悟りを開いた釈迦が最も多く留まって説法をした精舎。アナータピンディカ(給孤独)長者と呼ばれていた大商人スダッタとジェータ(祇陀)太子の寄進によってできたため、「阿弥陀経」ではジェータ王子の樹園(祇樹)・アナータピンディカの園(給孤独園)と2人の名を冠して「祇樹給孤独園」とよばれている。それを略して「祇園」という。
当時コーサラ国の首都舎衛城(シュラーヴァスティ)の郊外であり、現在では北インドのバルランプールという町の郊外サヘト・マヘトにその遺跡が残っている。
平家物語の冒頭部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で知られる。