雲井龍雄 「遣悶」 

ひさしぶりに、雲井龍雄の詩をタイピングしてみた。
やっぱり、雲井詩は最高と思う。




「遣悶」  雲井龍雄


縦令不有抜山力   縦令(たとひ) 抜山の力あらざるも
男児寧無椎秦寔   男児 寧(いずくん)ぞ 椎秦の寔(まこと)無からんや 
傷時憤俗非好事   時を傷み 俗を憤るは 好む事に非ず 
丹心元欲報皇国   丹心 元(もと) 皇国に報ひんと欲す
皇国英風尚未堕   皇国の英風 尚(なほ) 未だ堕ちず
醜慮何敢許縦恣   醜慮 何ぞ敢へて縦恣(ほしいまま)なるを許さん
天津之鑑素非遠   天津の鑑 素(もと) 遠きにあらず
城下之誓古所耻   城下の誓(ちかひ)は 古へより耻(は)づるところ
君不見大和疇昔全盛時  君見ずや 大和の疇昔(ちゅうせき) 全盛の時
雄気赫赫威四夷   雄気は赫々(かくかく)として 四夷を威するを
思之撫剣空鬱勃   之を思ひて 剣を撫で 空しく鬱勃たり
霜寒羽陽城外月   霜は寒し 羽陽城外の月



(大意)


たとえ、山を動かすほどの力はないとしても、
男ならば、張良が秦の始皇帝を討とうとしたように、強いものを恐れずに立ち向かう勇気がなくてどうしようか。
時勢を悲しみ、俗世のありかたを憤ることは、べつに私の趣味ではないし、好んでそうしているわけではありません。
真心から、この日本の国を愛し、その恩に報いたいと思っているだけのことです。
日本のすぐれた気風は、まだ地に落ちてしまったわけではなく、今も存在しています。
ですので、心の醜い人々の勝手にはさせません。
アロー号事件によって清が英仏連合軍に屈服させられた天津条約の事例は、遠い対岸の火事ではありません。
敵軍に屈服することは、昔から恥とされることです。
君は見たことはないと言うのでしょうか、
日本が昔、全盛の時には、
その勇気や雄大な気概がめざましく、四方に輝いていたことを。
そのことを思い、剣を撫でれば、心のうちに空しく熱い思いがかけめぐります。
ふと眺めれば、米沢城の上にかかる月が、霜を照らしています。

雲井龍雄 「述懐」(慷慨…)

もう一つ、雲井詩をタイピングしてみた。

雲井には、いくつか「述懐」と題する詩があるが、この詩も良いと思う。




雲井龍雄 「述懐」(慷慨…)


慷慨如山見死軽   慷慨 山の如く 死を見るは軽(かろ)し
男児生世貴成名   男児 世に生れて 名を成すを貴ぶ
時平空瘞英雄骨   時 平らかにして 空しく瘞(うず)む 英雄の骨
匣裡宝刀鳴有声   匣裡(こうり)の宝刀 鳴って声あり



(大意)


時勢を悲憤慷慨する気持ちは山のように大きく、義のためならば死ぬこともいとわない気持ちだ。
男ならば、この世に生れて、なにがしかこの名を轟かせることを名誉と心得るべきである。
時勢は(本当はそうではないのに)静かに収まってしまい、英雄的な奮闘をする機会もなくむなしくくすぶっている。
箱の中にしまった刀は、本当はカタカタと鳴って声をあげている。
(そのように、私も決しておとなしく飼いならされたりはせず、再び本当の義のため、この腕を振るう機会を待っているし、そのための気概は満ち満ちている。)

真鍋 繁樹 「義なくば立たず―幕末の行財政改革者・村田清風」

義なくば立たず―幕末の行財政改革者・村田清風

義なくば立たず―幕末の行財政改革者・村田清風


村田清風の生涯を描いた歴史小説
すばらしい小説だった。
読みながら、胸が熱くなることしばしば。
ぜひ多くの人に読んで欲しい名著である。


村田清風は、江戸後期の長州藩の改革者。
当時、長州は年間収入の二十二倍の借財を抱え、財政は破綻寸前。
そのうえ、相次ぐ藩主の夭折や、天災、そして天保の大一揆と、絶体絶命だった。


