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2017-08-19 祈りのかたち 仏教美術入門@出光美術館

2017年9月3日まで

出光美術館

 日本で「美術」と言うと、主に西洋美術がキリスト教由来であるように何かしら仏教の影響を受けている。

それは人びとの願いが仏教を通じて誰にでも見えるように、わかるようにしてきた成果なのだろう。

 「祈りのかたち」

寺院の仏教美術を拝顔するには、信仰する対象であるから、常時でもないし強いライトは当てられないし特別拝観日でないと出会えないことがある。

、美術館博物館に入ってしまった途端に「美術」として温湿度や保存修復などで管理されることになる。私たち見る側にとっては信仰、祈りのかたち。

 いつもすごい出光美術館の名品揃いだが、今回破格にすごいスケールなのは曼荼羅図と地獄図。

極楽浄土を願うゆえ民衆に諭すための絵図が「地獄図」そこには、救済して下さる清らかな地蔵菩薩様と対極的に描かれる激しい形相の獄卒たち。そして見せしめ教え諭すに相応しい人間たちの愚かさと苦しみ。イケメンや美女に夢中になるのも罪なのだとか。

2つの地獄図の間に配置する地蔵観音立像。

「六道・十王図」「十王地獄図」地獄の種類や六道世界、裁きの期日、地獄の場所など、細やかな解説。裁きと救いがきちんと対となっていることも大事な要素だろう。

 仙がいさんは出光美術館ならでは。今回は緻密に丁寧に描かれた羅漢たちの図が印象的だった。

さっと一筆で多くを諭す筆さばきも見事だが、こうしてひとつひとつ細描で表情を捉えた作品もまた魅力がある。

「当麻曼荼羅図」の緻密で重層的な世界観は、今の時代のデジタルアートで再現したら無限な魅力があるだろうと思われた。

奈良県天理市にあった内山永久寺サイトによれば「明治年間の廃仏毀釈より徹底的な破壊」で失ったという。それが、因果で東京丸の内で見る境遇を複雑な思いである。海外流出も多くあったという。

 その因果あってもなお有難いと思えるのは日本人ゆえだろうか。

第1章 仏像・経典・仏具 ─かたちと技法

第2章 神秘なる修法の世界 ─密教の美術

第3章 多様なる祈り ─弥勒・普賢信仰の美術

第4章 極楽往生の希求  ─浄土教の美術

第5章 峻厳なる悟りへの道  ─禅宗の美術

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2017-08-10 池田学「誕生」@ミヅマアートギャラリー

9月9日まで 

池田学「誕生」ミヅマアートギャラリー


≪誕生≫が誕生するまで The Birth of Rebirth

≪誕生≫が誕生するまで The Birth of Rebirth(青幻舎)

美術手帖 2017年4月号

美術手帖 2017年4月号(美術出版社)

池田学 the Pen

The Pen(青幻舎)

超絶技巧として紹介されていた池田学

私は2006年「興亡史」を見たいと中目黒に当時あったミヅマアートギャラリーで出会ったのがきっかけ。春には「The Pen]出版記念で青山ブックセンター山下裕二教授と対談をされていた。

池田学氏自身からのトークがあったのでメモ代わりに記録する。

カナダ・バンクーバーでの文化庁海外派遣を経て、アメリカのウィシコンシン州チェ−ゼン美術館でのレジデンスアーティストとしての3年そして3か月を経て完成した大作。

佐賀県立美術館と金沢21世紀美術館を巡回している池田学「The Pen−凝縮する宇宙−」展のうち「誕生」と小作品が東京市ヶ谷にあるミヅマアートギャラリーで9月9日まで、壁一面を飾る。縦3m×横4mの巨大な画面ゆえ上部まで細やかに見ることが出来ない。その後、日本橋高島屋で9月27日から10月9日まで展示される予定である。

そのため、青幻舎からは図録、制作過程や細部の解説を付けた「≪誕生≫が誕生するまで The Birth of Rebirth」が出版された。

 2011年1月から文化庁芸術家在外研修員としてバンクーバー滞在していたが、2011年3月11日テレビであの画面が出て、それが日本であることに驚き恐怖や無力感を感じた。カナダでアーティストとしてビザが下りず悩んでいた時に、作品を知る美術館からチェ−ゼン美術館での3年間の滞在創作に誘われた。

 その後、世界中で繰り返される自然災害と人間、立ち上がる、祈りについて考えていた。そして自分が3年で描けるペースを考慮して、縦3mのボードを4枚用意してもらった。

 いつもは、Gペンと丸ペン、カラーインク、アクリル顔料で描いているが、今回から影部分のみ薄く水彩絵の具を使うことにした。線描だけでは背景に白色が感じられるのが気になった。描くのでわからないが、うっすらと水彩を施すことで深みが出てきた。

