<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜ゲーム感覚でチャレンジ
≪ 2.ゲーム感覚でチャレンジ
 楽しいチャレンジしてますか? 「楽しいチャレンジ」と「重荷」の差は、
「大変でも楽しい」と思えるかどうか。子供の頃から母親に、「何かをやろうと
決めたら、楽しみになるまで集中すること。始めたら絶対に諦めないこと。
それとライバルを見つけて、負けないこと」と言われてきた。母は何事も、
それでやり遂げてきた。著者は暗闇の中で、幸福を満たすに、人一倍の苦労が
必要だったろう。 それを前提で、これを読み解くと、一言一言が胸に刺さる。
ゲーム感覚は、もう一人の冷静な自分を見つめる視点を持つことが可能になる。
 26歳から新規事業に向け動き始めたが、何もかもが初めてもあり、店にしろ、
ビルにしても、立上げは一通りの困難が次々と押寄せる。それを繰返すうちに、
事業とは、これらを解決するプロセスと実感できるようになる。ならば事業は、
困難解決プロジェクトとして、ゲーム化をし、楽しむことが、合理的で面白い
ことに気づくことになる。この随想日記も、15年数ヶ月、ほぼ、休んだことが
ないが、これもゲーム化で楽しんでいる。2〜3ヶ月に一度は、全くテーマが
浮かばず、呆然とする。問題は、ここから。 そういう時ほど、よい文章が
書けることを体験上知っているためか、どこか心に余裕がある。でなくては、
続かない。5年前の事業整理も、その一連をゲーム化をして楽しんでいる私が、
準備期間を入れた45年間の総括として割切っている私が、確かにそこに居た。
 そして、それを笑っている蓄群も、である。
〜以下は、やはり偶然だが、何故か、面白い繋がりになる〜
・・・・・・
4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45
2014年08月07日(木)
   * 面白かったという手応えが残った有難さ! 
 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の
再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助
の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 
経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。
先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で
《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 
逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。
 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを
ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に
なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書
を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。
それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識
へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟
のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。
最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? 
ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、
大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 
まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。
<倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき
決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から
得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが
短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い>
という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。
『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる>
<取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、
多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら
ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が
ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の
歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを
充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って
いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業
プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、
振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。
・・・・・・
5258,超人思想 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月07日(金)               
   * 超人思想      〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
 神のかわりに超人を置いた。ニーチェは「人がもつべき最高の価値観とは、
自己の人生を肯定する価値観であった。全てが無にきす中で、自己実現
成しとげたところで、何の意味があるかに対し、二つの解答ををしている。
一つは、充実した人生そのものにあり、そうした人生自体に生きる価値があると。
そして、もう一つは、すべては永遠の無に帰するのではなく、永劫回帰する、
というもの。時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前、起こった
ことすべてが、やがて再び巡ってきて、その後、同じことが繰り返されるとした。
 二ーチェの思想を簡単に要約すると、超人思想になる。 〜その辺りから〜
≪ 彼は多くの著書で超人について書き、超人の誕生について執拗に呼びかける。
たとえば、『生成の無垢』からその一部を拾ってみよう。
・「私の要求は『人間』という類全体に超然として存立する存在者を産出すること」
・「私の運動は超人を産出する」
・「私は孤独のなかへおもむいて、超人を創造した。そして超人を創造し終えると、
 私は超人に生成の大いなるヴェールを張りめぐらし、超人のまわりに
 正午の光を輝かせた」
・「人間は、動物と超人の間にかけ渡された一本の綱である。一つの深遠の上に
 かかる一本の綱である」
・「見よ、わたしは電光の一告知者であり、雲から落下する一滴の重いしずく。
 ところで、この電光は超人とよばれるのだ」
このような詩的な比喩を使ったもったいぶった文体のせいもあって当時の周囲の
人々、そして後世の多くの人が、超人は偉大だがどこか底知れぬ恐ろしさのある
人間、人間ではない英雄でありながら悪魔のような人間、あるいは万能の人間
というふうに誤解した。
 ニーチェの超人は従来の概念ではとらえきれないタイプなのだ。
しかし、多くの人はそのことが理解できずに、今まで見聞きしたことのある
手持ちのイメージをなんとかあてはめようとする。そこに誤解が生まれる。
彼は『生成の無垢』で超人についてこうも記している。
・「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!」
・「ギリシア人たちのように、人間をおのれ以上のものにまで高める」と・・
 単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」
・「人間は、超克されなければならないところの、何ものかである」(-2-8)
では・超克されなければならない人間とはいったいどういう人間のことか。
それは世間に馴れきっている人間のことだ。因習や世悶の道徳をそのまま受け
取り、世の習いに受動的であり、普通人と同じような行動をするのがまさしく
見聞に馴れきっている人間だというのだ。それは社会に適応しているということ
だし、一般的にはまとも庶民と見られる。・・・ ≫
▼ ニーチェは、この世こそすべてと考えた。ショーペンハウアーの、
 「この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではない」を退けた。
「人生を精いっぱい生き、可能な限りのもの、知識を得るべきだ」と考えた。
彼の最大の課題は、神が存在せず、意味のない世界で、人はどのように情熱を
持ち続けながら生きていけるのか、ということだった。そして、神にかわって、
超人をおいた。 欧米の価値観の底流を、そこに見ることができる。
・・・・・・
4526, 生きる悪知恵  ー5
2013年08月07日(水)             
  * 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが  
            「生きる悪知恵 」西原 理恵子 (著)
Q :  中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが
A :  ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生えるまで」。
 毛が生えたら自然と恥ずかしがり入らなくなります。吉田戦車のマンガに
あったけど、お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に
入ってくれなくなるまで「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり
味わわせてあげてくださいよ。娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。 
私も女子高だったんで、パパ大好き派の子いっばいいて、もう夜、パパの布団
に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。 そこまでいかなくても、
腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」
という家庭に比ぺたら天図みたい。ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子
がいるのに比べたら、どれだけいいか(笑)。ある意味、ぜいたくな悩みですよ、
好きなだけパパっ子にさせてあげてください。心配しなくても大丈夫。
毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。
中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 
・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。
▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、
「父と息子がツイッターをするとは 前代未聞」とのツブヤキが入って、
 やめたことがある。「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・ 
   * 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
Q :数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代
 の女性と同棲。妙にやつれてきました
A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな
 死に方じゃないですか。いがみ合ったり、寝たきりになったり、見たくない
ようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。そんな嫌な死に方するのに
比べたら、もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の恋なんだ
から、好きにさせてあげましょうよ。 何の問題もありません。
放っときゃいいんです、ハイ。  結論、腹上死したらラッキーと思え!
▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの
 精力が残っているなら、最上の幸せ!」
・・・・・・
4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。
そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を
思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか
の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
  ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が
はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。
どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは
食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも
残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 
王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが
あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に
流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は
もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの
犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地
に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短
の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層=
9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と
みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門高橋和巳著ーを
読んだが、これが面白い。
 ・・・・・・・
3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
  * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、
 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。
ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、
そのまま発達すればよかった。大本教出口なお天理教教祖の中山みきは、
そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと
いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、
シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱
ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングフロイト
対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 
 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、
 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他
 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる
 うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった
 ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。
 共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。
 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう
 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる
 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先
 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の
 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて
 いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり
 である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に
 なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を
 はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。
 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。
 ネット世界の出現こそカルト?
・・・・・・・
3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、
特集をしていた。といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、
許可を得ているのだろうが・・・ メモを持ってなかったので、頭のメモに
書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、
  金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。
* 幸福度は、学歴に正比例する。    
     【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。
     【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】
* 都会は、そうじて幸福である。    
     【これも残念ながら、本当。新潟市長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。 
    【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。
                   【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。
 【そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。 【最近、実感している】  
  以上だが、間違いがない。
▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブル
  する人は不幸になる。
   * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 
   * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
  この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 
  幸福論が好きだからだ。ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは
  人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、熱意を
  もって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。男性も女性も
  ほんものの愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなり
  プラスに転じる。」といっている。  
 ・・・・・・・・
3046,卒業40年周年か〜 −5
2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」
の中の検索で『奥野君』を入れたら、その当時の文章が出てきた。 これは一度
書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。この3000の随想日記は
私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚
している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
 ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き
残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として
40年の時空を超えて、当時の光景が昨日のように蘇ってくる。現在、日記を
「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くもの
はない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を
書き続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールに
なっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になって
 から疎遠になっていた。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観に
 ついて、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 
 見違えるように自信を持ったように見えた。男っぽくなったという言葉が
 ピッタシ。4時間ばかりして帰えった。もう彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えた
 かったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。
 聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ている。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。
 理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、
 一〜二ランク上の男を狙う。だから当時は妥協できなかったのである。
それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックスもあった。 
四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した
日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して
変わらない感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が1年前も50年
前も大して問題ではなくなったというイメージである。死期を悟った時に、
これがもっと強くなるのだろう。この時期の日記を読み返すと、当時は人生の
使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 
学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。

