前回、E・ハワードがベラミーのユートピア小説『顧みれば』の影響を受け、『明日の田園都市』を著し、最初の田園都市レッチワースの開発に取り組んでいったことを既述しておいた。そしてベラミーの影響もさることながら、フェビアン協会の社会主義やクロポトキンのアナキズム思想も同様ではないかという推測も記しておいた。エンゲルスの『住宅問題』(村田陽一訳、国民文庫)に関してはいうまでもないだろう。
また私は二〇世紀前半のアメリカのスーパーヒロインにしてアナキストの『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)の訳者であるので、エマが一八九五年と九九年にイギリスを訪れ、クロポトキンを始めとする多くの人々に会っていることを知っている。それはいうまでもなくハワードの著作が出版された同時代でもあり、それらの人々の中に『明日の田園都市』に出てきたり、あるいは関係が深いと考えられる人物を見出すことができる。
これらのいくつもの事実から考えると、ハワードの田園都市計画はトマス・モアを起源とするユートピアビジョン、それに連なるフーリエ、サン・シモン、オーエンの系譜、同時代の社会主義やアナキズム思想などをベースにして成立したと見なしても間違っていないだろう。
しかし当然のことながら、このような同時代の革新思想に基づくコミュニティ運動としての田園都市計画に疑念を抱く伝統的保守主義者たちも確実に存在していたはずだ。その一人は後に『ブラウン神父の童心』(中村保男訳、創元推理文庫)に始まるブラウン神父シリーズを書き継いでいくG・K・チェスタトンであり、彼は国教派からカトリックへ改宗しているけれど、一貫してキリスト教の伝統主義によっていたとされる。
チェスタトンは『自叙伝』(吉田健一訳、春秋社)の第六章「幻想的な郊外」において、新しい郊外住宅地ベッドフォード・パークに言及している。
ちょうど日が暮れかかっていて、その時だったと思うのであるが私は灰色をした景色の向うに夕焼け雲の一片とでもいうようにベッドフォード・パークの奇妙に人工的な感じがする村を見た。
(中略)今日極めて当り前になっているものがその当時は何か奇抜に見えたのを説明するのは難しい。そういう人工的に変わった感じがするものは今日では変わっているとさえもいい難いのだが、その当時はどこか変でさえあった。ベッドフォード・パークは確かにそこに住む人たちが目標の一部に掲げていたものに見えた。それは外国人に近いものにみられている芸術家たちの部落であり、世間から迫害された詩人や画家の隠れ家であり、彼らはそこの赤煉瓦の迷路に潜み、世界がベッドフォード・パークを征服する時にはその赤煉瓦を盾に死ぬはずだった。しかしそういう無意味にも思える意味では今日では世界のほうがベッドフォード・パークに征服されている。(中略)ベッドフォード・パークでのこの美学の実験は当時まだ始められて間もなかった。そこの生活には確かににそれだけで独立して行ける生活共同体的なところがあってそこに専属する店や郵便局や教会や宿屋が出来ていた。
このベッドフォード・パークの芸術家たち以外の住民は、名高い歴史家ヨーク・パウエル教授、世に知られたケルト学者トッド・ハンター博士、最大の詩人イェイツ、ジョン・ハンキンのような正統的無神論者などで、「偉い人たちが偉そうにでなく静かに暮らしていた」。それゆえに「この共和国については何か芝居がかっていて夢と現実がごっちゃになっているような、一部は空想で一部は冗談なのだという気がしていたが、それでもそれは単なるまやかしではなかった」。
ここで補足しておけば、チェスタトンのいう「幻想的な郊外」とは、宮台真司の『まぼろしの郊外』(朝日文庫)や越智道雄の『幻想の郊外』(青土社)で示されている現代の郊外とニュアンスが異なっている。それはチェスタトンもふれているように、ベッドフォード・パークの象徴ともいえるイェイツが神秘主義に傾倒し、神智学とブラヴァツキー夫人に魅せられ、『幻想録』(島津彬郎訳、ちくま文庫)を刊行し、また英国心霊研究協会や「黄金の夜明け」教団に加わったりしていることを示唆している。それらについての詳細は、ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(和田芳久訳、工作舎)などを参照されたい。
またチェスタトンは自分も参加したベッドフォード・パークの討論クラブI・D・Kを取り上げ、この頭文字の意味について、神智学者たちは「インドの神秘的な輪廻」(India’s Divine Karma)、社会主義者たちは「個人主義者を蹴飛ばせ」(Individualists Deserve Kicking)と見なし、外部に対しては「知らないんです」(I don’t know)と答えていたエピソードをも披露している。これらはベッドフォード・パークの「何か芝居がかっていて夢と現実がごっちゃになっている」事実を告げている。
