* いまないものに憧れて
 朝日新聞‘beランキング’に『行ってみたい時代』のテーマの記事があった。
私の生きた時代が太平洋戦争の敗戦半年後から現在までの72年に至っているが、
50年近くが右上がり。正しく廃墟の中から黄金の経済成長と、バブル。そして、
没落へのデフレ時代を生きたことになる。人生のメインを、この時代に乗れた
だけでも、非常に幸運である。右上がり経済と、バブルの高揚。 おまけに、
「第二の敗戦(バブル敗戦と、デフレ)まで味えたのだから…
 〜私の行ってみたい時代?
『そうね〜、現在の年齢のままだったら20年後! 加齢するなら10年後!』
『過去限定なら… 5〜9歳と、20歳代、50歳代後半! それと大正時代。』

  〜記事の一部より〜
< あのころはよかったなあ。最近そんな言葉をつぶやいてばかりいるあなた、
 タイムスリップができ、過去に戻れたら、いいと思いませんか?
「歴史はくり返す」と言います。過去へ行けば、歴史の謎が解けるかも。
で、日本のどの時代へ行ってみたいですか?
「どんな時代へ行っても、命の危険はなく、無事に現在に戻ってこれるものと
します…」 遠くの平安、江戸など遠い過去の中で、ここで1、2位を占めた
のが「近い過去」。
・第一が高度経済成長期(1955〜73年)。50代以上の世代、特に男性が多い。
・次が「バブル期」1989〜92年)。こちらは、女性が多かった。
「遊びも、恋愛も、仕事も楽しかった。もう一度、無茶してみたい。」
・3位が、「平安時代」(794〜1185)。何と平安時代が300年もあった。
 ここまでが300票前後で、
・4〜5位が幕末(1853〜68年)と、江戸後期18C初頭〜1853年)、両者とも
 200票半ば。>

▼ 世界は1990年アラウンドのソ連・東欧の崩壊、2001年の9.11テロから、
イスラム教と、キリスト教国の本格的戦争が始まり、現在に至る。日本経済
未だに経済敗戦のショックから抜出せない。団塊世代の?世は、親を見て育ったが、
その下の世代は、それを知らない為に、憧れるのだろう。比較的恵まれた?
家庭環境にあったことも含めて、ベストに近い人生環境であった。一つ間違える
と、朝鮮、ベトナムのように、国を二分され… もう二度とこない国家繁栄の
ピーク時代に生きてこられたのである。今では、日常的に、地震、台風、火山と
たて続きに発生している。それは国家としての財政基盤を大きく削ぐことなるが、
何故か誰も直視しようとしない。 で、親の代の「竜宮城」のおとぎ話の
名残りに憧れるしかない。味わい尽くした私たちは、沈黙するしかない。
 しかし、よく出来たもの。科学技術の進化が、情報化という時代をもたら
してくれた。そこに情報格差という大問題が、生れている。未来、現在だけで
なく、過去の情報も鮮明に映し出し、次世代に提示する。我々の世代に少ない
のは、近未来の情報化がもたらす恩恵。羨ましい限りだが、未来は少ない。
「いま無いのが、見えてきた近未来の情報社会」 その狭間に私たち世代が
立たされ、消え去ろうとしている。近未来の一端を毎日、味わっているが、
羨ましい限りである。
 「上を見れば限がない、横をみれば情けない、下を見れば底がない」 
まさに周囲の情報がリアルタイムに知りざるを得ない哀しみと喜びを
味合えるのも余裕があればこそ。何も知らないのも生き方のひとつかも!
時代の変遷も、情報環境も、人生も、驚きの連続。 夢見ているようである。
 「辛うじて楽しんでいる」というのが実感。
両親、特に父親が、戦中、戦後の混乱の中で、倫理的に厳しく過ぎた? 
