放り込んでいった。
ホワイトベースを追跡してきた12機のドムをあっという間に倒したみたいに、僕は目の前に並べられた料理を片っ端から平らげた。
 結局、僕は魚介類のリゾットとステーキを二枚食べ、更にヌードルいりのポテトシチューとバジリコ入りスパゲティーを平らげ、クロワッサンに
バターをたっぷりつけて3個食べ、フレンチドレッシング付きのサラダ をボウル一杯の量食べた。
それでも空腹な僕はオーストラリア特産のトナカイ肉のローストビーフを分厚く切ったものを注文し、ボテトシチューをお代わりした。
そしてデザートとして生クリームをたっぷり使用したマロンケーキを半ロール食べた。
すると、口の中があまったるくなりすぎてしまったので、ハムときゅうりのサンドイッチを別に頼んで食べた。きゅうりはよく塩味が効いていた。
これくらい食べてしまうとさすがに、木星のように膨れ上がっていた空腹は、どうやらピグザムないしサイコガンダムにまで小さくなったようだった。
とはいえ、それでも僕はまだ腹をすかしていたので、オレンジのシャーベットを二杯お代わりし、最後にコーヒーを飲んだ。
僕の食欲はカプールくらいのサイズまで小さくなった。そして、それはありしひの僕の性欲と同じくらいだった。
ウェイターは僕のたべっぷりに驚きを通り越して、賞賛の表情すら顔に浮かべていた。
その表情の変化は、ダカールの演説の時の議員達の反応によく似ていた。当惑、呆れ、驚きから、最後には羨望になるあのタイプだ。
奥からホテルの料理長がでてきて、あなたのように食べてくれた人は初めてです、と僕に握手を求めてきた。

彼の手を握り返すと、やけにあたたかった。その過剰のあたたかさは僕に砂漠を思い出させた。
そういえばタムラ料理長はなにをしているんだろう?




部屋に戻ると、ドアの隙間に夕刊が影のようにそっと挟まれていた。
僕はそれを手に取り、中に入る。見出しには『マフティー処刑さる』と書かれているのが読めた。

(ブライトノア・クロニクル(下)に続く〉

ブライトノア・クロニクル(下) 前編

115 名前: ブライトノア・クロニクル(下)1/15 [閃光のハサウェイ読んだ人はどれくらいいるんでしょう?sage] 投稿日: 04/07/20 17:47 ID:???
                    『ブライトノア・クロニクル(下〉』       ブライト・ノア






                        宇宙世紀105年5月1日






1 新聞の中の僕、破壊衝動、予兆




『息子がマフティーであったという事実は、アデレートに到着して知った事でありますが、アデレートでの
連邦政府の甚大な被害を知れば、自分の手でマフティーを処断しなければならないと決断するのは、軍人の
使命であると覚悟したのであります、もちろん、妻も妹もこの自分の行為は、容認しうると申してくれました。
それで、今朝、午前五時、ゴールワの臨時軍司令部において、銃殺刑に処した次第であります。』



 新聞に掲載されていた僕の談話はざっとこのようなものだった。五回読み返してみたが、何度読み返しても同じ文面だった。
一字一句変わった所はなかった。新聞の中の僕は、きわめて紳士的で、連邦政府の望むもっとも模範的な台詞を吐いていた。
僕はグラスに注いだミネラルウェーターを飲んで、大きな溜息をついた。まるで口からハロがでるくらい大きな溜息だ。
おいおい、ちょっと待ってくれ。いったい誰が僕にハサウェイがマフティーだと教えてくれて、その処刑の決断権をくれたのだ?
馬鹿げている。これはいったい何の冗談なんだろう?僕は自分が地球中の人から馬鹿にされているような気がした。
40を過ぎて妻に逃げられたからだろうか。けれどもそれだけでこんな仕打ちをくらう理由はかんがえられなかった。
ありえない。いったい全体なにがどうなってるんだろう。
 第一、インタビューなどなにもうけてないのだ。引継ぎが終わった後、部屋に戻った僕は、ブリーフ一枚でビールを飲んでシャワーをあび、
昼過ぎまでうたた寝をしたあと、ホテルの食堂で大量の食事をしただけなのだ。それはごくごく個人的な行動だったし、誰とも
会話などしていないのだ。それとも僕は夢遊病をもっていて、昼の僅かなうたたねの間に政府広報の依頼をうけてあの模範的な
談話を発表したのだろうか?居場所のわからない妻や娘と、ハサの処遇について話したのだろうか?そんなことあるわけがない。
そもそもミライは僕の電話すらとってくれないのだ。
 新聞の最後の談話には、メジナウム・グッゲンハイム大将と書かれていた。その名前に当然ながら聞き覚えはあった。
宇宙軍の幕僚官長だ。もっとも地球から指揮をだすだけの将軍だった。シャア・アズナブル風にいわせてもらうなら重力に魂を引かれた俗物だ。
とりあえず、僕は彼に連絡をとってみることにした。この新聞の内容はくだらない嘘だろうが、どうしてこんなことをいわせるのか知りたかったし、
知る義務が僕には存在していた。たしか彼はいま閣僚会議のためにオーストラリアにきているはずだ。
僕はホテルのフロントに電話して、アデレートの隣であるゴールワに設置された臨時参謀本部に取り次いでもらった。




116 名前: ブライトノア・クロニクル(下)2/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 17:52 ID:???

 電話に出てきたのは若い女性秘書だった。
「南太平洋管区の司令官ブライト・ノア大佐だけど、グッゲンハイム大将に取り次いでもらいたい」と僕は冷静に言った。
「すいませんが、ただいまどなたからの電話も取り次ぐなと申し付かっております」
「どうして?」
「申し訳ありませんが、理由をこたえる権限はあたえられておりません」
「ねぇ、とても重要な件なんだ」
「申し訳ありません」
「彼はまだアデレート付近にいる?」
「何度も申しますが、そういったことについては一切お答えできません」
「どうしても?」
「申し訳ありません」
秘書は機械的にそう繰り返した。まるでミノフスキーが散布された戦闘地域での無線のように僕の言葉は彼女には届かなかった。
僕は諦めて彼女に礼をいうと、受話器を置いた。こうなることはうすうすわかっていた。全てはそういうことなのだ。
連邦にとって僕はただの「雪かき」の道具にしかすぎないし、雪かきが「問い合わせる」なんてあってはいけないことなのだ。
結局のところ、僕はとかげでいうところの尻尾にしかすぎない。
 次にハサの勤めている植物監視官のある自宅のアドレスに連絡してみることにした。スラウェンのメナドという都市にハサの住居はある。
だけれども、ラーカイラムの中でかけたときと同様にその電話は誰もでることはなかった。
電話のコール音だけが、えんえんと僕の耳に届いた。それはとても哀しい音色だった。
ぼくは回線の向こうで鳴り響いている電話を思った。
誰も出る事のない電話。それは僕にとってコロニーに降る雨とおなじような印象を僕に与えてくれた。それはどこにもたどり着かないのだ。
なにものもそれを受け止めてくれる事は無いし、だからそれはただ空中で何重にも死んでいくだけだ。
僕はふとカミーユのいた病室を思い出した。海の底にいるような静寂と哀しみに満たされた部屋にいる男女を思い浮かべた。
そして、ふとMSピープルのいったことを思った。彼の予言をおもった。予言?そう予言だ。




おそすぎたから、もうだめなんだ。



 MSピープルの言葉が僕の脳内で何度もリフレインして響いた。僕は遅かったのか?そうかもしれない。
僕は呆れるほど愚鈍で、おろかだったのだ。何度もその軽佻は見えていたはずなのに、ぼくはそれにちっとも気がつかなかったのだ。
ミライは知っていたのだろうか?だからこそ、あれだけ僕にハサに連絡をとることを執拗にすすめたのだろうか。
いますぐミライに問いただしたかったが、いまとなっては知る由はなかった。結局のところ、ミライはもう僕の傍にいないのだ。
本当にマフティーはハサウェイなのか?僕は何度も自分に問い掛けた。その疑惑は僕の中でだんだんと重みを増してきた。
コール回数が20を超えたところで僕はあきらめて受話器を置いた。とたんに回線は死ぬ。
僕はまたひとりきりになる。

117 名前: ブライトノア・クロニクル(下)3/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:05 ID:???

 僕はホテルのフロントに連絡して、誰からの電話も取りつがないでくれるように頼んだ。そして、現在この辺りで売っている
ありったけの夕刊を持ってきてくれるように頼んだ。
暫く一人で考えてみる必要がある。おちつけ。おちつくんだ。僕は自分に言い聞かせる。


 僕は新聞を丁寧にもう一度読みなおした。一面には大きく太字で『連邦政府に走る衝撃』とか『マフティー処刑さる』と太字で書かれている。
これはシャア・アズナブルが死んだときと同じような見出しだった。あのときの一面は確か
赤い彗星、ついに堕つ!』とか『ニュータイプ思想の終焉』とか書かれていたものだ。そして、一面の下のほうに小さく
一年戦争の英雄、アムロ・レイ戦死』と書かれていた。僕はそのときの記事の切抜きを全て保管してスクラップしている。
だけど、どんなできごとも紙の上で書かれるとまるで現実味がなかった。どんなに文字をつくそうとそれにはまるで実感が抜けていた。
新聞紙の中の戦争。そんな感じだった。
そこには誰の感情も夢も断末魔の悲鳴もなかった。それらは全て記者によって、ぐしゃぐしゃにまとめられ、洗濯機にかけられ
アイロンで丁寧にプレスされてしまい、一枚のうすっぺらいクリーンな紙になってしまっているのだ。
シャアの反乱の関連の特集記事は毎日のように出た。その日一日の総裁の動きや、司令母艦の動き、MSの流れなどこと細かく
記されていた。そのなかのひとつに、『勇敢なる軍規違反ハサウェイ・ノア』という記事があった。
内容は、ロンドベルの艦長であり、一年戦争の名艦長ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノアが軍規違反を犯してMSに載り込み、
見事にネオジオンの最新モビルアーマーを倒したことを賞賛する内容であった。これはテレビにも一時期とりあげられた。
ひょっとしたらあれが今回の事件の発端かもしれない。スクラップしたファイルを今もっていないことは痛手だった。


 僕はもういちど見出しをみる。マフティー殺害のところをよむ。これは事実なのだと念じながら、頭の中に叩きこむ。
ねぇ、いいかい?これは事実なんだ。僕は自分の心臓に刻み込むようにゆっくりと呟く。これは事実なのだ。
その言葉は僕のからだのなかに入り、細分化されて血液中に混じりこんでいく。
僕は目を閉じて血液の流れを感じる。毛細血管のいたるところまで静かに循環する血液を思う。そして、アレキサンドリア湖で流された血を思う。
ながいながい時間が過ぎた。いつのまにか窓からさす夕日が沈み、部屋の中には薄暗い沈黙が訪れようとしていた。
そして、僕はある種の仮説を事実として認めることを容認する。つまり、

連邦政府に確認した所で教えてくれるわけはないが、教えてくれないという事実が、僕にこの仮説をくつがえす反証をあたえてくれなかった。
これは間違い無くおきてしまったことで、ハサウェイは既に銃殺されてしまっているのだ。
そういえばケネス准将の態度はどこか不自然なところがあった。遠慮がちというか目をあわすことをさけていた気がする。
あれはハサウェイだったのだ。彼はあの屋敷の庭に打ちつけられたみすぼらしい杭に身体を縛り付けられて、朝のアレキサンドリア湖の反射光を
浴びながら、弱気な十人の兵士の構える銃弾をその身に食らって死んだのだ。僕の目の前で。コーヒーを飲む僅かな間に。
それは同時間に起きていたのだ。

118 名前: ブライトノア・クロニクル(下)4/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:12 ID:???

 僕は突然、大声で叫びたくなる。窓枠に飾ってある鉄の花瓶でテレビのモニターを破壊し、ささっていた花束は床にぶちまけて
裸足で踏みにじり、受話器のコードを引き裂いてしまい、枕もとの高級時計をネジの一本までベッドの上に分解しておきたくなる。
それは百パーセントのまじりけのない破壊衝動だった。コロニーを破壊し、月を破壊し、地球のダカールを破壊したくなるほどの怒りが僕を襲った。
僕はソロモン沖であれくるうピグザムのように目に付くもの自分に関わりのある全てを崩壊させてしまいたくなる。
まるで環境汚染に荒れ狂う怪獣のように僕は都市を破壊し、鉄道を破壊し、襲ってくる軍隊と戦うのだ。

だが、僕は思う。そんなことをしてもなにも変わらないのだ。結局のところ、それはただのやつあたりに過ぎない。
僕は目を閉じてそれがすぐ去るのを待つ。そのどす黒い、まるで虚数界的なまっくらな感情をぼくはじっと耐える。
それはまるで真っ白なキャンバスの左隅からインクが落ちて、徐々に黒い染みを残していくのに似ていた。全部を真っ黒にしても、
そのインクは飽きることなく紙の上に滴り落ちて、キャンバスだけでなく床まで黒くよごした。床がすっかり汚れてしまうと、インクは
ベランダのほうから更に下の階へと落ちていった。きりがない。落ちつけ、落ちつくんだ。僕は唇をかみ締める。
海の潮が引いていくように、感情の高ぶりが満潮から干潮になるまでの長い時間を僕はただひたすらに待った。
怒りは何もうまない。多くの場合は状況を悪化させるだけだ。僕はそれをいままでの経験でうんざりするほどよく知っている。
同時に、こんな状況でもそんなことを冷静に考えることのできる打算的な自分にうんざりする。僕は血も涙もない冷血なキュベレイみたいだ。
なにも考えずに激情に身を任せたい。けれど、それは不可能なのだ。僕はそれほど子供でもないし、また年寄りでもないのだ。
僕はとりあえずテレビをつけた。料理番組は終わり、今度はくだらないバラエティをやっていた。まだニュースの時間ではないから
放送していないのかもしれない。僕はテレビの画面ではなく、テレビ全体を総体的に眺めつづけた。


 ただーーーひとつだけいうとーーーなにも僕はいつまでもこうしてじっと我慢しているわけではなかった。
僕にはある予兆が合った。それはサイド7でガンダムのテスト実験をしたときや、アムロが僕らをホワイトベースから救い出したときや、
テンプテーションの艦長としてグリーンノアにいったときや、シャアの反乱のさいに病院を訪れたのと同じある種の感覚だった。
ジオンのコロニーレーザーがくるまえに感じた背中から、なまあたたかい不透明なゼリーを流し込まれたような妙な感覚だ。
なにかがおこると僕は確信していた。いつ起こるかは検討もつかないけれど、確かに何かが起こるはずだ。もうすぐに。

 僕は立ちあがり、シャンゼリゼつきの豪奢な天井を眺め、床のペルシャ絨毯の紋様をみつめ、冷蔵庫に視線を移す。
枕もとの時計をみつめ、ベッドの上にかかっている林檎が描かれた5号サイズの油絵を眺める。それはすこしゴッホの画風に似ている。
あたりにあるもの全てがとても扁平にみえる。全てのものの膨らみが感じられなかった。まるで新聞紙みたいに、それらは
平面的でありまた僕とは全く縁のない遠い存在に思えた。どうして僕はこんなところにいるのだろう。
どこで何が間違えてしまったのだろう。パオロ艦長が負傷してから全てはおかしくなった気がする。
でもそんなことをいいだしたら、ぜんぜんきりがなくなってしまう。どこかで僕は線をひかなければならない。
だけど、どこで線をひいたらいいのかさっぱりわからなかった。


119 名前: ブライトノア・クロニクル(下)5/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:19 ID:???

 そのとき突然ソファの前の電話が鳴る。音は猫の断末魔のようにけたたましく、とても暴力的に僕の鼓膜を刺激する。僕は息を飲む。
辺りの誰にも気がつかれないように静かに呼吸をする。海の底でガンダムを待つゴッグのように僕は慎重に肺に酸素をおくりこむ。
取り次ぐなと言った傍からどうして電話がなるのだろう?ここのホテルマンはそんなに無能なのか?
僕は頭をかきむしる。なにもかもが間違っているように感じる。

だが、現実に電話は鳴っているのだ。僕はそれに対処しなければならない。僕は受話器に手を伸ばし軽く表面を指でなぞった後、
ためらいがちにそれを手に取る。
「もしもし」と僕はいう。まるで自分の声に聞こえない。なんだか喉の奥にボールが一杯つまってるみたいだ。
だが、僕が取った瞬間に電話はきれ、回線は死んでしまう。受話器は鉛のように重くなり、僕の言葉は空中で固まりどこにも届かない。
僕はソファーに座ったまま、切れてしまった受話器をみつめる。何かが起こりつつある。僕は繰り返した。何かが起こるのだ。
受話器を元の通り置きなおすと、僕はひざを抱え目を閉じる。そして、何かが来るのを待つ。
潮がひいたあとの海面が隆起して、なにものかが砂浜を歩きながらこちらを目指しているのがわかる。
電話はもう鳴ってしまったのだ。と、僕は思う。それはもう鳴ってしまったのだ。
僕は息を殺し、近づいてくるのをじっと待つ。何かが起きるのをじっと待つ。まるで処刑をまつ死刑囚のように僕はただ時を過ごす。





そして「それ」は唐突にやってくる。





120 名前: ブライトノア・クロニクル(下)6/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:25 ID:???





2  工場


 ここはどこだ?と、最初に僕は思った。ここは一体どこなんだろう?
僕は自分が別の空間に連れてこられたことを悟る。それは呼吸を吸って吐くまでの僅か一瞬の間のことだった。
「それ」はコンマ一秒ほどの間に僕を連れ去って海の中へと引きずり込んだのだ。おそらく。
もうあたりには電話も時計も液晶テレビも油絵もビールも冷蔵庫もなかった。空気の匂いも変わっていた。少しオイルの匂いがする。
それにきっちりと快適な温度にたもたれたあそことは違って、この場所は少し暑い。ここはもう「木馬」ホテルではない。
ただ、ソファに座っていることだけが変わらなかった。服装も食堂にいったときと同じクリーム色のポロシャツだった。
床には絨毯はなく、つるつるとしたなめらかな強化アスファルトのようなタイルがしかれていた。
最初、視界に入ってくる全てのものが灰色にみえたが時間が経つと右隅の方から徐々にぼんやりと色が戻ってきた。
僕は呼吸を整えようと、ゆっくり深呼吸をする。何かが起きたのだ。これからぼくは慎重に行動しなければならない。





 どうやらここはとても馬鹿でかい工場の中のようだった。僕の想像の限界を超えるほど巨大な空間だった。
αアジールなんてここではきっと海に浮かぶ貝殻くらいの存在でしかないと思えるほどに、全宇宙的に広い空間だった。
当然の事だけど、端なんてみえなかった。どこまでもどこまでも白い淡い霧のようなものが辺りを包み込んでいるだけだった。
天井は圧倒的されるほど高く、ねずみ色のすすけたパイプが入り組んで設置されていた。どうしてあんなにパイプが必要なのかよくわからない。
きっと水道やガスをこれだけ巨大な建物に設置するにはあれくらいいるのだろう。
どうしてここが工場だとわかるのかというと、ずっと「のこぎり」の音が聞こえるからだ。ギコギコギコと何かを切断している音が
辺り中から響いていた。僕は引退した後のレストランを手作りのログハウスにするつもりだったから、のこぎりの音には煩いのだ。
これはあの野蛮で繊細さの欠片も無い電気のこぎりの音じゃない。昔ながらの手ひきのこぎりだ。
ぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこ。





121 名前: ブライトノア・クロニクル(下)7/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:30 ID:???
 そのままここにいても何も始まらないと判断したぼくは、とりあえずのこぎりの音がする方向へと足をすすめた。
ソファはもちろん置いていく事にした。あたりに誰もいないから取られる心配はないし、仮に盗られてもたいして問題ではなかった。
どうせ僕のものではないのだ。「木馬」ホテルのものだし、あそこのオーナーはソファくらいで何も言わないだろう。
歩きながら僕は自分の頬をつねってみた。少しだけ痛い。痛覚だけでは夢なのか現実なのか判断がつきかねたが、
ありえない状況なので夢だと判断した。僕はきっと昼間みたいに唐突に夢の中におちてしまったのだ。
これはおそらく、混乱した僕の意識がみせている幻なのだ。おそってきた「それ」は夢魔だったのだろう。
夢を見るのは久しぶりのことだった。一年戦争が始まって以来、そういえば一度もみたことがない。
現実が既に僕の夢を凌駕していたからかもしれなかった。僕が目の当たりにした戦争は、そういう次元のものだった。
そこでは想像力なんて詩的なものが干渉する余地は無かった。事実そのものが既にリルケでありコクトー的なものだったのだ。


 暫くまっすぐにあるいていると次第に霧がはれて来た。だが、まだ全体的にうすぼんやりとしている。
僕はスニーカーを履いているので、歩くたびに床とこすれてキュッキュと鳴った。その音を僕は耳障りに思った。
やがてあるところまできたとき、朝霧が太陽の上がるのと同時にふいと掻き消えてしまうように、僅かな余韻も残さずに霧は突然消えた。
おかげで僕はこの工場の全体を(といっても目に見える部分だけだが)見渡す事ができるようになる。

一瞬、僕は言葉を失った。
視界に入ってっきいたたのは数千の人間と数千のガンダムだった。あたり一面に彼らはまるでシベリアに乱立する針葉樹林のように
一定の間隔をたもちながら工場に散らばって存在していた。
はるか向こうの、それこそ地平線の果てみたいなところにもガンダムが置かれてあるのがわかった。あそこまで何マイルあるだろう?
考えただけで気が遠くなった。ここはいったいなんなんだ?なにをみんなしているのだ?
整備にあたっている人は様々だった。ある男性はアナハイム社の制服を着ていたし、また別の若い男は時代遅れの革ジャン姿だったし、
また半裸の少年もいた。連邦服姿の女性もいたし、ジオン軍の勲章をつけている老人もいた。
彼らは性別も年齢もてんでバラバラで自由気ままな服装だったが、真剣に作業しているという点では誰もが同じだった。
そして、一つのガンダムに一人の人間が整備についている。

ぎこぎこぎこ。とんとんとん。かたかた。かちかち。ぎこぎこぎこ・・・・といった具合な音がそこら中から聞こえてくる。
どうやら彼らはモビルスーツ設計を全部手作業でしているみたいだった。
それはどこか僕にのどかな休日の光景を思い浮かばせた。大工道具を片手に息子が拾ってきた犬のために小屋をつくる
父親の姿のように平穏で小さく完結された世界。それは限られたものだけが、きくことのできる祝祭の音楽だ。

 僕は彼らを眺めつつ、ひたすらに歩きつづけた。不思議とどれだけ歩いても疲れは無かった。
喉も乾かなかったし、空腹は全くと言っていいほど感じなかった。
彼らは誰も僕のほうをみなかった。よく訓練された飼い犬のように彼らは自分の作業だけに集中していた。

122 名前: ブライトノア・クロニクル(下)8/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:41 ID:???
 僕らは彼らに話し掛ける事をためらった。彼らは修道院で神にひたすら祈りをささげる敬虔なクリスチャンのように
一身にその身をガンダムに捧げているのだ。その神聖で厳粛な時間を邪魔する事など僕にはできなかった。
暫く所在なげににそのあたりをうろうろしていたのだが、やがて見覚えのある人物がいることに気がついた。
僕は何度も目を擦った。その人物がここにいることがよく飲みこめなかったのだ。だが、僕の目はどうやらわるくなっていないようだった。
夢の中で視力がどれほどあるのかしらないが、少なくとも夢の中のそのまた幻覚である可能性はなかった。
アムロだ。
ここから少し離れたところで、他の皆に混じってアムロガンダムを作っていた。ホワイトベース時代の、あの懐かしい連邦の服を着ている。
少し離れたところではシャアが同じくガンダムを作っていた。僕は少し混乱する。シャアがガンダム
どうしてシャアがザクやサザビーじゃなくてガンダムをつくるのだ?
僕の疑問のポイントは少しずれているかもしれない。問題はシャアの存在であって、彼がつくっているものではないのかもしれない。
ただ、僕にはそれはとてもすごく気になった。

「やあ、ブライト」
アムロがこちらに気がついて手を挙げた。僕もつられて手をあげる。挙げた後に後悔する。いつものことだ。
彼があまりに自然に声をかけてきたのがいけないのだ。あんなふうに声をかけられたら、誰だってこんな反応をしてしまう。
「そんなところじゃあれだからこっちに来たら」とアムロがいった。断る理由もなかったので僕はアムロの傍に寄った。
「いま作業中なんだ。ちょっと待ってて」と彼はいった。まるでホワイトベースやラーカイラムのときと同じように。
僕は頷いた。そして彼がつくっているガンダムに視線を移した。
それは紛れもなくνガンダムだった。それは右手の一部分がなく、装甲はひどくよごれていて、ところところが高熱で溶けたようになり
色もいちじるしく剥げていた。アムロは左足の根元の部分の配線を組みなおしていた。
僕はどうしてアムロがこんなところでνガンダムを修理しているのかさっぱりわからなかった。けれど尋ねるのはやめた。
アムロも僕がどうしてここにいるのか全く聞かなかった。聞かれても困る、夢を夢と説明するのはひどくむずかしい。
なかなか作業が終わりそうに無いので、僕はむこうがわで作業しているシャアを眺めた。クワトロ時代のノースリーブを着てマスクを被っている。
そして髪はオールバックだった。どうやら色々と混ざってしまっているらしい。
そのせいかどうかわからないが、シャアのガンダムはどちらかというとZガンダム百式の合いの子みたいな形態をしていた。
しかし、どうしてシャアがガンダムをつくっているんだろう。夢と言ってもやはり違和感があった。


 ちかづいて僕が彼にそう指摘するとシャアはこれはシャア専用ガンダムだ。といい、いまから塗るつもりだという赤ペンキを見せてくれた。
古いバケツの中にはなみなみとペンキと「はけ」が入っていた。どうして彼が赤に拘るのか僕にはさっぱり理解できない。
けれどシャアにとってはそれは当然の事であるようだった。
そこにはややこしいメタファーや形而上学的な解釈などが入る隙間はなかった。赤とは彼であり、彼とは赤であった。
紅く塗ればそれはシャア専用になるのだ。それは明快かつ終始一環とした彼の確立されたアイデンティティなのだ。
金色はどうなのだろう?シャアにそのことをきいてみると、彼は暫く悩んだ後に、あれは気の迷いだったといった。




123 名前: ブライトノア・クロニクル(下)9/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:48 ID:???


