最近、夏目漱石の『三四郎』を序盤だけ読んだ。そこで僕はどうにも驚かされた。まさに冒頭がエディプス・コンプレックスの話型だったからだ。列車内で見知らぬ年上の男性が、主人公の目の前で若い女性と親しげに話をするという形で二人は結合するのだが、しばらくして男性は途中の駅で下車し、主人公は女性と二人きりになる。そこから主人公は女性と親しくなっていくのだ。 そこの部分を読んだのをきっかけに色々と思いを巡らしている内に、僕はあることに気がついた。それは日本の「見るなの禁」と、西洋のエディプス・コンプレックスの話型が似ているという事実だ。ここで言う「見るなの禁」とは、日本神話のイザナギが黄泉の国で変り果てた妻…