その時に、藩政を担い、多大な辛苦の末に見事に財政を立て直したのが村田清風だった。


この小説では、藩政を改革するまでの村田清風の生い立ちや人間としての成長や、幾多の困難にもめげずに立ち向かう、清風の本気の取り組みを、とてもわかりやすく読みやすい筆致で綴っており、清風についてよく知らない人が読んでもきっと感動させられることと思う。


幕末の長州藩の活躍は、ひとえに村田清風がすでに立て直した強い財政と改革の成果があったればこそだった。


清風が、徹底的な倹約や無駄な歳出の削減を行うのと同時に、教育には反対意見を抑えて多大な出費もいとわぬ充実のための施策を行い明倫館を身分を問わぬ施設として拡充したことや、外国の脅威を予見して軍制改革や軍備充実に努めたことなど、その先見の明にはただただ驚嘆する。


また、今日の山口の特産品となっている品々のほとんどは、村田清風が行った殖産興業でつくられたものだそうで、積極的に産業を興し、それによって財政を立て直したところなどは、単に増税や倹約だけではない、非常にすぐれた先見の明と能力を感じる。

さらに、修補制度という、今でいう「新しい公共」のような民間の相互扶助組織を藩主導でつくっていたことなども興味深い。
特に「育嬰修補」という、今でいう子ども手当のような仕組みをつくり、当時多かった間引きや人口減を防いだというのもすごいことだ。


日本の奇跡は明治維新であり、明治維新の奇跡は長州によったとも言えるが、長州の奇跡の淵源はひとえに村田清風によったとも言えるかもしれない。


今の日本も未曾有の国難を抱え、そのうえ深刻な財政状況であり、本気本腰の改革を断行しなければどうにもならないが、その際に最も思い出されるべきこと村田清風の生涯かもしれない。


長州が瀕死のどん底から村田清風の改革によって立ち直り、日本を牽引し明治維新の奇跡を成し遂げたように、


今の日本も、もし村田清風のような改革を本気になって実行できれば。
その有無よって、日本の将来は左右されるのではなかろうか。

池上彰のこれでわかった!政治のニュース

池上彰のこれでわかった!政治のニュース (JBシリーズ)

池上彰のこれでわかった!政治のニュース (JBシリーズ)

わかったつもでいるいろんな政治に関する用語を、あらためてとてもわかりやすく解説してくれていて、

「へえ〜!そうだったのか〜」

と思わされること多々。

政治について詳しい人も、あんまり詳しくない人も、どちらが読んでもあらためてためになる本じゃないかと思います。

スマナサーラ長老 「ブッダの集中力」

ブッダの集中力―役立つ初期仏教法話9 (サンガ新書)

ブッダの集中力―役立つ初期仏教法話9 (サンガ新書)


とても面白かった。

集中力には、善い集中力と悪い集中力があること。

理性による集中力が善く、感情による集中力はしばしば問題があること。

マインド・コントロールは悪い集中力をコントロールするもので、世の中にそうしたものは多く溢れているが、もともとの釈尊の教えは一切そうしたものと異なり、理性的な善い集中力を合理的に説き明かしたものだったこと。