 そんな会話をしたあと、僕は取りたててやることもないので(夢の中で一体何をやる義務があるというのだ?)、
その場に腰を下ろして彼らの作業を眺めることにした。アムロは何重にもねじれた配線をいじっていて、シャアは口笛を吹きながら
自称シャア専用ガンダムに赤ペンキを塗りはじめた。近所の住民の壁にペンキを塗るように頼まれた若者みたいな気易さで。
僕はその二人の異なったガンダムにたいする異なった作業工程をぼんやりと見ていた。
 シャアとアムロはそれぞれ自分のMSを完成させることにしか興味が無いようで、分担で作る気はさらさらないようだった。
二人なら簡単に取りつけられるであろうパーツや、一人ではなかなか持ちあがらない重い鉄鋼でさえも彼らは自分の力だけで
製作しているようだった。それは喧嘩してるとか仲がわるいとかじゃなく、元々そういうものであるようであった。
シャアの機体の足元には古ぼけたラジカセがあり、かつてのネオジオンの国歌的位置をしめていた曲が延々と流れていた。


星の光に 思いをかけて  熱い銀河を 
胸に抱けば 夢はいつしか  この手に届く

シャアズ ビリービング アワズプレイ   
シャアズ ビリービング アワズプレイ



 シャアズ ビリービング アワズプレイ。僕もあわせて口に出す。シャアの信じるところは我らの行為。そういった意味だろうか。
それとも、シャアは我らの行動を信ずる?わからない。この歌にはさまざまな思いがつまっていて、とても一元化できる解釈はない気がする。
聞くものによってこの歌は右翼的になったり左翼的になったりするのだろう。マフティーが死んだときの連邦とスペースノイドの反応みたいに。
そういえばハサウェイもこの歌を聞いていたのかもしれない、と僕はふと思った。マフティーとして彼はこの歌を聞いて何を感じたのだろう?
英雄としてのシャアへの陶酔?信奉?僕にはわからない。なにもわからない。
何度も聞いている所為か、音の劣化はかなりのものだった。低周波にチャンネルを合わせるラジオみたいに細かなノイズが混じっていた。
だが、シャアはそんなことを気にした様子はなかった。彼はBGMを背にペンキを塗りつづけていた。

124 名前: ブライトノア・クロニクル(下)10/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 18:54 ID:???
「どう。立派なνガンダムだと思わないか?」
 ようやく作業が一段落ついたのかアムロが「のこ」を手にしてやってきた。空いたほうの手では白いタオルを持ち額の汗を拭っている。
「もうちょっといい工具を使ったらいいんじゃないかな?そんなものでつくるのって時間がかかるだけじゃないか」
のこなんかではいわゆるガンダリウム合金は切れない。仮に切れるにしてもきっとものすごく無駄な労力だろう。
たとえるならトラクターがあるのに田植えを手でするみたいな徒労さだ。腰は痛くなるし、効率は悪いし、いいことなんてない。
「時間がかかってもいいんだよ。節約する意味が無いからね」と、アムロは当然のようにいった。
僕は周りを見渡した。そうかもしれない。
たしかにこんなところで時間を短くしてもなんの意味はないだろう。ほかにすることなど何もなさそうだった。
「それに、こののこはサイコフレームを使ってるんだ」と、アムロは嬉しそうにいった。
「なるほど」
相槌をうったけれど、「のこ」の原料にサイコフレームを使う事になんの意味があるのかよくわからなかった。


 僕は立ち上がった。辺りをもっと見学してみようと思ったのだ。シャアのラジカセがうるさすぎるのも一つの理由だった。
他の曲は入れてないのだろうか。僕はここで流すに相応しい曲をいくつか考えてみようとしたが、無意味なことなのでやめた。
いくら考えてみたところで、シャアが曲を変えるとは思えなかったし、また僕はカセットなんて旧時代的なものは持ってないのだ。
「また後で戻ってくるよ」と、僕はアムロに言い残してその場を離れた。




 工場内を少し歩いただけで、実にいろんなガンダムを僕はみることができた。
天使のようなふさふさとした羽の生えたガンダムや漫画に出る死神の持つような鎌を持ったガンダムもいたし、かとおもうと
胸にV字をつけた幾分ほかのとくらべてサイズが小さいガンダムもあった。かとおもうとMK−?そっくりなものもあった。
なかでも僕の興味をもっとも引いたのは、髭の生えたガンダムだった。
人間の鼻下にあたる部分にまるでカブトムシの角のような鋭利な髭が堂々とつけられているのだ。
最初はなにかのマークかだとおもったのだが、どう考えてもあれは「ひげ」としかおもえなかった。とてもおかしかった。
ひとしきり笑った後、ガンダムに髭という極めて人間的な、というよりも生物的なものを求めるのはどうしてだろうと考えた。
僕は製作者にきいてみたかったが、製作者とおぼしき男はいま髭の部分によじのぼってメンテナンスしていたので無理そうだった。
声をかけたせいで、滑り落ちでもされたらどうしようもない。僕はあきらめた。

 かわりに僕は「ひげ」ガンダムの隣で、足が無いガンダムを造っている人にどうして足をつくらないのかと問い掛けた。
「足なんて飾りだから」と彼はあたりまえのようにいった。実にシンプルな答えだった。簡潔で的を得ている。
そうかもしれない。宇宙での戦闘を想定するなら足など別にいらないのだ。
それでも足がないと違和感を感じるのはやはり僕らはガンダムを人のメタファーとして捉えているからかもしれなかった。
もっとプラティカルにいえば、僕らはガンダムを人としてみているのだ。だから足がないと違和感を感じるし、髭をつけたりする。
この発想はザクには無い。何故ならば僕らはザクはあくまで兵器としての観点でしかみてないからだ。ザクのモノアイをみて
障害者差別だと思う人はいない。その点で、ガンダムというのは数あるMSのなかでどこか異質なのだ。
ガンダムとはやはり二本足があり、二本の腕を持ち、二つの目を持つべきだという固定観念があるのだ。宿命的に。

125 名前: ブライトノア・クロニクル(下)11/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:18 ID:???

 僕は立ち止まると工場の天井のパイプの本数を数えながら(あまりに多いので途中でやめたけど)、そのことについて暫く考えた。
そして、こう解釈した。

ーーー僕らはガンダムというモビルスーツに人との同一化を求めている。

ガンダムが宇宙空間で普通に存在する事ができることを、将来、人間が宇宙で存在できることの希望として捉えているのだ。
もっとかんたんにいうとガンダムは象徴なのだ。
いずれはあんなふうに宇宙空間でなんのおそれもなく存在したいという人の願望の象徴ということだ。
宇宙に出ると人は不安になる。当たり前のことだ。薄い隔壁をへだてたむこうは完全な死の世界なのだ。
僕らはおそれ、とまどい、その現実から逃れようともがいている。
そのなかで僕らは宇宙で生存できる希望をガンダムにいや、MSそれ自体に見出している。
そうでなければいくらミノフスキー粒子の問題があろうともあそこまで人に近いマシンを作る必要はないのだ。
無意識のうちに人はMSに、宇宙での人類の有り様を投影してしまっているとぼくはおもう。


だからガンダムは人に酷似していなければならない。そして、それ以外とは明確に差別されるべきなのだ。
なぜガンダムなのか?という問いには僕はこたえられない。ただガンダムが一番ふさわしいだろうとおもうのだ。あらゆる面で。
ガンダムは初代ニュータイプであるアムロ・レイの機体として世に知られたので、ガンダム自身も新人類的なものとして認知されてしまったの
かもしれない。大衆とは人と機械の関係について短絡的に考える傾向がある。
といっても僕らはガンダムそれ自体になりたいわけではない。
ジオン・ダイクンが提唱したニュータイプ論は人の精神のありようを説いたものだ。
では肉体はどこに向かうべきなのか?圧倒的な宇宙の存在のなかで精神と肉体の関係をどう定義として捉えていくべきなのか。
そのこたえがここにあるような気がする。
人は不安なのだ。だから、ガンダムになることで保護されたいのだ。それはかつて僕らが地球に求めていた絶対的な母性によく似ている。
もちろん、これは僕の個人的な考えに過ぎない。「そんなことはない。ガンダムはただの兵器だ」、といわれればそれまでのことだけど。


 
僕はあたまをふってそんなとりとめもない考えを振り払った。
しばらくあるいていくとガンダムにキャタピラをつけている人に遭遇した。鼻がやけに赤いその中年の男性は
「さすがガンダムだ!キャタピラをつけてもなんともないぜ!」と狂喜していた。
僕はあれはガンタンクと呼ぶべきものじゃないかと思ったが、もちろんそんなことはいわなかった。僕にだってそれくらいの分別はある。
他人がなんといおうと彼にとってはあれはガンダムなのだ。それなら僕が余計な口を挟む必要はない。
砲台をつけるともっとガンダムらしくなるよ、とそっと助言すると彼は嬉しそうに「試してみるぜ」といった。
きっとなんともないだろう。


126 名前: ブライトノア・クロニクル(下)12/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:25 ID:???
3  ピナ・コラーダ、なつかしい味、北北東


 ひととおりみてからアムロ達のいたところに戻ると、彼らは二人でお茶をしているところだった。
キャンプ場で家族が食事をするときに使うような折りたたみ椅子とテーブルを使用して、彼らは気持良さそうに休んでいた。
僕が戻ってくると、もうひとつ折りたたみ椅子を取り出してきてそこに座らせてくれた。
どこからもってきたのだろうと思ったが、これが夢だと言う事を考えれば別に不思議はなかった。
「喉が乾いてるだろ?」
といって、アムロは僕にピナ・コラーダをだしてくれた。
綺麗なガラスのグラスにラムベースで、そこにパイナップルジュース、ココナツシロップ、クラッシュアイスが入っている。
とても気分がよくなる味だった。アムロとシャアも実に気持良さそうに飲んでいた。働いた後に飲むと実に美味いだろうな、と僕は思った。
一口飲むと、まるでハワイかどこかの観光地で休憩しているような気分になった。
空には灼熱の太陽があり、足元には砂浜があり、そこを蟹やアッガイがのんびりとたわむれているのだ。僕はミライや
チェーミンやハサウェイやホワイトベースの皆と共にそこにバカンスに訪れているのだ。カミーユやファもいるかもしれない。
僕らは海でこころゆくまで泳ぎ、夜は砂浜でバーベキューをするのだ。そして、ビールとピナ・コラーダを交互に飲んで楽しむのだ。
丁寧に肉をとりわける僕をみてチェーミンが「ダディクール」といってくれるかもしれない。
わるくない。フラミンゴの群れに偶然遭遇するくらいわるくない。

 僕は天井をみあげた。パイプがみえた。太陽じゃない。ここは紛れも無く工場だ。と僕は自分に言い聞かせる。
そうじゃないと何かが損なわれるような気がした。ここは工場であり、僕の夢なのだ。現実から逃げてはいけない。
砂浜はなく、チェーミンとミライはおらず、ハサウェイは死んでしまっているのだ。


 ラジカセからはあいかわらずシャアを称える歌が流れている。やれやれ、僕は少しうんざりする。アムロはいやじゃないのだろうか。
そうおもって彼をみると全く気にした様子はなく、それどころか少し鼻歌で口ずさんでいるくらいだった。やれやれ。僕はそっと溜息を吐く。
「ここにはどれだけの人がいるんだろう」
気をとりなおして、僕はずっと疑問に思っていたことをきいた。
「全ての人さ」とアムロが答えた。
彼はテーブルの足元にあるクーラーボックスからレモンを取り出して、皮のまま齧ると、顔をしかめた。「酸っぱい」

「全て?」僕はもういちど問う。
「そう、ここには全てがあるんだ」と、アムロはレモンを更に齧った。「そして全てがない」
アムロのいうことはますますニュータイプ度が進んでいるみたいだった。どちらかというとカミーユに近くなってる。
ニュータイプである彼には自明のことかもしれないけれど、旧態以前の人間である僕にはどういうことかさっぱりわからなかった。
「これは僕の夢だろう?」
「違う。ここは工場だよ。それ以外のなんでもない。ガンダム生産工場さ」
 僕はその意味について考えてみた。ガンダム生産工場?まったくわけがわからない。
だが、アムロは至極まじめな顔で僕と喋っているし、すくなくともからかわれているとは思えなかった。
ガンダム生産工場。僕は口に出していってみた。語呂は悪くない。だが、それは僕の頭を混乱させるには充分だった。

127 名前: ブライトノア・クロニクル(下)14/15 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:33 ID:???

「ジムとかはつくらない」とアムロはいった。「あんなのは時代錯誤もいいところだから」
「なるほど」と、僕は同意した。確かにジムはもう時代遅れだ。連邦軍でいまどきジムを使用している地域はなかった。
けれどガンダムももう連邦では造ってないのだ。連邦はこれからハサのガンダムを落としたペーネロペーが主流になるだろう。

 僕はまわりをぐるりと見渡した。どこをみてもガンダムガンダムガンダム、だ。
「それにしたって、こんなに沢山のガンダムをつくってどうするんだろう?」
「どうするかだって?」
アムロは呆れたというように溜息をついた。
「休むんだよ」
「休む?どうして休むんだ?」
「どうして?」
アムロは不思議そうにこちらをみた。
「造り終わったらやすむのが常識じゃないか」
ぼくは首を振った。会話が噛み合っていない。
やはりここは少しずれてるのだ。どこがどうというわけではなく、あらゆる面で。少しずつ。



「さっきここには全てがあるっていったね?」
暫くの沈黙の後、僕は話題をかえた。テーブルの上のピナ・コラーダはすっかりぬるくなっていた。
「いったよ。人から武器から工具にいたるまでなんでもある」とアムロはいった。「ジムはないけどね」
「……ハサウェイもいないみたいだけど」
僕はためらいがちにアムロにきいた。こんなこと彼に聞くべきじゃない気がしたけれど、どうしても聞かざるを得なかったのだ。
ここが全てを包括した世界ならば、とうぜんハサもいなければならない。けれど、すくなくとも僕がみた範囲では彼はいない。
ハサはいない。
「ねぇ」とアムロは急に真面目な顔になった。「いいかい。余計なことを想像しちゃいけない」

「想像には責任が伴う。ブライト。君がハサウェイをいないとおもったなら、彼は消えるんだ。あとかたもなく」
「想像の責任?」
僕はそれがどういうものかよくわからなかった。個人的な思考が、外に影響を及ぼすというのだろうか?
アムロは頷いた。その頷き方はどこかで僕がみたことがあるような気がした。

「ハサウェイはちゃんと存在している。彼は・・・」
そこでアムロはいったん言葉を切る。そして、まるで大事な呪文を弟子に教える魔法使いのようにそっと僕に伝える。

「ここから北北東に少し進んだところ、えぇと、およそ十キロってところか。そこで、ずっと君を待っているよ」

と、いい僕の斜め後ろを指差した。反射的に僕はそちらを振り向いたが無数のガンダムが邪魔しているので、よくみえなかった。
「ここからじゃみつからないよ。ブライトがそこまで行かない限りね」
そういうと彼は疲れたように微笑んだ。

128 名前: ブライトノア・クロニクル(下)15/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:46 ID:???
「ハサウェイは」とアムロはつづける。
「君をずっと待ってるよ。いいかい?彼はずっと君を待ってるんだ。君が想像の中で彼を殺さない限り」
アムロはそういうとポットに入っていたコーヒーを白い陶器つくりのカップに注ぐと、テーブルの上にある砂糖とクリームを一杯ずつ入れた。
銀製のスプーンでなかを2,3度掻きまわしてから、それを僕のほうに差し出した。ひきたてのコーヒー豆のいい香りがした。
僕は口をつける。そして3分の一ほど胃の中にいれてしまう。
そして、ふとある種の懐かしさを感じる。このコーヒーにだ。これは、確かにどこかで飲んだ事がある味だ。
記憶の井戸の底からぼくはその記憶を呼び覚まそうとする。そして、意外とすぐに僕は心当たりをみつける。ラーカイラムだ。
これはかつて、そうアムロが死んでしまう前にラーカイラムで一緒に飲んだコーヒー、そのままの味だった。
僅かに生ぬるいところも全て。そう、そういえばあのときも僕はアムロとはなしながら、コーヒーを飲んでいたのだ。そしてアムロは死んだのだ。
僕は泣きそうになる。コーヒーカップを動揺で落としそうになって両手で握り締める。
どうしてこんな夢をみてしまうんだろう。彼らはもうこの世にはいないのだ。僕は唇をかみ締める。
ここはきっと損なわれた世界なのだ。あらゆるものが失われ、あらゆるものが消失していく世界なのだ。
かれらはそこで抗うようにガンダムをつくっているのだ。

「…とても美味しいよ」と、僕はアムロにいった。彼はにっこりとわらってもう一杯つくるとそれをシャアに渡した。
 僕はその彼らの仕草をみて、ここに自分はいるべきではないと思った。
アムロやシャアに頼らないと決めた筈だ。彼らのダンスステップは確かにラストワルツを踊ったのだ。
これいじょう彼らに迷惑をかけることはしてはいけない。大衆が未だにシャアとアムロは生きていて、また自分たちを導いてくれるといった
ような甘えた発想を許してはいけない。僕はカイのインタビューをおもいだした。どうしてみんな死者を起こそうとするんだ?
そんなことはしてはいけないのだ。僕は彼らを日のあたらない静かな場所でゆっくりと休ませてあげたいと本当に思う。
それが生きているものの務めなのだ。そのためにならいくら祈ってもいい。

「ご馳走様。さてと、それじゃあそろそろ行くよ」
コーヒーを最後の一滴まで飲み干してしまうと僕はそういった。
「気をつけて」
アムロがいった。「なるべくいそいだほうがいいかもしれない」

129 名前: ブライトノア・クロニクル(下)16/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 19:50 ID:???
僕は折りたたみ椅子からそっと立ちあがる。そして、椅子をたたんで床に横たえた。
「さいごにひとつだけいいかな」と、僕はいう。
「なに?」
「君達はいまのその・・・地球上や宇宙で起きている様々な問題をどうかんがえている?」
アムロはその僕の問いにとまどったように苦笑した。
「あいにくだけど、その問に答えることはできない。僕らはただガンダムをつくっているだけの工員さ。けれど、」
そこでアムロは言葉を切った。
「ブライト。いいかい。急がない事だよ。あわてずに自分がなすべきことだけを思うんだ。すくなくとも僕は人類に絶望はしていない」
そして、アムロはそっと笑った。「僕がこんなこといっても仕方ないかもしれないけど」
「いや、とても救いになるよ」
本当に。それに僕は十三年ほどの長い付き合いよりも、ここですごした僅かな時間の間のほうが多く彼の笑顔をみた気がする。
「シャアは?」
僕が彼のほうに視線をうつすと、彼は足元の工具箱からボールペンを取り出して、手もとのメモ帳にさらさらとこう書いた。


And now…In anticipation of your insight into the future


シャアはその紙をちぎって僕のほうに差し出した。
「ありがとう」と僕は礼をいう。僕はそれを大事に折りたたんで胸のポケットに入れる。
僕は彼の書いたスペルをあたまのなかでなんどもリフレインする。
今は皆様一人一人の未来の洞察力に期待します、か。わるくない。ぜんぜんわるくない。
たとえそれがシャア一流のよくできた皮肉だとしてもだ。
彼らがそういってくれるだけで、何かが救われる気がした。未来への期待がそこにあるのなら、僕らはまだ存在できる。
結局のところ、物事はそういうふうにしてすすんでいくのかもしれない。絶望するにはまだ早いのかもしれない。
僕はハサにあわなければいけないのだ。

「僕はいくよ」と、二人にいった。だけど、いってから自分がどうやってこの工場からでればいいのかという問題に気がついた。
この工場は果てしなくひろいのだ。僕はここからでることができないのではないか、という不安に襲われた。
「想像するんだよ」と、僕の不安を悟ったように静かにアムロが言った。
「君は君の帰る場所を知ってるはずだ。思い出すんだ。君のいた場所や匂いや感触を。空気の流れを」
僕は「もくば」ホテルのことをおもった。ベッドの上の油絵を思った。そして、死に絶えている電話を考えた。
「想像するんだ」
アムロはもう一度いった。「責任を持って、帰るべき場所を心に描くんだ」

僕はいわれたとうりに木馬ホテルを思った。ビールやステーキを思った。そして、夕刊を思った。
そういえば頼んでいた夕刊はどうしたのだろう?ちゃんと届けてくれただろうか?そういえばテレビはつけっぱなしだったな。
そんなことを考えていると、急激に視界が暗くなっていった。
僕は戻りつつあるのだ。ふたたび潮がひいて、海面が隆起してなにものかが僕を砂浜に戻そうとしているのだ。
かすんでいく視界の中でアムロとシャアをみようとしたがもはや僕はかれらをみることはできなかった

130 名前: ブライトノア・クロニクル(下)17/18 [sage] 投稿日: 04/07/20 20:00 ID:???
4  ささやき




 気がついたとき、僕はホテルの部屋のソファにうつ伏せに横たわっていた。
意識はまず左端から徐々に見え、右端までたどりつくと一旦また暗闇になりそのあと、中央から光が戻ってきた。
やれやれ、僕は戻ってきたらしい。僕は首を傾けて、身体のこりをほぐした。身体を起こし、大きく一度背伸びをした。
時計をみると意識を失ってから五時間くらいの時間が経っているようだった。外はもう真っ暗になっている。
テレビ画面は砂嵐になってざあざあと雨降りのような音をたてていた。
僕はリモコンをつかんでテレビの音を消音にした。そして、テーブルのうえにあるミネラルウォーターと飲みほし、
クラッカーを少し齧った。そうこうしていると、ようやく身体がこちらがわに馴染んできたようだった。
足元には絨毯があり、ベッドには目覚し時計がありその上には油絵がある。大丈夫。僕は戻ってこれたのだ。



 アムロの言葉を僕は思い出した。北北東に10キロ。
さっそくホテルのフロントに電話して1/1000サイズの市内地図を持ってきてもらうように頼んだ。
ボーイが地図を持ってくるまでの間に僕はトイレにいき、ながい小用をすませた。自分でも信じられないくらいのながいながい小便だった。
僕の膀胱はまるっきり壊れたみたいに、尿を排出しつづけた。
ようやくそのながい小便が終わり、洗面所で僕が石鹸で手を洗っていると、ドアが優しく二回ノックされた。
ドアをあけると、品のいい笑顔を浮かべたドアマンがそこに立っていた。彼はお盆の上に地図と夕刊を数紙まとめて載せていた。
「さきほどお尋ねしたときはご不在のようでしたので」とまるで大統領にでも話しかけるように、うやうやしく彼はいった。
「ありがとう」
僕は礼をいい彼に多めにチップを渡した。ドアが閉まるのを確認した後、僕は新聞をとりあえずどけた。
これはいまはもう必要ではない。
ベッド脇においているサイドテーブルをソファのまえまで持ってくると、その上に新しいぱりぱりとした地図を広げた。
そして、僕がいる「もくば」ホテルからアムロが指差してくれた北北東に定規をあわせボールペンで線を引いた。北北東に十キロ。
線はぴたりと僕の予想どうりの場所で止まった。ビンゴだ。あそこにハサウェイは、僕の息子はいるのだ。
僕は深呼吸をしてから、冷蔵庫にむかい、そこからよく冷えたミネラルウォーターをとりだして飲んだ。
身体中の水分がさっきのトイレで全部しぼりとられたような気がしたからだ。


131 名前: ブライトノア・クロニクル(下)18/18 [ここまで読んでくれた人有難うございましたsage] 投稿日: 04/07/20 20:12 ID:???

