・827年(唐暦大和1.2.乙巳) 唐の文宗,李昂は「大和」と改元した。(『資治通鑑』) ・827年(和暦天長4.2.26) 淳和天皇は、嵯峨太上天皇の皇女,正子内親王を皇后に立てた。(『日本後紀』) ※恒世親王が薨去した後、淳和天皇の系統が皇統たりえるには嵯峨天皇系から后妃を立てることが必要になっていた。正子内親王は嵯峨天皇系・淳和天皇系を繋ぐ立場となった(遠藤慶太『仁明天皇』)。 ・827年(和暦天長4.1.?) 藤原高房は美濃介に任じられた。(『日本後紀』) ※高房は美濃国にて民に害を与える呪術者を処罰するなど、武人的性格を有していた。この気質は、かつて蝦夷征伐に従事し、かつ武人を排出し…