第33代(592 - 628)歴代天皇で最初の女性天皇。 554年、欽明天皇の皇女として生まれた。母は蘇我稲目の娘である堅塩媛(キタシヒメ)。即位前の名は額田部皇女(ヌカタベノヒメミコ),諡名は豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)。初め、敏達天皇の皇后。蘇我馬子による崇峻天皇暗殺直後、即位。 聖徳太子を摂政とした。体制の維持整備、遣隋使の派遣などにより海外からの制度文物を積極的に導入。
日本初の女性天皇! 女帝・推古天皇は象徴的な存在に留まらず、エリート血統の卓越した政治的手腕を持つ人物だった! 日本書紀 巻第二十二 推古天皇 中継ぎ説の再考 推古天皇は、日本初の女性天皇として広く認識されています。多くの歴史上、男性の天皇が続いていた中で、なぜ推古天皇が即位されたのでしょうか? これまでの通説では、推古天皇が即位した理由として、次の男性天皇が即位するまでの中継ぎとしての役割を果たしていたと信じられてきました。 当時、皇位継承の候補者は複数存在していましたが、いずれも年齢が若く、群臣たちの間で意見が分かれていました。 この対立を抑えるため、蘇我馬子は姪にあたる炊屋姫(推古天皇)…
敏達天皇の正嫡である押坂彦人大兄皇子。系図を眺めると政治的立ち位置が見えてくる。 太子彦人皇子 日本書紀には丁未の乱の直前に押坂彦人大兄皇子の記事が出てくる。 587年4月2日に用明天皇が天然痘に罹患し死の床についたことで紛争が勃発。「群臣が大連を陥れようとしている」との噂から物部大連守屋が本拠地の河内国に避難。物部氏側の中臣勝海は『太子彦人皇子』と竹田皇子を呪詛するも、事の成り難きを知り、彦人皇子に帰順するが、彦人皇子の舎人に斬られた。 このように、日本書紀は、押坂彦人大兄皇子は物部氏側の中臣勝海を斬っており、物部陣営には属さず、推古天皇寄りの立場に居たと記している。 系図からわかること 事…
用明天皇と聖徳太子の違いは何か?聖徳太子はなぜ『用明天皇のような天皇』の扱いをされなかったのか? 用明天皇第一皇子田目皇子 聖徳太子=厩戸皇子は用明天皇の第一皇子ではない。第一皇子は蘇我石寸名の子で田目皇子である。 この田目皇子は、父の皇后である穴穂部間人皇后を娶った。これは政治的には田目皇子が用明天皇の後継を狙ったものと解釈できる。 父の正妻を娶って後継となるのは珍しいことではなく、「鎌倉殿の13人」でも奥州藤原氏で秀衡の長男国衡が秀衡の正妻を娶って、秀衡後継体制の安泰を図ろうとしていた。 田目皇子は父の皇后との結婚に成功し、権威を得たものの、崇峻天皇との後継争いには敗れたようだ。 なお田目…
継体天皇の即位の条件として、前政権への一族全体での婿入りがあった。継体天皇は手白香皇女へ婿入りし、後継は手白香皇女の子、欽明天皇と確定していたというのは定説となっている。 一方で、継体天皇崩御時の政治情勢は、強力な指導者を必要としていた。任那については百済に割譲され、北九州では磐井の反乱も起きた。 安閑天皇・宣化天皇は即位したのか? 安閑天皇・宣化天皇は、継体朝内で発言力もあり、政権幹部として活躍していた。軍事・外交上の決済権は安閑天皇・宣化天皇が継体天皇崩御後も握っていたとみて間違いないだろう。 一方で、天皇としての祭祀はどうなのか。安閑天皇・宣化天皇期の記録の混乱を見ると、「天皇」は欽明天…
マンガ日本の歴史 5随・唐帝国と大化の改新石ノ森章太郎中央公論社(中公文庫)1997年4月3日 初版印刷1997年4月18日 初版発行 『マンガ日本の歴史 4 王統譜を編み上げる大和王権』の続き。 megureca.hatenablog.com 4では、仏教が伝来し、蘇我氏と物部氏で仏教の受容をめぐって争いが起こり、王権をめぐってもごたごたしていた時代。5では、その後の推古天皇、聖徳太子、そして大化の改新がおこる。 目次序章 女帝誕生第一章 聖徳太子の改革第二章 蘇我氏の専横 第三章 大化の改新第四章 皇極天皇重祚 ポイントを覚書。 日本初の女帝、つまり推古天皇が誕生したのは、蘇我馬子に頼まれ…
穴穂部皇子の行動を見る限り、敏達皇后である推古天皇が天皇としての権威をずっと握っていて、用明天皇は天皇としては権威のない執政権を持つ王であったように見える。 革新派:用明天皇即位の背景 500年代に入り朝鮮半島権益を巡る外交問題が活発化。田舎者国家である倭国にとって外国文化の受容は外交戦略上重要であったはずで、仏教は500年代の外交官にとって必須の教養になっていたと思われる。 最先端の文化に染まった人々が、古来の習俗に反抗するのは世の常であり、用明天皇も即位前に神道に挑戦するようなトラブルを起こしたようだ。※敏達7年に伊勢神宮に仕えさせた敏達天皇皇女の菟道皇女を池辺皇子が犯す事件があり、池辺皇…