反動を、私に向けてくれた感があった。その上に、この時代である。

・・・・・・
4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5
2014年08月27日(水)                
     『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太
  この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、
<京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。
               (古今東西の幸福論を読み漁った結果)
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>  
『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど
余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという
説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。
  ーまずは、その辺りを抜粋ー
≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば
 あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ
といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。
それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより
鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの
高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと
したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に
お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な
お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、
専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で
うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから
こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが
泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての
美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動
を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、
そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので
あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く
のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫
▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が
 いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない
不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、
実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに
驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える
様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く
見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く!
ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、
4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界!  
(一言多いが)平屋もマンションもある・・・
・・・・・・
4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの?
2013年08月27日(火)
   * 小学、中学校の同級会で、どうしてる?
 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席
するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず
なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。
それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに
来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 
早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、
ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。
「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、
「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを
味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、
実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、
結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、
現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、
この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、
「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 
時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、
が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 
   * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常
 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった
エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。
(番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに
浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が
胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、
ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの
一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も
重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 
観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。
ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が
起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを
リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の
生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに
ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が
交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 
Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。
次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 
・・・・・・
5278,「読書の腕前」 ー?
2015年08月27日(木)
            〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜
   * 独りの楽しさと、読書
 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。
これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年
前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。
 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、
底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜
≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」
 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。
たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド
へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、
というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、
あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、
「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、
谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。
「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら
〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、
大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化
する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって
いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。
 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を
占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた
がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。
本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。
出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり
自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」
ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」
ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本
ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。
「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。
詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも
表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、
とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり
するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる
のはいつだってひとりの自分なのだ。
 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。
だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という
言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら
どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、
伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。
『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。
それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な
時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。
「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。
「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。
なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、
「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、
と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を
ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫
▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、
ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本
偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点
では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの
ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。
 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。
・・・・・・
5643,「賢い子」に育てる究極のコツ 〜?
2016年08月27日(土)
          <「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)>
  * 「子」を「自分」に置換えると?
 「賢い子」を、「賢い自分」置換えると、どうなるか。
 その3つの秘密道具=「秘密道具1ー図鑑」、「秘密道具2ー虫とり網」、
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」のキーワードを、現在の私の世界の道具に
すると、どうなるか。
・まずは『図鑑』 〜図鑑の対象を難しい哲学や、とっつきにくい聖書、
古典文学、世界の聖地、秘境・異郷、大自然の絶景を図鑑にした本がある。
空間と配置と重視し、絵入や文字の大小で鳥瞰しやすくしてある。 
学業が強くなかった原因を、現在から振り返ると、ノートのとり方に問題が?
ノートの記録を図鑑を参考に応用すれば良かったのだ。読返す度に、書き足し
ていけば良かった。 それも、後講釈でしかない。 現在ではアイコンと、
ファイルの配置のパソコン画面が、それにあたる? ウィンドウズ95が、
画面を図鑑にするアイディアで、世界を変えてしまった。
・『虫とり網』 虫を情報として捉えると、網はネット(検索)になる。
現実社会の上を、ネットが覆ってネット社会が新たに出来てしまった現在、
これを如何に使いこなせるかどうか。この随想日記も、ネット検索が無ければ、
連日、書き続けることは不可能。
・『ピアノなどの楽器』 〜これを幼児期に身に着けたかどうか。耳からの
情報収集が大きく人生を分ける。楽器演奏は、集中力と、継続力が無くては、
決して習得できない。そこに、それを指導する先生の存在が必要になる。
それも、幼児期の頃からというから。ということは、このテーマの「自分」
の置換えは、テーマとして成立しなくなる。「今さら・・」だが、何か一つでも、
楽器演奏をしておけば、より豊かな心を持てたはず。 学生時代からステレオを
身近に置いていた。現在は買い集めたCDの2000曲入りiPhoneを二つ。あくまで、
早朝のポタリングの走行中だけ。
「賢い子」を、<「心豊かな自分」に育てるコツ>をテーマにすべきだったか。
PCと、ネット活用は、少しは、賢い自分を育ててくれている。で、このザマ!
