文政10年。7月10日夜、大雨の中、熱田八剣宮前松岡上総の家と借家が焼失する。借家は上総扣門(脇門)前にある。神職の家でありながら、火の不始末があったと噂する。銀札を作ったことで永らく番を附けられた寄合組六十五俵原常九郎に流罪を仰せ付けられたことが明らかになる。弐百五十石寄合組佐藤五郎兵衛は右のことが露見したため行方をくらましたので、右の家族は本家の御目付弐百五十石佐藤吉次郎が引き取る。原常九郎。詮議の上で申し述べる趣は、侍の身にふさわしくないような極めて不届きな行いがあり、その上最初に書面で問い合わせた際にはわけがわからないと取り繕い、いいかげんなことを書面で回答したのはあまりにも不埒なこと…