忠岑がもとに かひがねの まつにとしふる きみゆゑに われはなげきと なりぬべらなり 甲斐が嶺の 松に年ふる 君ゆゑに われはなげきと なりぬべらなり 忠岑に贈った歌 甲斐の国の山の松の木のように、あなたが甲斐に行ったまま長い年月を経ているので、私は松の木ならぬ「嘆きの木」となってしまいそうですよ。 陽成院の命により忠岑が甲斐の国に下向したのは延喜十七年(917年)のこととされます。本歌は、なかなか都に戻ってこない忠岑の案じての貫之の詠歌で、忠岑の没年は延喜二十年(920年)頃と言われますので、任地の甲斐でそのまま没したのかもしれませんね。本歌を贈った後、貫之と忠岑の再会は叶ったのでしょうか。…