本はねころんで

2016-09-28 雑誌の特大号 3

 当時文庫で読むことができなかった小山清さんの「落穂拾い」は、いまはちくま文庫

で読むことができるようになっています。この雑誌に再録された時とくらべると、今の

ほうが小山清さんの人気は高いように思います。

落穂拾い・犬の生活 (ちくま文庫)

落穂拾い・犬の生活 (ちくま文庫)

 「落穂拾い」は、売れない小説家の日常を描くものでありますが、そのせいもあって

川崎彰彦さん好みの作品でありました。川崎さんの本には、この作品から「お前も生き

て行け。」というところが引用されていました。

 それとこの作品の後半は、古本屋を舞台とした小説ともなっています。

「僕は最近ひとりの少女と知り合いになった。彼女は駅の近くで『緑陰書房』という古本

屋を経営している。マーケットの一隅にある小さな床店で、彼女は毎日その店へ、隣町に

ある自宅から自転車に乗って出張してくるのだ。

 彼女は新制高校を卒業してから、上級の学校へも行かずまた勤めにも就かず、自ら択ん

でこの商売を始めた。」

 最近におしゃれな古本屋さんを開く若い人がいますが、これは今から60年も昔の話で

あります。本当にこのような店があったのかどうかわかりませんが、「緑陰書房」という

名前が記憶に残ります。

 これが強く印象に残るのは、この小説新潮臨時増刊号にある滝田ゆうさんの挿絵のおか

げであるかもしれません。文芸雑誌というのは、挿絵が入らないのが当たり前であるので

しょうが、中間小説雑誌は、ほぼ必ず挿絵がつきます。

 その昔の古本屋を、滝田ゆうさんが描いたのが、下に掲載のものです。

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 小説は言葉で世界を描くものでありますから、視覚に訴えるイメージは余分であるとも

いわれそうですが、滝田ゆうさんの絵をみますと、小山清さんの世界に膨らみがでるよう

に思います。

2016-09-27 雑誌の特大号 2

 このブログの更新に使用しているちょっと古いMacBookproの充電器が異常な発熱

これは火を噴くのではないかと思われるので、本日はバッテリー残り60%を切った

ところから作業のスタートです。とりあえず、ネットで安い充電器を確保しましたの

で、数日で現状は解消するはずですが、それまでは更新も早々に切り上げることと

いたします。(もっと古いiBookでも、それこそWindowsでも更新は可能なのでありま

すが、手抜きのためのいいわけであります。)

 ということで、昨日に表紙をかかげた小説新潮臨時増刊の「昭和名作短編小説」に

掲載作品のタイトルを掲げてお茶を濁すことにします。これらの作品が、いま流通す

る文庫で読むことができないかどうかは調べておりませんです。

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 草のいのちを       1946年発表 高見順

 たばこ娘         1947年発表 源氏鶏太

 夜の仕度         1947年発表 三島由紀夫

 牛乳と馬         1949年発表 豊島与志雄

 鬼火           1951年発表 吉屋信子

 母            1951年発表 大岡昇平

 落穂拾い         1952年発表 小山清

 晩春の旅         1952年発表 井伏鱒二

 鶴            1952年発表 長谷川四郎

 文学祭          1953年発表 伊藤整

 生涯の垣根        1953年発表 室生犀星

 湖畔の人         1954年発表 松本清張

 黄土の人         1954年発表 田村泰次郎

 颱風見舞         1955年発表 井上靖

 光る道          1956年発表 壇一雄

 空白の青春        1956年発表 有馬頼義

 赤猪子物語        1957年発表 有吉佐和子

 夫のしない        1958年発表 川端康成

 贅沢貧乏         1960年発表 森茉莉

 チチンデラヤパナ     1960年発表 安部公房

 殿様と口紅        1962年発表 藤原審爾

 他人の夏         1963年発表 山川方夫

 樹のあわれ        1965年発表 円地文子

 土佐兵の勇敢な話     1965年発表 中山義秀

 待伏せ          1967年発表 石原慎太郎

 幸福           1970年発表 宇野千代

 明治四十二年夏      1971年発表 阿部昭

 この世に招かれてきた客  1972年発表 耕治人

 蜜蜂が降る        1975年発表 尾崎一雄

 葛飾           1980年発表 吉行淳之介

 なじみのある作家、ほとんどなじみない人のものもですが、いずれも短編で、

作家入門としてはとてもありがたいものです。この各作品には挿絵が一枚入って

いるのですが、これがまた秀逸。小山清さんの「落穂拾い」についているのは、

滝田ゆうさん描く「緑陰書房」の店頭風景。滝田ゆうさんは、小山清さんの世界

にぴったりであります。

2016-09-26 雑誌の特大号

 本日に「群像」10月号創刊70周年記念号「群像短編名作選」が届きました。

もうちょっと早くに手にすることができるはずでしたが、予定がかわりまして、本日

郵便で届きました。これは、すごいボリューム(804ページ)のものでありまして、

これは長く楽しむことができそうです。

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

 この号の新聞広告を見たときに、すぐに思いだしたのは、ずいぶんと昔にでた雑誌

の臨時増刊号でありました。今回の「群像」と並べて写真をとってみましたが、厚さ

だけでは負けないことであります。

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 刊行の古い順でいきますと、1988(昭和63)年小説新潮5月臨時増刊「文庫で読め

