平安時代前期〜中期の歌人。『古今和歌集』撰者。三十六歌仙の一人。
生没年未詳。
凡河内褜利の子とも、系譜未詳とも*1。
宇多天皇・醍醐天皇に仕える。寛平六(894)年に甲斐少目(もしくは権少目)となった後、御厨子所に仕えたが、以後官暦も不遇で、最高位は延喜二十一(921)年の淡路権掾。
歌人としては歌合や屏風歌などにおいて活躍し、評価も高く、また紀貫之とも深い親交があった。
家集は『躬恒集』。古今和歌集には六十首入集、紀貫之の九十九首に次ぐ。
正岡子規は評価していなかったらしい。
心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花
(百人一首 29/古今和歌集 巻五 秋歌下 277)
此躬恒の歌百人一首にあれは誰も口ずさみ候へども一文半文のねうちも無之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候。……
(正岡子規『歌よみに与ふる書』)
*1:凡河内氏もしくは大河内氏は河内地方の国造として知られる。