天皇が亡くなると次の天皇が立つというのが自明のようだが、皇后はどうなのか? 皇后の地位は天皇が亡くなると消えるのか? 皇后の地位は消えず終身制ではないのか? 推古天皇の権威の源泉 推古天皇の権威の源泉は、敏達天皇の皇后であったからというのは、異論は無いだろう。ということは、推古天皇は敏達天皇の継承者として権力を振るったことになる。 皇后の任務として、一般に言われているのが、天皇不在時の天皇の代わりである。では天皇の権威を皇后はどのように継承するのか? 推古天皇は敏達天皇の殯を行っている。敏達天皇の権威を継承する儀式と解釈できる。 用明天皇即位後も殯は続いていて、穴穂部皇子が敏達天皇の殯に乱入し…
こんにちは、暖淡堂です。 歴史で「飛鳥時代」について学びましたね。 推古天皇や聖徳太子、蘇我氏、物部氏などが登場する時代。 ただ、出来事の全体像を流れで理解することができないまま、人名や事件などを個別に覚えていました。 今回、伊東潤さんの「覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子」を読んで、飛鳥時代にあったことがようやく理解できました。 この時代を理解するための要点は「蘇我氏、推古天皇、聖徳太子」の関係を知ること。 この作品では、その辺りが詳しく書かれていています。 創作の部分も多いのでしょうが、登場するそれぞれの人物の関係はよくわかります。 また後に聖徳太子と呼ばれた厩戸が、皇太子となりながら、…
昨日に続き、東京都羽村市のJR「羽村」駅近くに位置する史跡について。 五ノ神社 五ノ神社は、昨日の「まいまいず井戸」と同じ敷地内にある。というよりも、本殿から見て正面に井戸がある。この配置は見事なまでにナルホドである。なんか、理屈抜きに強烈な説得力によって納得させられてしまう。 説明板 羽村市指定有形文化財 五ノ神社本殿 創建は推古[すいこ]天皇九年(六〇一)とつたえられる古社で、宝亀[ほうき]年間(七七〇~七八〇)、熊野五社大権現[くまのごしゃだいごんげん]を祀[まつ]ったところから、もとは熊野社と称し、五ノ神の地名が生まれたといわれます。 慶長十二年(一六〇七)の修理棟札にみえる「五辰宮」…
今まで取り上げた小説は、人物や時代、そして作家などができるだけ「カブらないように」しつつ、私の「嗜好」で選んだもので、作品の優劣では決してありません。 そこで参考までに、迷った作品を以下に羅列させて頂きます(未読の作品も含みます)。 卑弥呼 鬼道の女王卑弥呼 黒岩重吾 (1996) 日本武尊 新アスカ伝説3 倭建(ヤマトタケル) 三田誠広 (2002) 雄略天皇 ワカタケル大王 黒岩重吾 (2002) 蘇我馬子 磐舟の光芒 物部守屋と蘇我馬子 黒岩重吾 (1993) 推古天皇 紅蓮の女王 小説推古女帝 黒岩重吾 (1978) 碧玉の女帝 推古天皇 三田誠広 (2000) 聖徳太子 聖徳太子 日…
こんにちは、ミントです。今回は、生田神社です。 生田神社(いくたじんじゃ)とその周囲の生田森(いくたのもり)は、神戸市の中心部に位置し、地元の人々にとっても訪れる価値のある聖地です。今回は、この神社と森が持つ歴史的背景や魅力を紹介したいと思います。 それでは、いってみよー♪ 生田神社の歴史と由緒 生田神社は、兵庫県神戸市中央区生田町にある古社で、創建は約1,800年前、推古天皇の時代にさかのぼります。神社のご祭神は「生田大神(いくたのおおかみ)」で、これは「日本書紀」や「古事記」に記されている伝説に基づくものです。生田大神は、農業や商業の守護神、または子孫繁栄を願う神としても信仰されており、特…
大山祇神社神門とその先の拝殿 大三島に鎮座する神社で、全国に勧進された大山積神社や三島神社の総本社。伊予国一宮で、延喜式では、大山積神社の名で明神大社とあり、明治以降の社格は国幣大社であった。戦後は神社本庁の別表神社となっている。 大山祇神社の祭神は、伊弉諾神と伊弉冉神の子である大山積神で、別名として和多志の大神とも呼ばれ、山の神ながら、瀬戸内という地勢もあり、海の神としても祀られた。後の世には、戦の神としても尊崇され、各時代の武家の領主や棟梁から多くの武具が奉納されたという。 ただ、大山積神は、当初からこの大三島に鎮座したわけではなく、勧進されてこの大三島に遷ったとされる。 大山祇神社総門 …
