社会のエントロピーと「信頼」という名の秩序 破壊のツールとしてのプロパガンダ 民主主義の土台が、音を立てて崩れていく 私たちは何を守るべきか 私たちは、たとえ意見が対立していても、どこかでこう信じているはずだ。「事実を元に話し合えば、いつかは理解し合える」と。この、いわば「議論の土俵」の存在こそが、健全な社会を支える信頼の正体ではないだろうか。 それは言い換えれば「大同小異はあれど、そこを起点に議論を進めることができるスタート地点」そのものだ。政府の広報や複数のメディアの報道には、それぞれの立場や「色眼鏡」があるかもしれない。しかし、それらを突き合わせれば「何が起きたか」という出来事としての事…