「人間の叡智」を意味するドイツ語「Anthroposophie」の日本訳語として用いられる。19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏で活躍した哲学博士ルドルフ・シュタイナーが、自身の思想を指して使った言葉である。 人智学とは、何らかの「知識」の総体ではなく、認識の道という「過程」であるとシュタイナーは説明している。 なお、シュタイナーは、この言葉を翻訳せずに原語のまま使用することを希望した。したがって、日本語圏では「アントロポゾフィー」と片仮名表記されることも多い。
新聞に中原中也の顔写真と『朝の歌』の直筆原稿が載っていたのがたいへん珍しく、また、懐かしく思ったので感想を書く。下山静香さんの「おんがく×ブンガク」というコラムにあったのだが、彼女は「中也と音楽は、とても近い。(中略)オノマトペの響き、七五調や言葉の繰り返しが生み出すリズムは、声に出し、音の姿にしてほしいと語りかけているようだ。」と述べている。中也は、百人一首のある歌を、チャイコフスキーの〈舟歌〉の旋律にのせて歌うのが好きだったとは、全く知らなかった。彼は、なんでも歌わずにはいられなかったそうである。私の学生時代には、中也とランボーと小林秀雄をよく読んだつもりだったが、全くの初耳だった。中也に…
醜悪で冷淡だが必要なものとは何だろう?などと考えてみたとき、浮かんだのが、ある種の「反面教師」という言葉だったが、ちょっと単純すぎる気がしていた時、「題名のない音楽会」という番組で「不協和音」の音楽を扱っていて、大変勉強になった。指揮者が言っていて衝撃だったのは、不協和音は「必要悪」である、という言葉だ。その意味合いは特に説明していなかったので、必要悪?である不協和音が、なぜ人を魅了するのか考えてみた。① 不協和音は、緊張・不安・ある種の期待と葛藤を生み出し、協和音への移行によって、それらが解消するような気分になれる。 ② 不協和音自体が、苦悩・悲しみ・怒り・狂気・混沌・陰影など、単純な協和音…
今週のお題「思い出の先生」 高橋巖先生との出会いは、書店から始まった。目的の本があるわけでもなく、ふらっと立ち寄って、何となく書店内を歩いていたら、「ここで止まれ!」と言われた気がして、立ち止まり、目の前に積まれていたのが『アカシャ年代記』という本だった。 それがシュタイナーの著作で高橋先生訳の本に初めて会った瞬間だった。なんと、幻想文学大系の中の一冊だった。読んでみると、太古からの人類と地球の歴史が書かれており、何のことだかさっぱりわからなかった覚えがある。でも、妙に心が魅かれるものがあった。 それ以来、シュタイナーの高橋先生による訳本を中心として、日本語で読めるものはすべて目を通しているの…
新聞に“なぜ今、「生きづらさ」を感じる人が目立つのか。” という記事があったがその中に、あるゼミの様子が書かれていた。ある学生の方が、「SNSで他者への厳しい批判が飛び交い、寛容がないことと、『人は人、自分は自分』みたいな考えがつながっている」という旨の発言があり、価値観の変え方を尋ねていた。これはきっと、何とか他人と歩み寄りたい、と願っている誠実で真摯な動機から出た質問だと思ったが、この発言はむしろ、人類の最も大きな難問に関わるものかもしれない。価値観を変えるのは、自己を変容させることと同じで、最も困難なことだと思うのだが、この学生はそれを望んでいる気持ちが行間から読めたような気がする。「自…
神の御心の光の源より 光をあまねく流れ入れさせ給え 光を地上に降らせ給え 神の御心の愛の源より 愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給え キリスト(如来)よ、地上に戻られ給え 神の意志、明らかなる中心より 大目的が人の乏しき意志を導かんことを 如来は大目的を知り、これに仕え給う 我らが人類と呼ぶ中心より 愛と光の大計画を成させ給え 悪の棲処の扉を封じ給え 光と愛と力とをもて地上に大計画を復興させ給え 『以上の祈願つまり祈りは特定の個人やグループのものではなく、全人類のためのものである。この祈願の美しさと強さはそのシンプルさと、すべての人々が生来自然に受け入れている中心となる真理の表現にある。その真…
久しぶりに会った人たちが、毎回纏っているエネルギーの様子や目が違う、ということがこの所多い。オーラの状態や、目を見ると、その人の調子の良い悪いは分かる・・これは誰でもそうだろうと。特に意外と男性は、私が思うに直感なのか直観なのか、あるいは野生的な勘なのか、感じとる人が少なくない・・けれど恐らくこの物質社会、男性社会で、そこに蓋をして生きている。でも潜在意識的には分かっている。 本来、直感やハートは女性の方が素直に働くものだけど、それはある意味、社会の責任その他から比較的自由であったことによるのかも。でも情緒的である分だけ、「こうであってほしい」が働いて、直感で感じ取るものも、特に人間関係などに…
エルフ界の癒しが起こりやすいと毎年繰り返し言っているこの時期。エルフ=エルと呼ばれるものたち(男性集合意識:エロス/女性集合意識:エロヒム)とは、言い換えれば、文明の主「マヌ」たちとほぼ同じ立場で、人類と関わって来ている。ロゴスとそのもとで働く「神なる世界」と、魂たちつまり今は人間として生きている生命圏の間に在って、進化の全体的プログラムのために「神々」とともに働く者たち、であるゆえに。 エルフ界=自然界 と限定せずに、マヌの視点での考え事も、この時期増えてくる。そんな折、たまたま手にとったシュタイナー本(シュタイナーは著書というより講演録が多い)に、訳者(シュタイナー研究第一人者でもある)高…
見える、見えない、という区分けがあるだろうか。 わからない、がなんとなく見えるひとがいるように思う。 この「思う」が結構判断の分かれ目であろう。 しかしながら、自分に見えないと、最終判断がむつかしい。「見える」がないのだから。 だが、仮に見える人がいても、少ないだろうから大多数の「見えないひと」により宗教は育まれた、といえる。 私見では、「死」が生きているうちにはわからないので、その不安を「ネタ」に「わが宗教はその答えを提供しますよ」という交換条件が、多くの人々を宗教に導いたような気がしている。 一方で「奇跡」もあろう。不治の病が癒える、といったような。 他方、信じるという行為を、精神のほとん…
k-lazaro.hatenablog.com 「シュタイナーは、そもそもワクチンが持つ問題を指摘していた。当時始まっていた予防接種の他に、将来は、人間から魂・霊を奪うワクチンが子ども達に使われるようになると語っている。」 k-lazaro.hatenablog.com k-lazaro.hatenablog.com 「 50人を超えるスイスとドイツの独立した調査グループが、共同で、超感覚的観察手法により、コロナ・ワクチンの、人の超感覚的構成体(オーラ)と死後の生への影響を研究した。それにより、今まで、公の議論では全く考慮されなかったが大きな意味を持つワクチンの被害が探求された。 次のことが示…
今朝の体重63.8kg、体脂肪率は12.1%! 3日間の歩数が、酷暑と台風影響による雨もあり、とても少なかった。あといろいろな精神的な問題もあり。。 そうはいっても3日で8000歩である。一日なんと3000歩に行かない。。。 で、体脂肪率もアップ、という。 思うのだが、体脂肪率はやはり歩いたあとや運動後は高く出る。運動していないと低く出る。果たしてどちらが本当なのやら。。 存在学というものが、その存在の内に本来的な存在とか、非存在的な存在、あるいは本質的な存在とか、偶然的な存在とかいう区別を附するにつれて、最も完全な本来的な存在が考えられなければならなくなる。それが神であり、従って形而上的な神…