 僕は洗面所に行き、顔をしっかりと石鹸で洗い、シェービングクリームを手に取ると、備え付けの髭剃りで丁寧に髭を剃った。
そして歯を丁寧に磨き、ワックスで髪をきちんと整えた。テレビを消し、部屋の室内灯を消した。ドアをあけ、廊下に出て部屋をロックした。
廊下にはあいかわらず犬のように従順なカーペットがひかれているだけで誰もいない。僕はからっぽのエレベーターに乗りこむ。
エレベーターで一階に降りる間、僕は「ネオジオン国歌」をかすかに口ずさむ。途中で男が二人乗ってきたが、構わず僕は唄いつづけた。
彼らは僕を怪訝な目でみていたが、目があうとすぐに逸らした。かかわりあいになりたくない、といった感じだった。
 一階につくとさっさとエレベーターをおりた。まっすぐに受付に行き、ホテルのフロントに頼んで、大至急タクシーを呼んでもらうようにいった。
「彗星タクシーしかまだ営業をはじめてませんがよろしいですか?」と品のいい笑顔でフロント嬢はいった。
さきほどのドアボーイとおなじ笑顔だった。一流ホテルは笑顔まで統一されているのだ。ひょっとしたら歯並びも規格化されているかもしれない。
かまわない、と僕は答える。べつに彗星だろうが木馬だろうが白鳥だろうが、タクシーならばそんなものはどうでもよかった。
「それでしたら、少しお待ちください。ただいまお呼び致します」と彼女はにこやかにいった。僕は礼をいってその場を離れた。

ロビーでタクシーがくるまでの間、玄関前のソファに腰をかけたまま僕はMSピープルのこと考える。



おそすぎたから、いけないんだ。


 MSピープルの予言を僕は繰り返す。たしかに僕はおそすぎた。単に時間という面でなく、ありとあらゆる面で。
その言葉はまるで石のように僕の意識の海に沈みこんで、底のほうから僕を縛り付けている。だけど、まだ決して手遅れじゃない。
彼はあそこにいるのだ。僕はそこにいき、ハサを、そしてミライとチェーミンを取り戻さなければいけないのだ。あるいは僕は負けるかもしれない。
また別の何かを損なうことになるかもしれない。もはやそれは取りかえしがつかなくなっている可能性だって充分にありうるのだ。
けれど、僕は、少なくとも僕だけはあきらめるわけにはいかない。
 僕は目を閉じて、そっとひそやかに呼吸をする。
どこかで声が聞こえる。僕を呼ぶ微かな声だ。誰かが僕を呼んでいる。僕はそれを聴くことができる。
それは呪いかもしれない。あるいは予言かもしれない。またそのどちらでもあるかもしれない。僕はその言葉をじっと聞く。
聞きながら、胸元のポケットに手をやる。そこには確かに紙切れが入っている。小さく折りたたんだメモ用紙だ。僕はその意味を考える。
僕は洞察しなければいけない。ちいさな言葉から漏れるわずかな感情のニュアンスさえも聞き逃すわけにはいかない。洞察するのだ。
ホテルの従業員がタクシーが到着した事を僕に告げる。僕は立ちあがり、ロビーをでる。その間も声は絶え間無く僕のもとにとどく。
誰かが僕を呼んでいる。僕はその意味を全身で理解しようとする。誰かが僕を求めている。
声にならない声で。音にならない音で。
世界のどこか片隅で。


                                                             (ブライトノア・クロニクル(下)後編へ続く)

ブライトノア・クロニクル(下) 後編

143 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  1/20 [すごく遅れてすいませんsage] 投稿日: 04/07/24 20:53 ID:???<ギギ・アンダルシアからの手紙 その1>
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 こんにちわ。ハサウェイ。突然、手紙をだしてごめんなさい。
私、ギギ・アンダルシアはいまニホンのキューシューというところにいます。貴方のお母さんの故郷っていってたところです。
とてもいいところです。空気は美味しいし、水もとても透き通っていて綺麗です。山も自然のまま残ってます。
戦争もないし、人々はみんな宇宙にいけることなんて未だに信じてないような顔をしてくらしています。いいことです。
宇宙なんてほんとは全部うそっぱちなんだ、ってあたしは会った人にいってます。

 私はケネスが借りてくれた別荘みたいなところに住んでいて、ここで、毎日、いろんなことを体験しています。
大抵は朝早く起きて、昼くらいまで勉強しています。
やっぱり勉強しなくちゃいけないな、って思ってきたんです。感性だけでいけるところなんて限界があります。
ハサウェイがあのときいっていたように、感性と知性のバランスを保たないと駄目なんだって思うようになったんです。
それに顔だけの女って思われるのもしゃくです。あたしは連邦のどぎつい閣僚夫人みたいになりたくないんです。

 そして昼過ぎになったら簡単な食事をつくります。大体はオムレツと牛乳とパンです。このへんでうっている牛乳は
すごく甘くて美味しいんです。搾りたてをそのままパックにしているんです。保存料とかそういうのは一切なしです。そのままです。
だから、その日飲む分だけ買って飲みます。一リットルくらいはぺろりと飲めちゃいます。

 昼からは大抵、外に椅子をだして座って読書をしています。
主に旧時代の本とかを好んで読んでます。ニホンの本はまだ読んだ事ないけど、昔のいろんな本をよみました。
旧世紀時代に、某国で革命をおこす原因になった「シホンロン」って本とかジオンみたいな軍隊を築いた人の「ワガトウソウ」とか。
はっきりいってまったくわかりません。時代背景とかちんぷんかんぷんです。けど、なんとなく匂いみたいなものは感じ取れます。
それはなんだか古ぼけた時計みたいなものです。もう止まって動かないんですが、そこには動いてきたことの残滓みたいなものがあります。
過去がぎっしりつまっているような感じ。嫌いじゃない。私は宇宙世紀になって旧時代の本をみんながよまなくなったことを残念に思います。
どうしてかよくわからないんです。なんでみんな読まなくなったんだろう。
きっとみんな宇宙という広い世界ばかりが目に入って、足元の小さな世界に目をやる余裕がないのかもしれません。


キューシューはほんとにいいところです。
あたしのいるところは昔、オオイタとかミヤザキとか昔言われていたところです。すぐ近くには海があってそこにはいろんな魚が泳いでます。
モビルスーツは全然みません。いちどアッガイみたいな漁師のおじさんをみたきりです。彼は手におおきな「にじます」を持ってました。
あたしがじっとみていると彼はそれをくれました。とってもいい人です。お礼をいって、早速、ソテーにして食べました。美味しかったです。


ケネスは相変わらず女のコとばかり遊んでいます。つい先日はメイスっていう女性の所に浮気をあやまりにいきました。
結果はどうなったのか知りません。けど、泊まって来たらしいのできっとうまくいったんでしょう。
彼はいまは組織をまだつくる時期じゃないといってます。マフティーに匹敵する組織をつくりたいみたいなんです。
けど、連邦の監視が完全に溶けるまで(それはいつになるかわからないのですが)、当分おあづけみたいです。

呑気なものだなって思います。けれど、それは女の考えなのかもしれません。実は影で色々進めているのかもしれません。
けれど、ケネスはそれを教えてくれないし、あたしも聞きません。
だって、あたしはここでゆっくりと死ぬつもりなんだから余計なことは知りたくないんです。

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144 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  2/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 20:57 ID:???
5章    
      タクシー、繋がり、蛍


 空には地中に眠っている太古の動物の骨のように白い月が、鋭い弧を描いて昇っていた。
それはまるで僕がさきほど工場でみた「ひげ」ガンダムの「ひげ」みたいな形だった。まわりには星が申し訳なさそうにちらちらと輝いていた。
タクシーの運転手は若く、ガムをくちゃくちゃさせながらハンドルを握っていた。親の仇を口に含んでるような乱暴な噛み方だった。
もしかしたら親はガムが喉に詰って死んだのかもしれない。世の中にはそういう死に方をする人もいるのだ。
僕の士官学校時代の友人に飴を喉につまらせて母親を亡くした男がいた。そのせいで彼は飴をひどく憎んでいた。飴を舐めている子供がいたら、
とりあげてどこか遠くに放り投げるくらい憎んでいた。彼はそのたびに近所の住民から警察に通報されて連行させられていた。
取り調べ室で彼はこう主張していた。
「おまわりさん、あれは悪なんだ。悪が擬態化しているんだよ」
けれど、当然ながらそんなことを警察は認めてくれない。くだらない言い逃れだと決めつけた。彼は書類送検されて略式起訴をうけた。
執行猶予がついたけれど、その後、同じような事件でまた捕まり、今度は刑務所におくられた。
士官学校で優秀な成績だった彼の消息はそれ以降、まったく僕の耳には入ってこない。そんなことをふと思い出した。



 冷房の効いた車内のスピーカーからは黒人シンガー独特の野太い力強い歌が流れていた。
悪くない曲だった。充分な発声とよく伸びる低音を持っていた。そして雨が降るのをながめる少年のような切なさを含んでいた。
だが、僕にはこれが誰の歌かどうかさっぱりわからなかった。
音楽の曲調や録音音声の悪さから言って旧時代に録音された音楽じゃないだろうかと検討をつけた。
「ねぇ、レイ・チャールズって知ってる。おじさん?」と運転手が突然後ろを振り向いたので僕は少しびっくりする。
なんだって?レイ・チャールズ?
「旧世紀にアメリア大陸で大ヒットした伝説的なミュージシャンだよ?知らない?この曲。結構有名なんだぜ」
「知らない」
「けっ。いけてねぇな。これだから中年をのせるのはいやなんだよ」と、彼はいった。そして、もう興味はないといった風に前を向いた。
やれやれ、だって僕は今現在歌っている歌手の名前すらもあまり知らないのだ。旧世紀の曲なんてわかるわけがないじゃないか。
テレビも見ないし、雑誌もほとんど読まない。見てもせいぜいミライが買ってきた婦人情報誌をちらりとながめるだけだ。
軍務のせいで暇はないし、そんなことを覚えるの時間が無意味に感じるのだ。いつ死ぬかわからない暮らしだと、そんな風に思ってしまう。
だから必然的に僕は世間の事をあまり知らない。いま、巷で何が流行っていて、何がすたれているのかなんてわからない。
こうしてみると、軍人とは白痴に近いのかもしれない。冗談でもなんでもなく。

145 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  3/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:02 ID:???

 道路は全くといっていいほどガラガラだったので、僕の乗った「彗星」タクシーは名前のとうりすいすいと進んだ。
途中、大きな道路を通るときに検問が何度かあった。軍の上層部はきっとマフティーの残党たちによる報復活動を警戒しているのだろう。
片手にマシンガンを手にしたまま近寄ってきた兵士達に、連邦の身分章をみせると彼らはあわてて最敬礼と共に後ろに後ずさった。
彼らの直立不動の敬礼に見送られながら、僕は思い出す。そういえば、僕はいま南太平洋一帯を取り仕切る総司令官をしているのだ。
だかといってなんだというわけではないのだけど。
「おじさんってえらいんだ」と、急に態度が変わった兵士達をバックミラーでみながら、若者が感嘆したように口笛を吹いた。
「それほどもないよ」と、僕はいった。「所詮は組織の歯車さ」
 そうこたえながら、僕はふと昔も同じことをいったような気がした。いつ誰に言ったのだろう?思い出せない。
年をとると思い出せないことが多すぎる。というよりも僕がいつもおなじことしかいっていないからかもしれない。
絶望的にボキャブラリーがすくないのだ。戦闘中にも、だから左舷が薄い、とか弾幕が薄いとかしか僕はいうことができなかった。
それがクルーの間でからかいの種になっていることもしっていた。どうでもいいことなので放っておいたのだけれど、
やっぱりもっと本を読んだほうがいいのかもしれない。辞書も買って艦長室においていたほうがいい。

 僕は窓の向こう側に目をやった。
道路にはいたるところに瓦礫が積まれていた。ビルは崩壊し、まるで子供が去った後の砂場の城みたいになっていた。
そこには夢の残骸だけがのこり、他には何も残ってなかった。無邪気で無意味な暴力だ。五日前の惨劇のひどさが僕にはよくわかった。
これは全てハサと連邦がやったことなのだ。僕はその重みを、否定することのできない事実を受けとめる。
僕はその二つに属し、どちらにも責任があるのだ。やれやれ、一体どうしてこんなことになってしまったんだろう。
まるで右手と左手を頑丈なロープで縛られて、バイクの先にくくりつけれたまま逆の方向に引っ張られているみたいだ。
僕はどちらにもいけず、ただその場で苦痛に耐えることしかできない。

 「ねえおじさん」と、若者がまた声をかけてきたので、僕はこの不毛な考えを一時中断した。
彼はラジカセの入った救急箱サイズのブリキの箱をこちらに放り投げると、
「そのなかで好きな曲を選んでいいよ。サービス」といった。
僕は苦笑する。サービスにしてはいささかあらっぽい。彗星タクシーはどうやらかなりゆるい規律のようだった。
中に入っている曲はどれも旧世紀の歌手だった。僕はテープの背表紙に書きなぐられた文字を読み取る。
ドアーズ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、クリーム、イギー、デュラン・デュラン、ポリス…
どれも全く聞いたことはなかった。知らない歌手ばかりだ。手に取ると、それらはまるで僕の手の中にいるのを拒絶するように硬い音を立てた。
僕は何かしっている曲がないか箱の中をじっくりと覗きこんだ。なにかがある筈だ。
それは確信に近い予兆だった。僕はそれがわかる。
 そのなかに「軍歌(ジオン関連)」とかかれたカセットをみつけたとき僕は驚かなかった。当然におもえた。全ては繋がっているのだ。
ありとあらゆるものは目に見えない何かで連結しているのだ。その糸はあまりにも細いけれど確かに僕に繋がっているのだ。
信号待ちの際に、僕は彼にそのテープを渡す。彼は僕の顔とテープを交互に見比べて口笛を吹いた。


「おじさんってひょっとして元ジオン軍だったりする?」
「そうかもしれないね」と、僕は曖昧に答えた。
「それなのにいまでは連邦のお偉いさんか。すげえ」と、彼はいった。そして、テープを入れ替えてくれた。
 ちょうど信号が変わり、タクシーはゆっくりとスタートした。エンジンの回転数があがる際の振動が後部座席の僕を僅かにゆらす。
カー・ステレオから流れ出すジオン公国国歌を聞きながら、僕は自分が元ジオン軍だったらどうなるだろうと考えた。
そうだったら僕の運命はどんな風に変わっただろう。
 僕はそのIFについて暫く脳内でシミュレーションしてみた。連邦のときとおなじ階級でたとえばムサイに僕が配属されたと仮定してだ。
綿密なる計算の結果、僕は12月に、あのソロモン沖開戦で名誉の戦死を遂げるという結論に達した。戦果はジムを10機とボールを5基、
アムロの乗ったガンダムの盾の破壊、それにガンキャノン一機と相打ちいったところだった。わるくない。春先のネモくらいわるくない。

146 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  4/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:07 ID:???

 タクシーが止まったのはアデレート空港から南に数キロすすんだ人気のない地点だ。
そしてそこは僕が指定したとおりの場所だった。

 僕は礼をいって指定された金額より多めに運転手に渡した。
「ねぇ、おじさん。帰りが大変だろうから待っててやろうか」と、彼はいった。
「それにさ、こんなところでいったいなにがあるっていうんだよ?」
「ありがとう。けれど、きっと遅くなると思うからそれには及ばない」と僕はいった。ここで何があるかはいわなかった。いえるわけない。


 料金をうけとった彼がハンドル脇のボタンを押した。後部座席のドアが開く。僕はそこから降りながら彼に
「そういえばどうしていまどき音楽チップじゃなくてカセットを使っているんだ?」と聞いた。ずっときになっていたのだ。
「あぁ、これは俺のひいひい爺ちゃんがデッキと一緒に残していってくれたやつらしくてさ。
うちの親父がアナログなやつで、これを家でいつも聞いてたんだけど、去年しんじまって。そんで形見として俺がもらったんだ」と運転手はいった。
「まだまだ現役でつかえるんだぜ。ニホン製らしいんだけどすげーよな」
「たしかにすごい。大事にすることをすすめるよ」
 僕はカセットテープが宇宙世紀の時代に残り、親から子へと引き継がれていく光景を想像した。わるくない。
そうおもってからカセットテープをみると、それらは幸せそうに箱の中に入っていた。小さいけれど確固たる幸せがそこにはあった。
僕はそのことにひとりで満足する。なにか嬉しくなる。
物のありようも、人のありようも幸福の形は似通っているのだ。


147 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  5/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:14 ID:???


 空港には人気は全くと言っていいほどなかった。どんな些細な気配すらもなかった。鳥すらいない。
そのなかで、ただ僕の靴のかかとが補修された強化アスファルト接触する際のコツコツという乾いた音だけが響いた。


 僕がここにきた目的の彼……クスイーガンダムは昨日見たときと同じ態勢で地上にあった。そのことに僕はほっとした。
もしかしたらもうここにはないんじゃないのかと思って心配だったのだ。まだここにあってよかった。
物影にしゃがみ込みあたりを見渡すが誰もいない。警戒のために兵士が数人残っていてもよさそうなものだけれど、どうやら連邦は
そんなことしないようだった。まるで敵のモビルスーツを無警戒に放置する事で自分たちの勝利を完全なものだと勘違いしているみたいだった。
その油断がいままでにいくつもの哀しみを引き起こしてきたことを彼らは全く気にしてないのだ。
やれやれ、僕はおもう。いったい何回ガンダムを強奪されたら気が済むんだ?
 僕はそんな連邦の学習能力の無さにうんざりした気分になった。けれど、今回ばかりは連邦のその怠慢さに感謝しなければならない。
僕はズボンのポケットに手をつっこんだまま空港の滑走路のはしっこを横断した。飛行機はひっそりと隅のほうにあつめられていた。
その姿はまるでア・バオア・クーのときのボール達みたいに、これからの先行きをとても不安がっているようにみえた。


 クスイーガンダムはまるで眠っているようにみえた。それもただの眠りではない。
致命傷を脇腹に負った老兵が、最後に妻や子の顔を思い笑みを浮かべながら死んでいくようにそこにはある種の完結性が存在していた。
ガンダムにとってそこでくちたえていることは少しも不幸ではないのではないか、と僕は思う。
世の中にはそういった死というものがある。
 まるで予定どうりといったような感じで彼は森と地面とコンクリートの間に埋まっている。月がそれをやさしく照らしあげている。
僕は近づきながら、幸福な死について考える。ガンダムとの距離がせばまっていくにつれその考えはどんどん確信を深めていく。
腕を伸ばせば、手が触れるところまでちかづいたとき、僕はひとつの結論に達する。
これは終局の1つの形では有ったけれど、けして不幸な終わり方ではなかったのだ。グッドエンドとまではいえないが、バッドでもない。
ガンダムは現在の自分の状況に納得しているのだ。

 僕はそのまま三十秒ほどガンダムをみていたが、やがてゆっくりと行動を開始した。
突起やひび割れた装甲の部分に手をいれて、ゆっくりとよじのぼっていく。横たわっているのでそれほどの高さじゃないが、
暗いので僕は滑り落ちないように、3点確保を意識しながらゆっくりとのぼっていった。ガンダムの装甲はひんやりとして冷たかった。
僕はその冷たさは夜の所為だけではないと知っている。
なんとかハッチの部分にまでたどり着いた僕の視界に青いものが目に入った。なんだとおもったが、どうやらビニールシートのようだった。
夕べのときと違い、コクピットの部分は青いビニールシートで乱暴に塞がれていた。どうせ操作系統はイカれているのだから、これは
強奪などの予防というより雨に濡れてしまうことを避けるためだろう。馬鹿げてる。僕はそれを剥ぎ取った。そして中をのぞきこみ、息を呑む。


148 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  6/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:23 ID:???

