1847-1889 薩摩藩出身
明治新政府の外交官、初代文部大臣。明六社の結成メンバーの一人。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/204.html?c=0
森有礼・・・(1847~1889年)薩摩藩出身の政治家。初代文部大臣。一橋大学を創設した、明治六大教育家の一人。「良妻賢母教育こそ国是とすべき」と、女子教育にも力を入れた。
歴史学 民国時代の教育史 - sazaesansazaesan’s diary 歴史学 民国時代の教育史2 - sazaesansazaesan’s diary の続きです。 Paul Monroe - Wikipedia はwikiによると、近代中国の教育史では有名らしい。 世界教育史要 - 国立国会図書館デジタルコレクション という教育思想史(明治時代に翻訳された)を書いた。 なお、世界教育史要の原著を 森有礼の啓蒙と教育(上) | 学術機関リポジトリデータベース p24で参考している。 前掲翻訳書では、10章の啓蒙時代の節にあたる。 以上です。
近現代教育史のなかの教育勅語 : 研究成果の検討と課題 | 学術機関リポジトリデータベース 明治期における井上哲次郎の「国民道徳論」の形成過程に関する一考察 : 『勅語衍義』を中心として | 学術機関リポジトリデータベース 教育勅語と福沢諭吉 | 学術機関リポジトリデータベース 元田永孚と教学論(森川輝紀教授退職記念特集) | 学術機関リポジトリデータベース 明治の徳育における儒学1道徳観 : 修身教科書を中心に | 学術機関リポジトリデータベース 師範学校令期における修身 その学的性格をめぐって | 学術機関リポジトリデータベース 明治の「公徳」「私徳」論瞥見──福沢諭吉と井上哲次郎── |…
教育史の話です。 新訂版 日本近代教育の思想史研究 ―国際化の思想系譜― でも引かれた 西村茂樹|近代日本人の肖像 | 国立国会図書館 の回顧録 泊翁全書 第2集 往事録 - 国立国会図書館デジタルコレクション のうち重要な箇所を引きます。 https://dl.ndl.go.jp/pid/898721/1/88 88コマ 明治9年の日本弘道会の設立 https://dl.ndl.go.jp/pid/898721/1/129 129コマ 明治28年の総集会 https://dl.ndl.go.jp/pid/898721/1/92 92コマ 米国人モーレイの提案。大学の授業は日本語にすべき。 h…
「若き薩摩の群像」はJR鹿児島中央駅前の広場にある。 「若き薩摩の群像」 19人の像が並べられている。彼らは何なのかというと、慶応元年(1865年)に薩摩藩がイギリスに派遣した一団だ。「薩摩藩遣英使節団」と呼ばれている。外交使節3名と通訳1名、留学生15名(第一次薩摩藩英国留学生)からなる。留学生は「サツマスチューデント」と呼ばれたりもする。メンバーは次のとおり。 外交使節/新納久脩(にいろひさのぶ)・五代友厚(ごだいともあつ)・寺島宗則(てらしまむねのり) 通訳/堀孝之(ほりたかゆき) 留学生/町田久成(まちだひさすみ)・町田申四郎(しんしろう)・町田清次郎(せいじろう)・畠山義成(はたけや…
英国籍の商船が、荷降ろし中に誤って石油樽を海に落とした。 当時の世界に、ドラム缶は未登場。ネリー・ブライがそれをデザインするまでは、もう十三年を待たねばならない。 (Wikipediaより、ネリー・ブライ) 落下着水の衝撃に、ドラム缶なら堪えたろう。手間は増えるが、回収して終わりに出来た。なんてことないトラブルだ。しかし木樽ではそうはいかない。あえなく砕け、中身がみるみる拡散される。汚染域に居合わせた、不運な魚類が次から次へと水面に浮いた。 明治十九年六月の、横浜に於ける出来事である。 それ自体は取り立てて騒ぐに及ばない。以前の記事でも少しく触れたが、港湾作業中の落下事故など毎日のように起きて…
1913年(大2)樋口隆文館刊。前後続の全3巻。明治改元直後2~3年の社会制度の定まらない混乱期における、新橋の美人花形芸者梅吉とその一子花子の波乱万丈の物語。タイトルの「千里眼」は花子に備わる透視能力のことを指すつもりだったが、この3巻ではまだ彼女が幼児なので、意味が合っていない。作者黙禅特有の壮大な構想による筋立てで、人身売買や海賊船などの危難とそこからの救済とがジェットコースターのように連続する。明治政府の立役者である森有礼や江藤新平も登場し、廃刀令などの歴史的な事象に迫真感を与えている。「千里眼」の持ち主「横山花子」に関してはさらに2巻の後日譚が用意されている。☆☆☆☆ 国会図書館デジ…
森有礼が駐米外交官として精力的に活動していた時期と云うから、つまりは明治四、五年あたりのことだろう。 (Wikipediaより、森有礼) 筋金入りの開明主義で鳴らしたこの人物は、しかし一日(いちじつ)、ともすれば、自分以上の熱量を宿した者に遭遇し、狼狽を余儀なくされている。「神の愛を未だに知らず猶も迷いの中に居る哀れな日本人たち」を教化したくて堪らない、宣教師の一団である。 日本に渡航(わた)ったこの連中が、 「活動範囲を居留地内に限定されては、到底使命を果せない」 と、口を揃えて文句を言って、自国の外交筋を動かし、 「居留地云々に拘束されず、必要とあらば何処へでも布教に赴く特権を是非とも我ら…