俗世にこの身を晒しながら、胸中ではいつも隠遁の生活を希求している。それでいて棲み慣れた世を一挙に捨てきれてしまうほどの覚悟も決意も持てないでいる人間が、いかに世間に折り合いをつけて生きていくか。 なにか困りごとに直面したとき、小津安二郎のこの言葉をそっと反芻し、目の前の事象に照らし合わせるということをする。自分にとってモノサシやコンパスのような言葉だ。 先日、大和三山の最高峰である霊山・畝傍山に登拝した。 マップに示されたルートは1本。おそらくよく踏み固められ、登山者の便をはかるべくあれやこれや整備がされつくした道だろう。たかだか片道20分のなんちゃって登山(!)にしても、日頃より登山に不慣れ…