哲学者。 専門は、現代思想、生命学、倫理学。id:kanjinai。 hatenaでは哲学系チームブログG★RDIASのメンバー。
1958年、高知県生まれ。 1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学(倫理学)。 1988年4月、東京大学文学部助手。 1988年10月、国際日本文化研究センター助手。 1997年4月、大阪府立大学総合科学部助教授。 1998年4月、同教授。 2005年4月、大阪府立大学人間社会学部人間科学科教授。
詳細については、本人による著作一覧を参照のこと。 http://www.lifestudies.org/jp/library00.htm
以下、最近の著作。
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『まんが 哲学入門 生きるって何だろう?』/森岡正博 寺田にゃんこふ 講談社現代新書 まんが 哲学入門――生きるって何だろう? (講談社現代新書) 作者:森岡 正博,寺田 にゃんこふ 講談社 Amazon これは面白い!時間論、存在論、「私」とは、生命論について、まるいキャラクターと先生の問答方式。こんな絵の漫画…と思ったらこれがまた思考を邪魔しないアクセントでいいのだ。 これは特定の哲学者の論を解説しているのではなく、著者の森岡氏の論なのだ。これがまた漫画だとここまでイメージしやすいのかとびっくりする。 時間論はすごくいい。現在過去未来。図にするのは違うのだろうが、伝わる。 根源的な人間が知…
森岡正博『人生相談を哲学する』(生きのびるブックス、2022年) 「今年は詩を書きたいと思っています。」 「生きにくさ」という幸福。 生きている限り持ち続ける、小さな光の結晶。 「今年は詩を書きたいと思っています。」 私は結局、今という時代を生きにくいと感じている人たち全員に共通することは書けなかった。生きにくさの内実は人それぞれに違うはずだから、一般論を書くことはできない。しかし、ひとつだけ言えることがある。《今みたいなこんな時代》を楽しく生きられることより、生きにくいと感じられる方が、本当のところ幸せなのではないか。人生としてずっと充実しているんじゃないか。 これは幸せ・不幸せを定義すると…
『救いとはなにか』 森岡正博 山折哲雄 筑摩選書 救いとは何か (筑摩選書) 作者:森岡正博,山折哲雄 発売日: 2018/09/21 メディア: Kindle版
今回のまとめは以下の論文です。森岡正博 (2016)「「誕生肯定」と人生の「破断」を再考する ― 生命の哲学の構築に向けて(8)」『現代生命哲学研究』第5号、pp.13-27 今回も、森岡正博さんの「誕生肯定」論と関係する内容、というよりは以前の議論を補う内容になっています。「破断」を中心とはしていますが、「誕生肯定」論全体にも多少のアップデートが見られます。
今回のまとめは以下の論文です。森岡正博(2015)「「人生の意味」は客観的か-T・メッツの所説をめぐって ― 生命の哲学の構築に向けて(7)」『現代生命哲学研究』第4号、pp.82-97 サディアス・メッツ(Thaddeus Metz)『人生の意味:分析的研究(Meaning in Life: An Analytic Study)』を批判的に検討しながら、「人生の意味」の問題を考察するものです。たびたび触れている「誕生肯定」論とも関係してくる内容かと思います。
永井均・森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷で、美術に応用できそうな箇所。《 この開闢によって、独在側から公共側への「抜け」が起きるとき、世界に何ひとつ実在は追加されていない。もし変化があったとすれば、それは「抜け」が起きた世界に 付加された背景光のようなものの存在である。世界は独特の背景光によって色付けされるが、付加された色が世界に実在としてあるわけではない。背景光による色付きは、 私が哲学的態度を世界に向けて取るときに自覚される。そのような態度を忘却すれば背景光による色付きは消えてしまう。ハイデガーが存在忘却という言葉で言おうとした の…