過去記事にて古代における日本とペルシャ(イラン)との関連をいくつか示した。 今回は「アビコ」という地名が大阪、千葉にみられる。このアビコからイランとの関係を追う。次の流れで示していく。 ・難読の市名、我孫子・依網男垂見(よさみのおたるみ)・大依羅神社(おおよさみじんじゃ)・あびこ観音(あびこ山大聖観音寺)・イラツメとイラツコ・千葉の我孫子・水神山古墳・千葉に残る蘇我と我孫子 ■難読の市名、我孫子常磐線沿線の駅名、難読の市名として知られる「千葉県我孫子市」。 我孫子とは何か。 以下に記していく。 ■依網男垂見(よさみのおたるみ)日本書紀において「依網吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)」という人…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年12月13日 MicrosoftStartニュース Real Sound「古代朝鮮に倭の拠点はあったか? 歴史学者・仁藤敦史に聞く、古代東アジア史の一大争点「加耶/任那」の実態 © Real Sound ブック 国立歴史民俗博物館教授で古代史を専門とする歴史学者・仁藤敦史氏による新書『加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか』(中公新書)が話題を呼んでいる。 「加耶(かや)/任那(みまな)」は、3~6世紀に存在した朝鮮半島南部の小国群を指す名称で、『日本書紀』は任那と記し…
邪馬台国東遷に従わなかった側についての話5、「俀國傳」の違和感についてです。 遣隋使の派遣は九州王朝が 王は男性 聖徳太子が王なのか 阿蘇山も 遣隋使の派遣は九州王朝が 前回の話では、遣隋使の派遣元について考えました。 yokositu.hatenablog.com 隋の正史『隋書』の「俀國傳」にある、遣隋使に対して隋から送られた使者裴世清の報告に基づく旅程に関する記述から、裴世清らが九州から出ていないと考えました。 その中で裴世清らは王の居る都に入っていることから、遣隋使を派遣したのは、九州王朝(「倭の五王」も含めて王が治めているので)だと結論付けました。 『日本書紀』の記述は真っ赤な嘘だと…
帝劇コンサート『THE BEST New HISTORY COMING』ですが、一斉に前売するのかと思っていたら、色々なプレイガイドで先行抽選やら先着順があって、希望公演が取れました。 結構取りやすかったかも。 AからGまであるプログラム、できれば全部観たい(聴きたい?)ところですが、チケット代が本当に高いから無理… それでも厳選した3公演を購入しました。 チケット代以外の無駄遣いはしないようにしばらくはいたします^^; と、舌の根も乾かないうちに本日はムラに移動中。 富士山がきれいでした。 昨日『にぎたつの海に月出づ』のキャストが発表されました。 寶皇女(たからのひめみこ)は、のちの斉明天皇…
『にぎたつの海に月出づ』配役が発表されましたね! 待ってました! どなたがどのお役を演じるのか…想像するだけでもワクワクします♪ 目次: 史実と創作コンボ、とても興味深いです!! 日本史の部分と百済の人たちとの関わりに興味津々 百済の人たちは5名 激動の歴史に翻弄される二人 メインのお役のインプレッション 今日、発表になったのは23キャスト。 史実と創作コンボ、とても興味深いです!! 演出家のさじ加減でお役の比重が変わり、ストーリーの焦点も変わってきます。 幕が上がり、観てみるまではなんとも言えないです。 中大兄皇子(碧音斗和)、蘇我蝦夷(輝咲玲央)、蘇我入鹿(大希颯)が登場することから、大化…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年12月7日 YAHOO!JAPANニュース 草の実堂「『日本書紀』は何故作られたのか? 「古事記」との違いと共通点 画像:天瓊を以て滄海を探るの図(小林永濯・画、明治時代) 右がイザナギ、左がイザナミ public domain 日本最古の歴史書とされる『古事記』が完成してからわずか8年後に誕生した、もう一つの歴史書『日本書紀』。 両書は、神々による日本の創造と、その子孫である天皇が国家元首としての正統性を持つことを示す内容を含み、大きな流れとしては共通している。しかし、…
