相変わらず斎藤忠先生の「失われた古代皇帝の謎」を読んで、考えさせられた点をゆるゆると書き連ねています。 6世紀後半から7世紀にかけて、朝鮮半島との関係が鍵になってるように思います。蘇我氏は欽明系と違って新羅と関係がありそうだし、崇峻との対立は大きな転換点じゃないかと思うんですよねぇ。阿毎多利思北孤と厩戸王、そして崇峻天皇と蘇我馬子の関係はどうだったのか?、ますます知りたくなって来ました。 1、尊号の謎記紀においては「命」あるいは「尊」は天皇だからつくというわけじゃなく、同じ天皇でも「何か特別な存在」だから付く尊称だと考えられるようです。実は欽明記で厩戸王の母とされる穴穂部間人皇女の記事の細註に…