【幸福優位7つの法則】ショーン・エイカー著
  * 「幸福優位論」の総括 〜幸福優先の行きかたを!
 多くを考えさせられる内容であった。以前、「事業を始めるなら、まず有能の人を
集め、そのやろうとする事業計画の根底から作り直す作業が必要」と聞いたことがある。
目的に合わせ人を集めるのではなく、まず有能の人を集めることが先決。そして、前提の
事業計画案そのものから検討する。運のある人、明るい人、誠実の人、有能の人、どれも
これも兼備えた人は少ないが、選ぶなら暗い鞍馬天狗より、明るい丹下左膳が良い。
 『成功するから幸せになるのではなく、幸せな人間が成功をする!』の、成功も大切
だが、幸不幸は裏表である。幸せは、あくまで表面で、光の当て方、心の持ちよう。
その持ちように、7つの法則を使えばと説くため説得力がある。それには、長年かけた
習慣化が必要。 ありきたりだが、感謝、感動、感激、前向き、楽観の心根を持って、
日々を過ごすこと。その意味で、本人自身だけでなく、親としての責任にもなる。
 人生は、四苦八苦の連続。最期は、死を悟ると同時に、それまでの全ての人生と
匹敵するエネルギーを使って消えていく。 それまでは、幸福の心持で生きた方が良い。
「人間は生きているうち。死んでしまえば、それまで!出来るうちに、何事も楽しめ。
何ごとも前倒しをして、今を、楽しめ!」を、50代の10年間で実践して、本当に
良かったと実感する。 幸福『優位』というより、まずは幸福『優先』であった。
 一日一日、一年一年を、『幸福優先に生きるべし』が、現在の心情である。
『楽しんできて良かった!』と、心の底から言えるように、もっと焦るべきでないか。
「あの時、??してよかったのか?」「しないでよかったか?」 事と次第だが、
どうだろう・・ せっかくの人生、幸福優位で生きたいもの!少なくとも幸福優先で!
・・・・・・
4661,閑話小題 ー銀行ゴミ箱論
2013年12月20日(金)
 ーつれづれにー
* 自宅近くの長岡駅裏から東バイパスまでの大通り拡張工事が40年以上もかけ、
 そろそろ完成間近になってきた。その絡みの開発の一かんで比較的大きいSCが
完成して数年、近くの十数反の田圃が宅地の造成工事に入り、マンション数棟が
建ち始めてきた。そして近くの古い家が次つぎと壊され、新築住宅が目立ってきた。
自宅が、駅裏から徒歩10分の、ここに引っ越してきて50年になる。100M先
には十数年前に小型SCも出来て、500M先にも中型のSCと、非常に良い
住宅環境である。年齢を考えると、そろそろ小さな家かマンションに引っ越す
ことを考えなければならないが、あまりに居心地がよい。
* 「モノよりコト」を心がけ、物質的に高価のものは買わない方針だったので、
物理的には軽装備である。残ったものは、ほぼゴミとして処理してもよい物ばかり。
事業用不動産の購入や、箱物づくりはしてきたが、趣味的な高価のものを買った
記憶がほぼない。あの世に持っていけるのは「こと」だけ。それにしてもゴミが多い。
* 何度か書いたが、「何もする必要がない、敢えて何もすることがないのは、
何と気楽なことよ」を、日々実感している。今年の一年を一字の漢字で表現する
としたら『悠』。心身ともに、ひたすら自然の流れに身を委ねる経験は、初めて。
 40数年も、何をあくせくしてきたのだろうか。それでも時間だけは、装置事業
だったこともあり十二分にあった。そのため、フリーになっても身の処し方が
比較的余裕が持てている。 
* ミニ加湿器をネットで送料込1380円で購入したが、これが良い。
アロマの香りのする小さな湯気が、パソコンの横で香りと共に吹き上るのは、
何とも心が和む。冬で乾燥していることもあるが、これが有るなしでは大きな違い。
そこで、今度は居間で中型の加湿器が欲しくなるのが人情。
* 銀行のゴミ箱論は面白い。特に首都圏以外の地銀以下の銀行は、不良債権
抱えている?デフレから10数年で、地方は6割まで経済力が落ち、隠れた不良債権
山積みの筈だが、表だたない。いや、だてない。そこで、受け皿会社を探し出し、
融資付きで流し、そこだけミニバブルが発生、珍妙な現象になる。地銀や信金には、
不良債権と、米国債社債などの不良債権の山。これはゴミ。とすると、ゴミ箱の
たとえはマトを得てることになる。ご隠居になればこそ、言えることだが。
行員からすれば、「何を今さら!」だろう。
・・・・・
4296, 閑話小題 ー円滑法、終了の、もう一つの難題
2012年12月20日(木)
  * 円滑法終了の、もう一つの難題
 先日ニュースで、円滑法打ち切りで中小・零細企業の他に、23万人の個人の
対象者の存在を報じていた。この不況下で失業や賃金カットで住宅ローンなど
の返済猶予で支えられてきた個人が、円滑法の終了で窮地に立たされるという。
中小・零細の30〜40万社の他に、個人の住宅ローンも円滑法に適応されていた
ことを全く知らなかった。ということは、来春の更なる法律の順延の可能性が強く
なったということか。一年間の時限立法が二年も順延したのだから打ち止め!
の理屈もあるが、現実問題として政権交代したばかりの安部政権が、参院選挙前
の打ち止めは、どうだろう。これから先は常に、こういう問題が次々と起こって
くること必定。それにしても、現実に現れてきた津波の現象は凄惨である。
それも洪水が始まったばかり・・
   * 自民一強、ほか八弱!
 朝日新聞の記事に、「選挙結果は、一強八弱に」とあった。参院までは公明と
組み大人しくして、二ヶ月前辺りから、改憲を前提に政界再編製か維新の会との
連立の組み替えになるだろう。この憲法下では、領土問題などで近隣の国と対峙
は不利の状況であるのは周知の事実。これからは紆余曲折があっても相対的に
中国の力が強くなり、アメリカは衰退する。その中で日本は極端なアメリカ依存から
の脱却が必要になる。その為、保守本流に立ち返り、独自の軍事力を持つべき時節。