永井均・森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷、「第4章 森岡論文への応答」永井均を読んだ。《 次に「東京太郎が〈私〉である」の場合を考えよう。(引用者・略)「東京太郎が火星である」などのあらゆる命題を反事実的に解釈してその意味を理解することが できるが、「東京太郎が〈私〉である」という命題だけは理解することができない。なぜなら、述語部分の「〈私〉である」は、何か別の述語部分と入れ替わるような形で 代入できるものではないからである」は、私には意味がわからない。「何か別の述語部分と入れ替わるような形で代入できるものではない」の意味がわからず、そ…
永井均・森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷、読書はお休み。 昼食は三島駅近くのそば屋。店長が代わったせいか味が変わり、友だちももう行かない、と。だなあ。店を出て楽寿園へ。友だちの友だちに合流。彼女たちは食べている かき氷を「美味しくないよ」。お互いさま。豆汽車に乗車した後、彼女たちと別れて勉強会へ。午後五時前、降り出した雨のなかを帰宅。ふう。読書はおやすみ。 http://www.gwmishima.jp/modules/information/index.php?lid=2308&cid=1 北一明の、胴がへこんだ河南風耀変手びねり磁土…
永井均・森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷を少し読んだ。《 永井によれば、デカルトの「われ思うゆえにわれあり」もまた、その罠に落ちたのだった。すべてを疑うことによって、最後に残ったのは、いま疑っている「この私」 ではなくてはならない。デカルトは、いったんはそのように考えたのである。しかしながらデカルトは「この私」[”この”に強調点]があるという結論を、いつのまにか、 誰にでも当てはまるよな「私」があるという結論へと読み換えてしまった。これがデカルトの落ちた罠であり、ここには「何か不可避的な力がはたらいているのだろうか、 と永井は問うている…
永井均・森岡正博『〈私〉をめぐる対決──独在性を哲学する』明石書店2021年12月15日初版第一刷を少し読んだ。 https://www.akashi.co.jp/book/b598586.html《 〈私〉、すなわち、 「いまここに現にひとりだけ特殊な形で存在している、私の特別なあり方」は 決して普遍化できないはずだが、ひとたびそれを語ってしまうと、 他者にも適用できる単なる「私」の話となり、本当に言いたかった特別さは消えてしまう。 どうすれば私たちは私だけがもつその特別さに近づくことができるだろうか? ──独在性の解釈をめぐって、永井と盛岡は徐々にすれ違い見せていく。 2人の議論の「噛み合…
Bogner Burnley V2いじってたらBOGNER REDの使い方に新しい発見があった。 Bogner Burnley V2にBOGNER REDで音色を寄せて観たら弾き方が変わった? BOGNER REDは幅広く音色作れる。 Bogner Burnley V2はシンプルでわかりやすいのがいい。 同じメーカーの機材でも差異はあるんで、その差異から新しい発見がある。 一回ツボにハマるとそれをずーっと使いがち。 別の新しいツボがないか?探すのは別の視点が要る。 俺の場合はBogner Burnley V2がそれだった。 あと今使ってるギターがMUSICMAN LUKEで、スティーブルカサー…
昨日クラシック・ピアニスト野島稔の訃報に接する。彼の代表作CD『NOJIMA PLAYS LISZT』USA盤1987年を久しぶりに聴く。 https://tower.jp/article/campaign/2022/05/10/04 二曲目の『La Campanella』、やはりいい。好きだ。 https://www.youtube.com/watch?v=DHzNjfR_Nuk こんなかたちでクラシックのピアノ演奏を再び聴くとは。こうなると次は内田光子のピアノかな。熱海市生まれなのに熱海市は・・・。 https://www.youtube.com/watch?v=zQzdPnJWfr8 し…
関内関外日記で紹介されていた本のうち、それを機に読んで私が気にいった本をおすすめ度をつけてリスト化する。あらすじ・感想は省いてタイトル名だけを挙げるメモみたいなもの。 はじめに弁解させてもらうと、当たり前かもしれないが紹介されていた本(何百冊?)をすべて読んでいるわけではない。競馬、仏教、アナキズム、双極性障害の分野の本については数えられるほどしか読んだことがない。 しかし私が2014年に黄金頭さんの文章に衝撃を受けて熱心な読者になってからはや8年ほども経ち、ここらでそろそろ一度まとめてみることにする。一作家、一作品のみ。基本的に関内関外日記をブログ、黄金頭さんを彼と表記する。 最初に手にした…