つれづれに

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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3046,卒業40年周年か~ -5
2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」
の中の検索で『奥野君』を入れたら、その当時の文章が出てきた。 これは一度
書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。この3000の随想日記は
私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚
している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
 ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き
残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として
40年の時空を超えて、当時の光景が昨日のように蘇ってくる。現在、日記を
「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くもの
はない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を
書き続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールに
なっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1~2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になって
 から疎遠になっていた。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観に
 ついて、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 
 見違えるように自信を持ったように見えた。男っぽくなったという言葉が
 ピッタシ。4時間ばかりして帰えった。もう彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えた
 かったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。
 聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ている。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。
 理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、
 一~二ランク上の男を狙う。だから当時は妥協できなかったのである。
それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックスもあった。 
四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した
日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して
変わらない感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が1年前も50年
前も大して問題ではなくなったというイメージである。死期を悟った時に、
これがもっと強くなるのだろう。この時期の日記を読み返すと、当時は人生の
使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 
学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。

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2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 -1
2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著
                      -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。
「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」を読んで、
世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、
力が入っている。 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。  
金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
 
まずはーはじめにー の以下の部分から
   ~~
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」
通りすぎるのを待つしかないのか? けっしてそんなことはない。ものは考えよう
であるいつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない
時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、この恐慌を逆手にとってひと財産
築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかない
と思うが、どうだろう。これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 
投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」
の登場を待っている気分に似ている。いま、金は、一九八○年の最高値一トロイ
オンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融
恐慌が本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。
わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、
ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。
いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。
普段はヘルメットをかぶって、地下二〇〇〇メートルの鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。
自らリスクを負った経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれ
にせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていること
だろう。 ~以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを
 次ぎの5つをあげている。
  ?サブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ?金融機関の倒産は、これからが本番
  ?ドルの転落
  ?原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ?「有事のドル」の伝説崩壊
~次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。

  ・・・・・・・・
2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ~

ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩
手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。幼少のときから父親に
大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて行って貰ったこともあり、ラジオの
大相撲放送を聞いたり新聞記事をみていた。私がみてきた50数年間の力士の中で
朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。他に強いのがいなかったこと
もあるが、それだけでない、あれは強い!
外国人に大相撲を開放した時、協会は文化の違いによる騒動は覚悟をしていたはず。
それも一人横綱ということで、朝青龍を協会の親方衆は極限まで我慢をしてきた。
しかし白鵬という二人目の横綱が出来たことで状況は変わった。それまでの
彼への我慢が爆発をしたのである。いや正論を言えるようになったのである。

あの気力と、瞬発力と、抜群の筋肉は日本人とは違う体質である。
その上に、ハングリー精神は現在の日本の環境では出来るわけがない。強いのは強い。 
それはさておき、入門時に相撲道の精神を徹底的に教えなかった協会に問題がある。
「大相撲は神事」が前提であり、その前提を守らなければ追放すればよい!
今回は追放が当然である。 迷っている方がおかしい。個人的には、戦後最強の
横綱には悪役としてでも残って欲しいし、若手力士の前に立ちはだかって欲しいが、
ここまでの好き放題は「神事としての相撲道にとって百害があって一利なし」である。

北の湖理事長の人間としての未熟さが、そのまま協会としての態度を甘くした。
さらに元朝潮の高砂親方が輪をかけて甘い。いずれにしても、引退は避けられない
事態である。何事もなかったように処理することこそが問題だが・・・
日本の部数トップ誌の読売新聞の一面トップ記事で「引退勧告」と書かれて、
誰が土俵に上がることができようか?外国人なら過去の因縁が無いからありうるか?

