1949年6月27日生まれ。北海道出身。
19才の時に“広域重要指定一〇八号連続射殺魔事件”の犯人として逮捕され、獄中で学問に目覚める。
獄中で詩集『無知ノ涙』(合同出版/1971)を出版し、ベストセラーになる。印税は被害者の遺族に送られた。
出版した本は
『人民を忘れたカナリヤ』(辺境社/1971)
『愛かー無か』(合同出版/1973)
『動揺記1』(辺境社/1973)
『反ー寺山修司論』(JCA出版/1977)
...など多数。
犯行時の精神的成熟度は『限りなく18歳未満に近い』という異例の境遇で裁判が進められることになる。
控訴審(東京高裁)では、一時的に無期懲役との判決が言い渡されるが、その後は上告(最高裁):差戻し→差戻控訴(東京高裁):死刑→第2次上告(最高裁):死刑を辿る。
死刑囚永山則夫は1997年8月1日午前、東京拘置所内にて処刑された。48才だった。