また、この政権交代地震対策と称した公共事業の利権争いが露骨に表面化する
ことになる。民主の自壊とはいえ、自民に議席の与えすぎ。三年もしないうちに、
公共事業過剰自壊内閣として、自壊するだろうが、誰も責任を取らない。
これを繰り返しながら国家は自滅していくのだろうか。 韓国の大統領選では、
政権与党の朴候補が勝ったが。
   * つれづれに
 恐慌か、戦争の可能性が高いと診ていた2012年も、あと二週間足らず。
このまま、何事も起こらず終わるのだろうか?何度も必ず起こると断言して
きたので、このまま何も起こらないと私の仮説が外れたことになるが、それでも
起こらないにこしたことはない。ただ不穏な感じはしてきたが。 クリントン
急性の病気で辞任するが、政治的に何かがあるのだろう。二期目のオバマ構想で
切られる前に辞めるのか、中東で何かが起きようとしているのを知り、急遽、
辞めるのか。時間がたてば分かることだが。
 ・・・・・・・
3921, 精神力ーその偉大な力 ー11
2011年12月20日(火)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * まず、自分を愛すること
【 うまく他人に処するということは、他人を使うのではなく、まず私ども自身を
 使うのです。その後、相互の健全な協力を望むことです。他人と協調するには、
まず自分自身を愛し、自分を尊く思わなくてはならない。自分自身を尊ばない人、
自分を非難し、自分を蔑む人は、その蔑みや非難を他人に投入するものです。
そのために、他人から抵抗や非難をうけます。誰も、自分自身としっくりいかない
限り、自分を尊び、自分を健全に愛さない限り、他人を愛することはできません。
まず、自分を愛し、その上で隣人を我々と同じように愛しなさいと、キリストは
言ったのです。 利己的な人は、自分だけを愛します。彼が他の人を自分と同じく
愛することを学べば、彼はもはや利己的ではありません。健全の自己愛は他の人と
協調します。強い、健康な、活力ある、自尊心に富む人格が、他人と最もよく
やっていけます。 強い人格の人が、最もよく人を助けるのです。・・
詩人R・ブラウニングは言いました。「真理はわれわれの内にある。あなたが
なにを信じようとも、外のものから、それが高揚されることはない。われわれすべて
には深奥の中心点があり、そこで真理が完全に住み場を得ている。そしてまわりは
壁また壁で粗雑な筋肉がそれを押し込んでいる」と。・・あなたの真の内部自己は、
知恵と威力を持っている。一度あなた自身を神性の実在として認めると、自分の
生活に方向をつけられると知られるでしょう。思考や態度や信念を通して自動的に、
体験のなかに善いものを持ってくるでしょう。・・私たちは習癖なしには生きて
いけないが、その奴隷になることもありません。習癖こそ召使いであるべきです。
私たちの中に建設的習慣を作りあげたとき、宇宙のエネルギーを得ることが
出来るのです。良い召使を多く持ちなさい 】
▼ まず自分を愛することが、人生の基本である。そのためには両親から愛情を
 充分に受けること。良い両親、家庭環境が必要条件になるが、充分条件ではない。
その人に両親のことを語らせれば、大方が分かるはずである。聞くに耐えられない
ことを言う人を度々見うけるが、自虐でしかないのが分からない。
この「まず自分を愛しなさい。そして同じように他人を愛しなさい」の箇所が、
いやに印象に残って、私の生き方を変えた。聖人を除けば、自愛なくして他愛は
不自然になる。ところが多くの人は、自愛なくして、他愛に気持ちが向かうため、
相手に拒否をされる。真の自愛がないのは自立してないということである。 
殆どの愛は突詰めれば、自愛の変容。強すぎるのも問題だが。 自愛のほど!
・・・・・                          
3556, 閑話小題  ―つれづれに                                     
2010年12月20日(月)
  * 朝の瞑想
 同月同日の10年間の随想日記の一部を、数日前から私のブログ
「バードウォッチ」に貼り付けている。字数制限があるので、毎日、カットを
しないと字数オーバーになる。これは、現在書いている文章が、つまらないと将来の
自分がカットするぞ!という警告になる。しかし、カットは身を削られる気分になる。
早朝5時過ぎに、前日に書きあげたテーマ日記の添削と仕上げ、そして以前書いた
9年分の文章を読み返し、カットする作業は、ある意味の瞑想になる。
独りで10年間の同月同日の自分の文章(エネルギー)に向きあうのは、
自分との出会いでもある。
  *「自分の人生が嫌になった、終わりにしたかった!」ー昨日のニュースよりー
 高校卒業して依頼、10年フリーターで職を変えていた男が、無差別傷害をした
動機が自暴自虐の、この言葉である。10年前位まで、ウォーキングをしていると、
明らかに精神を病んでいる20歳代半ばの男が自転車に乗ってブツブツ言っていた。
ところが数度に一度、自転車で向かってきて直前で避けたリ、寸止めをする。
その間合いが、絶妙で怒るに怒れないで、一切無視。10年以上、それが続いたが、
ある日から突然、姿が消えた。全国的に子供が襲われる事件が相次いだ時期からである。
その男が、誰かに聞いて欲しいのだろう「俺はジイサン、バアサンに潰された!」と、
呻きながら自転車で通り過ぎていった。いやに、その言葉が心の底に残っている。
数年前の秋葉原の無差別殺人事件が、両親の弄りすぎだった。知人の多くは、長男の
話をしたがらない。 嫁姑と同じく、人生の永遠の課題である。旧約聖書にもある。 
  * 勘違い
 自宅の敷地内にある貸家の屋根裏にハクビシンが騒いでいたという話題を、
ここで取り上げた。そこで朱鷺を襲ったのがハクビシンと勘違いをしてしまった。