 コクピットはまるで一面に蛍をしきつめたように仄白く発光していた。
まるで夜空の星のいくつかが、なにかの手違いでここに零れ落ちてしまってきたんじゃないかと思えるくらい美しい幻燈だった。
僕はその透明な星の光にしばらくみとれた。それは決して人為的に生み出す事ができない種類のものだ。いくら科学技術が
発達したとしても、こういうものは決して作り出せない。魂を人が作れないのと同じように。

 けれど、いつまでも惚けてはいられないので、僕はおそるおそるコクピットにはいり、座席に腰を下ろした。
少し傾いているので不自由な態勢にはなるが、なんとか座れる。
 僕が入ると、まるで異物が混入された細胞みたいに光は困惑し、赤くなったり青くなったり黄色なったりと、変化をし始めた。
実際、僕は異物そのものなのだろう。僕は元々存在しうるものではなく、許容されるべきものでもないのだ。
このまま光の中に飲みこまれてしまったらどうしようか、とおもいその恐怖に、僕は唾を飲みこんだ。
けれど、そんな心配をよそにやがて光はあきらめたように変化をやめていった。次第に色と色の輪郭がぼやけていった。
赤や青や黄色は、全てが柔らかくまじりあいながら溶けていき、ゆっくりと綺麗な緑色へと変わっていった。
その色は僕に地球を包み込んでいたサイコフレームを思い出させてくれた。人の意思がみせる究極の結晶。意識の宝石といってもいい。
それが僕の眼前で構成され、ちらちらと輝いている。宝石収集家がみたら卒倒するほど最高のシチュエーションだ。
 そんなことをおもいながら、僕はなんとか首をうごかした。
開けっぱなしのハッチから空を見上げた。月の光が差しこんで僕の腰の辺りまで白く染め上げていた。僕はその部分をじっと眺める。やけに白い。
月に照らされている下半身の部分が骨になってしまってるようで不安になった。僕は足を動かそうとしたが全く動かなかった。
頭の奥の方のある一点が微かにしびれて、身体の自由が利かなくなっているみたいだった。

 うごかすことをあきらめて目を閉じる。僕は想像する。世界に僕とガンダムしかないことを想像する。そこは無音の世界だ。
ありとあらゆる物音は具象化されて床に落ちる。鳥の歌も、風の囁きも、星のまたたきも全てが固まってしまう世界だ。
 たとえばの話だが、その世界で僕は言葉を一言だけいう。それは空中に出たとたんに、冷凍庫に入れた水のようにかたまり、
どこにも届かない。世界は音が独立して存在することを許さない。全ての音は誰の耳にも届かない。
僕はコクピットの中でその深淵のような沈黙にずっと身体を預ける。この世のあらゆる音は全てガンダムのなかに吸いこまれているのだ。
降り積もった雪がやがて溶けて地表に染み込んでいくように。
僕はガンダムの中に沈みこむ。『移行』しているのだ。と僕は思う。次元から次元へとゆっくりと移行しているのだ。
そして、僕はあたりを取り囲んでいる緑色の光につつまれてしまう。






                     「少し話していいかな?」




ク・ス・イ・ー・ガ・ン・ダ・ムのなかで、マフティーがいった。


149 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  7/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:27 ID:???
6章  
          マフティー・ナビーユ・エリン


「いいとも」と僕はこたえた。
「遅くなっちゃったかな」
「かまわないさ。いまきたばかりだし、僕はそのためにきたんだ」

 僕は立ちあがる。もうここは狭いコクピットではない。
まわりには電信柱のようにいたるところにガンダムが乱立し、その下に人が忙しそうに働いている。
誰もが幸せそうに、楽しそうにガンダムを構築し、のこが、スパナが、ドライバーが無数に床に転がっている。
そう、ここはガンダム生産工場だ。僕は再びここに戻ってきたのだ。
僕は足元にあるタイルの感触をしっかりと踏みしめることで現実をしっかり確認する。たしかに僕は戻ってきたのだ。
もう一度しっかりと踏みしめたあと、顔をあげてマフティーをみる。そう、マフティーだ。目の前にいる男はマフティーなのだ。

「身体中がまだ痛くてね」とマフティーは言い訳するようにいった。「バリアーとの接触で皮膚が重度のやけどになってしまったんだ」
「聞いたよ」
「それにまだほら、このへんの傷がふさがっていない気がするんだ」
彼はそういって、左胸のあたりーーーちょうど心臓の部分ーーーをそっと指でなぞった。
まるでまだそこに無数の穴が空いているみたいに。僕はなんていったらいいかわからない。
だからただじっと黙っていた。


「あぁ、気をわるくしないでほしい。別にブライト艦長を恨んでいるわけじゃない」
僕が黙り込んだのをみて、あわてたように彼はいった。「誰も恨んじゃいない」
「本当に誰も?」
マフティーは頷いた。実に素直な頷き方だった。
「個人的な私怨はないよ。キンバレー部隊は自分たちのやるべきことをやったのだし、自分たちもそうだ。
連邦政府のやりかたには憤りを感じたけれど、個人には余計な感情はない。やるべきことをどちらもやった。それだけさ」
「けれど、逆に君達に対して個人的な怨みを持っていた人は多かったみたいだけど」
僕はいった。そうでなければ裁判もせずに処刑などという、どう考えても問題になるやり方を閣僚たちが指示するわけはない。
彼らはマフティーをはやく殺したかったのだ。一刻も早く柩のなかに放りこんでしまいたくてたまらなかったのだ。

「仕方ないさ。こちらはテロリストだ」と、マフティーは淡々といった。諦めてるというよりは、そういうものだと認識してるみたいだった。
「正当化するつもりはまったくないよ。テロはテロだし、粛清のさなかにいろんな人を巻き添えにしたから」
「空港も壊したしね」と、僕はいった。マフティーは首をすくめる。「だって仕方なかったんだ」

だって仕方がなかったんだ。僕はその言葉を暗誦してみた。その言葉はよくできた魔法のようにおもえる。
オーケー。仕方がない。一年戦争グリプス戦争もシャアの反乱もみんな仕方なかったんだ。
おわってしまえば全ての物事は必然だったように歴史家によって整えられる。まるでそうなるべきもの、市販されている
ジグソーパズルのピースみたいに、ぴったりと原因と結果が結びついて、全ては起こるべきものだったとみなされる。そういうものだ。


150 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  8/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:29 ID:???
「どうしてアデレートを狙ったんだ?」
「…わるいけど、今更いちいちいいたくない。声明のときにいったことが全てさ」
そんなことも知らないのか、というような目で彼はこちらをみた。
もちろん、僕はどうしてここを狙ったのか知っている。けれどマフティーの口から直接聞きたかったのだ。
直截的に彼の言葉をききとることができれば、僕はもっと理解できる気がする。
「君の口から聞きたいんだよ」と、僕はいった。
連邦政府調査権の修正法案さ」とマフティーは吐き捨てるようにいった。

僕はその言葉で、マフティーがアデレートを直撃する前にした演説を思い出した。たしか、こういう内容だ。


※ ※

・・・今回のアデレード会議が、この連邦政府差別意識を合法化するための会議であることは、
どれだけの方がご存知でしょうか?
アデレード会議二日目の議題のなかに、地球保全地区についての連邦政府調査権の修正、
という議題がありますが、これはとんでもない悪法なのです
この第二十三条の追加項目にある文章は、官僚の作文なので意訳しますが、
たとえば、連邦政府の閣僚から要請があれば、オーストラリア大陸に土地を所有している方々からも、
任意にそれらの土地を提供しなければならないことになります。
もちろん、正規の居住許可をもっていらっしゃる方からでも、土地を取りあげることができます。
代償は、収容する土地と同じ面積の土地を所有者の指定するスペース・コロニーに請求することができるというものです。…

※ ※


確かにこんな法案をとおしてしまえば連邦の横暴はますます加速度的にひどくなる。
いささかアジテート的な演説だったとはいえ、内容はもっともなことだった。マフティーは立ちあがらざるを得なかったのだ。
好むと好まざるとに関わらず、それは行われなければいけない事だったのだ。

「君が行動に走った理由はわかるよ」と僕はいった。
「わかる?」マフティーはその言葉にぴくりと眉をあげた。「いったい貴方になにがわかるっていうんだ?」
その言葉には先程までと違い棘が含まれている。ぎざぎざとした鋭い棘だ。僕は黙る。
「嘘をつくなよ。なにもわかっちゃいないくせに。
貴方はいままでいろんな戦争に参加したけど、そのなかで1つでも自分の意志で選びとったものがあるのか?
どれもこれも身に降りかかってきた災難みたいに思ってるんじゃあないのか?受動的で。なにも掴み取ることもなくね。
アムロさんやシャア・アズナブルカミーユビダンといった人達に会っても、なにも影響を受けることはなく、
貴方はただの戦闘マシーンとしてみんなをごくごく実務的に扱ってきたんだろ」
マフティーの語意は強かった。彼は真剣に怒っているのだ。
彼は僕がロボットのようにニュータイプを酷使したことを真正面から非難しているのだ。

151 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  9/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:43 ID:???


「そうかもしれない」と僕は認めた。艦長としての責務をはたすことを第一義と考えすぎて、彼らの思想や苦悩や理想に
頭が回らなかったことはたしかなことだ。「だけど、」と僕は続けようとしたが、マフティーは僕の言葉をさえぎった。
アムロ・レイシャア・アズナブルが行方不明になったあとも貴方はなんらかわることなく日常に戻った。
まるでちょっと近所にタバコでも買いにいって戻ってきたような気安さだった」
それは許されることじゃない、とマフティーは続ける。「貴方は責任を放棄したんだ。ニュータイプといわれる人種を
全て見続けていても貴方は何もかわらなかった。連邦にたいしてより愚鈍に、より従順になっただけだ。
貴方の姿はまるでオールドタイプは一生オールドタイプだという実存証明みたいにみえた。なにもかわらない馬鹿さ。
そんな人間に一体マフティーの何がわかるっていうんだよ?」

僕は黙って彼の言葉を聞く。そう、僕は何も変わらなかった。僕がしたことといえば3年前に辞表をだしたくらいだ。
そして、それすらもつい先日まで連邦に受理されていなかったのだ。

「まっとうき全体というものに人類が収斂されなければ結局、問題は何も解決しないんだ。連邦なんて腐りきってるんだ。
僕はそれを行動によって、人類に知覚させようとした。ニュータイプに促すにはやや過激な方法もとらざるをえなかった」
彼はそこで一旦大きく息を吐いた。

「現在の体制への否定が、すぐにニュータイプへとスライドするとまでは考えてなかったけどね。
ただ、それでもそこに可能性があった。貴方と違ってね。
僕の仲間もいっていたよ。ブライト・ノア艦長は英雄だといってるがただの軍の犬なんじゃないのかってね。
あんなのが未だにホワイトベースで残っている唯一の士官だなんて笑わせるって。俺もそうおもったよ。
普段は監視されて警戒されて地球に縛られているのに、シャアの反乱のときみたいな有事にだけ宇宙に呼ばれる。
まるでレンタルビデオみたいにさ。そんな扱いをうけて、連邦に失望しながらも、いざ呼ばれたらこれみよがしに尻尾をふる。
そんな貴方の姿は僕には・・・」
そこで言葉が止まる。マフティーは突然言葉を失う。次に発するべき言葉がふいに掻き消えたみたいに彼はうつろに口をあけて、
ただこちらをみる。目にはいいようのない哀しみがある。「僕には・・・」
彼はなんとか言葉を探し出そうとする。けれど、それはもう既に損なわれてしまいみつからない。
言葉は宙にきえてもう二度と戻らない。


 かわりにマフティーは、深い深い溜息をついた。まるで肺の中の酸素を拒絶するみたいに彼は息を吐き出した。
彼のからだの中の肺が全部つぶれちゃうんじゃないかと心配になったくらいの長い溜息だ。
そして、吐いてしまった後、彼はじっとおし黙った。敗戦の報を聞いたジオン兵捕虜みたいに。僕も何も喋らなかった。
時間だけが過ぎていった。そのまま、かなりの時間がゆっくりと沈黙のなかに押し流されていった。
どれだけの時が過ぎたかはわからない。時はとつぜんに膨張したり縮小したりを繰り返しているようで、
正確な時間の経過が僕には把握できなかった。ここにきてからどれだけたったのかさっぱりわからなかった。二分のようでもあるし、
20分のようでもある。僕は手のつけねを指で押さえて脈を測ろうとした。脈拍で時間を測ろうと思ったのだ。
だけど、僕は全然血液の流れを感じることができなかった。血液はまるで止まってるみたいだった。僕はあきらめて手を離す。



152 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  10/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:53 ID:???
「いま僕がいったことは全て忘れて欲しい」と、ながい沈黙のあとにマフティーはいった。「どうかしているんだ」
「気にしなくていい」と、僕はいった。もっと僕は責められるべき人間なのだ。
「何か言いたいことがあるなら全部吐き出してもらってかまわないよ。僕はそれを聞くためにここ来たんだから」

僕は全てのことを甘受しなければならない。ニュータイプといわれるものを浪費してしまった罪を背負わなければならない。
そして、君を見殺しにした事実を背負わなければならない。
マフティーは首を振った。彼はひどく落ちこんでいるようにみえた。
まるで大事な宝物を粉々に破壊してしまった少年みたいに、沈痛なおももちで彼は俯いた。
「もういいんだ」
唇をかみ締めて、そういった。その姿は飼い犬が噛みついたことにショックを受けている飼い主みたいだった。
もしくはアムロに拒絶されたカマリア夫人みたいでもあった。

僕はそんなマフティーの姿に、革命家の苦悩といったものを漠然と理解できる。
だけど、当然のことなんだけど、僕には彼を癒すことなどできない。革命家は常に孤独なのだ。ジオン・ダイクンしかりシャア・アズナブルしかり。
マフティー・ナビーユ・エリンが革命家なのか、テロリストなのか、世間の論調はさだかではない。けれど僕は革命家として扱いたかった。
そうでなければ彼はあまりに不幸過ぎる。そして、僕はおもう。彼をすくってあげられるのはきっと僕ではないのだ。
彼を救うには全人類が解脱してひとつの善い集合体(つまりニュータイプ)になることしか考えられない。マフティーとしての幸福はそこにあるのだ。
そして、いまの僕にはそれはどうしようもできないことなのだ。残念な事に。


僕はいったんガンダムに目をやり、工場全体に視線をはしらせた。誰もこちらを気にしていなかった。
「本当にもういいたいことはないんだね?」と、僕はいった。それくらいしか僕には彼を救えないのだ。どれだけ棘を指してもらっても構わない。
「もういい」とマフティーは短くいった。

「それじゃあここからは連邦の大佐じゃなくて。ブライト・ノア一個人になりたいんだけど、構わないかな」と僕はいった。
マフティーはぼんやりと焦点の合ってない眼でこちらをみた。「駄目かな?」と僕は問うた。彼は眉間にずっと寄せていた皺をふっとゆるめた。
「僕もハサウェイ・ノアとして話すよ、父さん」とマフティーはいった。


153 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  11/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 21:59 ID:???
7章  
         ハサウェイ・ノア




僕とハサウェイはそれからかなりの時間をごくごく個人的な会話に費やした。
普通の親子がするような平和で辺り障りのない会話だ。もう戦争の話はしなかった。目の前にいるのは
植物監視官見習としてのハサウェイ・ノアなのだ。そこに先程までの怒りや苛立ちといったものは存在しなかった。

僕とハサウェイはここ数年そんなに長く会話をしたことがなかった。ある意味、疎遠といってもいい。
20を過ぎた息子と父親が話すことなんて限られているのだ。にもかかわらず、ここでは僕らは親密な親子のようにありとあらゆることを話した。
最近見た映画のことや、ぼくらが共通して応援している贔屓の野球チームのこと(コロニー対抗戦。とても移動に時間がかかる)、
子供のころによくいったホンコンシティの一角にある古ぼけた中華料理店、更にはチェーミンが以前連れてきたボーイフレンドとの顛末、
カイがジャーナリストとして出した本が結構な売れ筋になっていることなど実に色々だ。
そういった泥のようにあたたかい過去の話を僕達は飽きる事なくしつづけた。まるで現在失われた何かを一時の間でも取り戻すように。
僕とハサは地面にあいてしまった大きな穴を埋めるために、そのなかに過去の記憶をどんどんと放り投げていった。

やがて、穴がふさがってしまうとそういった話題も終わる。僕とハサウェイは、それでもなにか話題を探す。
沈黙が怖かったのかもしれない。親密な時間をなくしたくなかったのかもしれない。それで僕はなにか話題がないか考えた。
そして、ふと、僕は彼になんのきなしに「MSピープル」のことを聞いてみることにした。


「MSピープル?」と、ハサウェイは聞き返した。
「そう。ラーカイラムでみたんだけど、小人っていうのかな。とにかくサイズが僕らより一回り小さい人間なんだ」
「ふぅん。それで?」
「彼らはラーカイラムのドックの片隅で、この工場と同じくガンダムをつくっていたんだ。それもハサが乗っていたクスイーガンダムをだよ。
奇妙なことだとおもわないか?MSピープル、もしくは、そういった存在に心当たりみたいなのはないかな?」
「うーん。そうだな・・・・ないね。わるいけど」
「ここの工場となにか関係が有るのかと考えてたんだけど、まったく関係ないのかな」
「ないんじゃないかな。すくなくとも僕の知るかぎりではそんな人はいないけど」と、ハサは興味なさそうにいった。
彼は答えながら、右手で髪の毛を少しいじっていた。僕はその細い指先をじっと眺めた。彼の髪質は僕と一緒でやや癖ッ毛だ。
僕はぼんやりとチェーミンは母さん似の髪質でよかったな、とおもった。女性は綺麗なストレートの方がいい。
そのほうが自分の好きな髪形が出来る。僕なんてここ20年あまりずっと同じ髪型なのだ。その所為で、一度かつらとおもわれたこともあるのだ。


154 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  12/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:02 ID:???

ハサは髪の毛から手を離した。
「どうしてそんなにMSピープルを気にしてるの。父さん」と彼は尋ねた。
どうして?どうしてだろう。そうあらためて問われるとよくわからなかった。
「どうしてかな。予言をもらったからかもしれない」と、僕はいった。
「予言?」
「呪いといってもいいかもしれないけど。彼らは僕に『もうダメなんだ』と宣言してきたんだ」
ハサはその言葉の意味について考え込むように、宙を見上げた。僕もつられて空をみる。油にまみれたパイプがみえた。
彼は中空に答えが漂っているかのように有る一点をじっとみつめて、そして、ふっと視線を僕に戻した。
「それで、父さんはダメだとおもったの?」
「正直、最初は意味がわからなかった。なにをいってるんだ?と、そうおもったよ。不愉快になったし、無気味におもった。
けれど、ミライが電話にでなくなって、彼らのいっていることは本当じゃないかと考えるようになった。予言か預言かわからないけれどね。
2番目にアデレート空港でガンダムをみて、MSピープルがつくっていたのとそっくりだとわかり、その符号の意味を考えるようになった。
そして、最後に、夕刊で君の事実をしった。そして、MSピープルが伝えたかったのはこのことじゃないかとおもうようになった。
彼らはこの事実を僕に伝えたかったんじゃないのかってね」
「それじゃあ、今でも『もう駄目だ。手遅れだ』とおもってる?」と、ハサは僕の目を真っ直ぐに見据えていった。
水晶玉のような瞳のなかに僕がうつっているのがわかった。それは違う、と僕はいった。

「ここにこれなければそうおもったかもしれない。けれど、僕は君を想像し、ここにくることができた。
僕はあきらめないよ。アクシズが地球に落ちるのが決定的になったあとも一人で押していたアムロみたいにね」
あのとき、正直ぼくは隕石が落ちるのは運命だと決めつけた。アムロは諦めなかった。
それは決定的な差だと僕はおもう。あの空域にいた人間のなかでアムロだけが最後まで、諦めなかったのだ。
その意志がまわりに影響をあたえ、あの奇跡的な現象をおこしたのだ。だから、僕も諦めない。

「それなら、気にすることはないんじゃないかな」
ハサはそういって、もうこれでこの話はお終い、という風に微笑んだ。一年戦争が終わったときのジョブジョンの笑顔に似ていた。
「全ては気の持ちようだよ。予言だ、呪いだって曖昧なものに縛られるのはやめにしないと。目に見えるものや、自分だけを信じようよ」
僕は頷いた。たしかにそうかもしれない。
けれど、僕は思う。
 どうして彼らはガンダムをつくっていたのだろう?工場ではなくて、ぼくのいる実際的な世界で。何故なんだ?
僕はそのことについてもっとゆっくり考えてみたかったけれど、とりあえず今はやめておくことにする。
僕はここにいるうちにまだ確かめておきたいことがもう1つある。ハサにそれを尋ねておきたかった。


ガンダム生産工場について聞きたいんだけど」と、僕はいった。
「なにかな」
「将来、この工場にある全てのガンダムが完成したら皆は、どうするんだ?」
物事には始まりがあれば終わりがある。果てしないようにみえるこのガンダム製造作業もいつか終わる。
その後、皆がどうするのか僕はどうしても知りたかった。


中で寝るんだよ。とハサウェイは辺りのガンダムを見渡して、幸せそうにいった。


155 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  12/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:05 ID:???
8章   地球の子供達はみな眠る




…僕らはみんなきたるべきときにそなえて、完成したガンダムコクピットで眠りにつくんだ。
パイロットスーツに着替えて、ヘルメットのバイザーを下ろして、シーツに腰を沈めてから、ぐっすりとねむるんだ。
誰からも傷つけられることもなく、誰もこちらを傷つけない。ガンダムが僕らを保護してくれるんだ。
ねぇ、とうさん。ガンダムていうのは敵を倒すんじゃなくてあくまで『保護』してくれていたんだよ。
いろんな思想や欲望や宇宙の不可逆的な矛盾といった圧倒的なにかから、僕らを内包してくれてるんだ。


 ハサの言葉は僕のあたまのなかに直接届いているみたいだった。彼の唇は動いているけれど、音はそこから漏れていなかった。
僕はこれがアムロのいっていた意志の交感なんだろうかと考える。


ガンダムとは単に宇宙や真空や深海で人の生存を保護するだけじゃないんだ。物理的な側面はあくまで二義的なんだよ。
そこにある魂それ自体をガンダムは保護してくれているんだ。暴力的な存在やわけのわからない不条理といったものからね。
僕らはそれこそを恐れるべきだし、それから逃れることが一番大切なことなんだ。


 ハサはそういうと、そっとガンダムを見上げた。手を伸ばし、その冷え切った装甲に触れてハサは目を閉じる。
僕の目からはハサとクスイーはものすごく小さな糸で緊密に結ばれているようにみえる。まるでへその緒のような親密な糸で。

                             
 不条理なもの。
僕はその言葉で、飴をひどく嫌悪していた友人を思い出した。彼の衝動は不条理としかいいようのないものだった。
僕は彼や、彼みたいに不条理なことで、あらゆるものから傷つけられたりするひとたちがガンダムによって保護されること考えた。
それはとてもいいことだとおもう。ガンダムは兵器だなんて夢のない一般論的な解釈なんかよりずっといい。
それに、νガンダムが隕石を押し返してからというもの僕は一般論を信じないようにしている。
現実はときとして夢をこえて僕らに可能性を提示してくれる。ガンダムが飴から人を守ったって全然不思議じゃない。
ガンダムはなんせ隕石を押し返したのだ。

「不条理なものからの保護」と、僕は口に出す。
「そう。そして、ガンダムは僕達という不条理を今度は中に抱えたまま眠るんだ」
ハサはいった。「素晴らしいとおもわない?」
「いいね」と、僕はいった。
「まるで不条理のサンドイッチだ」


156 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  14/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:12 ID:???