・・・・・・
6008,閑話小題 〜北のミサイル発射
2017年08月27日(日)
   * 北のミサイルについて
 昨日、モーニング・ショーで、北朝鮮によるアメリカへの挑発の特集をみて
いたら、日本海にミサイル打ち上げのテロップが流れてきた。番組構成として
ベストタイミングで、‘まさか?’の緊張が走ったが、直ぐに短距離ミサイル
と判明をした。 金王朝の体制維持には、戦争を煽る瀬戸際外交で、近距離の
人質?の生命の交換条件の脅しでしか体制を維出来ないことは、韓国民が熟知。
 韓国の人口が4700万人、ソウルが1000万人で全国民の21%がソウルに集中、
首都圏には2000万人前後。韓国国民の4割がソウル周辺に集中する、まさに
「最重要拠点」である。そこから軍事境界線まで、直線距離で約37K。
大宮から東京駅までの距離でしかない。 韓国民の7割が海外移住を望んで
いるというのも理解できる。潜入したプーチンのスパイが、境界線からソウル
近郊にミサイルを撃ち込んだら、(逆もある)どうなるのでしょう。
 核ミサイルの脅しほど有効な手段はない。その親指人形が、パペット本体の
中国まで、脅し始めたのだから、何をかいわん。儒教の影響の強い国で、叔父
と実兄を殺すのだから、当人は疑心暗鬼で怯え慄いて当然。そ反動が、いつか
核戦争になり、比較的安定していた東アジア(朝鮮、日本、台湾)が、現在の
中東状況になり、難民が大挙して、押し寄せる可能性が強い。悪いことに、
アメリカはトランプで、分断を始めた。「国家統一の手段として、戦争を!」
と、意固地の頭で考えないでもない。側近は次々と辞め、残っているのは
軍人上がりの老人だけ。「数百万の死者としても、やるなら、今のうち!」
で… 恐ろしい限りだが、意外と早い両者の体制崩壊も感じとれる。
・・・・・・
4171, 閑話小題 ーつれづれに
2012年08月27日(月)
   * つれづれに
 このところ尖閣諸島竹島北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に
仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック状態で、組みやすいタイミング
とみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに
丁度良い問題。関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけて
くれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための目先の意図的な小競り
合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、
景気は減速。韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、
失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。極東も不安定状況に
なってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 
深刻なら経済が一挙に際どくなる。一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を
特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル
とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。
5年、10年後の日本の状況である。   
   * iPad導入、一年
 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、
使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。居間と書斎に卓上型のiMac
置いているが、居間のPCは家内が専ら使って、そこで私はiPadを使っている。
TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ
読みが専らである。気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 
電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。
それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、
日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが!
・・・・・・
3806, 哲学人 ー�
2011年08月27日(土)
  * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響       
              ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での
 三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産をいくつか残してくれた。
一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の
歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を
要するので、当然たいていの人は、いや、高学歴の人でさえもっていない。
物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が
音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な
側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった
観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。
そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の
状況、その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなど
を認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづけることを踏まえ、
‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。
いま起きていることには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いる
ようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、
かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体として
の過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を
問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の
時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の
死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、
ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染み
こみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】
▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」
 と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という理由だけで・・ 
しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。
従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に
見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。
グーグルアースとは別に。

つれづれに

イメージ 1

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  今日のYoutube

 今日は、月一の歯医者に行って、毎回同じように、歯間歯ブラシを使うよう
強く諫められ、帰りに回転寿司を食べ、アピタに行って二つの眼鏡の歪みを
直してもらい、スーパーに寄って、自宅についたのが14時。
 歯医者も、開店寿司も、眼鏡屋も、スーパーも私の目線では21世紀の業態の店。
成るほど、お年寄りになってしまったような社会からの疎外感に襲われた気分。
成るほど、老いていくことは… まあ、現実は現実である。





・・・・・・
・・・・・・

3441, 政治談議
2010年08月27日(金)

  * 小沢一郎が、民主党党首に立候補
 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。
この恐慌を乗り越えるには、自民党民主党という枠を超えた大連合しかない。その断行は待ったなし。
管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来るなど考えられない。
面白いもので、小沢が立候補のニュースをみた直後、近くあった月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」
を手に取ると、週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱小沢一郎批判をしている文に行き当たった。 
田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。 
 ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に立花隆朝日新聞に痛烈な批判の文章を取上げていた。
【「羽田新党とは何か。あなた方は、要するに経世会の分裂した片割れではないか。経世会とは何か。要するに旧田中派ではないか。
田中派とは何か。五億円収賄犯.田中角栄をかついで、日本の政治を十年余りにわたって目茶苦茶にしてきた徒党ではないか。
(中略)田中が右といえば右、左といえば左に動いて、日本の総理大臣の首を次々にすげかえ数の力であらゆる道理を踏みにじってきた、
政治腐敗の元凶のような集団ではないか。あなた方はその中核だったではないか。(中略)金の力と数の力で政治を支配し、
権力のうま味を思う存分吸い取ってきたのが、あなた方ではなかったか。(中略)自分たちの過去にけじめもつけずに、何が新生だ。
ちゃんちゃらおかしい。」 今回の秘書逮捕でようやく明るみに出かかっているが、以来16年、小沢は何ひとつ変わっていなかった、
のである。その小沢が、まかり間違えば総理の座につくかもしれなかった。なのに新聞は何びとつ書かなかったのである。
小沢が都心部に十数件のマンションの部屋を所有していることを週刊現代が告発しても、そしてそれを訴えた小沢が敗訴しても、
小沢の二つの政治団体が25億円ものカネを貯め込んでいることを『週刊文春』にしても、新聞は後追いしなかった。】 
 以上だが、それでも政治とは、泥の中から、自分の出番に一世一代の政策を実行することにある。
彼の出番は、自民党と官僚支配を叩き壊すこと、日本を真のアメリカからの独立を図ること。 そして現在では100年、
500年に一度の日本の危機にあたり大同連合を組み、10年・20年続くだろう激動に対処できる枠組みをつくり上げることである。 
アメリカにとって、これはCIAなど総動員をかけて、潰すべき人物の筆頭になる。 恐らく、怪しげな死も充分にあるし、
マスコミを使った誹謗中傷の真っ只中に立たされる。 しかし政治家としては、死をかけるだけの価値ある役割である。
 綺麗ごとでは政治は動かない。 見渡しても、その役割を捨て身で出来る殺気のあるのは、他には見当たらない。
 ・・・・・・・・
3066,ウワサを考えてみる -2
2009年08月27日(木)
「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。
似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」
への虐めである。 違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。
前者は根も葉もないデマだったと後で判明したが、後者はファジーのままで終焉したこと。
「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 
人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、心の闇に符号することには更に強くなる。
 「悟りとは、平気で死ぬことでなく、平気で生きること」というが、うわさなど一々気にしていたら
自分の世界を小さくするだけである。 特に地方では小さい世界を更に小さくしてしまうことになり、生き辛くなる。
 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ)を商売のネタにしている。
逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、
うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。
 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが
真実と信じられ殺害にまで至る。 今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。
 人間の心の弱点には「 自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を信じてしまう傾向 」がある。
それをついたのが新興宗教であり、占い師である。 週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにして、
あらゆる手法を使う。 それを額面どおりに受け止めるのも問題だが。 この選挙のキャンペーンにも、
その不安を煽って物語をつくり、自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 
それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、といえば、その通りだが。
・・・・・・・・・
2701, 地球史における革命的事件
2008年08月27日(水)
  6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。
  この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。
  当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。
  その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが...