ある人に、あれは「テン」と注意をされ気づいたしだい。それにしても、
何でハクビシンが敷地内に? 雉や山鳩が時々見かけられるのだから、ハクビシン
いても不思議でないが。そういえば数年前に熊も出た。鷺もいれば、鴨もいる。 
そうそう、変な布を羽織った類人猿もいる。
 ・・・・・・・・
3181、インコの話
 2009年12月20日(日)
 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた
猿が家に同居していた。猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、
互いに妥協?をして小桜インコを5代にわたり飼っていた。しかし子供二人が大学に
行ってしまい、誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 それと最後の
インコを寒さで死なせた罪悪感から飼うのを止めたのこともある。ところが三ヶ月ほど
前に、スーパーセンターの「ムサシ」のペット売り場で中型インコの「コガネインコ」
を衝動買いをして飼っている。 生後半年で、人に懐いている。近くに引っ越して
いった長男が、このインコを飼ってから必ず家に立ち寄り、世話をするようになった。 
本人に特に懐いていて、家内が言うには長男の車の音を聞き分けるという。 
ここまで人に懐くと情がうつるもの。買った時、そのインコを送り出す女店員二人が、
車まで籠にいれたインコをキャリアカーで持ってきてくれたが、何か寂しそうな顔を
していたのが印象的であった。「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、
籠の蓋を開けても外にでない臆病なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、
愛情がタップリあるので、可愛がって下さい」という。
(字数の関係でカット 10年12月20日
・・・・・
2816, 不況景色 −5
2008年12月20日(土)
 *貸し剥がしが、全国で吹き荒れ、そして大量倒産が一昨夜のNHKの
クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。
一般的には、銀行借り入れは短期と長期の組み合わせになっている。
短期は、半年とか1年で借り換えをするが、まずは、急激に悪化した企業には、
借り換え時期の貸し出しを断る。銀行の立場からすれば当たり前だが、物件持込など
銀行が持ち込んだ投資案件など、銀行に梯子を外されるケースも多い。長期も計画通り
返済できない時に、返せなかった部分を銀行が追い貸しをしながら企業の回復を待つ
ケースが多い。ところが今回の金融恐慌で、銀行も企業も体力が消耗して上に、
日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。レポートは、黒字を長年続けている
企業に突然、借り換え時に返済を要求してきたケースであった。その経営者は、何で
突然返済を迫られたか呆然としていた。当社のコンサルティングをしてもらっている
H氏が先日の酒席で「銀行の貸し剥がしについて、どう定義づけますか?」と問われた。
深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま答えたことは
「資金の切迫している弱みに付け込んで強引に資金回収すること」あるいは
「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。H氏曰く、
「償却後に利益を出している会社から一方的に資金回収すること」成るほど思ったが、
「それがホテルや製造業などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。
 (字数の関係でカット 11年12月20日
・・・・・・・・・・
2007年12月20日(木)
2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを15年間
主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、歳のため、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。若い人に良い言葉! 
・『辛いだなんて、格好つけるな』
・『嘘がいけないのではない。問題は、自分がどんな嘘をついているか知らないこと』
  *嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのに
 だいじょうぶな振りをしたり。わたしたちは、たくさん嘘をついている。
 そして、そのことに気がついていない。まるで、失神したまま生きているようだ。
・『やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと」
  *やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
・『可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん』
・『気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。
 いくらヘリウムガスを入れようと、それより重い砂袋をもっていては上がらない。
 いまもっているものを何ひとつ捨てることなく、気持ちだけ軽くなろうだなんて、
 ちょっとむずかしい。
・『あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 
 ヒトは、感じない振りをする』
