極端にいうと、欧米では、相手と話している内容が、第三者にもそのまま伝わる対話型になっているということです。 私自身、身内としゃべるときと、知り合いとでは、スタンスもことばも声の使い方も変えます。TPOや相手によって、細かく変えるのは、日本の社会では当たり前です。ですから、逆に主語がなくても、誰のことかわかり、通じます。 ところが、英語で話すときは、語学力を問わず、対話型になるのです。つまり、公の場を前提にした形に、ことばも声もおのずとそうならざるをえないのです。 日本語より外国語の方が話すのも書くのもはっきりとするのは、日本語の曖昧さを象徴しています。グローバルな時代、それでは通用しません。 …