  その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。
  1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。
 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての
  革命的事件の内容を抜粋した。
「地球システムの崩壊」松井孝典著  -読書日記
  *地球史における革命的事件
   ~~~
K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。
この年代を境に、生物の絶滅が起こっている。それぞれの地層にふくまれる化石に基づいて
その年代が決められる地質年代では、その前後の年代を、白亜紀第三紀命名して区分している。
それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。
この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。・・・・
カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とするチームが、そのK/丁境界層で、
イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする学説を、
サイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、
地質学の根本原理といわれていた「斉一説」を否定するものだったからである。斉一説とは、前にも紹介したように、
現在生起する自然現象が過去においても同様に起こったと考え、従ってそれを前提にして、地層に残された記録を
解読しようとする考え方のことである。 天体衝突のようなアドホックな現象を排除して、地質詑録の解釈をするのが
より科学的、ということで導入され、悟奉されてきた。 その後一〇年くらい、この論文の妥当性に関し、論争が読く。 
論争に終止符がうたれたのは、1991年のことだ。メキシコのユカタン半島において、その地下に6500万年前に形成された。
(字数の関係でカット08年8月27日)
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2007年08月27日(月)
2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮  -1
   (字数の関係でカット08年8月27日)
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2006年08月27日(日)
1972、事業百訓ー1996年(10) 
  (字数の関係でカット08年8月27日)
ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのがカルナック神殿
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
空に天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、 かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も実際そこに立ってみて
古代歴史の深さを実感する事ができた。またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”という、
まさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
 カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて、不死への激しい希求を魂に語りかけてくるようであった。
ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  -トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れのあるカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩をくり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。
まさにSF映画やアニメ漫画に出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の秘密地下都市群。
あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下のマンションと形容できた。
一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、信仰の深淵さをみた思いであった。
そして、その帰りのバスの中より夕景の“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン・サライ”も非常に印象的なものであった。
十二列×八mの列柱が三百三十六本整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの石首が
土台になっているのが神秘的だ。バック・グランド・ミュージックにベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、
その場の雰囲気にぴったりであった。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。
リンゴ大の四十数カラットのダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。
宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も圧倒された。
私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれがきたのには驚いた。
 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか触れる事はできなかったが、
この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。
五千の貴金属、みやげ物を売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。
そういう目でみると逆に面白いものばかりであった。 殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。   (H 8年.1月30日~2月8日)