このベッドフォード・パークは「中流階級のユートピア」のサブタイトルが付された片木篤の『イギリスの郊外住宅』(住まいの図書館出版局、星雲社)にも紹介されている。片木はこれがハワードの田園都市提唱以前の「中流階級と住宅復興運動」の一環として、一八七五年に建売業者によってロンドン近郊の鉄道路線沿いに開発されたイギリスで最初の郊外住宅地だと述べ、十ページ以上にわたって写真や設計図などを示し、ピクチャレスクな言及となっているので、チェスタトンの「幻想的な郊外」としてのベッドフォード・パークの一端をリアルに浮かび上がらせている。
しかしここで重要なのは片木も指摘しているように、このベッドフォード・パークこそがチェスタトンの特異な長編ミステリー『木曜の男』の舞台と背景に他ならないことだ。これまでほとんど注視されていないが、この小説には「A Nightmare」=「ある悪夢」というサブタイトルがあり、南條竹則の新訳『木曜日だった男』(光文社古典新訳文庫)はその「一つの悪夢」を表紙タイトルに適切に添えている。
ただこの南條訳は書き出しの“The suburb of Saffron Park lay on the sunset side of London, as red and ragged as a cloud of sunset”の「suburb」が「一画」となっているので、本連載のテーマと目的からすれば、残念ながら吉田健一による旧訳で、郊外の物語として翻訳されている『木曜の男』を採用するしかない。吉田訳は次のように始まっている。
ロンドンのサフロン・パークという郊外は、ロンドンで日が没する方に、夕日の光を受けた雲と同様に赤く、きれぎれになって広がっていた。そこの建物はみなまっ赤な煉瓦でできていて、建物が空に描く輪郭はおよそ奇妙なものであり、この郊外の平面図も決してまともなものではなかった。(中略)それでこの郊外が芸術的な感じがする住宅地(中略)、それがいかにも居心地のいい場所であることは疑いの余地がなかった。ここに並んでいる風変わりな赤煉瓦の家を初めて見たものは、そんな家に住んでいる人間はずいぶん妙なかっこうをしているのではないだろうかと思った。そして実際に会ってみて、この期待は裏切られなかった。この郊外は居心地がいいばかりでなく、そこを一種のごまかしと考えずに、一つの夢と見るならば、まったく申し分がなかった。そこに住んでいる人たちが芸術家ではなくても、その辺全体が芸術的だった。
このように描かれたサフロン・パークはまさにチェスタトンが「幻想的な郊外」で取り上げたベッドフォード・パークに重なり合うもので、サフロン・パークとはベッドフォード・パークだと断言してもかまわないだろう。
このサフロン・パークに二人の詩人が現われる。一人はアナキズムを唱えるルシアン・グレゴリー、もう一人は法律と秩序に味方するどころか、世間体をも尊重するガブリエル・サイムである。二人は秩序と無秩序、及びその立場をめぐる論争の果てに居酒屋に出かけ、個室に入って飲んでいると、テーブルが回り始め、二人もろとも昇降機のように地下へと落ちていった。そして明かされる二人の実際の姿、アナキズム秘密結社を支配する議長の「日曜」から「土曜」までのメンバーたち、「木曜」となるサイム、それに続いて次々に暴露されていくメンバーたちの正体と相まって、物語はサフロン・パークでの予想もしなかった結末へと進んでいく。
その言い回しと逆説の使用はチェスタトン特有のプロット展開と不可分で、「幻想的な郊外」に垣間見られていたさまざまな近代思想と歴史的事柄、それらに対する疑念や共感が散りばめられ、討論クラブの頭文字の多様な意味に象徴されるように、チェスタトンならではの幻想的冒険的なミステリーに仕上がっているといえよう。
この『木曜の男』に対してはチェスタトン自らが「探偵小説弁護」(別宮貞徳訳、『棒大なる針小』所収、春秋社)に記している言葉を引用しておくべきであろう。それは次のようなものだ。「探偵小説の主人公がロンドンの街をさまよう時、さながら妖精の国をさすらう王子の孤独と自由がそこはかとなく感じられるではないか。一瞬先には何が起こるのか、予測もつかぬこの放浪……」、「探偵だけがただひとり独創的にして詩的なる人物なのだ」。
したがって『木曜の男』は、チェスタトン=「探偵」がベッドフォード・パークのような「風変わりな郊外」と出会ったことで生まれた「探偵小説」だと見なすこともできるであろう。