 僕はいささか立っているのに疲れてきたので、クスイーガンダムの背にもたれかかるようにして座った。
ガンダムは僕の背をしっかりと支えてくれている。そんな僕の様子をみながら、ハサがいった。

「ねぇ、父さん。いまなら僕はどうしてシャアがキャスバル・レム・ダイクンじゃなくてシャア・アズナブルとして
ネオジオン総帥として戦ったのかわかる気がするんだ」
「へえ。いったいどうしてなんだ?」
「あててみてよ」
「そうだな」と僕は顎に手をあてて考えるふりをした。「シャアはきっとキャスバルっていう名前が嫌いだったんじゃないかな。
だって、まるでパチンコ屋みたいな名前だからね。パーラーキャスバルってありそうじゃないか」
僕がそういうと、ハサはくすくすとおかしそうにわらった。
「そんな理由じゃないよ。もっとしっかり考えてみて」
「ちょっと待って」今度は僕は真剣に考えた。「…・・・・彼は本名を使う事で道化を演じることが困難になるとおもったんじゃないかな。
シャア・アズナブルという名前はよきにしろ悪きにしろ名前が通っていたからね。道化も演じやすい」と、少し考えたあとに僕は言った。
「あってる?」

「うん…」とハサは僕の言葉に軽く唇を噛む。そして、「そうかもしれないね」と呟いた。
その態度で、僕はハサウェイが実は別の事をつたえたかったことがわかる。本当は彼はどうして自分が「ハサウェイ・ノア」でなく
「マフティー・ナビーユ・エリン」として活動したのかを僕に推察してもらいたいのだ。シャアは伏線なのだ。
ただ、それをはばかるのは自分でも父にわるいとおもっているからだろう。好むと好まざるとに関わらず、僕らは敵同士だったのだ。
やれやれ、僕はどうしてこう鈍感なのだろう?自分がいやになる。

 どうしてハサウェイが偽名を使ったのか?
現実的にいえばハサウェイはゲリラ活動をしているから本名をだせなかったことが考えられる。
僕達家族に及ぼす影響に配慮したということだ。そして、当然のことだけど、自分の活動範囲が狭まれる事を懸念したのだろう。
身元がばれれば月と地球を結ぶ定期船にだって乗れなくなるし、あらゆる市街地にもいけなくなる。ゲリラ活動には致命的だ。
一般論的解釈ではこれが正しいようにおもえる。だけど、何度もいうように僕は一般論を信じない。
これは納得できる解釈ではあるが、あくまで実際的な側面であり、精神的な面を洞察したとはいえないのだ。
こんなのは机の上で日々くだらない書類整理をしている官僚たちでさえ気がつくことだ。僕はこの上の次元を推察する義務がある。


 結局のところ、ハサはきっと「記号」でありたかったのだろう、と僕はながい熟考のあとに結論付ける。
記号であれば、自分が死んでもまた、別の誰かがそれを「引き継ぐ」ことができるのだ。その思想や理念を。・・・想いさえも。

シャアはどうなんだろう。彼も記号でありたかったのだろうか?いや、違うな。シャアはきっと「記号」と「実体」の境目を
必死で見出そうとしていたのだ。象徴としての自分と実在としての自分を。
 それはとても辛いことだったとおもう。誰もが彼にジオン・ダイクンの息子である事を押しつけていたのだ。無遠慮に。
僕らみたいな一般大衆にはわからない苦悩がそこには一杯あったとおもう。
だから、シャアはきっとララァという少女やカミーユという少年にその役割を負担して欲しかったのだ。
ララァには「実体」としての<キャスバル・レム・ダイクン>を、カミーユには「記号」としての<クワトロ・バジーナ>を。
そしてアムロ・レイには「記号」と「実体」の狭間である<シャア・アズナブル>をそれぞれ認めて欲しかったのだ。
やれやれ、と僕はおもう。英雄でありつづけることはなんて哀しくて、不条理なことなんだろう。



157 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  15/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:15 ID:???


「そろそろ作業を再開しないと」
ハサウェイはいった。彼はまわりで作業に没頭している人達のほうをちらりとみて
ガンダムの完成が遅れるから。僕だけが取り残されちゃ洒落にならないからね」と肩をすくめて僕にいった。
僕は頷いて立ちあがる。クスイーガンダムの装甲を背中に感じなくなるのが少し残念だった。
たしかにいまからこれを完璧に仕上げるにはかなりの時間がかかるだろうと僕はおもう。なんせ一人で全てしなければならないのだ。
「大変だ」と僕はいった。
「どうせ暇だから」とハサは笑って答えた。僕もつられて少し笑う。
「とうさんは退役をしたあとはロンデニオンでレストランをするんだろ?」と、ハサは訊いた。


 僕はその問いには答えられなかった。答えなかったのではない。答えられなかったのだ。
自分がこれからどういう方向にすすんでいくのかさっぱり見当がつかなかった。まるで僕はちっぽけな
筏に乗って川の濁流に飲まれているみたいだった。振り落とされまい、と必死で筏の端を掴んでいるだけなのだ。
その川が僕をどこに押し流していくのか、そんなこと考える暇はまるっきりないのだ。


「ねぇ、父さん」僕の返事をまたずにまたハサが声をかけてきた。
「なに?」
「さっきのMSピープルのことなんだけど」
「うん」
僕はハサが再びその話題を持ち出してきた事に少し驚いた。てっきりあの話題はさっきで終わったものと思っていたからだ。
「彼らのことを怨んでる?その、つまり予言をもらったことで」
怨んでいる?僕はその言葉を考えてみた。僕は彼らをうらんでいるのだろうか?
予言をもらいそれがあたった事で僕は彼らを憎んでいるのだろうか。しばらく考えてみたが、それはどうも違うみたいだった。

「うらんでないよ。彼らはただ僕に教えてくれただけだから」と、僕は言った。
「そっか」
「どうして?」
「なんでもない」

そういうとハサは足元に落ちていたスパナを拾って、傍にある工具箱の中にきっちりとなおした。
僕はその間にクスイーガンダムをしっかりと目に焼き付けた。ガンダム、と名前がつくきっと最後のモビルスーツ
少なくとも僕が生きている内に連邦が新しいガンダムをつくることはないだろう。今回の一件でガンダムは完全に連邦に疎まれる側になったから。
それはひょっとしたらガンダムにとって好ましいことかもしれないけれど。

158 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  16/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:17 ID:???



「それじゃあ、父さん。母さんによろしく」


そういうと、ハサはにっこりとわらった。僕は彼のその笑顔をみて、まだハサが赤ん坊だったときのことを唐突に思い出した。
胸が万力でぎゅっとしめつけられるような感覚に襲われた。もうこれで最後なのだ。メタファーでもなんでもなくこれは彼と会える最後なのだ。
僕は何かをいおうとする。彼に伝えようとする。
ねぇ、君は自慢の息子だった。僕は君のことが好きだったよ。たとえ、僕が君の父親だということをぬきにしても。
そういおうとする。
だけど、喉に穴があいたみたいに言葉は全て漏れてしまい、なにも発することができない。僕はハサになにも伝えられない。
かわりに僕は力を振り絞って手を伸ばし、彼の手を握る。彼の手が僕のより既に大きくなっていることがわかった。
がっちりとした成人男子の手だ。強く彼の手をにぎりしめ、手のひらのぬくもりを通して彼に僕の想いを伝えようとする。
結局のところ、大事なのは言葉ではなく、意志の交感なのだ。僕はそう想う。そしてそれは肌をとおしてしか伝わらないのかもしれない。
ハサウェイは僕のそんな気持をまるで百パーセント理解しているみたいに力強く僕の手を握り返した。
そしてもう一度にっこりと笑った。



「さよなら、父さん」とハサウェイはいった。「きてくれてありがとう」
<さよなら。ハサウェイ>と僕もいった。たぶん、きこえたと思う。

159 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  17/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:19 ID:???


 ハサウェイの姿が消えると共に目の前がストン、と暗くなる。
目の前にあるのたは、だの純粋なまじりっけのない闇だ。僕は辺りが沈黙の海に沈みこんでいるのがわかる。
動こうとしても動けない。手を動かしてみても、本当に動いているのか確信が持てない。音は死んでいる。
僕はその世界の中でただじっとしている。宇宙の片隅に生身で放り出されたような、圧倒的な真空のなかにいる。
僕はいま『通りぬけよう』としているのだ。別の次元から別の次元へと静かに移行しているのだ。


や  が て、遠くから走ってくる貨物列車のように徐々に音が戻ってくる。大地が震え、時間が動き出す。日が昇り、辺りを照らす。
地面に落ちていた鳥が生きかえり、風が吹き始め、沈黙していた星が輝きを取り戻す。
太陽は僕の血液をあたため心臓を眠りから覚ます。同時に僕の聴覚は死から蘇る。そして、僕の身体は金縛りから解放される。

 僕は安堵の吐息をはき、指先をこすりあわせて失ってしまった体温を呼び覚ます。
指先から体温がほのかにもどりはじめる。僕は僕の領域に自己が戻ってきた事を確認する。手を伸ばすとコンソールパネルに触れる。
その事実を理解するのにまた少し時間がかかる。僕は事実を確認し、咀嚼し、ゆっくりと飲みこんでいく。
大丈夫、僕はガンダムコクピットに座っている。戻ってきたのだ。
コクピットにもう人の意思は感じられず、全てが過ぎてしまったあとの空白感だけが存在していた。
今まで其処にあったはずのものがどこかにいってしまったのを僕は明確に感じ取る事ができた。それは、もう戻ってこないのだ。
いままで死んでいった数多の戦友達と同じようにそれはもう損なわれてしまったのだ。
僕はそっと脈をはかってみる。そこは確かに力強くなみうっている。僕は手を離し、コンソールパネルに目を落とす。
そこに、かすかに血痕をみることができる。ハサはコクピットで血を流さなかったと認識している。バリアの感電によるショックで気絶したはずだ。
にもかかわらず、そこには血がある。流された血、流されるべき血が影のようにそっと付着している。僕はそれを手でなぞる。


「さよなら」と僕は呟いた。さよなら、ハサウェイ、僕は君が君自身のガンダムにしっかりと守られることを祈っている。
ぼくはアムロが、シャアが、カミーユが、ファが、そしてハサウェイがガンダムコクピットのなかでぐっすりと休んでいる姿を想像した。
まるで純白の卵のなかにいる雛鳥のように、彼らは果てしなく広い工場にそっと置かれたガンダムのなかで静かに眠るのだ。
そこは思想も騒音も南極条約もビールもなく、木星の果てのように完全な沈黙が支配していて、誰も彼らの睡眠を妨げない。
ガンダムは外敵から守る強固な殻になる。紫外線を守るオゾン層になる。肺に入る酸素になる。
そして、愛すべき胎児を守る子宮へとなる。
僕は彼らの夢のことを考えた。彼らのいる世界のことを考えた。小さく完結されて、なにもかもがあり、何もかもがない世界。
善いものも悪いものもそのなかで静かに眠っている。何のおそれもなく。そう、そこでは地球の子供達は皆眠るのだ。

160 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  18/20 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:24 ID:???
9章
          雨


 コクピットから這い出ると、外は雨がしとしとと落ち始めていた。たいした雨ではない。
降ってるか降ってないか最初わからなかったくらいの微細な雨だ。雨降りという状態と非雨降りという状態に境界線があるのなら
ちょうどそのはざまといったところの雨だった。このくらいなら天然のシャワーみたいで気持よかった。
だから、しばらくのあいだ僕はガンダムにもたれかかったまま雨を一身に浴びた。
浴びながら、これからどうやって帰ろうかと考えた。電話してタクシーを呼ぶにしても公衆電話はなかった。
あるとしたら空港のなかだったが、当然のことながらそこは硬く施錠されているだろうし、鍵をこわしてまで不法侵入はしたくなかった。
第一、僕はタクシー会社の電話番号をしらないのだ。彗星という名前しか知らない。この考えは却下だった。
僕は雨に濡れながら、ホテルでみた地図の記憶を呼び戻す。
もくばホテルまで直線で十キロの距離だ。普通にあるけば三時間もかからずに帰りつく。
ながい宇宙暮らしでなまった身体にはちょっときついけれど、ちょうどいい機会だ。走ってかえることにしよう。
それに連邦の検問所があればそこから送ってもらうこともできる。
僕はしゃがんでスニーカーの靴ひもをしっかりと結びなおすと空港の出口に向かってゆっくりと走り始めた。


 だけど、僕はその加速し始めた足をすぐにとめることになる。彗星タクシーが空港の出口で僕を待っていてくれてたのだ。
タクシーはエンジンをきっていたが、気がつかずに前をとおりすぎようとした僕をみてけたたましくクラクションを鳴らした。
その音はまだふわふわと工場と現実のあいだをさまよっていた僕の意識をしっかりとこちらがわに縛り付けてくれた。
まるでハーメルンの笛と逆だった。彼は子供達をどこかへとつれさったが、タクシーのクラクションは僕に強くこちら側へとひっぱり
こんでくれたのだ。そのおかげで僕はゆっくりこっちへと向かってくるタクシーに注意を向けることができた。ライトが僕を照らしていた。
それはコクピット内でみた蛍の光を数十倍に強めたほどに強く、暴力的な刺激となって網膜を刺激する。
目の前が一瞬真っ白になる。


 タクシーはその間にもゆっくりと近づいてきていた。
彼は窓のウインドォをさげて「やっぱり、おじさんにレイチャールズをもう一度聞かせてやろうとおもってさ」と笑った。
そして、僕のしとど濡れた格好をみて「おじさんってかなりファンキーだね」といって、後部ドアのロックを外した。
僕は彼と開いたドアを交互にみて
「濡れてるけど構わない?」と訊いた。タクシー内は綺麗にされていたので、僕の所為でその小さな世界をよごすのがしのびなかった。
「ぜんぜん。イッツ ア ノープロブレム」と、彼はいった。イッツア?僕は混乱しそうになるけど、なんとかもちこたえる。
「ありがとう」
礼をいって後部座席に乗り込んだ。車内はとてもひんやりとしていた。彼は僕にタオルまで貸してくれた。案外用意がいい。
「一体何してたんだよ?」と彼はいった。「まるで惚けたような面して、そんなびしょぬれになって」
「工場の下見にいってきたんだ」

僕はそう答えて、窓からうつりゆく景色を眺めた。ひそやかな雨が窓にあたり水滴となってそこにいつまでもとどまっていた。
へえ、空港の一部分でも買い取る気かい。なんていう若者の声が水滴と一緒に道路の溝の中に流れて消えていった。

161 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  19/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:26 ID:???


 「もくば」ホテルの前で「彗星」タクシーは静かにとまった。まるで勢いよく回転していたメリーゴーランドが
楽しげな音楽が小さくなると同時にゆっくりとその回転止めるのと同じように、そこに淡い余韻を残したままそっと静止する。
「おじさん、着いたよ」と彼はいった。その声は行きのときにくらべるとずいぶん優しくなっていた。
「ありがとう。早かったね」
僕はメーターを確認して、後ろポケットに入れている財布を取り出す。
「そういえば君って何歳なんだ?」
「俺かい?23だけど」
「僕の息子と同じ年だ。今が一番いいときだね」と、僕は言った。
「へえ。そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
彼はその言葉の意味を暫く考えているようだったが、おもいきったように顔をあげると
「実は俺将来ジャズピアニストになりたいんだ。いまはこうして夜にタクシーの仕事やってるけどさ」といった。
「君ならできるよ」と僕はいった。お世辞ではなく本当にそうおもった。若者は照れくさそうに金髪の髪をかいた。


 僕は胸のポケットに手をやった。そこにはシャアからもらったメモ用紙が入っている。
これはずっと僕が持っていいたぐいのものじゃない。彼が常に言っていたように時代をつくるのは老人ではないのだ。
僕は料金を払うときにそれも一緒に彼に手渡した。
「おじさん?なんだいこれ」と、彼は怪訝そうな顔で僕をみた。
「待っていてもらったお礼に君にあげる。詳しくはいわないけど、有名な人のサインなんだ。とても貴重なものだよ」
「ふぅん……なんだかわからねえけど、そんじゃありがたくもらっとくか」と首をひねってから彼はにっこりと笑った。「大事にするよ」
「もう会うこともないだろうけど、君の好意は忘れないよ」といってから、僕はタクシーから降りた。
靴が濡れたアスファルトのうえでキュっと気持ちよい音を立てた。僕は自分が大地と接触していることを強く認識する。
ぼくはこの世界にきちんと存在しているのだ。
「レイ・チャールズ聞いてくれよ」
と彼は言った。そして後部ドアを気持ちよく閉めた。まるで春風のようにさっぱりと、迷いがなかった。
「さがしとくよ」と、僕はかえした。

彼はクラクションを一度軽く鳴らすと、強くアクセルを踏んでタクシーを急発進させた。みるみるタクシーは遠ざかっていく。
僕は彼を見送る。
車の中で、彼がカー・ラジカセで何世代も前から受け継がれてきたテープを聞いている姿を思う。小さいけれど確実な幸せがそこにはある。
タクシーはぐんぐんとちいさくなっていって、やがてある一点で霧のような雨に隠れるようにしてみえなくなった.。



162 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  20/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:30 ID:???

最終章         

           電話



 部屋に戻ると、テレビがついていた。僕はきちんと消してから部屋を出ていた筈なのに何故かテレビはついていて、
そこではくたびれた顔のアナウンサーが今回の事件についての感想を述べていた。



『ハサウェイ・ノアは、シャアの反乱軍のモビルスーツを撃墜した経歴を持つニュータイプだったということであります。
その彼が、マフティー・ナビーユ・エリンを名乗って、連邦政府の地球再生になんの配慮もみせない政策に対して、抗議の
行動をとったのであります。にもかかわらず、連邦政府は、そんな抗議には一切耳をかさず、ハサウェイ・ノアに対する
報復手段として、その父親に処刑の執行をさせるという、人道を無視した信じられない行動に出たのであります』


 僕はしばらく彼らの話を聞いた。どうやらマスコミは今回の事件について連邦批判をするほうに方針を決めたみたいだった。
いつものように圧力がかかってすぐに手のひらを返すことになるだろう。言論の自由なんて言葉はとっくの昔に形骸化している。
僕はテレビに映し出されるコメンテーターの顔をじっとながめた。誰もが苦虫を噛み潰したようなしかめつらをしていた。
おいおい、ちょっと待ってくれ。どうしてお前達がそんなかおをする権利があるのだ?
僕はそう思う。彼らのいっていることは正しいかもしれない。連邦は確かに間違った事をしたし、僕らはそれで深く損なわれたのだ。
けれど、僕はハサのことを知らない人に同情も怒りもしてもらいたくなかった。
誰にもなにもいってほしくなかった。静かに海の底に眠らせておいてあげたかった。それはもう既に損なわれてしまったものなのだ。
彼らの会話はその損なったものを残念だ、とか許せない、とかいうだけで、なにもそのあとに得られるものはないのだ。
アムロやシャアのときとおなじく彼らは死体を掘り帰すだけなのだ。屍肉にたかるハゲタカの群れみたいに。


僕はリモコンをつかんで、テレビのスイッチをきった。そして、壁ぎわのカーテンをあけると、窓越しに外の景色を眺めた。
ちらちらと部分部分に明りがともっているところはあるが、大抵は闇のなかにひっそりと静かによこたわっていた。
ときおり、車が中央の四車線の道路を横切っていくのがみえた。トラックが時折思い出したようにとおっていった。
こうして見ているとここで激しいモビルスーツ戦があったとは信じられなかった。それほどにアデレートは静かに深く眠っていた。
そして、全ての存在に雨が均一に降り注いでいた。

163 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  21/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:36 ID:???

 ソファに戻った僕はふと気になってもう一度脈をはかった。ちゃんと親指に血液の流れを感じることができた。
僕はほっとする。そして、手首から手を離すと今度は左胸にあてる。マフティーが最初あったときに触っていたところにしっかりとあてる。
心臓が確かに脈打っているのがわかった。太鼓をゆっくりと叩くように定期的に力強い単調な音がてのひらから伝わってくる。
あまりに鮮明に聞こえるので他人の心臓ではないか、と僕は不安になる。けれどそんなことはない。これは僕の心臓なのだ。
暫くその音を聞いていると、ほんのすこしだけ、その心臓音の中に混じっている音があることに気がついた。
とてもとても微かな音だ。海の底で眠る貝の呼吸音よりもかぼそい、コロニーにそそぐ雨ふりのような繊細な音だ。
それでも僕は確かに聞くことができる。僕はそれを感じ取る事ができる。
僕はその音を受けとめる。


ぎこぎこ。とんとん。かたかた。


工事の音だ、と僕は思う。昼間僕が寝ぼけて聞いたと勘違いした音だ。それが僕の中から聞こえてくる。
心臓の音にまじりながら、確かに僕の耳に伝わってくる。ミノフスキー散布下の通信みたいなひそやかさで。


ぎこぎこ。とんとん。かたかた。


そのとき、物事が全て反転したようになる。僕は一瞬のうちに全てを理解する。
何もかもが突然に僕の前で全て答えをあらわす。あらゆるものが全ての象徴である太陽の前にさらけ出される。
僕は太陽を直視できる。まるで目の前に分厚いサングラスがかけられているみたいに。

僕らはーーーそう、僕らはーーー誰もが心のなかでガンダムを作っているんだ。
比喩でもメタファーでも形而上学的でもアンチテーゼでもなく、それは紛れもない事実なのだ。
工場の中で、僕らはのこをふるい、とんかちを使い、のこぎりをひきながら自分だけのガンダムを作り上げている。
ラジカセを聞き、疲れたらピナ・コラーダを飲んで休憩し、友人と談笑したあとにまた作業に取り掛かるのだ。
彼らは彼らであり、また同時間的に僕自身であるのだ。アムロは僕であり、シャアもまた僕であり、また僕は彼らの一部なのだ。
あそこにあるガンダムは僕がつくりあげていた僕のガンダムなのだ。

そして、僕はおもう。MSピープル。全てはこれから始まったのだ。あのラーカイラムのドックが全ての前兆だったのだ。
僕はもういちど、まぶたの裏にあのときの光景を再生させる。最初から最後まで間違いなく。
頭の一番奥のあたりがちりちりと痛む。まるでなにものかが僕に思い出させないように妨害しているみたいだった。
けれど、僕は痛みを耐えて思い出す。思い出さなければいけないのだ。大きく息を吸い、長い時間をかけてそれを吐き出す。
酸素が脳にまでいき、痛みを和らげて、僕に思考をすることを許可してくれる。僕は思う。MSピープル。



MSピープルは三人だった。 そ し て、僕 の 家 族 も 三 人 な の だ。
あれはミライとチェーミンとハサウェイだったのだ。彼らは僕のために現実世界でガンダムをつくっていたのだ。

僕は短く息を呑み、ゆっくりとそれを吐き出す。吐き出した息は、命令を初めて受けた新兵みたいに固くとても強張っている。
どうしていままでこんな事に気がつかなかったのだろう。ハサウェイは僕にメッセージを送ってくれていたのだ。
まるでホテルのボーイが夕刊をトレイにいれてもってくるように、それはとても丁寧に慎重に届けられていたのだ。

165 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  22/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:51 ID:???



