并州刺史の職にあった。武人肌の人物で、呂布や張楊、張遼といった人物を配下にしていた。
霊帝の没後、少帝(劉弁)が即位すると、宦官の十常侍と対立関係になった大将軍の何進の要請で、董卓や橋瑁らと共に出兵し、洛陽を目指した。何進は宦官を擁護する妹の何太后らとも対立するようになっていたが、丁原は何進の要請を受けて孟津を焼き払い、何太后に圧力をかけた。
何進が暗殺され、十常侍も袁紹・袁術らに暗殺され、洛陽に入って混乱を鎮めた董卓が政権を握るようになると、丁原と董卓は対立した。董卓は丁原の部下の呂布に誘いをかけて、寝返らせて丁原を暗殺させた。
『三国志演義』では、少帝を廃立しようとする董卓と堂々と対立する硬骨漢として描かれているが、最期はやはり呂布に殺害される