「人間の叡智」を意味するドイツ語「Anthroposophie」の日本訳語として用いられる。19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏で活躍した哲学博士ルドルフ・シュタイナーが、自身の思想を指して使った言葉である。 人智学とは、何らかの「知識」の総体ではなく、認識の道という「過程」であるとシュタイナーは説明している。 なお、シュタイナーは、この言葉を翻訳せずに原語のまま使用することを希望した。したがって、日本語圏では「アントロポゾフィー」と片仮名表記されることも多い。
七福神正月には、近くの七福神巡りをよくするのだが、あまり深く考えたことのない問いが浮かんだ。なぜ、正月なのか、というものだ。七福神は、富、寿命、魅力・享楽、破壊と再生、無垢・笑いという、人が一年を生きるために必要な“生の要素”のようなものだ。「善行の報酬」や「努力の結果」ではない。ちなみに、大黒と恵比寿は富を、寿老人と福禄寿は、寿命を担当する。七福神巡りは参拝というより、町を歩き、順番に巡り、身体を使って空間をなぞるという身体的行為だ。これは、新しい一年の「運の回路」を自分の身体でなぞって接続し直す行為とみることもできる。だから時間が始まる正月でないと意味が通らない。七福神は「ご利益キャラクタ…
神嘗祭は、天照大御神に初穂を奉る祭りで、天と地の結び、生命の循環の完成を感謝する行為だが、これを人智学の視点から解釈すると、非常に深い霊的意味が見えてくる。「人間は自然界の生命を通して天上の力と関わる使命をもっている」と考えるのが人智学の基本だ。だから、神嘗祭において行われる「新穀を天に奉る」という行為は、物質的な収穫の感謝と同時に、地上で育った生命を、再び天上界に返す霊的な循環を象徴している。お米というのは、見方を変えると「太陽の結晶」といえる。太陽の力が地上で物質化し、お米という形になったその中に、太陽存在の光が凝縮している、という風にみる。新穀を奉るとは、「太陽の霊が地上で結実したものを…
ファクトチェックの定義や信頼性が揺れている、とよく聞く。どんなふうに揺れているのかを探ってみた。探る前にひとつの問いを立ててみた。「完全に中立・無謬な情報源は存在しないのか、存在するのか?」という問いだ。これに答えるため、という方向で、揺れのことを考えてみたい。「ファクトチェック」という言葉は一見、単純に「事実確認」と思われがちだが、実際には多くの視点があるように思う。まず、科学的事実、歴史的事実、社会的事実(世論や統計)など、「事実」という言葉自体が多義的である。「何を事実と呼ぶか」の基準が、分野ごとに異なっているということだ。ジャーナリズムの世界では、ファクトチェックは「公開された情報を複…
『崖っぷちの自我』扶桑社だいぶ前のことだが、自我野さんが書かれた『崖っぷちの自我』というまんがに大変衝撃を受けた。“自我野さんは、プロの漫画家を目指して上京し、アルバイトで生計を立てながら漫画を執筆するという、まさに“崖っぷち”の毎日を赤裸々に綴っている。それでも、自分を信じて描き続ける作者の姿が、落ち込んだ心にしみじみ響く…。”という内容紹介は、よくある表面的な説明で、この漫画には、「自我とは何か、孤独とは何か」という、とても深いテーマが隠れている気がしてならない。作者のリアルな葛藤や不安は、どこから来るのだろうか?人智学では、「誰も理解してくれない」「世界から切り離されたように感じる」孤独…
宮沢賢治の生誕日、8月27日が近づいているので、『銀河鉄道の夜』を読み直してみた。物語の中でジョバンニは、死んだ友人カンパネルラと一緒に「銀河鉄道」に乗り、星々の世界を旅していく。そこで色々な人に出会う。これはそのまま、死後の魂の旅路のイメージになっている。この童話を読んで多くの方は、ロマンティックな印象を持たれるのではないだろうか。死者の思い出はいつも心の中に残っている、という感情は誰にでもあるし、親しかった人や愛した人に手を合わせる、ということは誰もが行っている。その時人は、死者をどのような考えや感情や認識をもって対しているのだろうか?死者が実在している、と心から信じて、または直覚している…