 僕は頬に手をやる。そこは濡れていた。最初僕はそれがどうしてかわからなかった。
なぜこんなところが濡れているんだろうと真剣に思った。雨漏りでもしたのかと思って天井をみあげたりもした。シミ一つなかった。
そして、それから長い時間をかけてから、ようやく自分が泣いていることに気がついた。
僕は泣いているのだ。ようやく僕は泣く事ができたのだ。
あたたかな液体が僕の頬をとおり、顎の先までいったところで暫く考え込むようにとまった。そしてためらうようにぽとり、と床に落ちた。
涙は絨毯のなかにゆっくりと吸いこまれていった。僕はそれをじっと見つめる。視界は微かにゆがんでいて、絨毯の幾何学模様を更に歪ませた。
身体中の水分が全て出ているような気がした。涙はいつまでたってもとまらなかった。
僕は身体がこのままひからびていってしまっても別に構わないと思った。むしろ幸福のように想えた。
アデレートで月と共に眠るガンダムのように、それは一種のハッピーエンドなのだ、と僕には理解できた。
だって、僕は泣いているのだ。


 最後に泣いたのはいつだったかな、と僕はおもう。
砂漠で泣いたとき以来だ。一年戦争が終わったあと、僕はあそこで二時間泣いたのだ。もうそれは20年以上前のことだ。
あのときも「木馬」だった。そしていま僕は「もくば」ホテルで泣いている。あぁ、やっぱり繋がっている。「へその緒」みたいに。
僕はあのときのことを思い出す。当時の僕はいったいなにを考えてすごしていたんだろう。さっぱり思い出せない。
あの頃の僕はハサウェイよりずっと若かったんだ。それはなんだか信じられない気がする。


 涙がダムの水が枯れるように突然に止まった後、僕は湯船にお湯を張り、ごく簡単にシャワーを浴びた。
浴室から上がると手早く備え付けのバスタオルで身体を拭き、新しいパンツとズボンを履いた。
新しく新調した紺のポロシャツを着て、小さいタオルで頭の水気をとる。


 僕はサイドテーブルの上にだしっぱなしになっていたミネラルウォーターを飲むと、ソファに腰を下ろした。
まるで一日に五回の戦闘を繰り返したように僕は疲れていた。このまま泥のように眠ってしまいたかった。これ以上何も考えらなかった。
いまがいったい何時なのかもわからなかった。僕にわかるのは全てが終わりつつあるということだけだった。
目を閉じてしまうと、睡魔が影のようにやってきて、僕の身体のなかに入りこもうとしてきた。
そして、彼は僕の耳元でひっそりとネオジオン国歌を歌っていた。やれやれ、どうしてネオジオン国歌なのだ?
潜在意識下では僕はジオンが好きなのだろうか?そうかもしれない。僕はそんなことを考えながら、ゆっくりと泥の中に沈みこんでいった。
どこまでもどこまでも際限なく落ちていった。泥はあくまでも泥で底など存在していない。僕はどんどんと沈みこんだ。


166 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  23/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 22:56 ID:???


 そのとき、突然電話が鳴る。死んでいたはずの電話が突然生を取り戻し、部屋と僕を震わせる。
冷蔵庫が震え、シャンデリアが震え、テレビが震える。僕の心臓は音を立てて激しく収縮する。睡魔は何処かへ消えてしまう。
首元まで使っていた泥はきりのように消えてしまい、僕の意識は完全に覚醒する。
電話だ。ソーラーレイをくらった連合艦隊のように僕は電話をじっと凝視した。電話が鳴っているのだ。その意味を僕はよみとる。

 僕はこの電話が誰からのものかいまなら判然とわかる。ミライだ。ミライからだ。この電話はミライから僕へとかかってきたものなんだ。
僕は電話回線の向こうにいるミライとチェーミンをおもった。彼女達がこの世界のどこかにある電話ボックスの片隅から
僕のホテルのアドレスを回している光景をおもった。僕は彼女がアドレスをまわす白い指先まではっきりと思い浮かべる事が出来る。
けれど、そこまでだ。僕の想像は彼女達を実体として思い描かれるまえに電話の音にかき消せられてしまう。

僕は電話に手を伸ばす。けれど、伸ばすだけだ。決して受話器には触れない。夕方と同じように切れたら、と僕は思う。
そしたらもう二度と彼女は電話をしてこないだろう。そして、永遠に僕らは出会う事がないのだ。
その可能性が僕に受話器をとらせることをためらわせる。
僕は唾を飲みこむ。水がなみなみと満たされている井戸の中に石を投げ込んだような音が耳の裏でする。
世界中に僕の唾液が喉を嚥下していく音が響く。大丈夫、僕は呟く。

とるんだ。

誰かが僕にそう囁く。森の奥底にある水溜りみたいな場所からそんな声が聞こえてくる。
それはロビーで聞こえてきたあの声だ。僕を求めていたあの声だ。僕は思う。これは誰かの声ではない。これは僕だ。
僕自身が僕に向かって発している声なのだ。ガンダムをつくるのも僕だし、予言をつくるのも僕だし、工場にいるのも僕なのだ。


とるんだ。


わかっている。
僕はその声に返事をする。僕は僕自身に返事をする。ぼくはここで恐れてはいけないんだ。
彼女は僕を求め、僕は彼女を求めているのだ。僕は鳴り響く電話の受話器にひるまずに手を伸ばし、しっかりと掴む。
僕はこれで僕の失ったものをとり戻すことができるのだ。それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。
電話の鳴り響く音が僕の聴覚を刺激する。それはまるで僕のなかにある閉ざされたドアをノックしているみたいだった。
夕刊と地図を届けてくれたボーイみたいに。ミライは僕にこの扉をあけるチャンスをくれているのだ。

「とるんだ」と、僕は口に出す。言葉は今度は死ななかった。生きて、僕と僕の腕に活力をあたえてくれた。大丈夫、僕は呟く。
そして、一旦ゆっくりと呼吸をしたあとに僕はそっと受話器を取り上げた。頭の中ではネオジオン国歌が流れつづけていた。

                                                                         
                                                                            了

167 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  24/25 [sage] 投稿日: 04/07/24 23:04 ID:???





                <ギギ・アンダルシアの手紙 その2>





…だから、あたしはケネスが何をしようとなにも詮索しないようにしています。
ただ、本を読んで、そこにある過去から何かを読み取ろうとしています。けれど、なかなか読み取れません。
もっともっと勉強しないと私にはそれらはとてもむずかしすぎるんです。



 読書に疲れたとき、いつも貴方のことを考えます。
二人で過ごした夜のテントのことを考えます。あのとき、どうして貴方は私を抱かなかったんだろうって。
クェスっていう昔の恋人のことがその原因なのかな、って最初はおもいました。義理だて、っていうんじゃないけど
それに近いものだったのかなって。また、あたしが身体を売っていたからかな、とも思いました。
売春婦みたいな女性と寝るのはきっと厭なんじゃないかなって。
けど、あたしは精神的には身体を売ってるなんて思ってなかったんです。伯爵は寂しい人だったし、あたしも寂しかったんです。
その空白を二人でおぎなっていただけなんです。セックスはいわゆるその手段にすぎなかったんです。
それはまるで父親や母親の胎内で眠るのと同じなんです。もちろん、伯爵はあたしのおじいさんでも肉親でもなんでもないけれど、
そこにあったのはそういった種類のものだったんです。うまくいえないけど。


 それで、、ハサウェイはそんなあたしのなんていうんだろ・・・弱さ?そういったものが
嫌いだったんじゃないかな。それが自分の弱さを誘発してしまいそうで。だから、あたしとセックスをすることで
傷の舐めあいみたいになるのをいやだったんじゃないのかな。いまはそう考えてます。
けれど、正直あたしはハサウェイにあたしを抱いて欲しかったんです。たとえそれがいっときの快楽でも
それに溺れることができるのが人間だし、可愛いと思えるから。あたし、やっぱりただの人間なんです。勝利の女神でもなんでもなく。
性欲だって人並みくらいあるし、このまえだって一人でちょっとしちゃいました。
そして、こんな気持いい事もうハサウェイはできないんだ、って思いました。ごめんなさい。


168 名前: ブライトノア・クロニクル(下)  25/25 [いままで読んでくれたひとありがとうございましたsage] 投稿日: 04/07/24 23:10 ID:???


わたし、何を書いてるんだろ。ちょっと話題変えます。



 今は夜中です。ここから見る月はとてもとてもくっきりとしています。目を凝らすと岩のくぼみとかも全部わかっちゃうくらい。
本当に綺麗です。実際はそれほど綺麗じゃないのにね。とおくからみるとすごおおく綺麗にみえます。不思議なものです。
あたしは月をみるとあの連絡船で貴方とあったときのことを思い出します。あれからもう3ヶ月あまりがすぎたんだっておもいます。
あっという間だった気がします。テレビでは未だにマフティーについての記事が後をたちません。
 そうそう。貴方のお父さんが退役したって、昨日の夕刊にかいてました。一面記事にブライトさんのこれまでの乗艦記録や
艦長としての戦果記録がたくさんのってました。ほんとすごい人だったんだとびっくりしちゃいました。
隅から隅までしっかり読んだのだけど、これからどうするのかについては書いてませんでした。
ただ、息子のこと(ハサウェイのことよね)については彼は何も喋らないと言うこれまでのスタンスを通しぬいたってのってました。
えらいって、感心しちゃいます。こんなことって普通できないんじゃないかな。
なかにはそれを曲解して、マスコミは息子をマフティにしたてあげたのはブライトの影響?なんてわけのわからない論調を展開している
新聞紙もありました。あきれてなにもいえません。こんなことかくひとは皆粛清されちゃえばいいのに。なんておもったり。


ねぇ、ハサウェイ。わたしはおもうんです。貴方は死んじゃったんだけど、きっとまだ私の中で生きてるんです。

 私は貴方のことを忘れません。たとえ、この世界にいる誰もがマフティー・ナビーユ・エリンのことしか覚えてないとしても、
私とケネスだけはずっと死ぬまで、ハサウェイ・ノアのことは忘れません。あたしとケネスはあなたのことがホントに好きだったんです。
それがいいたかったんです。だから、こうして便箋をかってきて一気にここまで書きあげました。明日の朝一番で郵便局にいって
切手をはって投函するつもりです。けれど、住所がわからないから(ブライトさんの住所どこにも載ってません)、なんにも宛名は書きません。
きっと、「差出人、送り人不明」って書かれて郵便局の片隅でうもれちゃうでしょう。残念です。
けど、住所がわかってもきっと住所欄は空白でだすとおもうな。こんな手紙がとどいたらブライトさんもこまっちゃうだろうから。


どこか遠くで犬が鳴いてます。キューシューにはいまだに犬を飼っている家庭が多いんです。
あたしも今度飼おうと思います。そうすれば少しはこの胸にぽっかりとあいた空白感もなくなるかもしれないって期待してます。



さよなら。ハサウェイ。またなにか書きたいことがでてきたら送ります。ケネスも今度は書きたがるかもしれません。
今回はどうしてもあたし一人で書いてみたかったんです。月夜の晩にこうして一人で貴方のためにかきたかったんです。
月は本当に綺麗です。きっと、あそこにはいっぱい不条理がつまってるんだとおもいます。
それじゃあおやすみなさい。
   


            宇宙世紀 105年 8月1日  

                         ギギ・アンダルシアよりハサウェイ・ノアへ。  ニホンにて。
                                                                

                                                              
                                                                  『ブライトノア・クロニクル』  完

地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜前編〜

353 名前: ブライト  1/5 [sage] 投稿日: 03/10/11 17:11 ID:???
6     『地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜前編〜』     ブライト・ノア


「完全なニュータイプなんて、存在しない。完全なモビルスーツが存在しないようにね」


アムロ・レイが僕にそういったのは彼が出撃する少し前のことだった。
そのとき、僕と彼はミーティングルームで最後の打ち合わせをしていた。戦闘が始まる前にこまかい調整をする必要があったからだ。
いつハイパーバズーカをだすか、とか万が一の時に内部破壊をするためのタイミングとかそういったことだ。僕らは二人だけで話し合った。
コーヒーを三杯は飲んだ。僕は最近食欲が無くなったかわりに喉が凄くよく乾くのだ。まるで砂漠に水をやるみたいにコーヒーは僕の胃に消えていった。
話が終わり、僕と彼がコーヒーを飲んでいたときに、彼はきっぱりとそういった。
「結局、彼が求めているものは幻想に過ぎないんだ」と、彼はコーヒーのパックを飲みながら続けた。
「そうかもしれない」と、僕は認めた。けれど、実際僕はシャアがどれだけ間違っているのかわからなかった。
連邦内部は僕にはどうしようもないほど腐敗していたし、更に彼らはきわめて楽観的に宇宙のことを考えすぎていた。まるで遊園地かなにかのように。
彼らの頭にあるのはどう出世するかということであり、それ以外は愛人と寝ることしか考えていないように見えた。
そんな彼らから命令を受けるたびに僕はどうしようもない無力感に襲われたものだ。やれやれ、またか、といった具合にため息をよくついた。
だから、シャアが立ちあがったのを聞いたときそれほど驚かなかった。むしろ思ったより遅かったな、と思ったほどだ。
結局のところ彼がエゥーゴから姿をけしたのもそういうことだったし、思想的には純粋な彼が反動的にこういった作戦を思いつくのは必然でもあった。
僕は彼の考えを理解した。同情もした。だが、賛同はできない。僕は地球が好きなのだ。
だから、僕は艦長としてここにいるしアムロパイロットとして僕と話しているのだ。結局のところ僕らはそうなってしまったのだ。
なにがわるいかなんてことは後からくる結果でしかない。

「いま何考えてる?」と、アムロが言った。
連邦政府のこと」
「どんな考えがまとまった?」
「連邦は解体して独立国家共同体になったほうがいい。ソビエトみたいにね」
僕は答えた。アムロはひとしきり笑った後、コーヒーを飲み干してゆっくりと立ちあがった。僕も一緒に立ちあがる。
そろそろ戦いが始まる時間だった。


戦いは熾烈を極めた。
僕が打ち出した核ミサイルはことごとく狙撃されてアクシズを砕くことはできなかった。強敵がいるのだ。まさに最悪の展開だった。
モビルスーツ部隊は敵のMAによってかなりの被害をうけていたし、肝心のアムロ・レイともとっくに通信が取れなくなっていた。
ディスプレイのいたるところから火球があがっていた。いたるところにジムやギラ・ドーガの残骸がまるで海辺の貝殻のように散らばっていた。
僕が乗っているラーカイラムはよくやっていた。夏の虫のようにうようよやってくる敵MSを対空砲火で撃退しながらアクシズに接近していた。
遠くから見るとアクシズはまるでいびつな十字架のようにみえた。そして、そこに群がる僕らは哀れな子羊のように、混乱し、戸惑い、絶叫していた。
目の前でジェガンが一機、ギラドーガに上半身を真っ二つに切られていた。が、そのギラドーガも一瞬の後には同じ運命をたどっていた。
そのあとには双方の艦砲ミサイルの雨が降り注いで、機体自体も粉々になってきえた。
僕はクルーにアクシズに接近するように指示を出しつつも、自分の無力さを感じずにはいられなかった。
結局のところ、僕らは運命の歯車に過ぎないのだ。ただ、よく回るか回らないかの違いしかない。
磨り減って磨耗していくだけの存在に過ぎないのだ。そして使えなくなれば交換するだけのことだ。磨耗・・
僕は、そんなことを思いながら、ふとあることを思い出した。それはまだシャアがこんなことをする前のことだ。


354 名前: ブライト  2/5 [sage] 投稿日: 03/10/11 17:14 ID:???

「もうだいぶこのサイクルにも落ち着きました」

僕が病院に見舞いにいったとき、ファ・ユイリィは、そういって愛しそうにベッドに寝ているカミーユを見つめた。
カミーユは、静かに寝息を立てていた。あまりに静かなので、死んでるんじゃないかと不安になったくらいだ。
「彼は、1日のほぼ三分の二はさまざまな検査をされています」と、ファは言った。
僕は、カミーユの額にかかっている青い髪をみながら、ふぅん、と相槌をうった。
彼はアーガマを降りた時より、幾分やせたようにおもえた。くせっけのある髪は相変わらずだった。
唇も少し荒れていたし、肌の色は少し薄くなっていた。だが、総体としては僕が最後にあったときとあまり変わったようにはみえなかった。
ファも、そんなに変わっていない。彼女は相変わらず若く、元気だった。
だが、言葉の節々からは、やはり僕は過ぎ去った年月というものを感じざるを得なかった。


カミーユが正気に戻ったのは、僕達がハマーンを倒してすぐのことだった。
理由はわからない。医者の一人は、ハマーンが出していたプレッシャーが消えた所為だともっともらしい理由を述べたが本当かは疑わしい。
だけど、事実として彼は意識を取り戻し、そのおかげで、あるていど一般人として暮らしていけた。それはとてもいいことだと僕は思った。
彼は医者になるという夢があり、そのために大学に入る勉強をしはじめた。だが、自体はそう簡単に進まなかった。
連邦が、アムロ・レイの再来といわれた彼を手放すのを躊躇したからだ。万が一、反連邦組織にでも入られたら、と危惧していた。
アムロ・レイを、軟禁状態で飼い殺しにした連邦の考えそうなことだった。彼らは性善説を信じない。
それでということではないが、彼は、年に数回、数週間ほどダブリンにある病院で再チェックをうけることを義務付けられていた。
脳波とか、脈拍とかそんなものだ。反射神経や情報伝達スピードなども調べられた。
精神病患者にたいする処置だと連邦はいったが、勿論其れはカミーユを監視するためのの名目に過ぎなかった。
そんなわけで、彼は僕が訪れた当時、九回目の定期入院の最中だった。



「そちらの方はどうなんですか?」彼女が、話題をかえた。
「あぁ、順調だよ。僕らがやっていることは、結局雪かきに過ぎないけれどね」
「雪かき?」
「そうだよ。コロニーに住んでいる住人の中にある不満が屋根の上に雪のように静かに積もる。
その重みで家がつぶれてしまうまえに、僕たち軍人が其れをMSで取り除く。雪が無くなる。けど、また雪は降る。取り除く。その繰り返しさ」
温かいコーヒーを飲みながら、僕は言った。コーヒーはやや僕には甘すぎたが、冷えた身体にはありがたかった。
「いつまで続けるんです?」
「永遠に」
僕がそういうと、ファは哀しそうな顔をした。けれど、真実だから僕にはなんともいいようがなかった。
結局のところ、僕らは同じ場所で足踏みをしているだけにすぎないのだ。


僕は窓の外に眼をやった。
眼下には、森が見えた。この病院は森の中にまるで隠れるようにひっそりとつくられているのだ。
ホワイトハウスにもにた真白な近代的な建物が、こんなところにあるなんてしったら付近の村人は驚くだろう。
しかも軍用病院なのだ。僕は、ここにくるまえにであった老人たちの平和そうな顔を思い浮かべた。彼らは何もしらないのだ。
そう思うと、何故か心が痛んだ。


355 名前: ブライト  3/5 [sage] 投稿日: 03/10/11 17:19 ID:???

ファが一旦近くにある家に、カミーユの着替えを取りに戻るというので、僕はその間彼の介護をひきうけることにした。
「すいません。すぐに戻りますから」
「ゆっくりしてきていいよ。ここには別にドムもグフもいないから敵が襲って来る心配はないからね。
あぁ、けど、さっきすれ違った看護婦はどことなくズゴックに似てたな」
「ふふふ、そんなこといっちゃダメですよ。それじゃあ、1時間したら戻りますからそれまでお願いします」
彼女は、そういうと、洗濯物をぎっしりと詰め込んだバックを持って、部屋から出ていった。
コツコツと床を歩く乾いた音がゆっくりと遠ざかっていき、ある一点までいったとき完全に聞こえなくなった。

残された僕は、おおきく欠伸をした。本でも持ってきていればよかったと僕は後悔した。僕はもう何年も本を読んでなかった。
僕は、椅子を彼の枕元の近くに移動させて座ると、バスケットの中に在る林檎を取り出した。大きくて

赤い林檎だった。
服で二三度擦ってから、齧った。しゃりしゃりとしていて、甘さが控えめでとても美味しかった。


暫くしてから、カミーユが目を覚ました。
「おはよう」と、僕はいった。
彼は、返事をしなかった。ボクがいることにはまるで興味はないようだった。
一旦僕をちらりとみた後は、彼は病室のある一点をぼんやりとみつめていた。
僕もそこをみてみたが、取りたてて変わったところはないただの壁だった。しみひとつない真っ白な壁だ。

「おはよう。よく寝ていたね」と、もう一度僕は言った。今度は彼の耳に届いたようだった。
「ファは・・?」
「彼女は、ちょっと着替えを取りに家に戻った。大丈夫。すぐに戻ってくる」
カミーユは僕をちらりとみてから、こくん、と親に諭された子供のように頷いた。寝ぼけているのかもしれない。
お腹がすいてそうなので、僕は林檎を一つ綺麗に剥いて切ると、爪楊枝を刺してから彼に渡した。
彼は右手でそれをうけとると、上体を起こして、ゆっくりと齧った。しゃりしゃりと食べるその姿はリスかなにかの小動物のようだった。
食べ終わると、彼はペットボトルの水を唇を湿らす程度にほんの少しだけ飲んだ。そして、唇をぬぐった。

「気分はどうだい?」と、僕は聞いた。
「普通ですね。・・・お久しぶりです。ブライトさん、少しやせたんじゃないですか?」と、ようやく

頭のさえてきたらしいカミーユは言った。
「そうかな」と、僕は顔をさすった。そうかもしれない。昔ほど、僕はものをあまり食べなくなっていたのだ。
「けれど、君ほどじゃないよ」
僕がそういうと、彼はそうですね、と相槌をうった。そして、林檎を齧った。
その間に看護婦が入ってきて、僕らのほうをちらりとみたあと、すぐに戻っていった。彼女の後姿はどことなく木馬を僕に思い出させた。
真っ白でどことなく品がある。そして形而上的に美しい。


「そういえばこの前、アムロさんがお見舞いにきてくれましたよ」
「へえ。アムロが?どんなことを話したんだい?」と、僕は答えた。
「別に・・たいしたことじゃないです。ただ様子をみにきてくれたようで。今、ゼータにのってるんですってね」
「あぁ、正確にはリファイン・ガンダム・ゼータだけどね。デザインも少し変わった。僕は昔のほうが好きだったけどね
いまのはなんていうか、まるで面白みがない。変形もできないしね」
といった風に、僕とカミーユはその後、差し当たりの内会話をした。ダブリンはいまどうなっているとか、アーガマは廃棄されたとかそんなことだ。
暫く話しているうちに僕とカミーユの間にあった、数年振りにあったことの違和感みたいなものは消えていった。

「ブライトさん、そろそろ本題にはいったらどうです」と、暫く雑談した後にカミーユは唐突にいった。
「本題?」
「あなたが、わざわざ僕を見舞いにきたなんて思えないですからね」
「そんなに不自然かな?」
「誤魔化さないでください。なんの用なんですか。できれば、ファがいない今に聞きたいですね」
僕はため息をついた。ごまかすことはできなそうだった。だいたい僕は隠し事ができない性質なのだ。
違和感がなくなったと思っていたのは僕だけのようだった。カミーユは僕のことを見ぬいているのだ。
「・・・君に連邦に戻るように説得するように命令されたんだよ」と、あきらめて僕はいった。


356 名前: ブライト  4/5 [sage] 投稿日: 03/10/11 17:23 ID:???

