大化改新立ち上げ時の有力豪族であった左右大臣を粛清し皇極・中大兄親子の実権を剥奪した孝徳は着々と富国強兵政策を遂行。凄まじい勢いで国家体制を整備した。 国家体制の整備 【冠位制度】649年3月蘇我石川麻呂粛清後の649年4月20日には左大臣に巨勢徳太、右大臣には大伴長徳が就任した。阿倍内麻呂・蘇我石川麻呂と違い、巨勢徳太・大伴長徳は新冠位制度に組み入れられ、孝徳天皇に忠誠を誓っていたと思われる。 【改元】650年に大化から白雉に改元したが、649年3月の粛清劇から刷新するためであったとも解釈できる。 【行政組織】国博士の高向玄理と僧旻の主導のもと649年2月には八省が設置されるなど行政組織も整…