自分の生まれた干支や星座を意識する人も多いかと思うが、誕生年・誕生日を基準に考えている方がほとんどだと思われる。また、その基準により、西洋にも東洋にも、古代から非常に多くの「占い術」が存在し、個人の性格・宿命・運勢などを占ってきた。誕生の瞬間から赤ちゃんの肉体と精神は、その時の星の力や配置からの影響や、地上の諸環境からの影響を受けることになる、ということは確かにあると思われる。一方で、人が様々な影響を受け始める基準を、受胎日とする考え方もあり、「数え年」によって占ったりするのがその例だ。干支や陰陽五行も、命が「この世に生まれ出る瞬間」を基点にするのが一般的のようだが、実際には古来より、「宿命は…
『星の王子様』で知られるサン=テグジュペリの新訳版が出され、その書評を読んで思ったことを書きます。 今回出されたのは、『夜間飛行・人間の大地』ですが、書評では、彼のことを、科学時代の申し子でありながら、豊かな詩情と誠実な思想を書いた作家だったと言っています。また、墜落事故の後、イスラム系の遊牧民に救われ、人間だれしも持つ「気高さと博愛」を砂漠の民が教えてくれたことに注目しています。 この書評の内容には、全く同感以上の感服を感じましたが、私が以前から『人間の大地』から、感じ取ったところは、別の記述の中にもあります。『星の王子様』で、「本当に大切なものは目に見えない」というセリフが有名ですが、これ…
新聞に中原中也の顔写真と『朝の歌』の直筆原稿が載っていたのがたいへん珍しく、また、懐かしく思ったので感想を書く。下山静香さんの「おんがく×ブンガク」というコラムにあったのだが、彼女は「中也と音楽は、とても近い。(中略)オノマトペの響き、七五調や言葉の繰り返しが生み出すリズムは、声に出し、音の姿にしてほしいと語りかけているようだ。」と述べている。中也は、百人一首のある歌を、チャイコフスキーの〈舟歌〉の旋律にのせて歌うのが好きだったとは、全く知らなかった。彼は、なんでも歌わずにはいられなかったそうである。私の学生時代には、中也とランボーと小林秀雄をよく読んだつもりだったが、全くの初耳だった。中也に…
醜悪で冷淡だが必要なものとは何だろう?などと考えてみたとき、浮かんだのが、ある種の「反面教師」という言葉だったが、ちょっと単純すぎる気がしていた時、「題名のない音楽会」という番組で「不協和音」の音楽を扱っていて、大変勉強になった。指揮者が言っていて衝撃だったのは、不協和音は「必要悪」である、という言葉だ。その意味合いは特に説明していなかったので、必要悪?である不協和音が、なぜ人を魅了するのか考えてみた。① 不協和音は、緊張・不安・ある種の期待と葛藤を生み出し、協和音への移行によって、それらが解消するような気分になれる。 ② 不協和音自体が、苦悩・悲しみ・怒り・狂気・混沌・陰影など、単純な協和音…
今週のお題「思い出の先生」 高橋巖先生との出会いは、書店から始まった。目的の本があるわけでもなく、ふらっと立ち寄って、何となく書店内を歩いていたら、「ここで止まれ!」と言われた気がして、立ち止まり、目の前に積まれていたのが『アカシャ年代記』という本だった。 それがシュタイナーの著作で高橋先生訳の本に初めて会った瞬間だった。なんと、幻想文学大系の中の一冊だった。読んでみると、太古からの人類と地球の歴史が書かれており、何のことだかさっぱりわからなかった覚えがある。でも、妙に心が魅かれるものがあった。 それ以来、シュタイナーの高橋先生による訳本を中心として、日本語で読めるものはすべて目を通しているの…