大正13年(10年の誤りか?)3月30日、柳田国男の第1回渡欧を記念するために撮影。前列向かって右から柳田国男、ネフスキー、金田一京助。後列左端が折口信夫 第七章 大阪在住時代 一 宮古島民俗の研究 ネフスキーは宮古群島へ1922年と26年、28年と三度にわたって旅行し、その成果を雑誌『民族』などに発表した。 ネフスキーがまだ学生の頃、支那や日本の韻文を知りえた時、露西亜の韻文の特徴の一つである所の、生を讃美し、太陽を歌えるモチーフがほとんど完全に欠けていることに驚いた。物侘しげなところ、憂鬱な感傷的なところを具えている月のモチーフは日本および支那にあっては、極めて普通のものとなっている。 ネ…