・『誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから』
・『うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと』
・『楽しくない人生は、基本的に意味が無い」
  *毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
・『私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
  *それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から 
 抜け出さないのだろう
・『目標をひとつに決める勇気を持ちなさい』
  *私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、
 それ以外のものが手に入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。
 何かひとつでも、本当に達成できたらすべてが手に入るというのに。完全に
 なったから人に認められるわけではない完全になったから人に愛されるわけではない
・『いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人』
・『人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,
 確かに変わらないと思うよ』
・『天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
 あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい』
・『ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない』
ーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。考えること、
考え続けること、それが最も大事なことである。そのためには独りになる時間
を持つこと、問題から逃げないことである。今日を楽しむといったら、任せておけ!
と言いたいところだが・・・殆ど、私にとって当たり前のこと?でしかない?? 
いや、違うか??微妙なところだ!
・・・・・・・・
2006年12月20日(水)
 2087, 経験についての一考察 −2    b(^o^)dおっはようー♪
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。    
歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、良い
人生経験を重ねることが熟年として豊かな心で最後の光となる、云々と前回書いた。
経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。福田和也
「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分
をそのまま言い当てている。 ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を
「自分の真実を失うこと」だと書いている。自分の真実を失う、つまりこれが自分、
自分はこういう人間であり、そのように認識され規定を試みた人間として、
この世の中を見ているんだという、自信というよりも、自認と足場が崩壊し、
自己が自己として、自分に対して持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消
してしまうこと、それが経験なのだ。それは自分というのは、良くも悪くも、
この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間であり、どんな窮地
におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の
中で失われる、あるいは変わるということ。それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じて
いたような、立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持って
いないということを知り、その崩壊のあとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと
努力することが、成熟をするということに他ならない。
ーー
 以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。
これが「熟年という心象風景」かと、毎日のように内省する日々である。
経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が「薄汚れた軽薄な
馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。そのとき、中原中也の詩
「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが深く心に響いてくる。
挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、見下していた周囲を
見上げたときに初めて気づく真実の光景。そのとき、自分の価値観が根底から変化する。  
この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。熟年は、深く心の憂いが
霧になって取り囲んでくる。その中で独り飲むコーヒーの味も良いが!  