などなど、ほお〜〜っと感心させられた。

私も、なるべく善い集中力を高めるように、日々心がけよう。

「集中力は楽しい」ということも、なるほどっと思う。

手にとって読んでみて本当に良かった。

山口 彊 「生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言」

生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言

生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言


すごい本だった。

著者は、広島で被爆し、言語に絶する地獄の中をかろうじ生き残り、故郷の長崎にたどり着いたところで再び被爆した、いわゆる「二重被爆」の体験者。

その体験談もすごかったが、それと同時に、この本は著者の山口さんの生い立ちや人生について書かれた、人生の書としても、とてもためになる貴重な本だと思う。

少年時代からの体験を通した戦前の日本の空気の変化やそれに対する洞察などは、とても興味深かった。

あらゆる困難や悲しみを乗り越え、黙々と自らつとめて、九十三年の人生を生き抜いた山口さんの、生きる力の強さには本当に驚嘆される。

自分の心は自分のもの。
それが「生きる力」。

そう喝破し、「ただ生きる」ことに専念し、目前の現実を認め、ただそれに対応することに集中してきたという山口さんの生き方は、とても大事なことを教えられる気がする。

「本人の意図を無視し、自由を押さえつけようとする力」と闘うことの大事さも教えられた気がする。

原爆体験ということと同時に、ひとつの自伝としても非常にすぐれた、多くの人に読まれるべき本ではないかと思う。

以前、たまたまテレビで山口さんを見て、そのまなざしが気になり、いつかそのメッセージをきちんと受けとめたいと思っていた。
この自伝を読むことができて、本当に良かったと思う。

池澤夏樹 「憲法なんて知らないよ―というキミのための「日本の憲法」」

憲法なんて知らないよ (集英社文庫)

憲法なんて知らないよ (集英社文庫)


「国を動かす基本の力は国民みんなが持ち寄って生まれるもの」

という近代政治思想のエッセンスを、著者は独自の日本国憲法の訳によってつかみだしている。

護憲・改憲の是非の前に、どちらの立場に立つにしろ、このエッセンスは大事だと思う。

その点で、なかなか面白い試みの本だったと思う。

憲法を自分の言葉で語ろうとし、語りなおすということは、仮に改憲の立場に立とうと、あるいは護憲の立場に立とうと、どちらにしろ今後とても大事なことだろう。

サイード 「知識人とは何か」

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

久しぶりに読みなおしてみたら、あらためてとても素晴らしかった。

しばしば、心震える思いがした。

なかなか難しいのだろうけれど、このような精神的な構えを持って生きたい。

マチュアアウトサイダー、自由、代弁。

繰り返し、また時折読みたいものだ。

「知識人にはどんな場合にも、ふたつの選択しかない。
すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象(レプリゼント)されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか。」
(68頁)

「現代の知識人は、アマチュアたるべきである。
マチュアというのは、社会のなかで思考し憂慮する人間のことである。」
(136頁)

「今日誰もが、万人の平等と調和を語るリベラルな言語を発している。
となると、知識人にとっての問題は、平等とか平和といった考えかたをいかにして現実の状況と関連付けるかということになる。」
(152頁)

「知識人とは、きわめて偏った権力にこびへつらうことで堕落した専門家として終わるべきではなく、権力に対して真実を語ることができるような、べつの選択肢を念頭におき、もっと原則を尊重するような立場にたつ、まさに知識人たるべきではないか」
(156頁)

「知識人の思考習慣のなかでもっとも非難すべきは、見ざる聞かざる的な態度に逃げこむことである。
たしかに、いかに風あたりが強くても、断固として筋をとおす立場というのは、それが正しいとわかっていても、なかなか真似のできないことであり、逃げたい気持ちはわかる。」(160頁)

「いっぽうの側を善であり、もういっぽうの側を悪と決めつけるような分析は、真の知的分析においてはつつしむべきなのである。」
(189頁)


「だが、信念なり判断は、仕事によって、また他者との ―たとえば他の知識人たちとの、草の根運動との、継続する歴史との、一連の現実の生活との― 連帯意識によってはぐくまれるものなのだ。」(191頁)

筑紫哲也 「スローライフ 緩急自在のすすめ」

スローライフ―緩急自在のすすめ (岩波新書)

スローライフ―緩急自在のすすめ (岩波新書)


とても良い本だった。

筑紫さんが生きていた時は、ときどき「スローライフ」ということをnew23で筑紫さんが取り上げているのを見ても、あんまりそこまで興味を持っていなかった。
何を寝ぼけたことを、ぐらいに思っていた記憶もある。
しかし、今回きちんと読んでみて、とても考えさせられた。
スローライフ」ということは、とても大事なことだと思えた。

