641年10月9日舒明天皇崩御から645年6月12日の乙巳の変へ至る経緯を以下にまとめる。 舒明崩御と皇極の暗躍 641年舒明天皇崩御の段階で、祭祀を司る天皇の後継者として、母が皇族である男性皇族は、宝皇女が庇護する葛城皇子=天智、大海人皇子=天武のほか、弟の軽皇子=孝徳、上宮王家にも白髪部王、弓削王がいた。 641年で30歳程度以上の壮年であったのは、軽皇子、上宮王家の白髪部王であり、天智・天武はまだ10代であることから継承資格がない。 宝皇女は、天智、天武への日嗣を実現させるため、推古天皇の先例に倣い、皇后として舒明天皇からの日嗣を企図し、舒明天皇の殯(もがり)を2年にわたり行った。 日本…