第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺。鎮座地は本堂の三方にビルが迫り、エアポケットの様な空間に寺が鎮座しています。 六角通に面した第十八番 紫雲山 六角堂 頂法寺山門。 長禄・寛正の飢饉で京は飢饉となり、この山門には人々が集まり、六角堂門前で炊き出しがおこなわれたという。京は朱雀大路を中心に左京(東京)と右京(西京)の左右対称の町が作られましたが、右京は土地が湿って住居に不適当だったことから衰退し、人家は左京に集中するようになり、左京の市街地は南と北に延びはじめ、結果、北の方を上京、南の方が下京というように左京の町を二分する概念が生まれ、六角堂は下京の町堂として崇敬を集め、町衆のコミュニティーの場…