昭和20年8月7日に東洋一の豊川海軍工廠への大空襲があった。高度経済成長に向かう時代に豊橋で生まれた自分は全く知らなかった。豊橋が軍都だったことすら知らずに平和を享受して就職で瀬戸に来た。両親が戦争時代に苦労したことを言わなかった、言いたがらなかったこともある。70歳過ぎて気づいた時には両親はもういなかった。地域の先輩方に聞いても実際に戦争に行った経験はない。 昨年豊川海軍工廠の平和記念館を訪れたときに知ったこと。豊橋の卒業した豊橋東高等学校の前身の豊橋高等女学校の生徒がこの豊川の大空襲で亡くなっている。動員学徒は6,000人もいた。なぜ豊川で?調べていて、いろいろな学校の児童生徒たちが亡くな…