そう、僕が今日きた目的は彼を再び軍属にさせるためだった。理由はわからない。連邦は僕に何一つ説明してくれないし、またその必要はないのだ。
僕はせっせと食料を運ぶ働きアリのように、ただ女王アリの命令に従うだけだった。
「・・・そうですか」
カミーユはそう返事をすると、押し黙った。僕も何も喋らなかった。ただ、剥いた林檎を齧った。
窓の外の木に、一羽のもずがやってきて、幸せそうに歌をさえずった。廊下からはコツコツという看護婦の忙しそうな音が響いていた。
僕は、さっきの木馬のような看護婦とデートすることを思い浮かべた。それは悪くない考えに思えた。
彼女に声をかけて、一階の食堂で会話をするのだ。内容はなんでもいい。天気のこと、政治のこと、健康のこと。そんなことだ。
そして、暇だったら今度会わないか、と彼女を誘うのだ。二人で森でも散歩して、美味いイタリアンでも食べることにしよう。
ミライにばれないようにするのは骨が折れそうだったが、それもなんとかなりそうだった。
僕らは、どの夫婦も同じように、新婚の時ほど仲の良い夫婦ではない。
それに、ミライはずっと地球で、僕の性欲はカプールのように膨張しているのだ。

「ブライトさん?」と、カミーユが声をかけたが、僕は自分の考えに深く沈みこんでいて気がつかなかった。
そのとき、僕は彼女のブラのホックをはずすのに苦労しているところだった。
「ブライトさん?」
もう一度カミーユが聞いた。

  ブライトさん?

    
              艦長・・
 ブライト艦長・・!                
                             艦長!  

「艦長!大丈夫ですか?しっかりしてください!爆薬のセット全て終わりました」

その言葉で僕は現実に引き戻されることになった。目の前には、プチ・モビルに乗ったクルーの姿がみえた。彼の目はどこか、焦って見えた。
「艦長!はやく退却しましょう!」と、隣にいたプチ.モビルのオトコもいった。「このままじゃ、つぶれてしんじゃいますぜ!」
そうだ。今はシャアとの戦争の途中で、僕はプチ・モビル乗ってアクシズの内部に潜入しているところだったのだ。
坑道の中は狭く、それに振動が凄くて、今にも天井の岩盤が落ちてきそうだった。事実、さきほど、一人のクルーが死んでいた。
「それじゃあ、急いで脱出しよう」と、僕はいった。

艦に戻ると僕は、艦をアクシズから離脱させた。
戦闘はいよいよ佳境にはいっているらしくて、いたるところで光線が入り混じっていた。光が無数に発生し、また消え、またともった。
その一つ一つが命の輝きだと僕は思った。それは、まるで懐中電灯のスイッチをON、OFFと繰り返しているようだった。
それも数千人が一斉にオンとオフを繰り返しているのだ。ON OFF ON OFF・・パチン。といった具合に。
僕は、その中にいるであろうアムロとシャアのことを思った。白と赤の閃光が交錯している光景を思い浮かべた。
そこではアムロが何かを否定し、シャアが肯定していた。また別の面では、アムロが認め、シャアが否定していた。それは限りなく平行線だった。
それにもかかわらずその二つの光は交じり合い、別の色に変わろうとしていた。だが、それが何色かは僕はわからなかった。
「ラーカイラムは後退しつつ、敵の旗艦を叩く!」と、僕はクルーに命令をした。結局のところ戦争というのは頭を叩かないと終わらないのだ。
僕は、クルーがもってきてくれたコーヒーを飲んだ。どうしてこんなに喉が乾くのだろう?わからなかった。
そしてコーヒーを飲み干した後、僕の意識は再びカミーユとの会話に戻っていった


357 名前: ブライト  5/5 [sage] 投稿日: 03/10/11 17:28 ID:???



「このまえ、シャアさんからも同じ誘いをうけましたよ」と、長い沈黙のあとに彼はいった。
「そうなんだ」
僕は特におどろかなかった。シャアが彼にコンタクトをとることは、むしろ当然のことに思われた。
カミーユはシャアにとってある種の象徴であるのだ。人類の可能性の象徴なのだ。
他人に可能性を見出すのはシャアの特徴だった。彼は、自分の能力を信用せず、最後のところで他人を頼る癖がある、と僕は思っていた。
頼られたほうへのプレッシャーなどは考えない。それが彼の独善に繋がっているのだ。
だけど、彼はどこかで人を信じたいのだろう。それが可能性にすぎなくとも、そう思うことは悪いことではない。希望があるからだ。


「それで、君はどうするつもりなんだ?」と、僕は尋ねた。ちらりと、窓の外に目をやったがもうそこにはモズはいなかった。
別にシャアのところにいくといっても僕は止めるつもりは無かった。それは彼の決定であって、僕になにかいう権利はないのだ。
無論できることなら戦いたくない。彼は強いし、きっと連邦で彼を止められるのはアムロしかいないだろう。
ケーラの顔も浮かんだが、彼女はまだ駄目だ。おそらくスパゲティーを茹でるより早く落とされることだろう。
カミーユは、しばらくためらっていたようだが、ゆっくりと喋った。

「わかりません。正直、僕はネオジオンも連邦もどちらも間違っていると思います。
けれど、どちらかにつくとしたらジオンの方です。だって、連邦はティターンズを、フォウみたいな少女を作っていたんですから」
「けれど、今はつくっていないぜ」と、僕は反論した。
「そんなの本当かわかりません。それに、僕をこうやって監視している連邦が嫌いなんですよ。こんなの許せないんです」
「なるほど」と、僕はいった。なるほど。
たしかに僕もこんなところに毎年何回も連れてこられたら嫌になるだろう。人は見世物ではないのだ。
「だけど、僕はまだ迷っているんです。第一、ファになんていえばいいんだろう。
彼女はきっと僕が戦場に出るのを好まないだろうし、そうすると僕は彼女と別れないといけないかもしれない。そして、それはもう不可能なんです」
「君は彼女を愛しているんだね」と、僕は聞いた。彼はこっくりと頷いた。
迷いのない頷きだった。彼は痩せたかもしれないが、少なくとも頷き方だけはうまくなっていた。そして、それが大人となることかもしれない。
「戦争にでるのは仕方ないことだと思うんです。シャアさんが昔言ったように僕らには新しい時代を作る義務があるんです。
権利ではなく、それは義務なんです。だから、哀しいことがあったとしても僕は戦わなければいけない」
彼は、きわめて抑えた口調でいった。なにか諦めているような、決意をあらたにしているような、どちらともつかない口調だった。


「けれど迷っているんだね?」と、僕は聞いた。
「すごく」と、彼は答えた。                                 

             
                                              

                        (後半に続く)
                                  
                                              

       
アオリ「ブライトが今だから明かすカミーユとの知られざるエピソード!衝撃の後編は(打ちきられなければ)次号!」

地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜後編〜

95 名前:ブライト1/8 投稿日:03/11/04 03:08 ID:???
7    『  地球(ほし)の子供たちは皆踊る 〜後編〜  』   ブライト・ノア


話を続けよう。
次に僕がカミーユにあったのは、数ヶ月経った後のことになる。正確にいうと0093年の3月6日だ。
補足をするならば、その日はシャアが隕石をラサに落としてから二日経ったあとのことだった。
そのとき僕らの乗っているラーカイラムはサイド1のなかのコロニーのひとつ、ロンデニオンにいた。

500万人ほどが住む古い街だ。
どことなく中世のヨーロッパ的な雰囲気が漂っているコロニーで、数多くのコロニーのなかで僕はここが嫌いではなかった。
ここに降りたのは政府高官の命令によるものだった。なにをするためかは教えてもらえなかった。いつものことだ。僕は働きアリに過ぎない。
彼を下ろした後、少しだけ各自に自由な時間が取れた。おそらく最後の自由な時間だ。
アムロとハサウェイ達はどこかにドライブにでもでかけるらしかった。羨ましい話だ。けれど、僕にもいくところがあった。


僕は僅かな時間の合間をぬって、病院に向かった。なんとカミーユがいるのは偶然にもここの病院なのだ。
ロンデニオンの街から車で15分ほどいった郊外の閑静な森に建てられている。ここは連邦政府の隔離病棟の一つだ。勿論、存在すら極秘だ。
途中にある店によってパンプキンプティングを買った。でっぷりとよく太ったお婆さんが、一つずつ丁寧に袋に入れてくれた。
隣のフラワーショップにも寄って、、綺麗な月見草をかった。こちらのお婆さんは対照的にひどくやせていた。顔も意地悪そうだった。
そのとき聞いたことにはどうも二人は双子だということだった。えらく対照的な双子だ。どうみても遺伝子学的におかしい。
僕はそれにかすかに混乱したが、結局のところ、プティングは食べられて花は食べられないからだ、という結論に達した。
生活環境とはそれほど人を変えるものだ。意地悪になったり、親切になったりする。


病室はいつにもまして静かだった。海の底に立てられた建物でも、こんなに静かではないと思う。
廊下をあるく僕の足音だけが、やけに甲高く響いた。途中すれちがう看護婦は、このまえと違って素足で歩いているかのように全く音がしなかった。
彼女達は無言で僕に会釈をすると、実態のない影のようにひっそりと引力にひかれるようにして、どこかに消えていった。
僕は、すぐにカミーユの病室の前に立った。扉の横には金属のプレートがあり、「105号室 カミーユ・ビダン」と丁寧に掘りこまれていた。
この一ヶ月の間に、カミーユの部屋は二階から一階に変更されていた。ノックをすると、女性の声の返事があった。僕はノブを捻って、中に入った。
まるで薄い淡い色のカーテンのような静かな膜が、部屋には存在していた。
全てのものがひそやかな沈黙の海の中に沈みこんでいた。まるで何千年も地中に眠っている化石のような沈黙だ。
「・・・ブライト艦長?」と、ファが驚きの声をあげた。
「大変だったね」と、僕はいった。ゆっくりとベッドに近寄ると、手に持っていた月見草を彼女に渡した。
「これは・・?」
「月見草。地味な花だけどね。好きなんだ」と、僕は言った。ファはそれを暫く見つめたあと、カミーユの枕元にある花瓶にさした。
彼女は一ヶ月まえと同じ女性とは思えないほど、憔悴しきっていた。目は赤く充血し、その下には深い隈が宿命的にできていた。
まるで三日間の間、一睡もせずに泣きつづけたようなひどい顔だ。そして、きっとそのとおりなんだろうと僕は思う。
カミーユのほうはこの前あったときとかわらないようにみえた。顔も綺麗なものだった。髪は幾分伸びていたが、つややかな青さを保っている。
ただ、彼の目はうつろで、どこもみていない。その耳にはなにも届かない。その喉から何も言葉を発しない。そこが違う点だ。
点滴の刺さった左腕だけが所在なげに膝の上に置かれていた。それは僕に捨てられる直前の旧式のモビルスーツを思い出させた。
「ひさしぶり、カミーユ」と、僕はいった。勿論、返事はない。言葉は宙に浮かんで、すぐに消え、どこにも届かない。
僕と彼女は彼の枕もとに座った。


「どうしてこんなことになったのか全くわからないんです」と、細く掠れた声でファはいった。
僕は黙って頷いた。僕もこんなことになるなんて露とも思わなかった。


96 名前:ブライト2/8 投稿日:03/11/04 03:19 ID:???
戦闘はいよいよ最終局面を迎えていた。
ついに地球への降下を始める寸でのところでアクシズが分断されたのだ。
僕たちの思惑道理にアクシズは内部で破壊されて、中央付近で綺麗に卵を割るように、裂けた。
「やりましたね!艦長!」とオペレーターの一人が声をあげた。「これで救われます!」ブリッジの中には安堵の雰囲気が広がった。
まるで戦争はもう終結したような言いぶりだった。確かに隕石がこれで地球に落ちなければ、彼らは降伏するだろう。目的がなくなるからだ。
僕も正直これで助かったと思った。地球にとってこれがいいかは別として少なくとも現時点で地球にいる人は助かったのだ。
ミライやチェーミンの顔が浮かんだ。この任務がおわったら久しぶりに家族水入らずで暫くどこかにいこうと思った。
こんな仕事をぶっつづけで何年もやっていたら頭がおかしくなってしまう。人の死をなんとも思わなくなってしまう。駒が減ったと思うだけだ。
戦争とはそういうものだとわかっていても、それが正常の人間の感覚だとは思いたくなかった。僕は、そこまでマシンじゃない。
軍隊を辞めようか、とも思う。けれど、僕は他に何のとりえもない。
僕だって生きている間ぐらいひとなみに上手に生きてみたいと思う。けど、不器用だから仕方がない。

そういえばハサウェイはどうしたのかな、と僕は思った。デッキにいなかったのだ。
ひょっとして対空放火の最中にでていった機体はあいつじゃないだろうな、と思いつつ僕は目のまえの光景をただ黙視していた。
もうこれはただの戦争ではなかった。正義とか悪じゃない。そんな言葉で形容できるものではない。
僕はもう視界一杯に広がる地球に目をやった。それは、ここで起きている光景などまるで関係ないかのように静かに廻りつづけていた。
アムロはどうなったんだろう、と僕は思った。ガンダムがどこにいるのか最早全くわからなかった。
落ちたのかもしれない。シャアと戦っているのかもしれない。いや、戦っているのだ。間違いなく。
僕にはそれがわかる。アムロとシャア、二人のことを僕は思う。彼らのこの結末について思う。もっと、別の可能性はなかったのだろうか?
わからない。隕石はゆっくりと分断されている。僕は其れをただみていた。



カミーユの顔に手をかざして二,三度振ってみた。何も反応はない。
彼の目は僕の手のひらをみずに、そのむこうにある天井をただ見つめていた。僕はあきらめて手を引っ込めた。
「詳しく説明してくれるかな?」と、僕はいった。「手紙じゃよくわからなかったんだ」ファは頷いた。
カミーユは、意識が無くなる前日までは普通どうりでした。朝7時には起きて、それから医療スタッフによる検査を開始したんです。
それが、昼食をはさんで大体夕方まで続きました。その後は、私と一緒に夕食を食べて、お風呂に。いつもどうりです。
少しの間テレビをみて、消灯の時間になったので、彼は寝て、私は帰りました。そして、翌朝きてみたらこんな風になってたんです」
「とつぜん?」と、僕は聞いた。ファは頷いた。
「はい」
「医者はなんていっていた?」と、僕は訊いた。
「それが・・まったく原因がわからないそうです。いろんな機械をつかってしらべたみたいなんですが、皆目・・
外傷はどこにも見当たらないということなので、内的な原因ではないか、っていってました。
ただ純粋に目を覚まさないんです。井戸の底から空をみているみたいに、ここではみえない何かをみているんじゃないかと」
僕はすこしだけその意味を考えた。何かをみている・・?よくわからない。
「植物人間状態・・っていうことじゃないんだね?」
ファは頷いた。「ただ、意識がないだけです。脳には異常はないとはいっていました」
「ねぇ、テレビをみたっていったね?どんな内容をしていたんだ?」
「ええと・・ニュースです。内容は・・なんだったかしら・・・」ファはいいよどんだ。
「ねぇ、しっかり思い出して。大事なことかもしれない」と、僕はいった。ファは少し顎を傾けて天井をみた。
「たしか・・ちょうどその日はクワトロ大尉・・・いえ、シャア・アズナブルのインタビューがTVで流れていたとおもいます」
「その番組をみて、寝た直後、彼は意識を覚まさなくなったんだね?」
「はい・・あのそれがなにか?」
「・・・・いや、何も?」と、僕は言った。そのインタビューがあったのは2月26日だからもう一週間以上経つ。
「なにかわかったんじゃありませんか?艦長、なんでもいいから教えてください」と、ファがいった。


97 名前:ブライト3/8 投稿日:03/11/04 03:23 ID:???

僕は、不安げな顔で僕をみつめるファの髪を優しく撫でた。そして、話題を逸らす。
「・・ねぇ、美味しいプティングを買ってきたんだ。一緒に食べよう。それから、君は少し休んだほうがいい。
ひどい顔をしている。まるでズゴックみたいだよ。そんな顔を年頃の子がするもんじゃない」と、僕は手に持った紙袋をみせた。


説得してファにプティングを食べさせた後、僕は看護婦に頼んで別室にベッドを用意してもらった。
そこに彼女をつれていき、休ませた。ファはつかれていたのだろう、すぐに眠った。僕は物音を立てないように静かに部屋をでた。
途中、廊下にあった自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。コーヒーはやけどするほど熱く、味がほとんどわからなかった。
木馬に似た看護婦がシーツを大量に持って、二階にあがっていった。僕はその後姿を眺めて、忙しそうだなと思った。
本来なら僕も艦に戻って色々することがあるのだ。アムロはそういえばまだハサウェイ達とドライブしているのだろうか。
僕は自動販売機の隣に設置されていた公衆電話をつかい、艦に連絡をとった。オペレーターがでて、さっき誰かが尋ねてきました、といった。
おそらくカムランじゃないかな、と僕は思った。まぁ、どちらにしてもまたせておけばいい。
あと20分は大丈夫だろう。それくらいはある筈だ。
そんなことを思いながら僕が部屋に戻ると、そこにはカミーユの他に誰かがいる気配がした。医者かもしれない。
僕は邪魔にならないようにそっと静かにドアを開け部屋に入ると、その人物を観察した。そして、誰かわかった瞬間に僕は息を呑んだ。


シャア・アズナブルだった。ネオジオン総裁にして、1年戦争時の赤い彗星

彼が、病室にいたのだ。間違いなく。




「艦長!アクシズの後部は地球の重力に引かれて地上に落ちます!」
クルーが絶叫した時、僕は最初それがどういうことか理解できなかった。アクシズが落ちる?地球に?
そんなことが起こるわけはない。僕は思った。

僕達の計算ではそうならない筈だった。火薬が強すぎた?そんなこともあるわけなかった。
こうなる可能性を恐れて僕は念入りにあらかじめ計算させていたのだ。にもかかわらずアクシズがおちる?
何かの冗談じゃあないのか。もしも現実だとするとお手上げだった。僕には隕石が落ちるのは必然で止められないのだと思った。
世の中にはそういうものがある。運命、と僕はいいたくないのだけど、レールがあるようにその上をきちんと走り抜けていくのだ。
アクシズが落ちるのは運命なのだ。僕は思う。止められない。アクシズを地球が呼んでいるのだ。おそらく。
けれど、そんなことを認める訳にはいかない。それはこの戦域で死んでいった仲間たちへの冒涜なのだ。地球は守られなければならない。
「ラーカイラムで押し出すんだ!」と僕は無意識のうちに叫んでいた。無理だとわかっていても運命を

打破したかった。
「無理です!」クルーが必死で僕を押しとどめる。


99 名前:ブライト4/8 投稿日:03/11/04 03:31 ID:???
僕は最初、それは自分の勘違いではないかと思った。シャアがこんなところにいるなんて、常識的にみて考えられない。
たが目の前にいるのはどう考えても、数日前にテレビでみたシャア・アズナブルそのものだった。ネオジオン総帥であり、かつての赤い彗星
彼は、僕が入ってきたのにも気がつかずに、こちらに背を向けて椅子に座っていた。カミーユをじっとみていた。
僕は静かに腰に手をやったが、そこに拳銃は無かった。うかつなことに僕は必要ないと思って、拳銃を艦内においてきていたのだ。
失態だった。以前の僕ならこんなことはしない。

「・・なにしにきたのかきいていいかな?」と、僕は諦めてドアにもたれると、その背中に問い掛けた。
ここで格闘をするわけにはいかないし、僕はきっとかなわない。それに僕は彼が何をしたいのか知りたかった。
シャアはその声に驚いた様子はなかった。きっと誰かが部屋に入ってきたのは気がついていたんだろう。
彼はゆっくりと振りかえり私の顔を見て、ほんのすこし表情を変えた。
「久しぶりだな。ブライト艦長」と、彼はいった。その声には人を惹きつける何かが含まれている。。
クワトロのころよりそれを強く感じられる。おそらく意識的にだしているのだ。そういったことができる人間というのが世の中には稀にいる。
ダカールの演説を僕は思い出した。そして、ギレンも。

僕は、扉を背にしたまま彼を注意深く観察した。彼は・・一人できているのか?この時勢に。軽率じゃないか?
窓が開いていて、木に馬がつなぎとめられていた。あれでここまできて、窓から入ってきたのだろう。

無論、あらかじめ下調べをしたうえで。
「クワトロ大尉。いや、シャア・アズナブル総帥とよんだほうがいいかな。こんなところであうなんて露とも思わなかったけど」と僕はいった。
「それは私だってそうさ。連邦がこんなに暇だとは思わなかったよ」シャアは笑った。「お子さんは元気かな?確か二人いたと記憶しているが」
「おかげさまで」と、僕は答えた。「男の子と女の子がお一人ずつだったな?」と、シャアは続けた。

僕は頷いた。
僕とシャアはかつて仲が良かった。わかりあえるまではいかないが、ともに戦場では心強い仲間だと感じていたものだ。五年も前の話だ。
「それで?なにしにきた?まさかカミーユの顔をみにきただけ?」と、僕は訊いた。
「わかっているのだろう?・・カミーユを引き取りにきたんだよ」
「引き取り?」
シャアは時計をちらり、とみた。そして、カミーユの左腕をみて、そのチューブの先の点滴をみてから、視線をこちらにもどした。
「私が何度も彼をネオジオンに誘っていたのは知っているのだろう?そのときカミーユはそれを渋った。
行きたいが、いくわけにはいかない。彼はいった。すぐに私はファのことが原因だと気がついたよ。
それで一旦は引いた。暫く考える時間をやった。私としても彼から自発的に来て欲しかったのでな。
それから暫く経って、この前、カミーユの意識がなくなったとの報告を受けた。驚いたよ。
私は彼が最後にはジオンに入隊すると信じていたし、そのために新型MAを開発中だった。カミーユは必須なのだ。
今更これません、というわけでは困る。だから私は原因を推察した。どうして再びこんな状態になったのだろうとな」
シャアはそこで一旦会話をとめて、カミーユに目をやった。相変わらずカミーユは何の反応もない。
シャアがきていても、喋っていてもそれは彼の耳には入らない。
「原因?」と、僕はいった。
「そうだ。これはカミーユの意識が考えることを放棄した結果起きた状態だ。
残るか、私とくるか。個人としての愛をとるか、ニュータイプとしての未来をとるか。どちらかなのだよ。
無論、ファと安息の生活をしたい気持ちはわからんではない。だが、カミーユにはそれはできないのだ。そういう青年なのだ。
カミーユのまだ修復しきっていない精神はその葛藤に耐えられなかった。彼は脆いのだよ。ブライト。脆弱だ。
だが、それだけに私は彼に人類の希望をみいだせる。彼は脆い、だが、立ち直る。それは希望であろう?
彼はいま悩んでいるが、私とネオジオンにくれば自分の運命を理解するだろう。
生きている間に、生きている人間のすることがある。それを行うことが死んだ者への手向けだ。逃げていてはなにもはじまらん」
「だけど」僕は反論する。

100 名前:ブライト5/8 投稿日:03/11/04 03:35 ID:???
「だからといって、勝手につれていっていいとは思えない」と、僕はいった。
確かに彼のいうとうりだろう、と僕は思った。さっきファの説明をきいて、そうではないかと思ったのだ。
彼の心はくさびをうたれてファから動けないが、一方で自分は戦わなくてはいけないという強迫観念的な思いがあった。
その葛藤がシャアの宣戦布告を聞いたときにピークに達して、電気のヒューズが飛ぶように、考えを放棄したのだ。また錯乱する前に。

なぜだかこうして会話してると不思議に違和感を感じなかった。敵だという感覚がない。
僕はラーカイラムの艦長じゃなく、アーガマの艦長のままで、シャアはネオジオン総裁でなくクワトロ・バジーナのように思える。
あれから5年の月日が流れても僕らは何も変わっていないように思える。それがいいことなのか僕にはわからない。
僕は33歳になったけれど、何も変わったような気がしない。
僕らは同じ場所で踊りつづけているのだ。好むと好まざるとにかかわらず。踊りつづけているだけなのだ。

「時間がない。彼の意識はここにいては確実になおらん。カミーユは私とくるべきなのだ。
それにな、ブライト。連邦がカミーユ君にしている非人間的な扱いをみると、私は彼らを一層粛清せねばならんと思うのだよ。」
「だが!」と、僕はいった。納得できなかった。彼は彼の意思で、ここに残ったのだ。
彼が精神を再び自らの手で井戸の底に閉じ込めたのだとしたら、誰にそれをひらく権利があるだろう?