つれづれに

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  * 幸せについて ~つれづれに
 映画館でシネマをみても、家でテレビをみても面白いし、スポーツジムも充実
しているし、B級グルメを食べて、美味しいと満足できるのは、「幸せ本」を
読んできたためか・・ 美味い、面白い、楽しいと思えば、そうなってくるから
不思議である。昨日、借りてきたポジティブ本の中に、エッと驚いた内容があった。
<心理学者が調査をして驚くのが、意外と多くの人が幸せ!と実感していること> 
実は、私も何時の間に、「自分を不幸と思い込んでいる人が大部分」
と思い込んでいた。実際は、そうでないとあったが、私に聞かれたら『しあわせ』
と答えるし、実際にそうだ。しかし、第三者がみたら、私など不幸のどん底だろう。
人は、自分が見たいように対象を見ているだけ。ところが、実は自分も同じだった。
  
  写真をみて、修行僧と富豪どちらが幸せか分かりはしない。

ーー
 昨日のシネマは、『ホビット』の予定を急遽、変更して
邦画の『寄生獣』を見てきた。 何か、リアルで気持ちが悪すぎたことも
あり、評価は75~80点というところか。 でも、面白い。
 観客、私を含めて3人。 もう冬休みで学生が休暇に入っている割に
少ないということは、ネット上の評価が低いということか。
http://kiseiju.com/
http://video.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=1&oq=寄生&p=寄生獣+YouTube&meta=vc%3D
・・・・・・
2087, 経験についての一考察 -2
2006年12月20日(水)

        b(^o^)dおっ
         W(^O^)Wはようー♪
 
  10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。
     歳を重ねるとは経験を重ねることであり、それが成熟することであり、
     良い人生経験を重ねることが熟年として豊かな心で最後の光となる・・
     云々と前回書いた。
     しかし経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。
    
  福田和也の「成熟への名作案内」(PHP)に以下のような一節があったが、
    自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。

ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。
自分の真実を失う、つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、
そのように認識され規定を試みた人間として、この世の中を見ているんだという、
自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に対して
持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、
それが経験なのだ。

それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、
しくじっても、この範囲の人間であり、どんな窮地におかれても、
最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の中で失われる、
あるいは変わるということ。
それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。

だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、
自分から任じていたような、立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、
勇気も持っていないということを知り、その崩壊のあとになお、自分の姿を
見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
ーーー
    
    以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。
    これが「熟年という心象風景」かと、毎日のように内省する日々である。
    経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。

    ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、
   「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついたときの衝撃。
    そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」
    の悲しみが深く心に響いてくる。
    
    挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、
    見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく真実の光景。
    そのとき、自分の価値観が根底から変化する。
    この繰り返しの中で、人間の成熟が初めてもたらされる。
    
    熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。
    その中で独り飲むコーヒーの味も良いが!
                (⌒▽⌒)/"”さいなら!
 --
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察 -1
              オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、
 『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。

「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。
 
経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、
何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。

    経験そのものも貴重だが、それ以上に、
    そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
    バーナードショーは、
   「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、
    経験に対処する能力に応じてである」と、いっている。
    経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。

人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、
経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。
汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。
消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを                     (ノ≧ロ)ノ<天然のばかやろぉ~~~!!! 
               ( ̄(●●) ̄)フン!     
    経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
    それが文化・文明をつくり上げてきたのである。
    他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、
    自分の経験則に織り込むことが可能になる。
    これが「合理的・合理性」である。
    
    この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
    他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを
    痛切に後悔するようになる。

生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。
最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、
深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。

    石ころも混ざっているが!
    大したことがあるわけない人生、
    意味など今さら考えても仕方ないが。
    意味は、価値だろう、
    価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、
    自信がないから、裏づけが無いから、記億の修正のため、
    そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
    人間というものは!
             (人・・)それで(・・人)
                い~~いんじゃ~んない!
  経験は、先生である!
  先生の話は、よーく聞くべきだった!  
              (。^0^。)ノサイナラ!


