文覚は伊豆の住人近藤四郎|国隆《くにたか》のあっせんで 奈古屋《なごや》の奥に住んでいたが、 ここから兵衛佐頼朝のいる蛭《ひる》が小島《こじま》は近かった。 頼朝と親しくなった文覚は、話相手として殆んど毎日のように訪れていた。 ある時、急にあらたまった口調で頼朝に話しだしたのである。 「思うに平家も今や衰運の兆《きざし》が、ありありとあらわれていると存ずる。 小松の大臣殿《おおいどの》は心も剛勇、智謀人にすぐれたお方じゃが、 去年の八月亡くなられた。大黒柱が倒れたのじゃ。 ところで、わしが源平の武士を見るにどれもこれも小粒じゃ、 将たる器《うつわ》なく士たる勇を持つ人もまれな程じゃが、 拙僧の…