この本のサブタイトルは、「緩急自在のすすめ」。
筑紫さんは「自在」を「自(おの)れが在る」と読み下している。

つまり、世間の価値観や、とかく急かせる時間観に流されず操られず、緩急の中に己をしっかり持つこと、自分の価値基準や価値機軸をしっかり持つことを「スローライフ」と筑紫さんは呼んでいる。
グローバル化の中で、一元化される、一次元の価値観に対して、多元的な価値をめざし、価値を多様化し、自分にあった自分の価値観を築いていく、グローバル化への抵抗のすすめ。
独立自尊の現代ヴァージョンのひとつの表現が「スローライフ」ということらしい。
とても興味深く、考えさせられる提言だと思う。

そのための日本各地のいろんな地域や自治体の動きや、世界におけるいろんな動きについてもこの本の中でいろいろ言及してあって、とても面白かった。

「それで人は幸せになれるのか?」と、問うことが、本当に大事な時代や社会なのかもしれない。

アンゲロプロスの「時間を“奪う”か“味わう”か」という問いと表現はとても面白かった。
私も、時間をゆっくり味わえる人生を生きたいと思う。

「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」
という格言も、とても面白い、考えさせられるものだった。
ロハススローフードを、きちんとビジネスとしても採算がとれるように工夫している各地域や自治体の話が、なんとも生き生きしていて、興味を喚起させられた。

「大事なのは、私たちがどういう生き方を選択しようとするか、この地球のなかで生き続けるためにどこに価値を認めるのかなのである。」
(193頁)

この筑紫さんの言葉は、とても大事なメッセージだと思う。

個人にできること、またすべきことを、二つの“P”、つまり、プロテスト(抗議、異議申し立て)とプロテクト(守る、自分の身を守り、自分の大切な人々や社会を守ること)、と表現していたのも面白かった。

プロテストとプロテクトのため、そして自分自身が本当に納得のいく楽しい人生を生きるため、「スローライフ」ということは、「スローフード」や「スローインダストリー」をひっくるめて、21世紀にとって最も考えるべき、実践すべきことかもしれない。

筑紫さんが、スローライフを実践していくうえで、大事だと思う七つのことを挙げていて、それもとても興味深かった。

1)自発性こそが全ての出発点であり、命である。上意下達、機関決定、労組型の「動員」「日当」などをルールとしない。
2)ゆるやかな結びつきを組織原則とする。参加者ができる範囲で、割ける時間を使ってやれることをやる。
3)「小さいことは良いことだ」−少数派であることを肩身が狭いとか、恥だとか思わず、むしろ誇りにする。
4)他の「同好」グループとの結びつきは、「水平型」「ネットワーク型」を目指し、上部組織―下部組織の「垂直型」を採らない。
5)「正統性」に固執しない。自分たちがやっていることが大事で、正しいことだと信じないことには運動の活力は出てこないのはたしかだが、それが他者、他グループを非難、排撃する理由になってはならない。「富士山の頂上に辿り着くには、いろんな登山口がある」と思ったほうがよい。
6)寛容とゆとりを持とう。
7)「快」「楽」を最優先にしよう。いくら正しいことをやっていても、それが苦しげに見えたら多くの人の共感を集めることはできない。(中略)真の「ゆたかさ」とは「心ゆたか」であることであり、金、時間、空間の「ゆとり」は「心のゆとり」を得るための手段であることを示すことができれば、真の勝ち組はこちらであると言うことができる。そのためには、やっている当人たちが、それを楽しみ、おもしろがり、快いと思わなくてはならない。つまり、黒澤さんの言うように「もっと幸せに」なって見せることである。
そのために何を考え、何をしたらよいか。あるいは、してはならないか。

(205〜207頁)

とても良い、また繰り返し思いだし、味わいたい一冊だった。

「合衆国憲法のできるまで」

合衆国憲法のできるまで

合衆国憲法のできるまで

子供むけに書かれた本なのだけれど、とても面白かった。

独立戦争後、十三の「邦」(state)をひとつの国にどうまとめるか。
そのために、四か月も夏の暑い盛りを挟んで延々と激しく、深刻な、深い議論をした55人(からだんだん人数は減って42人になったが)の人々の様子が、ユーモラスに、生き生きと描かれていた。