・・・・・・・・
2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」

             才八∋_φ(・ω・`)゚+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 この数年は、殆んど月刊誌と週刊誌を買わなくなった。
  図書館で立ち読みをする程度だが、文芸春秋の新年号の新聞広告をみて
   思わず買って読んだが、それぞれなかなか含蓄がある。

    各界リーダー32人が選ぶ時代を読み解く
     三つのキーワーであるが、それぞれの人の文章が短いが鋭い。

丹羽宇一郎 ▼「改革・民営」「二極分化」「阿諛追従」                   
国谷裕子 ▼「格差」「サステイナブル」「ひとりの時間」
堺屋太一 ▼「まやかし」「あほらし」「あらまほし」
玄侑宗久 ▼「正義」「効率」「遊ばない」
大前研一 ▼「マルチプル」「ヒルズ族」「球団」
中西輝政 ▼「やさしさ」「安心」「構造改革
半藤一利 ▼「地獄の上の花見」「そこのけそこのけ」「ちんぷんかん」
堀江貴文 ▼「世界平和」「肉体と精神の分離」「宇宙」
山田昌弘 ▼「リスク」「格差」「希望」
渡遇恒雄 ▼「抵抗勢力」「ハゲタカ」「刺客」
前原誠司 ▼「ボランティア気質」「改革競争」「戦争責任の風化」
中曽根康弘 ▼「改革万能膏」「同情大臣劇場」「ナショナリズム感冒
阿川佐和子 ▼「脱力」「弱年化」「ボーダーレス」
玄田有史 ▼「改革」「極端」「振り子」
藤岡和賀夫 ▼「時代後れ」「インコンビニ」「絶滅危倶」
橘木俊詔 ▼「勝ち組・負け組」「少子・高齢化」「男女共同参画
秋山ちえ子 ▼「IT時代」「片仮名外国語」「インスタント食品」
茂木健一郎 ▼「偶有性」「スモール・ワールド・ネットワーク」「多重文脈性」
江上 剛 ▼「自力」「本業」「現場」
鈴木敏文 ▼「需要の飽和」「経済学から心理学へ」「ブレイク・スルー」
天外伺朗 ▼「パラダイム・シフト」「合理主義の破綻」「意識の成長・進化」
林 文子 ▼「団塊の世代交代」「女性の台頭」「男女協働」
山崎 元 ▼「給料階級」「ボーナス階級」「株式階級」
森永卓郎 ▼「構造改革」「自己責任」「自暴自棄」
佐藤俊樹 ▼「愚民どもー」「チルドレン」「ヒルズ族
中村うさぎ ▼「自分探し」「分身」「NANA
香山リカ ▼「カネ」「モテ」「バカ」
井筒和幸 ▼「靖国」「韓流」「パッチギ」
池内 恵 ▼「煮詰まり」「重石」「底抜け」
後藤謙次 ▼「改革」「ポピュリズム」「小泉劇場
片山善博 ▼「似非リフォーム」「鈍感」「基軸欠如」
車谷長吉 ▼「無関心」「好奇心」「おしゃべり」
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これを見ているだけでも、時代の潮流が見えてくるようだ。
 言葉として目新しいところでは、
ー山崎 元 の
  「給料階級」「ボーナス階級」「株式階級」ーである。
   なるほど、よく言ったものだ。
   ・「給料階級」ー給料しかもらえないサラリーマン階層
    ・「ボーナス階級」ーボーナスが出る階層
     ・「株式階級」ー株で一瞬、数億を稼げる階層というところか。
  ーー
  
 次回には、私の主観で選んだ幾つかの内容を紹介してみる。
              (。・o・。)ノ じゃぁ♪ o┐
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 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7

