エチオピア

エチオピア

(地理)
えちおぴあ

[英] Federal Democratic Republic of Ethiopia (略称は「Ethiopia」)
エチオピア連邦民主共和国は、アフリカ東部の国。通称は「エチオピア」(漢字表記:「哀提伯」)。首都はアディスアベバ
東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。
面積は109.7万km²、人口は約9,173万人*1
オロモ族、アムハラ族、ティグライ族等約80の民族からなり、アムハラ語、英語が主な使用言語である。
1991年5月29日にエリトリアがエチオピアから独立を宣言し、1993年5月24日に独立が承認された。

政府

政体

連邦共和制

元首

ムラトゥ・テショメ・ウィルトゥ大統領(Dr. Mulatu Teshome Wirtu)(2013年10月再任、任期6年)

議会

二院制(人民代表議会〔下院〕と連邦議会〔上院〕)

首相

ハイレマリアム・デサレン(Hailemariam Desalegn)

略史

旧名はアビシニア。旧約聖書ではシバの女王の国。
その後、アクスム王国となりキリスト教国となる。
イスラムによって沿岸部を支配されたこともあったが、王権はエチオピア高原などで存続し続けた。
その後、アフリカ大陸を襲った欧州列強による植民地化の矢面に立たされたが、1896年にイタリア軍をアドワで破り、アフリカ大陸唯一の独立国*2としての存続を果たした。
1930年代にイタリアファシスト政権の攻撃を受け、一時は首都も占領される。1941年に英軍の支援を受けて反撃に成功、最後の皇帝となるハイレ・セラシエが王位を回復した。
1974年に社会主義的な革命が発生、翌年には共和制に移行した。これを受けて冷戦下の東西両陣営の代理戦争として内戦が継続した。内戦と度重なる旱魃は飢饉と大量の難民を生み、それが悪循環となってエチオピア国内の状況を悪化させていった。
1974年のクーデターの後は、1987年まで「社会主義エチオピア」、1991年まで「エチオピア人民民主共和国」と称し、1995年に憲法改正により「エチオピア」となったが、1995年に再度の憲法改正により現在の「エチオピア連邦民主共和国」となった。
1993年5月、エリトリアがエチオピアから分離・独立。
1998年5月、エチオピア・エリトリア国境紛争勃発。
2000年12月、エリトリアとの包括的和平合意成立
2002年4月、国境委員会によりエリトリアとの(地図上の)国境線確定。

外交

アフリカ連合(AU)や国連アフリカ経済委員会(ECA)の本部が置かれるアフリカ地域の外交の中心地の一つで、「アフリカの角」地域の安定勢力として、ソマリアの安定化やスーダン和平、南スーダン情勢等に積極的に関与している。
エチオピアから分離独立したエリトリアとはしばらくの間緊密な関係を維持していたが、1998年5月、国境画定問題を巡って武力闘争が発生、最近では、2012年3月、5月にエチオピアはエリトリアを攻撃するに至ったものの、その後撤退した。現在も国交正常化には至っていない。
国内の経済発展と民主化を重視し、新5カ年計画(GTP)達成のため、海外、特に中国からの技術移転、貿易投資促進に取り組んでいる。

*1:2013年世界銀行調べ

*2:リベリアも当時から独立国なのだが、新規建国なので事情が異なる

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