ない昭和名作短編小説」であります。編集協力 荒川洋治、AD 平野甲賀とありま

す。430ページ、730円です。

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 文庫で読めないとありますが、これについては「収録作品30篇は、昭和63年1月1日

の現在で、文庫版が絶版・品切れになっているもの、及び文庫化されていないものか

ら選んで再録いたしました。」と編集部の記にありました。

 これが小説新潮の別冊ででるというのが驚きです。その時代の小説新潮の読者が

よほど高級であったということでしょう。

 もう一冊は、1989(平成元)年3月「オール讀物 100回記念 直木賞受賞傑作短編

35」とあります。748ページ 950円。

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 ほんとこれもすごく中身が濃いものであります。これらにどんな作品が収録されて

いるのかですが、良く出来ているのですよ。

2016-09-25 日本語のために 5

 ほんとに池澤夏樹さんの「日本語のために」は勉強になることです。

 そんなこともしらないのかといわれそうでありますが、「いろはうた」と「五十音

図」についての文章が、「音韻と表記」という章に収録されています。

 五十音図についての文章を書いているのは、松岡正剛さんで、もともとは「千夜

千冊」で発表されたもので、その時のタイトルは「馬淵和夫『五十音図の話』につい

て」というものです。

 この文章のなかに次のようにありです。

五十音図は、ぼくも試みに学生や知人たちに尋ねてみてショックをうけたことがある

のだが、多くの日本人が『明治以降の産物』だとおもっているものなのだ。ひどいとき

には、欧米の言語システムに合わせて作成されたものとさえ思われている。 

 そうではない。五十音図奈良平安の苦闘を通過した日本人がつくりあげた文字発音

同時表示システムなのである。つまりは空海の声示システムのひとつの到達点なのだ。」

 五十音図空海などによる梵字梵語研究が進む中で、日本語の文字と発音の確立が

時代のテーマとなり、その過程で日本人が初めて「発明」した日本文字である平仮名と

片仮名の定着されるようになったとあります。

 なんとなく「国語元年」といわれた時代に作り出されたのかと思いましたら、これは

もっともっと前のことでありました。これは知らなかったことです。

 上の引用に続いて、松岡さんは次のように書いています。

「ついでにもう一言いっておくが、このようなプログラムを日本人は五十音図以外にも

もうひとつ用意した。それが『いろは歌』というものである。」

 なるほど「いろはうた」のほうは、なんとなく昔よりあるような気がするなと思い、

その前におかれた文章を見ましたら、そこには小松英雄「いろはうた」という文章があ

りです。行き届いたことです。 これをみますと、平安時代の末期には「以呂波釈」

という一節があるとありました。そんな昔からあるのですね。

2016-09-24 日本語のために 4

 池澤夏樹さんの「日本語のために」は、なるほどそういうことなのかという思う

ところがあちこちにありです。昨日の祝詞もそうですが、耳にしたり、目にしたり

することはあっても、そのままやりすごしてしまうものを、あらためてじっくりと

良質の日本語で読むことができます。

 この本では「般若心経」が取り上げられているのですが、これまではまったく意味

を知っておりませんでした。

 池澤さんの解説には、次のようにあります。

「経文の多くは元梵語サンスクリット)やパーリ語などインドの言葉で、それを

我々は漢訳を通じて学んだ。最初のころは国家仏教であるから個人の魂の救済には関わ

らない。鎮護国家のためが儀式が中心だったから経文も漢訳のままで(それも唐音で

はなくもっぱら呉音で)読誦された。

 この方針は長く続いて『般若心経』は今でも漢訳のまま読まれる。写経する場合も

三百字たらず、仮名を加えて読み下しにはせず漢字にルビの形で書かれる。その真意

を知るために徹底的に口語化した伊藤比呂美の現代訳を読んでほしい。ここでは最も

抽象的なものが最も具体的な言葉で語られる。」

 このようなことで、このあとに伊藤比呂美さんによる現代訳が続くのですが、これ

がほんとすごいと思いました。般若心経インスパイアされた伊藤さんの詩作品の

ようにも思いました。伊藤さんという人は、こういう作品を書く人でしたか。

 この伊藤さん訳「般若心経」は、ぜひとも立ち読みをしてもらいたいものです。

ありがたい教えが、わかりやすく、深い日本語となっていてあたまにすーっとはいって

きます。

 この伊藤訳の冒頭のところにある六行だけ引用です。

「 わたしが いる。もろもろの ものが ある。 

  それを 感じ

  それを みとめ 

  それについて 考え

  そして みきわめることで

  わたしたちは わたしたちなので ある。 」