1969年 7月17日
神戸・垂水にて

この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。
一人に振り向けば、その人以外は全てに無視されるのが女性の職場である。
地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
また、声をかけてくる人は自分に自信がある人だ。
目的がなければ何人かが合格で?、毎日が楽しい日々だろう。
それでは何故ここまで来たのか、意味がなくなる。
それと、学生時代の女友達と比較してしまう。
妥協できない。
武澤先生のいう、学生時代に相手を見つけておくのが一番良い相手に
出会う確率が高い、というのがわかる。
ただ、決めてしまっていれば、今のような気持ちでなれない。
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7月18日

今日、堀田君と女性に関してお互いに誓う
『女性に関して、お互いに流されないようにチェックしてコントロールする。』
早く妥協してしまいそうだからだ。
彼も、動揺するような誘いが多いようだ。

全くもう、こんな異様な状況で神戸の元町のような場所に誘われて・・、
自分が自制できなくなる。
荷物は持たないことだ。
持ってしまってからではお終いである。
それにしても、神戸も綺麗なあかぬけた明るい女性の多い。
若い女性の中には、地方の特徴がそのまま出ている。
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8月9日

意のむくまま、文章を書いてみよう。
9月になったら、1~5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。
そこで自分を見直してみるのもよいだろう。

自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。
自分の目的が何だか解らなくなってしまう。

こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。

あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。
自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。

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2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。
読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の思いがでてくる。
35年前の反省をしても仕方がないだろうに。
おそらく死期を悟った時、昔のことが走馬灯の思い出され、反省と悔悟と、
反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒れるのだろう。

真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、
あせっている姿がそのまま文章に出ている。
当時の心の傷が、そのまま今も残っている。
心のままに書き残すことも大事なことだ。

それにしても、やはり異常な状況での体験であった。
20~40歳代は、誰もがこんなものか?
それとも、やはり?
人生は面白い!

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2003年12月20日(土)
990, 軽井沢の思い出ー2

軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。
麓から頂上まで一時間もしないうちに登れる山で、独りで何回か登った。
その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。

また別荘地の散策も面白い。
歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。
別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。
有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。
それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。

一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが流行った
ことがあった。
その金額で休日、軽井沢の日帰りコースとして丁度手軽だからだ。
別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、
軽く食事をして5千円で済ますのだ。

早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒーが
絶品だったことを思い出した。いま考えいてみると、何処の湧き水と最高級の
コーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気で、
そこのレストランが美味しい。

ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。
挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。

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2002年12月20日(金)
616,パタゴニア旅行記-3

パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見たビューポイントの左右の視界が270?も
あるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。

数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で
三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、
それがなんと数百キロの視界の景色を目の当たりに見たのだ。
世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。

秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがたまらない。
世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの
群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。

人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。
それと大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。
ほとんど時代の変化に翻弄されることなく地道に生きてきた逞しさからくる
ものであろう。

ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも
今回の印象であった。小さいテーブルマウンテンに似ている山の
岩壁に巣が多く作られていた。
ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが身近に多く見れた。
それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。

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2001年12月20日(木)
275、後回しー我が内なる無能性

後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。
後回しは半分以上やらないことだ。言葉の遊びになると思うが、
「さき回し」もあるはずだ。準備はそれに似ている。

夢を持つことは、一種のさき回しになる。準備はものごとを
上手くやる最大の秘訣である。成功の功はネルという意味だ。
練り上げ成すことが、成功という。
準備・計画の練り上げが最も大切だ。
計画の練り上げ内容でほぼ決まってしまう。
実行プロセスはあくまで、その手順レベルでしかない。

後回しはそのレベルと全く違う。ABC分析のCの後回しならわかる。
それ全て含めて後に回す。
無知無能の習慣パターンだ。わかっている、それが致命傷のなることを。
そして今までそれで致命傷に近い失敗をした。それでも後回しにしようとする。

今の日本の姿そのものがこれだ。ここにきても更に改革を後回しにしよう
のたうち回っている。戦後社会主義ー官僚体制主義から抜けきれずに。

決断の後回し、いや決定の後回しといっていい。後で後で後で人生終わってしまう!
「全て定年後といって内の亭主何にもしないの!」と家内の知人が言っていると
いう話を聞いたことがある。それの究極だ。ブラックジョークにもならない。