会議が難航すると、議長のワシントンは、独立戦争の時の最も苦しい戦場と同じ厳しい表情でただ黙っていたらしい。

一方、マディソンは、終始しゃべり続け、他の発言のメモを取り続け、憲法制定のために八面六臂の活躍をしたようである。

フランクリンが馬車だと体が痛むと言って駕籠に乗ってやってきたというエピソードと、つまらない発言者の発言の時はすやすやと眠っていたというエピソードと、
そして、憲法ができあがった時に、この憲法は不完全だが、私も不完全な人間であり、ここにいる誰がもが不完全な人間です、どうかこの憲法を無駄にせず、我々のここでなされた議論を無駄にしないようにお願いしたい、という感動的な(?)演説をしたというエピソードが、なんだかとても心惹かれて、面白かった。

憲法ができあがった時の、フィラデルフィアのお祭りの様子も興味深かった。

さまざまな反対意見や困難を調整して、無事に議論によって憲法をつくり、建国に持っていったという点で、アメリカ建国の父たちの力量というのは、本当にたいしたものだと思う。

「建国」と言った時に、おそらく、日本のような自然発生的な国とはぜんぜん違う、制度への工夫や人間の人為的な努力へのイメージが、こういう本を小さいころから読んで育つアメリカ人にはおそらく強くあるのだろうなあと感じた。

アメリカのような人工国家がいいのか、日本のような長い歴史を持つ国がいいのか、というのは、一概には言えない話で、べつにその点ではアメリカをうらやましがる必要はさらさらないのだけれど、

ただ、「建国」という起点が明確で、人間の人為と創意工夫の歴史的イメージがはっきりし、政治への作為や努力の契機が国家の物語の中にビルトインされているという点では、どうしてもアメリカの方が日本よりも政治やデモクラシーには自覚的になりやすいような気はする。

日本は日本の歴史で良いと思うけれど、時にはアメリカの建国の父たちの物語を参照にして、国制への自覚的な態度というものを養ったりするのも良いのかもしれない。

日本も、伊藤博文らはかなりそうした意識はあったとは思うのだけれど、なかなか今もって、必ずしも日本人一般が、国制や憲法について自覚的な高い意識を持っているとは言えないのではないかと思える。

日本の子どもや大人こそ、読んでみたら面白いのではないかと思う一冊である。

金子みすゞ全集

金子みすゞ全集 (1984年)

金子みすゞ全集 (1984年)


読み終わって感じたことは、「天才」ということだった。


世の中には、たまにモーツアルトのように、圧倒的な天才を感じさせる人がいるが、金子みすずもそうだったとしか思えない。


この全集は、全三巻に分けて、金子みすずの512編の詩が収録されている。


金子みすずの詩は一見平明でわかりやすいので、ついつい軽く見て読み飛ばしてしまったり昔はしていたのだけれど、今回丹念に読み、また個人的にエスペラント語に翻訳しようとしてみて、ともかく舌を巻いた。


通常、詩というのはけっこう無駄なことばが多かったり、わかったりわからなかったりするような部分が多いのだけれど、金子みすずの詩はどれもとても明晰で無駄がなく、とても奥行きがあり、天才としか言えない圧倒的に豊かな詩の世界がどの詩篇にもある。


代表作を選んだ選集には必ずしも載っていないすばらしい作品がたくさん全集には入っているので、金子みすずファンは一度は手にとって読んでみることをオススメしたい素晴らしい全集である。

スマナサーラ長老 「なぜ悟りを目指すべきなのか」

私の場合、悟りを求める心がなかなか起こらないのだけれど、この本を読んで、読んだその瞬間は、預流果にできれば今生か順次生で達したいなぁと思えた。

でも、またすぐにそうした心を忘れてしまいがちなので、また繰り返し読んでみたい。

とてもわかりやすく、良い本だった。

スマナサーラ長老 「悩みと縁のない生き方 日々是好日経」

悩みと縁のない生き方―「日々是好日」経

悩みと縁のない生き方―「日々是好日」経


「いま、ここ」が一番大事ということ。

そのシンプルな真理を、とてもわかりやすく書いてくれている良い一冊。

私の場合、しょっちゅうそのことを忘れてしまっているので、何度も繰り返し、この本を読み、そして「日日是好日」経を読んでいきたい。