横綱審議会とかいう「(大)変な集まり」が、この場面の出番じゃない?のか。
保身で生きてきた各界トップの教養人達は、こういう時は沈黙を保つものだ。
何度も「辞めさせるべき行い」があった時に、殆ど口出しをしなかった。
今回は即刻「理事長と高砂親方の辞任と、朝青龍の追放を進言した上で、彼ら
全員が辞任すべきである。」 それが、当たり前。 何のために存在しているか、
それすらも考えられないレベル? どうなの??

しかし現在彼が辞めたら、つまらなくなる!
あの相撲にかける気合は、人間離れした稀有な存在であり、相撲にかける情熱は
尋常ではない。辞めるに辞められない、辞めさせるに辞めさせられない、てのは
何処かの首相と同じじゃない? これも文化・文明の違いによる相克か! 
おふたりの心の葛藤が直に伝わってくる・・・
一番好いときこそ魔がさすが・・・ 二人の共通点は進言する人物がいないことだ!
帝王学など有ろうはずは無いが、あるなら孤独にならないと!モンゴルに帰りたい?
帰ったら、辞めてから。 いや辞めれば、全てスッキリする。                   
                 ばいばい☆ヾ(=・ω・=)o
・・・・・・・
2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える-21
             ー読書日記ー
 第九章 ローマから日本が見える -1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた
戦前からの官僚システムが、共和制に酷似していることに唖然とした。
それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、そのじつ国民を
欺いている現状を鳥瞰できる。小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で
壊そうとしているだけマトモということか?
    
ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史が
この本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」に長けていた民族であった。
事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に
何度も成功したからこそ、ローマは千年の歴史を持つことができた。
本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。

・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王
「尊大な王タルクィニウス」が追放され、以降は一人の王に代わって、
執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた
 共和制体部の改革である。貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を
果たすため、政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。カイサルがその設計図を
引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。

 ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの
 「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った諸改革は、
数えればきりがない。ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の
補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。
    
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、
 ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムで
あっても、人間が作るいじょう、かならず欠陥を隠し持つという現実的な
感覚を、彼らは持ち続けた。
 
 ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の
宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で1000年以上も帝国を存続させた
システムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。
                            -つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年08月07日(日)
1587, NHK 受信料不払い問題

NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞
社説に丁度良いタイミングで、不払いの深刻な事態についての解説があった。 
現時点で900万件の未契約があるというから、今年の契約数3660万から
みると2割が受信料を払ってないことになる。不払いの理由は、一連の不祥事
に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが変質して、払わなくて済む
ものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わることが
ないだろうから、NHKにとって、大問題である。

以前『NHK不払い』について、この日記に書いたことがあったが、
そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、このHPを覗いていた。
大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、不払いをしたいのだが。
30?を越えたら真剣に考えるつもりである。

不払いに対する罰則が無い限り、歯止めは難しいだろう。有料制度にしたら、
半分以下になるのは私でも判断できる。いや3分の一か。罰則が無いのに、
今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、これからは
そうはいかない!深刻な存続の危機である。

時代は、民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換が必要だろう。
情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。
NHKも、この情報化の大波で漂流を始めた。恐ろしい時代になった。

この問題と郵政を重ね合わせると、NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している
立場になる。国営放送の時代ではない、完全民営化の変身しかない。 
公務員?は現在の十分の一でよい!!

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
ーーー
2005/01/31
1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。予算承認
という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。
しかし、今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようと
しても、今回のようなことになる。政治屋どもは国民の直接の批判がアキレス腱である。
あの??の二人が介入してないわけがない。

日本人は甘い。私もそのうちの一人だが。不払いが数?あまりしかないのが
合点がいかない。2~3割が不払いになるのが自然である。知人の銀行員が、
「不払いの手続きに多くの客が来ている」と言っていたが、それでこ僅か1?である。

NHKの歴代の会長の半分以上が不祥事の責任をとって辞めている。
島ゲジとかいわれた前の会長も不祥事で辞めている。
以前、何処かの秘境旅行で、NHKの偉いさんが夫婦で一緒だったが、
鼻持ちのならないエリート意識が漂っていた。

・・・・・・・
■《天声人語》 01月30日付
 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。
 NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。
 NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは
 思えないが、うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。

  波は、時に予想を超える振る舞いをする。その一つが「一発大波」だ。
  気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。
  普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた波を高い順に
  並べて、上位3分の1までの高さを平均した値に近い。  天気予報の波の高さも
  これだ。 しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。

