鎌倉幕府滅亡後の権力構造は二転三転し、南北朝の争乱はまったく収集がつかない状態が続く。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net rekishikomugae.net 引き続き「南九州の南北朝争乱」を進める。今回も『島津国史』(19世紀初め頃に鹿児島藩(薩摩藩)が編纂した正史)に沿って南九州の動き見ていく。元号については北朝と南朝のものを併記。日付は旧暦で記す。 北朝方がじわじわと制圧 暦応2年・延元4年(1339年)8月13日足利家配下の畠山直顕(はたけやまただあき)が再び日向国三俣院の高城(場所は現在の宮崎県都城市)を攻める。この城をめぐる戦いは建武3年1…