2015年7月。ぼくの親戚であるおじいさんが、91歳で亡くなりました。 彼は祖母の姉の旦那さんであり、太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島での戦火を生き抜いた、数少ない日本兵のひとりでした。 「戦争の話」をしてくれたのは亡くなる1年前 晩年、おじいさんは認知症が進み、会話の途中でぼくのことが誰だかわからなくなることもありました。でも、戦争の話になると突然記憶がよみがえったように、語り出したのです。 武器も、希望もなかった おじいさんが最初に語ったのは、アメリカ軍との装備の差でした。 アメリカの兵士たちは、連射式の機関銃を当たり前のように使っていた。それに対して、日本兵の銃は明治時代からほとんど…