  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、10階建ての
 ビル並みの37メートルだ。 1933年2月、大荒れの太平洋上で、米海軍の
 タンカー「ラマポ」が報告している。 巨船「NHK」は、これまでにないような
 高い波に囲まれている。視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは
 波は鎮まらない。 前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい
 船出が必要だ。

  この船は不沈船とも言われてきた。受信料という、他の船には無い永久固定燃料
 の供給があったからだ。今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。
 視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。
 かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。

・・・・・・・・・
1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日

長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。
この数年川向こうにも、観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に
「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、近畿ツーリスト
のシールが貼ってあった」とか。

この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって8月2日は満室だった。
それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。
バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。
その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。

京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、
花見をして夕方に京都を出発。やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。
それで一万円なのだから、価値は充分にある。その花火版ということだ。サッカーも、
最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。

趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く、安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、秘境?の地
アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも出始めてきた。
時代は、サービス化である。

・・・・・・・・
2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記

 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。
中小の経営者の知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。
潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。
webのアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。

 中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細
企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。
ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにする
ことが、もっとも大事であると思えた。新幹線で読んでいたら、隣席の人の
冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。
 
 20~30年の長期の投資物件を事業としている為、計画段階で最悪を想定して資金調達
をする。余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして、資金余裕を十分すぎるくらい持つ。
それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化
していくためだ。この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘。

連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で
判を押してしまう。連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷
な制度はない。先進国では日本だけだという。江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用している
ためだ。その連帯保証の断り方まで書いてある。

私は子供の時から両親に数百回も「保証人の請け判だけはするな!」「手形は切るな」
と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を口実に使え!
と書いてあったのに驚いた。「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。
「父か親戚が請け判をして倒産したのでこれだけはしないことにしている」でもよい。

実際に身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので、まずは断れないような
状況をつくる。次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。
詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・・・・・?
 
あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し
間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。いつも姑息の手を使うので有名な人
だが。その支店長もぐるかと疑ってしまった。金に切羽詰った人間は何でもするものだ。

 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』
という続編の本も出ている。いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を
出すような愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。

・・・・・・・・・
2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2

人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。
「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。
「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足を
していた。ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に
多いこと。これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。
親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、2~3年後に
実行するつもり」といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、自身の影
におわれているのだ。もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。

こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

   今日のYoutube

一昨日のシネマは、『ターザン』を観てきたが、80~85点というところ。
面白いことは面白いが、いまイチのところがあった。それでも30人は
入っていた。




・・・・・・
3046,卒業40年周年か~ -5
2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」
の中の検索で『奥野君』を入れたら、その当時の文章が出てきた。 これは一度
書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。この3000の随想日記は
私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚
している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
 ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き
残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として
40年の時空を超えて、当時の光景が昨日のように蘇ってくる。現在、日記を
「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くもの
はない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を
書き続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールに
なっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1~2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になって
 から疎遠になっていた。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観に
 ついて、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 
 見違えるように自信を持ったように見えた。男っぽくなったという言葉が
 ピッタシ。4時間ばかりして帰えった。もう彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えた
 かったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。
 聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ている。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。
 理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、
 一~二ランク上の男を狙う。だから当時は妥協できなかったのである。
それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックスもあった。 
四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した
日々だった。この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して
変わらない感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が1年前も50年
前も大して問題ではなくなったというイメージである。死期を悟った時に、
これがもっと強くなるのだろう。この時期の日記を読み返すと、当時は人生の
使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 
学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。

・・・・・・
2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 -1
2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著
                      -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。
「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」を読んで、
世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、
力が入っている。 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。  
金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
 
まずはーはじめにー の以下の部分から
   ~~
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」
通りすぎるのを待つしかないのか? けっしてそんなことはない。ものは考えよう
であるいつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない
時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、この恐慌を逆手にとってひと財産
築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかない
と思うが、どうだろう。これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 
投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」
の登場を待っている気分に似ている。いま、金は、一九八○年の最高値一トロイ
オンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融
恐慌が本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。
わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、
ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。
いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。
普段はヘルメットをかぶって、地下二〇〇〇メートルの鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。
自らリスクを負った経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれ
にせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていること
だろう。 ~以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを
 次ぎの5つをあげている。
  ?サブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ?金融機関の倒産は、これからが本番
  ?ドルの転落
  ?原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ?「有事のドル」の伝説崩壊
~次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。

