・紀元前256年 秦は周王と西周公の遺地を併合した。 ※『韓非子』-亡徴篇には、木が倒れるのは虫食いが原因ではあるが疾風が吹かなければ倒れないのであり、壁が崩れるのは亀裂が原因であるが大雨が降らなければ崩れないように、王朝も打倒しようとする勢力がなければ滅亡しないと述べられている。韓非の師,荀況は天下を治めるべき理想の君主「後王」について具体的にどの国の王を指すかを明言していなかったが、非は周を滅ぼす疾風や大雨となる「後王」を秦に見出していたとも考えられる(佐藤信弥『中国古代王朝史の誕生』)。 ・紀元前256年 Maurya朝君主Aśokaḥは法勅を発布し、生類の殺害や生贄、君主の認めた以外の…