「藤三娘」に誇りと愛嬌のあふれる 光明皇后は藤原不比等の娘で、皇族以外から初めて皇后になった人です。病人や孤児のために施薬院や悲田院を設け、病人の体についた垢を自ら洗い落としたり、ライ病患者の膿を口で吸い取ったりしたという逸話もあります。興福寺の五重塔・西金堂や、新薬師寺、国分寺の設置など、多くの事業に参画したともいわれ、夫の聖武太上天皇の崩御に際しては、遺品を東大寺に寄進し、それらは正倉院宝物として今日に伝えられています。 この宝物の中に、皇后が、中国の王羲之(おうぎし)筆とされる楷書の法帖を書き写した『楽毅論(がくきろん)』が残されています。正倉院の書跡中の白眉とされ、その力強く朗々たる筆…