 ーH0807  インカ帝国<夢の旅> ーマチュピチュの遺跡編  ー
 ペルーはインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで文字が一切ないという不思議な文明の国であった。
その為かプレインカ(インカ帝国以前の文明)と、インカ帝国がより神秘的にナゾめいて来る。
その圧巻がマチュピチュの遺跡である。高度三千三百mのインカの首都であったクスコよりバス、登山列車、
登山バスを乗り継いで四時間あまりの行程。 四千~五千mの山々の谷間に、突然小さな(といっても二千三百m)
山が見えてきた。
 そこに空中都市といわれるマチュピチュの遺跡が、霊界のように造られていた。
まさに地上世界ではなく「あの世」を思わせる神秘的、霊的、宇宙的な別世界である。
エジプトのカルナック神殿をみた時の驚き!と同じか、それ以上の驚嘆に一瞬につつまれてしまった。
あれだけTVドキュメントと写真でみていたのに、“現実にみると全く違う!” 神秘的あまりにも神秘的、
いや霊的神性という言葉が、ぴったりとする! 本当に地球は広いそして深い!とあらためて実感した。
 この空中都市は、インカの人々がスペイン人より逃れる為と復習の為の作戦都市といわれている。
そして突然、この都市を焼き払い奥地へと消えていき、 まだ発見されてない地に伝説のそして幻の
ビルカバンバの都市を建設したという。マチュピチュを去る決意をした人々は老人と“太陽の処女”たちを殺し、
その一角の墓地に葬った。この遺体がこの遺跡が発見された時に一緒に発見されたという。
私もこれだけの異界文明の“すごみ”を経験するのは生涯で初めてであった。
 まさにSF小説の地を夢で浮遊しているようであった。
 ーH0807インカ帝国<夢の旅>  -ナスカの地上絵編ー 
 AC百~六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に一つの文化が栄えていた。
謎の地上絵で知られるナスカ文化である。彼等は何を思ってか九百k?にわたる広大な大平原に直接、
三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが当時の土器に描かれているので、彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
 その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。それが何を意味しているのか、
宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわすカレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。それを三十cmの巾で十~三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。そしてその多くがナスカに集中している。
 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは?と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる縦横に描かれた直線は、
誰に見せる為のものであろうか不思議そのものである。
 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖にすむ原住民の素朴な生活。
そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏に
やきついてはなれない。高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、テーブル・マウンテン)ーH08年6月6日~
ーH0809 大地の果て南アフリカ
 はじめに南アフリカに注目した時、何と遠い国かと思ったが、
 英国・ジンバブエ・ボツナワと飛行機を乗り継いで本当に“遠くへ来たものだ!”と実感した。
 わずか十一日の間にこれだけ多くの見聞と感激と驚きを経験できるとは…。
 ツアーの同行者十名が二十~五十回以上のリピーターが大部分で、トラベルにつきもののトラブルを
 全員で逆に楽しむ強者ばかり。そのためかストレスが最小に済んだ事もあって、非常に楽しく味わい深い旅行であった。
・ 一番の圧巻はジンバブエにある世界三大瀑布の一つのビクトリア滝であった。
 リビングストンの発見したこの滝は幅千七百m、落差百五mあり、
 まさにあのイグアスの滝に匹敵する壮大かつ豪快な男性的な景観であった。
 またそこでの超恐怖体験のバンジージャンプは、この旅行のすべての記憶を消しさる位の強烈な体験であった。
・また次に行ったボツナワ共和国のチョベ国立公園でのサンセット・サファリと、
  翌朝のポート・サファリもケニア・サファリと違った味わい深いものであった。
  野生の象がハトやスズメのように街の中へ入りこみ、木の葉を食べているのには腰を抜かさんばかり驚いた。
  そしてロッジに帰ってくるとホテルの柵の入り口に、やはり五~六頭 木の葉を食べていた。
  ケニアの殺気だった緊張感がまるでなく、田舎の、のんびりしたアフリカ…
  という感覚であった。ここでは象があまりに増えすぎ間引をしているという。
喜望峰も感激の連続であった。 大地の果ての峰の左にインド洋、右に大西洋という。
  ここでしか見られない高台で海をみとれていると、何と!クジラが泳いでいるのが見えたのだ!
  これこそ喜望峰での最高の見ものであった。 また喜望峰に来る途中でたち寄ったミニ・クルーズでの、
  数千頭のオットセイの群れの岩場も印象に残った。帰路にたち寄った小さな湾の野生ペンギンの群れに
  一~二m近くまで近づき顔をつきあわせたのも、自分が人間である事を一瞬忘れてしまいそうであった。
南アフリカといっても、ヨハネスブルクは一千万人近いロスアンゼルスを思わせる大都会であった。
  ケープ・タウンも人口百三十万人の高速道路、高層ビルがたちならぶ超近代都市であった。
  反面、地方の大部分が超貧困層の黒人が占めており、まだ深刻な人種対立が根が深いようだった。
  現地の年配の英国人妻の日本人ガイドの視点よりみる、人種間の対立の話を聞くうち、あくまで我々は生活者でなく、
  旅行者(通行人)でしかない事を思い知った。まだまだほとんど書けないほど多様な旅行であったが、
  どこに行っても人間の普遍性とそれぞれの文化の多用性、特殊を見ることができるのが旅行の最大の収穫でもあった。                                        H 7.10/27~11/6
  ーH0809 愛と憎しみと価値判断ー
(字数の関係でカット09年8月27日)
  ーH0811  人生の楽しみ方ー
 (字数の関係でカット09年8月27日)