まひろが「ここ」にいる違和感 NHK大河ドラマ「光る君へ」第46回「刀伊の入寇」が12/1に放送され、かつて長徳の変でやらかした藤原隆家が、日本を救うヒーローとして大活躍した。合戦シーンも満載で、平安大河で初、だけれど通常大河では見慣れた「首」も登場した。 隆家が外国からの侵入者に対して鏑矢をつがえる姿を見て、花山院の御車に矢を放ったあの姿(ノリノリの若気の至りの表情が最高だった)を思い出した視聴者は多かったのでは?隆家にとっては、あれは一族の没落を引き起こした取り返しのつかない一矢、当人も後悔しきりだったようだが。同じ行為なのに、今回はもたらす結果がだいぶ異なる。 隆家役の竜星涼は、「ちむど…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年2月25日 YAHOO!JAPANニュース「「乙巳の変」の真実 ~古代日本と大陸の深い繋がりとは? 飛鳥時代 古代日本は、大陸(中国や朝鮮)の政治的動向に影響を受けながら、独自の国家を築いてきました。 今回の記事では、古代日本と大陸の関係、そして日本の政治変革、とくに「乙巳の変(いっしのへん : 大化の改新)」にどのような影響を与えたのかを探っていきます。 「乙巳の変」の真実 画像:乙巳の変 public domain 目次 [非表示] 大陸(中国や朝鮮)と古代日本の繋が…
せとうち地域で戸建賃貸を運営しております。 たくみの戸建運営の軌跡は→こちら 最近、楽しんでもらっている旅関連のカテゴリーは→こちらをクリック いつもご覧頂き、ありがとうございます 今日も下のボタンをぽちっ!と推してやって下さい 👇👇👇👇👇 人気ブログランキング おはようございます たくみです 香川の朝うどんの前に ちょい修行 インバウンドで来られたお遍路さんや本気の方と混ざって 朝のお勤め行ってきた 朝の張りつめた冷たい空気に ものすごくいい香りの線香 歌のような読経 シンバルのような鐘も鳴る 今年は宗派関係なく雰囲気つくるお寺に行きましたが、演出がすごい 宗教施設はある意味、人を救うエンタ…
法隆寺 左から、金堂・中門・五重塔 11月の週末、斑鳩の散策に行ってみた。京都駅からは、JR奈良駅経由で、最寄りの法隆寺駅まで約70分。法隆寺駅から5分程、奈良交通のバスに乗ると、法隆寺参道バス停に到着する。 最初に行ったのは、聖徳太子が造営した法隆寺。HPの解説は次の通り。 松の翠の美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。 太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺など…
「たちばなはじめてきばむ」 と読みます。 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) 大和橘(やまとたちばな) 田道間守(たじまもり) 非時香実(ときじくのかくのみ) お菓子の神様(菓祖) 中嶋神社(なかしまじんじゃ) 橘本神社(きつもとじんじゃ) 文部省唱歌「田道間守」 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) 「橘始黄」(たちばなはじめてきばむ) は、 橘の実が次第に黄色く色づく頃という 意味です。 古くは柑橘類を総称して 「橘」(たちばな) と言っていました。 冬でも青々とした常緑の葉を繁らせることや 黄金に輝く実をつけることから、 「永遠」「長寿」「繁栄」の象徴とされ、 大変縁起の良い樹木とされてきまし…
あなた: 紀元500年から800年ころの仏教と、国分寺、公務員としての僧、そして私度僧について考えたいです。 ChatGPT紀元500年から800年の日本の仏教は、様々な変化を遂げた時期であり、特に国家との関係や僧侶の役割において重要な発展がありました。この時期を通じて、仏教は次第に日本の社会に深く根付き、政府との関係も強化されました。 1. 仏教の伝来と国家との関係仏教が日本に伝来したのは、6世紀の初めで、特に推古天皇(593-628年)や聖徳太子が仏教を保護し、広める役割を果たしました。この時期、仏教は宗教的な側面だけでなく、政治的なツールとしても利用されるようになりました。仏教は、国家の…
4泊5日の伊勢・奈良・京都旅行、3日目。 ホテル日航奈良で朝食。 柿の葉寿司、三輪素麺、奈良漬、茶粥、(東大寺二月堂の修二会(お水取り)の練行衆の食事だった歴史がある)、茶飯(興福寺や東大寺などの僧坊で古くから食されていた伝統食)、豆乳鍋(飛鳥時代に僧侶が寒さをしのぐために作ったとされる郷土料理である飛鳥鍋を豆乳でアレンジしたもの)など、奈良の伝統食・名物料理。 興福寺の粕汁(追儺会(ついなえ。2月3日の節分の夜に行われる鬼追い式、豆まき行事。)の際に振舞われる白味噌と酒粕の風味がある一品)、精進汁(正月の三が日のお供え物を下供し、松の内に食べる。油揚げや白菜、大根などの野菜の甘みがある味噌汁…