そんなのはありはしないのだ。
「相変わらず独善的だ」と、僕はいった。「それはカミーユが決めることだ。時間をかけてゆっくりね」
シャアは笑った。
「それじゃあ、間に合わないんだよ。カミーユは今すぐ決めなくては」
「やめろ!」と、僕は詰めよった。が、瞬間にシャアの右手が動いた。腹に重いものを感じてうずくまる。呼吸が止まる。
「邪魔はしないでもらおう。まだ君はしらんだろうが、形の上とは言え、現在我々は停戦状態なのだよ。ブライト」と、シャアは僕を見下ろした。
「なにを・・ばかな・・」と、僕はいおうとしたが、声にならなかった。普段の不摂生が祟ったかもしれない。人に殴られたのは数年振りだった。
目の前が霞む。歪んでいく。視界が隅のほうからぼんやりと灰色に滲んでいく。シャアがカミーユの点滴をはずそうと手を伸ばす。
僕はなにもできない。


「そんなことさせない!」
シャアの動きを止めたのは、その一言だった。僕は床にうずくまりながらも声のした方をみた。
ファがいた。震える手で拳銃を握り締めて、シャアに向けていた。
「彼をどこにもつれていかないでください!クワトロ大尉!」
「ファくん・・」
シャアはあきらかに狼狽した。彼女に見つかる前に連れていくつもりだったのだろう。相変わらず女には甘い。
「・・・すまんがそれはできんのだよ。彼は、ネオジオンの一員として私と共にきてもらう。私の跡をつげるのは彼しかいないのだ」
私のあと?僕はその言葉がきになったが、痛みがひどくて何も考えられなかった。
シャアがカミーユの点滴をはずすためにベッドの脇にかがんだ。「大尉!」ファが、叫んだ。拳銃をもったまま、あわてて彼女は近寄る。
そこをシャアは見逃さなかった。無防備に近寄ってきたファの右手をあっさりと捻りあげた。拳銃がぽとり、と床に落ちる。
「あきらめてくれ。ファ」と、シャアはいった。だが、ファはシャアに右手を捕まれたまま、左手でシャアの身体を叩く。
「イヤァ!どうしてっ!アナタ達は自分の都合でしか物事を考えないの!わたしや!カミーユの気持ちは!どうでもいいのッ!」
「人が何かをなすときには、犠牲が必要なのだよ・・子供たちのためなのだ」
「そんな理屈・・ッ・・犠牲に・・なれっていうの・・ねぇ・・わたしたちに・・あなたたちの身勝手な・・戦争のための犠牲に!
どうしてそんなことがいえるの?私達はただ、静かに暮らしたいだけなのに・・ねぇ、どうしてそんなことをするの!」

ファの顔は泣いていた。
僕は胸が痛くなる。彼女はシャアを叩く、何度も何度も。それがたとえシャアには届かないとわかっていても、彼女はそうするしかない。
無力なのだ。連邦の僕、ネオジオンのシャア、そういった背景をもたない一市民のファは叩いて抵抗することしかできない。無駄だとわかっていても。


101 名前:ブライト5/8 投稿日:03/11/04 03:48 ID:???
ファの手は止まらない。シャアを叩きつづける。
僕は彼女のあの頃より幾分長い髪が、ふり乱れる様をただみていた。彼女は、高まる感情をそのままに、言葉を途切れさせながら喋る。
「ねぇ・・あのとき・・アナタはにげたじゃない・・カミーユを置いて・・にげたじゃない・・壊れちゃったカミーユ・・を・・おいて・・にげたじゃない・・」
その言葉にシャアの表情が変わる。僕もハッと息を呑む。あのとき。それはもう僕らにとって五年もまえのことだった。
僕はそのとき26だった。あの戦争の最後、カミーユは発狂し、シャアはいなくなった。エゥーゴのリーダーの地位と、カミーユという彼の希望を捨てて。

───艦長、ブライト艦長カミーユ・ビダンが・・・。聞こえますか。アーガマ

僕はあのときの彼女の本当に、消え入りそうな、数秒後に、泣きはじめたあの時の声を覚えている。
聞こえている、と僕は思う。あのときから、彼女は僕に呼びかけていたのかも知れない。いや、きっとシャアに呼びかけていたのだ。
彼女はシャアに聞いて欲しかったのだ。そして、カミーユも。おそらく。

カミーユを壊したのは・・あなたなのに・・彼が戦争したのは・・あなたのためだったのにっ・・あなたはカミーユをおいて・・逃げた・・」
「それは違う。私は逃げたんじゃあない」と、シャアは確固たる口調で言った。だけど、そのトーンは弱い。
「うそっ・・!逃げたじゃあない!生きてたなら・・どうして・・あのときのカミーユを・・ねぇ、大尉っ・・カミーユは・・きっと・・貴方がいてくれれば・・・」
ファは純粋だ。シャアの矛盾を見逃しはしない。
「それなのに今更どうしてくるの・・?ねぇ・・大尉・・もうそっとしておいて・・お願い・・私達は、アナタたちの道具じゃない・・ん・・です」
「・・・ファくん・・」
ブライト艦長がコロニーにきて・・カミーユがみにいって・・そしたら、大尉がきて・・カミーユをつれていって・・ねぇ!あなた達は・・どうして・・!」
僕が彼を呼んで、シャアが彼を連れていった。グリーンノア。僕は思い出す。あの頃、僕はまだテンプテーションの艦長だった。
そのとき、僕はあんなことになるなんて思っていなかった。ただ自分は一生閑職にやられるのだろうか、と漠然と思っていただけだ。
そういえばあの時と同じ人間がいるんだな、と僕は思った。僕らはどこにもすすんでないのかもしれない。足踏みしているだけだ。

 ファはシャアにしがみついて涙を流している。シャアはなんていったらいいのかわからないといった表情をしていた。
僕はファの気持ちがいたいほどわかった。誰もがカミーユをまるでレンタルビデオのように遠慮なく借りていくのだ。代価をなにもはらうことなく。
そして、カミーユはそのたびに少しずつ何かを損なっていっていたのだ。そして、あのとき、最後にシャアは彼を捨てたのだ。

「なおったから・・またかりていくの?ねぇ・・・死ぬかもしれない戦いに・・彼をつれていくの・・?大尉・・・そんなのって・・ない・・」


ピピピ、と僕の時計が静かに鳴った。
そろそろ帰らなければならない時間だった。だけど、当然のことだけどこの状況で部屋を後になんてできない。


『・・・ファ・・』
突然、声がした。本当に小さな声だった。すぐに空気に混じって消えてしまう細い声だった。それが部屋の沈黙の糸を少し緩ませた。
誰かが会話をしていたなら聞き逃していそうな程、それは本当に小さく弱い呟きだった。少年が母親に秘密を打ち明けるようなささやかさだ。
「え・・?カ・・カミーユ・・?」ファがシャアの胸から、はじかれたように顔をあげた。僕もそれで、いまのがカミーユだと気がつく。
「ファ・・・・」
今度はさっきよりはっきりと聞こえた。確かにカミーユの声だ。カミーユが言葉を発しているのだ。僕は立ち上がりながら思う。
低いような高いような独特の不思議な声だ。そういえば彼の声色はあの頃とほとんど変わっていない。
「あぁ・・カミーユ!」
ファはカミーユの胸にすがりつくように抱きついた。「ファ・・」カミーユは抱きしめられながらまた

呟いた。
カミーユ・・」ファは幸せそうに目を閉じる


102 名前:ブライト7/8 投稿日:03/11/04 04:02 ID:???

「意識が・・・戻ったのか?」とシャアは呆然と呟いた。
「いや、多分・・違う」と僕は言った。意識が戻ったわけじゃない。ただ無意識に彼はファの哀しみを感じているのだ。
まるで赤子が母親の気持ちを敏感にさとって泣くように。その証拠にカミーユの目はまだうつろで、僕らを映していない。ファだけだ。
井戸の底から彼はファだけを叫んでいるのだ。求めているのだ。おそらく。彼女だけを。そして、僕はそれが答えだとおもう。
「彼は、残る道を選んだんだよ。戦いじゃなくね。そして、そっちのほうがネオジオンに参加するより辛い道かもしれない」と僕は言った。
「動かないほうが怖いな」と暫くの沈黙の後にシャアがいった。「私には真似できない」
ファがカミーユを愛しそうに抱擁しているのを僕らはただみていた。それはもう僕らにはできない若さと希望の1枚絵のようだった。
シャアは時計をみて時間を確かめると、ゆっくりと部屋の窓際に移動した。そして、足を窓枠にかけた。
カミーユ」と、最後にシャアはいった。今まで僕が聞いたなかで一番優しいトーンだった。カミーユ。僕も口の中で発音してみる。
シャアは、そこで一旦口を切ったかと思うと、
「・・・今の私はシャア・アズナブルだ。それ以外の何物でもない。」といった。「無論、クワトロでも」
その言葉は当たり前のことのように思える。どうして今そんなこと言う必要があるんだろう、、とその時の僕は思った。

だけど、今では僕はその言葉の意味を理解することができる。
それは彼のカミーユへの別れの言葉だったのだ。つまり、彼はシャアだ。クワトロではない。
エウーゴの時には、シャアは公式にシャアと名乗らなかった。演説のときもシャアと呼ばれたことがある、といっただけだ。
出撃の時も「クワトロ・バジーナ出る」だ。カミーユと意志を共にしたのはクワトロ大尉である。シャアではない。
一方、今の彼は純粋にシャア・アズナブルである。クワトロ大尉ではない。となるとカミーユは面識もないただの他人だ。シャアは暗にそういったのだ。
無論、これにはネオジオンカミーユは一切無関係だと連邦の軍人である僕に通告する意味も含まれている。
だけどどちらかといえばこれは矢張りカミーユに対する別れの言葉と考えていいだろう。彼らは奇妙な師弟関係だったのだから。

シャアは窓から外の芝生に降り、繋いであった馬に乗った。馬は久しぶりに動けることを喜ぶように鳴いた。
ジーク・ジオン」最後にシャアはそう言った。けれど、それはどこか自嘲的な言い方だった。少なくとも僕はそう感じた。


シャアが消えてしまったあともファは動かなかった。彼女はカミーユの首の辺りに顔を埋めたままだった。
僕は窓を閉め、濃いクリーム色のカーテンをひいた。部屋にさしこむ光が、淡い灰色になる。空気が少し柔らかくなった。
振り向いて、カミーユをみる。そして、僕は息を呑む。カミーユの目から涙が一筋だけこぼれていた。

間違いなく、涙を流している。
「たい・・い・・・」 カミーユの掠れるような声が聞こえた。だけど、これは気のせいかもしれない。彼の意識はないのだから。
ただそう喋ったように聞こえただけだ。

時計がまた鳴った。いい加減に僕も艦に戻らなければならない。それにこの場にこれ以上僕がいることは意味がなさそうだった。
僕は、二人に何も声をかけず黙って静かに病室を後にした。ドアを閉めると、カチリと硬質な金属音が響いた。
耳の奥にその音が妙に残った。何かが閉じた、と僕は思った。
少し歩いて曲がり角を曲がった僕は、立ち止まると、廊下の壁に背をつけて、息を吐いた。そして、壁を手の裏で思いきり殴った。
はやけに高く響いた。すれ違った女性が、僕を怪訝な目でみて足早に去っていった。狂人をみるような目つきだった。僕は目を閉じる。
いいようのないやりきれなさだけが、いつまでも全身に留まっていた。


103 名前:ブライト8/8 投稿日:03/11/04 04:17 ID:???

 アクシズが地球から離れていった時のことを僕はここで詳しく述べるつもりはない。
あれを完全に説明することは不可能だし、完全に伝えられないならば何も説明しないほうがいいと僕は思うからだ。
ただ、あれは僕にとって本当に1年戦争が終わったのだと実感させるものだったということだ。
連邦とジオン、アムロ・レイシャア・アズナブル。1年戦争は実質には14年経ってようやく終局を迎えたのだと僕は思った。
アクシズから出る光の暖かさは、僕には14年越しの死者への鎮魂の光だと感じた。一体どれだけの人が死んだのだろう。
それは途方もない数だと思う。天文学的な人の数が死んだ。そして、アムロとシャアも『いま』死んだのだと僕は悟った。
1年戦争の二人の英雄は死んだのだ。アムロとシャアの踊りは、ダンスステップは、結局のところ何処にいきついたのだろう?
僕にはわからない。そして、語る資格もない。


 戦争が終わって、一段落したのをみはからってから再び僕はロンデニオンにいった。カミーユの病室を訪れるためだ。
だけど結論からいうと、彼らはいなかった。そこにいるべき彼らの姿は影も形もなく消失していた。
あるべき姿はそこにはなく、主人をなくした捨て犬のようにぽつんとベッドだけが同じ場所に置かれていた。彼らだけが喪失していた。
看護婦たちに聞いても誰一人として二人の行き場所を知るものはいなかった。話したがるものもいなかった。誰もが、人形みたいに無言で首を振った。
僕が聞いた7人目の看護婦は、彼らがいなくなってせいせいした、と吐き捨てた。それは僕が気に入っていた木馬みたいな看護婦の言葉だった。
僕は誰もいない、プレートさえかかっていないがらんとした病室に戻り、ベッドの下にあるスチール製の椅子をだして座った。
窓の外をみると、雨が静かに降り注ぎ、沈黙のままに地面に吸い込まれていた。それは平和を祈る少女のように脆く繊細な雨だった。

 僕は目を閉じて、肺の中に在る空気をゆっくりと吐き出した。全て吐き出してしまうと、身体の中が空っぽになってしまった気がした。
自分の存在がこの病室と交じり合って完全にきえてなくなっていくような気がした。がらんとした病室というのはどこかそんな感覚を与えてくれるものだ。
カミーユ達はいつもこんなところにいたのか、と僕は思った。ここは人がいるべき場所じゃない。少なくとも彼らがいるべき場所じゃなかったのだ。
この部屋には彼らの哀しみや沈黙が深く海の底のようにそっと沈殿していた。
 買ってきた月見草を花瓶にさした。そして、僕はふとフラワーショップと隣の菓子屋のお婆さんの差異について考えた。
環境が違えば、双子といってもあれだけ変わる。思想もかわる。僕はシャアとアムロはある意味ではいびつな双子だったんじゃないかとさえ思う。
そう考えると、何かがわかりそうな気がした。せめてカミーユが彼らの代わりに幸せになってほしいと僕は思う。
完全なニュータイプなんて存在しない、と僕はふと呟いた。けれど口出すと其れは自分の声には聞こえなかった。
言葉は小さな空白を作り出したかと思うと、小さな沈黙となって、そのまま部屋に沈み込んでいった。


 僕はそのままベッドを横切って、病室の窓をあげた。
依然として雨は静かに優しく降りそそぎ、この世界に存在する全てのものをそっとひそやかに濡らしていた。
窓枠においた僕の手に雫がかかった。それは僕にカミーユが流した涙を思い出させた。そして、その冷たさがアムロの死をリアルに感じさせた。
コロニーに降る雨は僕にいつも喪失を感じさせる。地球に降る雨とはそれは決定的に違う。
僕は宇宙にある全てのコロニーに雨が降っていることを想像した。宇宙に降る雨。それはあまりに哀しいことだと僕は思う。
やはり宇宙に雨は降るべきじゃない。雨というのは地球に降るべき類のものだと思う。箱庭に雨が降っても海はないし、ゆえにどこにも辿り着けないからだ。
ここで泣けたらいい、と思う。だけど、僕は泣くにはあまりにもつかれていた。それに33になると泣くことすらうまくできない。だから、僕は雨をみる。
雨はいつまでたってもやみそうになかった。まるでコロニーの天候制御が壊れたみたいだった。ほんとに壊れていたらいいな、と僕は思う。

海の底のような病室で僕はあきることなく雨ふりを見つづけていた。どこかで、小夜鳴き鳥が鳴いた気がした。
                                              

                                 了 

木馬をめぐる冒険

232 名前: ブライト 1/3 [sage] 投稿日: 03/09/12 22:11 ID:???
2     『  木馬をめぐる冒険   』   ブライト・ノア


「私って美しい?」
木馬が僕にそんなことを聞いてきたのは、アムロ・レイが脱走した砂漠でのことだった。
そのとき、僕は煙草を吸いながら一人で星を眺めていた。彼女と話すときは一人じゃないといけないのだ。
「美しいよ」
僕は言った。事実彼女ほど美しい戦艦を今までにみたことはなかった。
滑らかな曲線。洗練されたフォルム。大胆な突起。すべてが僕の心を掴んでいた。
「少し形而上的にすぎるけど、とても美しい」僕は言った。
「嬉しい」
彼女はその大柄な体を少し震わせて喜んだ。僕は彼女にもたれかかった。
背中に彼女の硬い装甲を感じた。
「どのくらい美しい?」彼女が聞いた。
「ザクとグフが100機集まってマス・ゲームをしているより美しい」
「素敵」
木馬は体を震わせて喜んだ。あまりに喜んだのであたりに砂埃が待って仕方がなかった。
僕はパオロ艦長には悪いけど、彼女と話せるようになってよかったと思った。
木馬、つまり自分の戦艦と自由に話せるのはその艦の艦長だけなのだ。それは艦長特権だった。
僕は、それに気がついたとき、パオロ艦長が羨ましかった。尊敬した。いや、この表現は正しくない。
オーケィ、正直にいおう、僕はパオロに嫉妬していたのだ。

「戦争はいつまで続くかしら」
木馬が心配そうに言った。
「さあね。僕にはわからないな。けど、そんなに長くかからないと思う」
僕は、煙草を足元に捨てると、今度はビールを取り出した。
「私きっと壊されちゃうわ」
「大丈夫。君は僕が守るよ」
「ほんとに?」
「本当さ。僕が一度でも嘘を言ったことがあるかい?」
「私信じるわ」
僕は彼女の装甲にキスをした。硬かったけれど、それは決して嫌な感触じゃない。
「私のこと好き?」木馬が聞いた。僕はビールを飲みながら答える。
「好きだよ」
「どのくらい?」
ガンタンクガンキャノンガンダムが君の中にいるのを嫉妬するくらい」
「あなたって最高だわ」木馬がくすくすと笑った。そして、ひとしきり笑った後、「守ってね」といった。
もちろん、と僕はこたえた。


けれど、結果的に僕は彼女に嘘をついたことになった。
ア・バオア・クーでのことだ。


233 名前: ブライト 2/3 [sage] 投稿日: 03/09/12 22:14 ID:???
連邦とジオンの最終戦争。ア・バオア・クー。戦いは佳境だった。

戦場はますます激しさをまして、木馬を守るモビルスーツは一機もいなくなった。
カイやハヤトは既に白兵戦に突入していたし、アムロ・レイは撃沈されたのか反応がなかった。
そんななか、僕はマシンガンを持って艦長室にいた。
「ここをでなくていいの?危険よ」木馬・・彼女が僕にきいた。
「でたくないんだ」僕はいった。
「けれど、きっと守りきれないわ。私の体はすでにボロボロだもの」
木馬は淡々といった。
「貴方まで死ぬことはないわ。逃げて、生き延びて。」
「僕はここに残るよ」
「駄目よ」
「どうして?」
「どうしても」
そこで僕らの会話は終わった。彼女は沈黙して、僕はまたビールを飲んだ。
ミライがやってきた。
「どうしたの?ブライト。艦長が退艦命令だして、ボー、としているなんて」
「なにもしたくないんだ」
「なに馬鹿なこといってるのよ。ほら、艦長がでてくれなきゃ、士気があがらないわ」
ミライはそういって僕の手を引っ張った。
「君がやってくれないかな」
「ちょっとしっかりしなさい!貴方がしっかりしないと皆しんじゃうのよ!」
僕は顔を叩かれた。激しいビンタだ。一瞬意識が飛びそうになった。

「・・・わかったよ。すぐに行くから、君はカツ達をしっかりみててくれ」
そう。僕は艦長だった。艦長には責任がある。好むと好まざるとにかかわらず。ミライはうなずいて急いで出ていった。
一息にビールを飲み干すと僕は椅子から立ち上がった。そして、木馬に言った。
「僕は行くよ」
「ええ。」
僕は壁に手をやって、そっとさする。壁がすこしだけ身を振るわせた気がした。
「さようなら。今までありがとう」 躊躇いながら、僕は言った。其れ以外にいったい何がいえる?
「私。貴方に会えて。本当によかった」
彼女が笑ったように思った。
僕はドアを閉めた。非常サイレンが、けたたましく艦内には鳴り響いていた。口の中は血の味がした。


・・・一年戦争はこうして終わった。どんなものでもそうなように終わってしまえば実に馬鹿げた戦争だった。


235 名前: ブライト 3/3 [sage] 投稿日: 03/09/12 22:19 ID:???

戦争が終わった後、暫くしてから僕は暇を見つけて砂漠に行った。ミライもつれてだ。
木馬を停泊していたと思わしき場所に、僕はバギーを止めた。
僕はそこに寝転んだ。ミライも黙って隣に座った。
ここで木馬と話してから半年も経っていない。けれど、僕にはあれから何年も経ったような気がした。
星は相変わらず、変わらない光を保って柔らかな色を降り注いでいた。

「ねぇ、私のこと好き?」
暫くそのままでいると、ミライが聞いた。
「好きだよ」
「どのくらい?」
ガンタンクの砲台と同じくらい」
「ねぇ、前からいおうと思ってたんだけど、あなたって変わってるわね。」
ミライがあきれたように言った。

ミライが寝てしまった後、僕は蹲ったまま二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれて初めてだった。
胸にぼっこりと穴があいてしまったようだった。
ミライを手に入れてもそこが満たされることはない。そこは既に損なわれてしまったのだ。

「貴方にあえてよかった」
その言葉は僕がいうべき言葉だった。僕は彼女に何度も命を救われたんだから。
真空の宇宙。灼熱の砂漠。シャアの襲来。彼女は何もいわず、僕らを助けてくれた。けど、彼女はもういない。
僕は強くならなければならない。風が強く吹いて砂が舞った。そろそろ帰る潮時だった。

僕は、立ち上がると、ズボンについた砂を払った。空には、半分だけの月が鈍く光っていた。
僕はミライの肩を軽く叩いて起こした。彼女はすぐに目を覚ました。僕はいった。
「帰ろう」
「気持ちの整理はついたの?」ミライは目をこすりながら、僕に聞いた。
「知ってたんだ?」
「当たり前じゃない。私、そんなに鈍じゃないわよ」ミライはけろりと答えた。
「やれやれ」
僕はため息をついた。空には星が輝き始めていた。


アオリ「 そして七年後・・・アーガマをめぐる冒険。」