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2005-10-28

[]論理的に明快に

カマヤンさんの記事で、人数と確率、殺す人数と殺される人数における彼我の差といった、内容において納得できない部分があるので指摘します。

前提条件

戦争は二つ以上の集団が軍事力で問題解決を図った場合に発生するわけでバトルロイヤルではありません。

以下に例を挙げて納得できない根拠を解説します。

数値は計算しやすいように適当に決めただけで深い意味はありません。

殺す人数と殺される人数の対比を明確にするために、餓死や病死や事故死や誤射といった、その他の死因は除きます。

100人の集団Aと100人の集団Bが戦争したとします。AとBの戦力交換比率は1:5。戦争の結果、Aでは10人死に、Bでは50人死にました。

この結果を人数と確率で評価しましょう。

人数

Aが殺す人数は50人で、殺される人数は10人で、殺す人数より殺される人数のほうが少ない。

Bが殺す人数は10人で、殺される人数は50人で、殺す人数より殺される人数のほうが多い。

戦争全体では殺す人数は60人で、殺される人数は60人で殺す人数と殺される人数は同じ。当たり前のことです。戦争で60人死んだという結果は変わらないのですから。

戦争全体での殺す人数と殺される人数は同じ。でないと帳尻が合いません。

つまり、カマヤンさんの10/26の「戦場では殺す人数より、殺される人数のほうが多い」は誤りです。

確率

Aの個人が殺す確率は100人で50人殺していることから50%以下。Aの個人が殺される確率は100人中10人殺されていることから10%。

Bの個人が殺す確率は100人で10人殺していることから10%以下。Bの個人が殺される確率は100人中50人殺されていることから50%。

戦争全体で個人が殺す確率は200人で60人殺しているから30%以下。戦争全体で個人が殺される確率は200人中60人殺されていることから30%。

殺す確率に「以下」がつき、殺される確率にはつかないのは、個人が殺される回数が一回までなのに対し、個人が殺す回数は何回にもなりうるから。

戦争全体では常に「殺される確率≧殺す確率」

つまり、カマヤンさんの10/27の「完全に拮抗した時に1:1、それ以外の全ての場合において、「殺される」可能性は「殺す」可能性を上回る」は誤りです。

戦力交換比率が1:1の場合でも戦争全体では殺される確率は殺す確率以上です。

論理的に厳密であるということ

以上のように、戦争全体では「殺す人数と殺される人数は同じ」であり、常に「殺される確率≧殺す確率」です。

別にカマヤンさんを論破したいわけではありません。言論は論理的に厳密であるべきと思うゆえ指摘しただけのことです。

ただ、これはお互いに数学的に考えていても戦争に対する認識の違いから見解が分かれているだけの不毛な指摘かもしれません。

誤解なのかもしれませんが「「殺す人」と「殺される人」の比率は、常に「殺される」人間のほうが多いのだ」というのも、私にしてみれば誤りです。

1人で5人を殺す場合もあれば、3人で1人を殺す場合もあります。戦争は複数と複数による共同殺人です。少数を多数で共同して殺す場合もあります。その場合、「殺す人」と「殺される人」では「殺す人」のほうが多くなります。

私にしてみればカマヤンさんの記事は算数になっていません。

力を持ちえない言葉

仮にカマヤンさんの「戦場では殺す人数より、殺される人数のほうが多い」という「算数における事実の指摘」が真として、それは戦争忌避につながる言葉でしょうか。

ベトナム戦争におけるベトナム人にとって、それは圧倒的に真実でしたが、彼らは戦いました。

その一方、ブッシュアメリカのチキンホークどもは殺される確率が低くても自らは戦場に行こうとはしませんでした。

目的のために犠牲を払う覚悟がある人は如何に戦闘での死亡率が高くても戦場に向かうでしょう。

「戦場では殺す人数より、殺される人数のほうが多い」という主張は戦場に行かない選択権もある臆病者にしか通じない幼稚な脅しです。それはたとえ劣勢でも知恵と勇気を振り絞って戦う人々の覚悟を侮辱する言葉です。それでは戦争忌避の言葉とはなりえません。

「戦争の話になると、みな、『殺す』ことばかり考えるものだが、考えが浅すぎる。」も、私にしてみれば誤りです。分別があれば「自らが戦争で死ぬ可能性」を真っ先に考えます。普通に数学的思考ができるのであれば「一出撃当たりの死亡率が5%でも20回も出撃すれば、ほぼ確実に死ぬだろう」(1-(0.95)^20)といったように。

論じるべきは、殺す人数と殺される人数といった損得勘定のもとでの「戦争に行く/行かない」ではなく、戦争で人が死ぬのも殺すのも殺されるのもごめんだという考えのもとでの「戦争は悲惨な行為→戦争はいけない」だと思うのです。

そうでなければ普遍的に力を持つ反戦の言葉にはなりえないでしょうから。

2005-10-26

[]戦争は「殺しに行くこと」と同じくらい「殺されに行くこと」

カマヤンさんの10/26の記事に対して思ったこと

戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)は普通の人間が同族殺しに対してどれほど心理的抵抗を持つか如実に語っています。

戦争とは兵士になった人々に同族殺しの禁忌を犯させることであり、同時に相手に同族殺しの標的を与えることです。一部のサイコパスを除き、それは人の心を激しく傷つけます。

そして、「殺しに行くこと」と「殺されに行くこと」、どちらの度合いが強いかは兵士の置かれた立場によります。

太平洋戦争において米機動艦隊への攻撃を命じられた一式陸攻搭乗員は殺されに出撃したようなものでした。皆無といっていい防弾装備で機銃攻撃で容易に火を吹き撃墜されることから一撃ライターとも揶揄された一式陸攻は米軍の防空体制の前にろくに射撃位置にもつけずに撃墜されました。

