現代の郊外の起源と見なすことができる田園都市の系譜をイギリス、アメリカとたどってきたので、続けてフランスへと飛んでみたい。フランスの現代の都市計画見取図といっていいル・コルビュジエの『ユルバニスム』(樋口清訳、鹿島出版会)にもその痕跡は明らかであるからだ。
前回のアメリカ映画『8Mile』の時代背景となっている一九九五年に公開されたフランス映画がある。それはマチュー・カソヴィッツ脚本、監督『憎しみ』で、この映画は『8Mile』とまったく逆立する都市と郊外の構造をテーマとしていて、弱冠二十七歳のカソヴィッツはこの作品で、同年のカンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞している。しかし『憎しみ』にふれる前に、その前提となる「小さな本」だが、先駆的に重い本に言及しておくべきだろう。
フランスにおける郊外と移民、難民などの問題に関して、それらをいち早く提起し、教示してくれたのは一九八四年に中公新書の一冊として出された林瑞枝の『フランスの異邦人』であった。しかもそれは「自由・平等・博愛」の国での「移民・難民・少数者の苦悩」に焦点を当てたもので、八〇年代以降、フランスばかりでなく、世界的な問題と化していく移民、難民、マイノリティに対する注視であり、グローバリゼーションに伴う異民族の混住化、多民族社会のアポリアを正面から捉えていた。
その最初の章「街はずれの住人―仮住い団地」は小見出し「トンネルのある団地」に続いて、次のように書き出されていた。
フランスにはつい最近まで、「地獄の三角地帯」と事情を知る人たちの間で呼びならされた居住地があった。パリ市の北の郊外、鉄道線路と、高速道路と、セーヌ川にのぞむ港とにはさまれた土地に、その団地はたっていた。移民労働者の家族が通常の住いに移るまでの間、一時的に収容する目的で建てられた簡易住宅群である。公式には「仮住い団地」という(中略)。
一九六六年、沼地を埋めたてた土地に拙速に建てられたこの仮住い団地、ジュヌヴィリエの市街地からも遠く、公共の交通機関の便もなく、団地内には日常品を商う店もなかった。はじめのころは二〇〇家族五〇〇人の子供たちが、町の住民からは隔てられた形で生活していた。
この「仮住い団地」は幸いにして居住者の移転が実現し、姿を消したが、他の三角地帯にはまだ「仮住い団地」が残されていた。高速道路の下に穿たれたトンネルのある団地で、その穴によって三角地帯に閉じこめられた団地はかろうじて呼吸をしている。
林はその他の団地も訪ねていく。ベゾン団地、ここにはマグレブ諸国出身の人々、アルジェリア人、モロッコ人、チュニジア人が住んでいて、その途中にはギュタンベール団地があった。八二年にそこで発砲事件が起きていた。団地の前の家に住むフランス人が団地の子供たちに向かってカービン銃を撃ち、それは子供ではなく、同じ団地の青年の腹部に当たり、彼はそれが元で死亡してしまう。団地は怒りに燃えたが、団地の青年たちの冷静な行動によって大事には至らなかった。
だがこのような事件はその後も続発していくし、彼らにとって「仮住い団地」はまさにアパルトヘイト体制にあるように思われた。それはサルトルの言を借りれば、フランスにおける内なる「第三世界は郊外に始まる」(『シチュアシオン8』所収、鈴木道彦訳、人文書院)と呼応している。
林を案内してくれた小学校の先生が書いたトンネルのある団地の地図が掲載されているが、それらの一帯と周辺は工業、住宅zone=「ゾーン」と記されている。ここで留意すべき「ゾーン」とは城壁の外側を意味し、十九世紀後半のオスマン計画によるパリ改造から閉め出された貧民や犯罪者たちが集う無法地帯とされ、la zone と冠詞をつければ、貧民街、スラム、場末をさすことになることだ。
「仮住い団地」の移民はかつてビドンヴィル、つまりトタン板の町である掘立小屋のバラック集落に住んでいた。それは高度成長期における移民労働者の増加に伴い、大都市の周辺に雨後の筍のように現われたが、六〇年代からビドンヴィルが撤去され始めたために、「仮住い団地」へと移り住んでいったのである。これらも都市計画の一環だと見なせよう。
『フランスの異邦人』において、「仮住い団地」のマグレブ系移民の生活に加え、自動車工場を始めとする下積みの労働、難民受け入れの理念と現実、アルジェリア独立戦争に際して、フランス軍についたアルジェリア人である「アルキ」の存在、海外県・海外領土出身者たち、旅に暮らし、定まった住所を持たないジプシー、イスラエルというもうひとつの祖国を持つユダヤ系フランス人の姿が描かれていく。そして林の言及はこれらの人々に向けられている人種差別の現状、また移民との混住状況、フランス生まれ、フランス育ちの移民第二世代の出現にまで至っている。
そうした意味において、林が自らいうところのこの「小さい本」は「自由・平等・博愛」の国フランスの二重構造を浮かび上がらせ、その問題が郊外に象徴的に露出していることを教示してくれたのである。その例として、林は独学で歌手となった第二世代のカリム・カセルの次のような歌を引用している。「人生を見つめる/もろく、くるしい人生なんだ/みんな郊外そだちさ/(……)/それでも生きる権利がある/郊外 郊外 郊外」。
