新しい仏教王朝を開いた用明天皇は天然痘に斃れ短命で終わる。激動の東アジア情勢に対応するため崇峻天皇が用明天皇を嗣ぐ。何故、後継が崇峻天皇なのか。不満を持つ人々がいた。 587年丁未の乱 仏教導入は天然痘パンデミック対策でもあったが、肝心の仏教王朝の開祖である用明天皇が587年に天然痘に斃れる。 これに守旧派が勢いづく。敏達皇后のちの推古天皇から天皇位を奪い新しい天皇を立てるために動き出した。 用明天皇崩御直前に中臣勝海は太子彦人皇子を擁立するため太子のもとに駆けつけるが、推古天皇と通じていた太子彦人皇子は中臣勝海を殺してしまう。 おそらく当初は守旧派が大勢を占めていたであろうが、これで形勢が逆…