同じく太平洋戦争において米軍のB-29搭乗員は殺しに行く側でした。強固なB-29が撃墜される可能性は低く、B-29の爆撃により多くの人が死にました。

近代戦の特徴は、科学技術の進歩によって安全な場所から一方的に攻撃できる立場にいる少数の人間が殺人の殆どの部分を担うということです。

大量殺戮を担う少数の人間になれる確率は低く、そういう意味ではカマヤンさんの「『殺す』側になる可能性より、『殺される』可能性のほうが、ずっと大きい」というのは真。

そして、安全な場所から一方的に攻撃できる立場にいない兵士にとって、戦場は「殺す人数より、殺される人数のほうが多い」場所でしょう。

ただ、「戦争は殺しに行くんじゃなくて、殺されに行くんだ」というのは必ずしも真ではありません。それは兵士の置かれた立場により変わるからです。

カマヤンさんが伝えようとする思いは理解できますが、論理的に厳密でない部分に引っ掛かりを感じました。

また、件の生徒の質問の答えにもなっていないように思いました。「戦争でいかに人を殺すか」と聞くその生徒の求める答えは「殺人方法」でしょうから。

カマヤンさんの言葉は「殺される立場」になって考えさせるという意味では良いものですが、その生徒には殺人に伴う精神的犠牲を教え、戦争は殺される側にはもちろん殺す側にとっても悲惨なものであることを伝えるべきだったのではないかと思います。

そういう教育が「殺しに行かない」だけでなく同朋を「殺しに行かせない」考え方を育むと思うからです。

[]メールの信頼性

以前、メールを送信した相手にメールが着かなかったことがあります。

その人とは電話で連絡が取れたので送ったメールが着いていないことが判ったのですが、メールだけで連絡を取りあっている場合、そういう「事故」がおこると確認する術がありません。

掲示板やブログのコメントであれば送信結果を確認できるので、その点は安心できるのですが。

メールは何らかの事情でフィルタリングされてしまった場合、単独では相手に届いていないことを確認する術がないわけで、そういう意味では信頼性に欠ける手段だなと思います。

2005-10-12

[]共謀罪反対バナー作成

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↑白背景用枠有り

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↑枠無し

カマヤンの虚業日記というブログで共謀罪反対のバナーを募集していたので作成してみました。

平成の治安維持法といわれる共謀罪ですが、この手の法律が本来の目的から外れて権力者に都合の悪い言論を弾圧するために恣意的に運用されやすいということは歴史が証明しています。

我が国の治安維持法しかり、現代のアメリカの愛国法しかり。

私は日本が戦前・戦中のような自由にものの言えない国になるのはごめんです。

というわけで、文字だけの貧弱なデザインながら応募。

こういう運動に協力して、それでも共謀罪が通ってしまって、その結果、やっかいな状況になる可能性を考えても、共謀罪には反対。

自由にものの言えない社会では、私は生きていけないと思いますから。

2005-10-08

[]ハセガワ1/200B777-300完成画像

f:id:D_Amon:20051008202440j:image

このキット、新型機だけあってモールドが凹だったのはありがたかったです。

ただ、777-200金型からの胴体延長部分の処理が粗いのが玉にキズ。

組むなら777-200の方が楽です。

これで、ボーイングは757を除いて727から777まで組んだわけで、ついでに757も組んでみたかったりするのですが、757の1/200組立キットは手に入らないので諦めたったら諦めた〜〜〜。

完成品なら売っているんですけどね。

2005-10-06

[]ハセガワ1/200DC-10-40完成画像

f:id:D_Amon:20051006200409j:image

旅客機の中では結構かっこいいと思ったのが、このDC-10。

凸モールドを凹に彫りなおすのは大変なものの、寸胴で重量感溢れるスタイルは個人的に好みです。

2005-10-05

[]ハセガワ1/200B767-300完成画像

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急いでいたとはいえ、白塗装の上に黒で墨入れはきつすぎたかなと反省。

今回作ったキットは凸彫りのものは全て凹彫りに彫りなおしてあります。

もっとも曲がったところは埋めて彫りなおさずに太く彫ってごまかしているので、近くで見ると仕上がりはかなり粗いです。

短時間で高クオリティに仕上げる人もいるわけでまだまだ修行が足りません。

2005-10-04

[]ハセガワ1/200B747-400完成画像

f:id:D_Amon:20051001091357j:image

キットの凸彫りをそのまま凹彫りにしたら大失敗だったキット。

彫った筋が図面と違う…

キットしか資料が無い状態にせよ、図面のチェックを怠った自分のミス。

まあ、なんというかハセガワの金型の古いキットには色々あるということですね。

1/72MiG-29とかF-117とかMiG-25とか。

個人的にはMiG-25はセーフ。

2005-10-01

[]ハセガワ1/200B727-200完成画像

f:id:D_Amon:20051002024349j:image

ノルマ達成。

結局、徹夜。

当初、6時間と見積もっていた作業に14時間もかかってしまいました。

残りの塗装を4時間、墨入れとデカール貼りに30分×4で2時間で合計6時間くらいと考えていて、実際に基本塗装は4時間程度で終わったものの、墨入れとデカール貼りに考えていた以上に時間を取られてしまいました。

デカール貼り自体はそれなりに早く終わったのですが、墨入れの際に「予定外の手間」が…

まあ、そういうときもあります。

完成した4個は予定(締め切りは無いもののそれに当たる日付を過ぎていて、かつ許容限度いっぱいの時間)より2時間遅れて提出。(朝8時半を予定していたのが10時半に…)

外食した後、帰宅、即就寝。真昼間から爆睡。

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