ただ林が挙げているデータは八〇年代前半にとどまっているので、ここではそれを補足するために、原輝史・宮島喬編『フランスの社会』(早稲田大学出版部)所収の「外国人人口の推移」により、その動向を示しておく。フランスは十九世紀末に一一〇万人を数え、移民国の色彩が強かった。しかし戦後の七〇年代を迎え、五四年には一七六万人だったのが、七五年に三四四万人、八二年三六八万人、九〇年三六〇万人と倍増し、その出身国も変わっていったのである。戦前から六〇年代まではヨーロッパ人だったが、イスラム系を含んだマグレブ出身の第三世界型移民が増加し、それにアジア系難民も加わり、九〇年代を迎えたことになる。
これらのフランスにおける移民、難民、マイノリティ状況を前提として、『憎しみ』(La Haine)という映画は成立している。まずはビデオ用に記されたこの映画のシノプシスを示そう。『8Mile』のものと同様に、作品理解と紹介に関して、適切かどうかは割り引いて考えるにしても、これも映画に対するひとつの見方でもあるので、全文を引用してみる。
バンリュー。それは華やかなパリからは想像もつかぬ、疎外された人々の集まる都市郊外。社会への憎しみと軽蔑の悪循環で、やりきれない鬱憤に包まれたスラム街。
そのバンリューで深夜、怒りの頂点に達した若者たちが暴動を起こした。一夜が明けて、警官の厳重な監視下、サイード、ヴィンス、ユベールの三人の手持ちぶさたな朝が始まる。
しかしヴィンスが暴動の際に警官の拳銃を偶然拾っていたことから、彼らの憎悪は勃発の危機を孕むようになる。再発しそうになる暴動で、友人の死を知った駅ビルで、スキンヘッドにからまれたパリの街角で…。あらゆるところで拳銃は銃口を光らせ、彼らの憎しみを背負う。
それは落ちた社会の話。落ちていきながら何度も確かめた。ここまでは大丈夫、ここまでは大丈夫…。大切なのは落下ではなく、着地だ。暴動が明けて24時間後。社会が生んだ偏見と矛盾は、三人にどんな運命をもたらすのか。
ここでの「バンリュー」とはフランス語の郊外である。この映画は暴動の場面から始まっている。警察と対峙する男が叫んでいる「人殺し 丸ごしの俺たちを撃つのか」と。郊外の「シテ」、ミュゲットで暴動が起きたのだ。それは刑事が郊外の青年に尋問し、怪我をさせたことが発端だった。映画で「公団都市」と訳されている「シテ」=cité とはフランスの高度成長期である六〇年代から八〇年代にかけて、都市郊外に建設された広大な公営団地をさしている。それはHLM(habitation a loyer modéré)=低家賃住宅とも呼ばれ、その住民は主として移民労働者で占められている。つまり移民たちはビドンヴィル→仮住い団地→HLMという住居形態をたどってきたのだ。
しかし八〇年代以後の新自由主義とグローバリゼーションの流れにそった海外への工場移転や雇用の不安定性によって失業率が高まり、それに貧困と人種差別なども加わり、郊外の「シテ」は八〇年代から暴動のトポスとして繰り返し語られ、「郊外の危機」を浮かび上がらせてきた。
それらを通じて、郊外と警察は対立するようになり、住民に対する警察の人種差別、監視と暴力はエスカレートし、住民の絶えざる暴動や反乱を引き起こしてきたといえる。そのようなドラマのひとつが『憎しみ』であり、九〇年代以後のフランスにおいては、同じように郊外をテーマとする映画が多く撮られているようだ。
『憎しみ』の主人公の三人の若者はアラブ系のサイード、ユダヤ系のヴィンス、アフリカ系黒人のユベールである。三人は翌朝になって、テレビで映し出されている昨夜の暴動を見ていう。「あれはサツとの戦争だったんだぞ」、「こんな所で腐った生活はうんざりだ」と。さらに警察にとって守るべき市民は都市の住民で、俺たち郊外の人間は市民とみなされていないし、マスコミもまたサファリパークや動物園を車で回ったような報道をしていると不信感が表明される。そうして繰り返しテレビのその場面が挿入される。
それらのセリフは物語の基調底音に他ならず、反復される暴動の場面はそれが「サツとの戦争」だったと同時に、まさに一夜の祝祭であったかのようで、ヴィンスが入手した拳銃とは戦利品を意味していると考えていい。それは前夜の暴動の象徴でもあり、その余韻の世界をこれから再生しようとしているように見える。そしてサイードという命名は『オリエンタリズム』の著者がパリ郊外の「シテ」へとやってきたのではないかと思わせるのだ。
郊外のHLMの日常も映し出され、アジア系の営むコンビニHLMでの露店販売や薬物取引、ダンスに興じるシーンなどと重なる警官の巡回も取りこまれている。それらを後にし、ヴィンスたちは拳銃を携え、パリへと出ていく。「世界はあなたたちのもの」という標語が目に入る。
しかし「シテ」を離れ、パリで彼らが発見するのは、都市と郊外の絶望的なまでの差異と断絶で、そのことで暴動の余韻は溶解してしまう。そして「憎しみ」はそのまま残りながらも、再び郊外の日常の物語へと収斂していくことを予感させ、映画は終わる。ただそこからは林が引いていた郊外第二世代の歌手の「もろく、くるしい人生なんだ/みんな郊外そだちさ」というルフランがきこえてくるようだ。
なお堀江敏幸の『子午線を求めて』(思潮社)によれば、この映画の当初のタイトルは『市民権』(Le droit de cité)で、これは「団地の権利」とも訳せる意味深長なものであり、そこに彼はこの映画における団地の現実的共生と複合的な郊外の声の表出を指摘している。