  ・・・・・・・・
2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ~

ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩
手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。幼少のときから父親に
大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて行って貰ったこともあり、ラジオの
大相撲放送を聞いたり新聞記事をみていた。私がみてきた50数年間の力士の中で
朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。他に強いのがいなかったこと
もあるが、それだけでない、あれは強い!
外国人に大相撲を開放した時、協会は文化の違いによる騒動は覚悟をしていたはず。
それも一人横綱ということで、朝青龍を協会の親方衆は極限まで我慢をしてきた。
しかし白鵬という二人目の横綱が出来たことで状況は変わった。それまでの
彼への我慢が爆発をしたのである。いや正論を言えるようになったのである。

あの気力と、瞬発力と、抜群の筋肉は日本人とは違う体質である。
その上に、ハングリー精神は現在の日本の環境では出来るわけがない。強いのは強い。 
それはさておき、入門時に相撲道の精神を徹底的に教えなかった協会に問題がある。
「大相撲は神事」が前提であり、その前提を守らなければ追放すればよい!
今回は追放が当然である。 迷っている方がおかしい。個人的には、戦後最強の
横綱には悪役としてでも残って欲しいし、若手力士の前に立ちはだかって欲しいが、
ここまでの好き放題は「神事としての相撲道にとって百害があって一利なし」である。

北の湖理事長の人間としての未熟さが、そのまま協会としての態度を甘くした。
さらに元朝潮の高砂親方が輪をかけて甘い。いずれにしても、引退は避けられない
事態である。何事もなかったように処理することこそが問題だが・・・
日本の部数トップ誌の読売新聞の一面トップ記事で「引退勧告」と書かれて、
誰が土俵に上がることができようか?外国人なら過去の因縁が無いからありうるか?

横綱審議会とかいう「(大)変な集まり」が、この場面の出番じゃない?のか。
保身で生きてきた各界トップの教養人達は、こういう時は沈黙を保つものだ。
何度も「辞めさせるべき行い」があった時に、殆ど口出しをしなかった。
今回は即刻「理事長と高砂親方の辞任と、朝青龍の追放を進言した上で、彼ら
全員が辞任すべきである。」 それが、当たり前。 何のために存在しているか、
それすらも考えられないレベル? どうなの??

しかし現在彼が辞めたら、つまらなくなる!
あの相撲にかける気合は、人間離れした稀有な存在であり、相撲にかける情熱は
尋常ではない。辞めるに辞められない、辞めさせるに辞めさせられない、てのは
何処かの首相と同じじゃない? これも文化・文明の違いによる相克か! 
おふたりの心の葛藤が直に伝わってくる・・・
一番好いときこそ魔がさすが・・・ 二人の共通点は進言する人物がいないことだ!
帝王学など有ろうはずは無いが、あるなら孤独にならないと!モンゴルに帰りたい?
帰ったら、辞めてから。 いや辞めれば、全てスッキリする。                   
                 ばいばい☆ヾ(=・ω・=)o
・・・・・・・
2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える-21
             ー読書日記ー
 第九章 ローマから日本が見える -1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた
戦前からの官僚システムが、共和制に酷似していることに唖然とした。
それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、そのじつ国民を
欺いている現状を鳥瞰できる。小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で
壊そうとしているだけマトモということか?
    
ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史が
この本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」に長けていた民族であった。
事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に
何度も成功したからこそ、ローマは千年の歴史を持つことができた。
本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。

・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王
「尊大な王タルクィニウス」が追放され、以降は一人の王に代わって、
執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた
 共和制体部の改革である。貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を
果たすため、政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。カイサルがその設計図を
引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。

 ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの
 「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った諸改革は、
数えればきりがない。ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の
補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。
    
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、
 ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムで
あっても、人間が作るいじょう、かならず欠陥を隠し持つという現実的な
感覚を、彼らは持ち続けた。
 
 ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の
宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で1000年以上も帝国を存続させた
システムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。
                            -つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年08月07日(日)
1587, NHK 受信料不払い問題

NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞
社説に丁度良いタイミングで、不払いの深刻な事態についての解説があった。 
現時点で900万件の未契約があるというから、今年の契約数3660万から
みると2割が受信料を払ってないことになる。不払いの理由は、一連の不祥事
に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが変質して、払わなくて済む
ものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わることが
ないだろうから、NHKにとって、大問題である。

以前『NHK不払い』について、この日記に書いたことがあったが、
そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、このHPを覗いていた。
大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、不払いをしたいのだが。
30?を越えたら真剣に考えるつもりである。

不払いに対する罰則が無い限り、歯止めは難しいだろう。有料制度にしたら、
半分以下になるのは私でも判断できる。いや3分の一か。罰則が無いのに、
今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、これからは
そうはいかない!深刻な存続の危機である。

時代は、民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換が必要だろう。
情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。
NHKも、この情報化の大波で漂流を始めた。恐ろしい時代になった。

この問題と郵政を重ね合わせると、NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している
立場になる。国営放送の時代ではない、完全民営化の変身しかない。 
公務員?は現在の十分の一でよい!!

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
ーーー
2005/01/31
1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。予算承認
という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。
しかし、今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようと
しても、今回のようなことになる。政治屋どもは国民の直接の批判がアキレス腱である。
あの??の二人が介入してないわけがない。

日本人は甘い。私もそのうちの一人だが。不払いが数?あまりしかないのが
合点がいかない。2~3割が不払いになるのが自然である。知人の銀行員が、
「不払いの手続きに多くの客が来ている」と言っていたが、それでこ僅か1?である。

NHKの歴代の会長の半分以上が不祥事の責任をとって辞めている。
島ゲジとかいわれた前の会長も不祥事で辞めている。
以前、何処かの秘境旅行で、NHKの偉いさんが夫婦で一緒だったが、
鼻持ちのならないエリート意識が漂っていた。

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■《天声人語》 01月30日付
 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。
 NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。
 NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは
 思えないが、うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。

  波は、時に予想を超える振る舞いをする。その一つが「一発大波」だ。
  気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。
  普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた波を高い順に
  並べて、上位3分の1までの高さを平均した値に近い。  天気予報の波の高さも
  これだ。 しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。

  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、10階建ての
 ビル並みの37メートルだ。 1933年2月、大荒れの太平洋上で、米海軍の
 タンカー「ラマポ」が報告している。 巨船「NHK」は、これまでにないような
 高い波に囲まれている。視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは
 波は鎮まらない。 前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい
 船出が必要だ。

  この船は不沈船とも言われてきた。受信料という、他の船には無い永久固定燃料
 の供給があったからだ。今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。
 視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。
 かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。

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1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日

長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。
この数年川向こうにも、観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に
「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、近畿ツーリスト
のシールが貼ってあった」とか。

この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって8月2日は満室だった。
それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。
バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。
その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。

京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、
花見をして夕方に京都を出発。やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。
それで一万円なのだから、価値は充分にある。その花火版ということだ。サッカーも、
最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。

趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く、安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、秘境?の地
アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも出始めてきた。
時代は、サービス化である。

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2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記

 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。
中小の経営者の知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。
潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。
webのアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。

 中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細
企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。
ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにする
ことが、もっとも大事であると思えた。新幹線で読んでいたら、隣席の人の
冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。
 
 20~30年の長期の投資物件を事業としている為、計画段階で最悪を想定して資金調達
をする。余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして、資金余裕を十分すぎるくらい持つ。
それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化
していくためだ。この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘。

連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で
判を押してしまう。連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷
な制度はない。先進国では日本だけだという。江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用している
ためだ。その連帯保証の断り方まで書いてある。

私は子供の時から両親に数百回も「保証人の請け判だけはするな!」「手形は切るな」
と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を口実に使え!
と書いてあったのに驚いた。「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。
「父か親戚が請け判をして倒産したのでこれだけはしないことにしている」でもよい。

実際に身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので、まずは断れないような
状況をつくる。次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。
詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・・・・・?
 
あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し
間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。いつも姑息の手を使うので有名な人
だが。その支店長もぐるかと疑ってしまった。金に切羽詰った人間は何でもするものだ。

 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』
という続編の本も出ている。いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を
出すような愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。

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2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2

人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。
「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。
「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足を
していた。ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に
多いこと。これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。
親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、2~3年後に
実行するつもり」といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、自身の影
におわれているのだ。もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。

こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。