阪神淡路大震災から30年経ちました。あの日、あの大震災を知ったのは、マレーシア ジョホール州の田舎町。夕食をとっていたレストランのテレビに被害状況が映し出されていました。現地放送でマレー語だったので何が何だかよくわからずでした。一緒に出張していた神戸出身の部長が日本に電話して急ぎ帰国したことを思い出します。日本語放送もなく、ネットもまだ未発達のときでしたから詳細を知ったのは日本に帰国してからでした。 あれから30年。その長い時間の中で色々進歩したこともあるのでしょうが、一方で、遅々として変わらないものも多々あると感じます。報じられる能登の今の状況からして、行政があの震災の教訓を学べていないので…