久しぶりの大通り商店街歩行者天国。午前11時~午後4時。近くの骨董古道具店恵ぼしの女主から男手を頼まれて、店先での露天販売の呼び込み。売れ行き好調。 11月の秋の歩行者天国でも、とお願いされる。くた~。 https://www.mishima-odori.com/street/konakajima-n/eboshi/ ネット、うろうろ。《 ちょっとした意識の変化が身体の使い方に大きな影響を与える。言葉の力は魔法にも呪縛にもなる。 》 m-takehttps://twitter.com/takeonomado/status/1521811927730585601《 たまたまYouTubeで山本太…
(1か月ぶりのブログ) 今日は2022年5月3日憲法記念日「言論の自由というものは、ある日突然に奪われるというものではありません。権力によって外堀から内堀へとじりじりと埋められていって、いつの間にか「自由」は動きがとれなくなる。戦前日本の歴史がそう教えてくれています。」半藤一利pic.twitter.com/gSfocn73dl — 現実論(素数) (@6yzND8OZJhVCV3V) May 2, 2022 mobile.twitter.com このドラえもんの憲法本は、世の中に出回ってる専門書ではない憲法本の中で群を抜いて記述が正確なんですよね。小学生でも読めるように書いてあるし。 htt…
イーフー・トゥアン『空間の経験』ちくま学芸文庫1993年初版を少し読んだ。《 文学は、われわれが気づかずに過ごしてしまうかもしれない経験の領域に注目する。彫像は、その物理的な存在感によって場所の感覚を生みだす力をもっている。 》 「12 可視性──場所の創造」 290頁《 時の経過とともに、ほとんどの公的な象徴は場所としての地位を失って、ただ空間をふさいでいるだけのものになるのである。 》 「12 可視性──場所の創造」 294頁《 ある地域の評判は、その土地の住人たちの宣伝によるよりも、外部の集団の宣伝による方が遥かに大きいと思われる。 》 「12 可視性──場所の創造」 306頁 昼前、源…
>「ウクライナ政府はネオナチだ」という投稿を拡散していたのは約1万アカウント。このうち約88%がワクチンに否定的な内容を、約47%がQアノンに関連する主張を過去に拡散反ワク、反ウクライナ、Qアノン。頭が悪い程、全部入り。#Yahooニュース https://t.co/h8yDFSEgF7— HAL-METAL🇺🇦🇯🇵 (@Haruhito_BAK) April 14, 2022 反ワクチン団体「神真都Q会」自称リーダー逮捕 クリニック侵入容疑 https://t.co/Knfp9zU7kt @Sankei_newsより— 🇺🇦🇯🇵ktckm🇯🇵🇺🇦 (@ktckm4649) April 20,…
興味深いブログだと思い、拝見させていただきました。私、NJと申します。よろしくお願い致します。私は、ウクライナとウクライナ東部に住むロシア系住民との戦争は2014年頃と認識しております。大きな出来事でいえば、オデッサの悲劇であると思います。今回のウクライナ危機は、アメリカのネオコン勢力とロシアとの戦いと考えています。勿論、第二次世界大戦後の日本はアメリカの言いなりですから、日本メディアの情報はロシアを侵略者であり戦争犯罪者だと扇動しています。貴方様は仏法信仰者として、ロシアを非難しているだけではないと思いますが、どうも私には、日本のメディアの情報やアメリカ側の情報だけを見て発言してらっしゃるの…
s-scrap.com 「男性にも『ことば』が必要だ」という記事を読みました。上記の記事は、さまざまな論点があって、それぞれの論点で賛成できるもの・そうでないものが分かれるのですが、それに一つ一つ答えていくと長くなってしまうので割愛します。ただ、タイトルの「男性にも『ことば』が必要だ」に関して言うと、それについての僕の答えは簡単で「男性から『ことば』を奪っているのは男性自身ではないか」というものです。 「ことば」を発するときに「説明する理論」が必要なときとは 上記の記事では、「女性が受けている不利益を説明する言説はたくさんあるが、男性が受けている不利益を説明する言説はない」ということをもって、…