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ラディカルな経済学(旧館) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-01-10

新ブログ開始

こんにちは、木村貴です。新しいブログ「リバタリアン通信」を始めました。

http://libertypressjp.blogspot.jp/

「ラディカルな経済学」の更新はこれで終了します。ありがとうございました。今後はぜひ新ブログをご覧ください。

なおミラーサイトの新館http://knightliberty.hatenablog.com/)でも同じおしらせをしていますが、新ブログ「リバタリアン通信」のURLが修正前の状態になっています(ログインの不都合で修正できていません)。上記のURLでアクセスしてください。

2014-10-03

ブログ移転

下記の場所にブログを移しました。この「旧館」は2015年1月1日以降、削除する可能性があります。

ラディカルな経済学

(2015年1月10日追記)将来の移転先兼当面のミラーサイトとしてつくった新館http://knightliberty.hatenablog.com/)の更新がログインの不都合でうまくいかないため、予定を変更してこの「旧館」を残し、「新館」を閉鎖する可能性もあります。よろしくお願いします。

2014-07-20

山形浩生氏に答える

ケインズ『お金の改革論』(講談社学術文庫)へのアマゾンレビューに、訳者の山形浩生さんよりコメントを頂きました。それに対する反論コメントを投稿しましたので、こちらにも掲載します。

お金の改革論 (講談社学術文庫)

訳者ご自身からコメントを頂けるとは光栄です。ありがとうございます。

専門家の山形さんに初歩的なことを申し上げるのは気がひけるのですが、私企業とは、市場での製品価格を「安定」させるために生産を増減させるわけではありません。利潤を出すためにやるのです。自動車メーカーを例にとれば、いくら中古車市場で車の値段が上がっているからといって、「年2%の値下がりに転じるまで車を造りまくります」などと宣言して増産に踏み切る愚かな経営者はいません。車の値上がりが続いていても、たとえばそれ以上に原材料や賃金、土地などのコストが上昇し、儲けを出せなくなれば、その手前で増産にブレーキをかけます。

ところが中央銀行の場合、まさに物価を「安定」させるのが目的であり、私企業とは根本的に異なります。そもそも利潤という概念がありませんから、損益を目安にお金の供給にブレーキをかけることは、やりたくてもやれません。できるのは、中古車相場だけを見て生産量を決める愚かな自動車メーカーと同じく、物価指数を目安にお金の生産を増減させることだけです。しかもその物価指数たるや経済実態を適切に反映しているかどうかかなりあやしい代物ですから、あてずっぽうさ加減は愚かなメーカー以下といえるでしょう。このように事実上ほとんどやみくもな供給は、経済の調和を乱します。(なお身も蓋もない話になりますが、お金とは交換の媒体としてのみ使われ、消費されない特殊な財ですから、値段が相対的に上がったからといって供給を増やす必要はそもそもありません)

政府を私企業と同一視し、政府でも同様の供給ができるはずだ、供給していいはずだ、それを否定するのは「ある種の歪曲」だとおっしゃる山形さんの議論は、失礼ながら生産手段の私有を前提とする資本主義の本質を見失っていると言わざるをえません。生産手段を国有しても資本主義と同等の、いやそれ以上の結果が得られるはずだと考えるのは、ケインズがそうだったように、社会主義者です。

レビューが必ずしも本書の内容全般に触れたものでないのはご勘弁ください。しかしつまるところ、本書の核心は「物価安定」の四文字です。長文にも限度がありますから、あちこちつまみ食いするよりも、本の核心に絞って是非を論じるほうが、読者のためになるはずです。

2014-07-18

小林よしのり氏に答える

『保守も知らない靖国神社』(ベスト新書)のアマゾンレビューに対し、著者の小林よしのりさんがニコニコチャンネルのブロマガで反論を書いてくださいました。感謝いたします。以下、それに対する再反論を書きます。

保守も知らない靖国神社 (ベスト新書)

小林氏は次のように反論する。

わしは「国家が間違った戦争に国民を駆り立てる可能性」があることは当然の前提にした上で、靖国神社とは「日本を戦争できる国にするための神社」であり、その本質を守らねばならないと主張しているのだが、おそらくその考えはこの人〔=木村〕には到底理解できないであろう。

この文章は、政治家や保守派論客を「靖国神社とは何かを知らない」と批判する小林氏自身が、靖国の本質をまったく理解していないことを示している。なぜなら靖国神社とはその本質上、国家が間違った戦争を行うことを「当然の前提」にするなど、けっしてできない存在だからである。

靖国神社のホームページにはこう書かれている。「靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、『祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊』であるという一点において共通しているのです」。どこをどう探しても、「このうち**戦争は対外侵略を目的とする間違った戦争でしたが、亡くなった方々については差別することなく祀っています」などという記述はない。当然だろう。靖国神社は国家の戦争を正当化するための神社なのだから、間違った戦争もあるという事実を認められるわけがない。

小林氏は「イラク戦争を支持したことを総括しようともしない日本が集団的自衛権行使を容認してしまったことで、今後、自衛隊が米軍の『間違った戦争』につきあって一緒に戦う事態がやってくることは十分ありうる」と述べる。ところがその一方で、間違った戦争で自衛隊に戦死者が出た場合であっても、靖国神社に「合祀すべきである。合祀しなければならない」と書く。

それではもし、集団的自衛権行使で日本がイラク戦争のような間違った戦争に加担し、自衛隊員が戦死したとする。靖国神社がこの自衛官を祀るとしたら、当然、正しい戦争で死んだと説明するだろう。小林氏はそれを許すのか。

もし許さないとしたら、小林氏は靖国神社にこう要求しなければならない。「**戦争は間違った戦争だったとホームページに明記せよ」と。しかし靖国神社は絶対に認めないだろう。そんなことは靖国の建前上できないし、かりに認めれば、日清・日露戦争や大東亜戦争(アジア太平洋戦争)など他の戦争についても同様の記載を求める声が歴史学者や平和運動家を中心に強まるのは確実だからだ。

だから現実には小林氏は合祀に際し、靖国神社が「あれは正しい戦争だった」と喧伝するのを許し、黙認しなければならないだろう。それは自分の良心に頬かむりし、将来にわたり若者がベトナム戦争やイラク戦争のような間違った戦争に駆り出されることに手を貸すに等しい。言論人として恥ずべき行為である。ようするに、小林氏が自分だって間違った戦争の存在くらい認識しているとどれだけ声高に語ろうと、靖国神社のあり方を肯定するかぎり、その認識とやらは何の意味も持たないのである。

ところで私は、小林氏が自分は間違った戦争の存在を認識していると堂々と主張するとは夢にも思わなかった。日本が帝国主義への道を歩みはじめた日清・日露戦争は「日本の国を守るために行わざるを得なかった戦争」(30頁)とされているし、シナを侵略し東南アジアの資源獲得を目指した大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」(36、39頁)とされているからだ。

その代わり、小林氏が間違った戦争の例に挙げたのは、ベトナム戦争やイラク戦争である。だがそれらは所詮アメリカの戦争である。結局のところ小林氏は心の底では、日本はアメリカの間違った戦争に巻き込まれることはあっても、日本が主体となって間違った戦争を行う可能性はないと考えているのではないか。私はこの疑いを拭い去ることができない。

2014-07-17

タイトル表記変更

検索の都合上、タイトルの「經濟學」を新字体に変更しました。

また本文についても、電子書籍化の便宜などの都合上、当面、新字新かなで表記します。