 画面は大きく3つに分けて考えられ、最初は左下の瓦礫や荒波の部分、次に樹木の部分、そして上部の花にあたる部分である。当初は繊細な線の細さから、真白に広がるパネルの巨大さに圧倒されたが、まずは描いている部分にだけ集中するようにした。

 チェーゼン美術館で良かったことは1時間だけ一般公開し来場者と会話をすることが出来たことだ。それが救われた。自由な発想でこれを描いてと頼まれることもある。やがて「もっと楽しく描いて良いのではないか」と思えるようになった。アイディアが生まれていくのは、考えたり忘れたり、アタマの隅に置きながら進めていた。

 樹木が描きたいと思った。樹は生物であり自然であり、何千年もの時間の象徴である。幹や木肌の細部まで描こうと思った。

 その頃、右腕をスキー事故で痛めてしまい全く使えなくなってしまった。まるで肉の塊のようだった。右腕が使えなくなった事実を三潴さんに電話で伝えたところ激怒された。すべて完成に向けてスケジュールが組まれているのに、休むことは出来ない。2016年9月までに美術館で仕上げなければならない。

 ちょうどその時に、左腕の開発を意識した。それは神様が与えてくれたチャンスなのかもしれない。親友「会長」の影響も大きかった。癌になっても「一日一日が楽しいと感じ、そして感謝する」大切さを教えてくれた。それから自分の筋肉や神経を鍛えながら左腕で挑戦していった。絵では枝に神経が絡み合うように、そして再生して花を咲こうとしていると意識した。自分の 身体で起きていることは地球上の自然で起こっていることと繋がっているような気がした。

 当初、花は描きたくなかった。瓦礫の上の樹木が復活して花を咲かせるという安易な図式にするのは嫌だったからだ。

 だが、2人の子ども達の誕生と成長から、はかない花をプロペラやキャンプテントなど用いて描く方法を見出した。本物の花ではない、かりそめの花。花にみえるような部分は、新しく生まれる命、なくなっていく命を囲むように人がいる。蕾の部分も祈り続ける手の形で描いたりしている。

 

 当初は震災を描こうとしていたが、次第に自分自身のいろんな体験や思いから自分自身の問題と向き合う機会となった。

「誕生」ということは失ってゼロベースから始まる生活をも意味している。

 画面では花のように見える中で、土下座している人自殺している人もいる。白い花の部分は新たに授けられた命、そして黒の花の部分は、なくなる命を見送っている。放射能のマークを花に譬えている場面がある。白雪に見えるのは放射線物質。らくだに乗ったキャラバンたちは、安全な水が飲める場所を探して彷徨うそんな象徴である。

 今回は波を描くのがとても楽しかった。これからの作品ではもっと波に取り組んでみたい。

 会場から質問もたくさんあった。池田学さんの描く水墨画が見たい、という希望について池田氏自身も関心があり、さっと描く墨部分と緻密に描く込む線描を組み合せてみたいとのこと。超絶技巧は近づき遠目でも味わいたい。

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2017-06-26 特別展没後50年記念川端龍子―超ド級の日本画―(前期)@山種美術館

特別展 没後50年記念川端龍子―超ド級の日本画―」として山種美術館が大田区立龍子記念館と連携して開催する展覧会。

前期 6月24日〜7月23日 後期 7月25日〜8月20日 (会期中、一部展示替えあり)

  今回は前期に内覧会があり、特別に作品撮影の許可を頂き参考までに画像を載せたい。(番号は作品リスト番号)

 日本画家である川端龍子(かわばたりゅうし)の人生と作品を丹念に追う。

 洋画や挿絵の時代、鯉が大好きで、俳句を愛し、家族を大切にした姿も見せてくれる、新たな才能を知る。

 明治から大正、昭和初期にかけた作品は、戦争中であることを忘れる豊かな日本画がある。そして戦後も共にあった。

 川端龍子といえば、「会場芸術」宣言をする程のスケールの大きな日本画家という印象だ。この山種美術館で展示できるのか心配したが、前期・後期と入れ替えを行えば大きな屏風も収まる訳だ。 

 今回は「大田区立龍子記念館」所蔵作品と連携しており、1人の作家を知るには良い機会である。 山下裕二先生が「RYUSHI」と敢えて名前をローマ字で書き「超ド級の日本画」と名ネーミングをした理由がわかる。

 とにかく実際に会場で実物を見て、そのスケールを体感しなくては、何も語れない。後期もまた足を運ぶつもり。

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20 花鳥双六(『少女の友』第10巻1号付録)1917(大正6)年出版 多色刷木版 

 画才があり洋画家を目指していた龍子だが、早くに家族を持ち生活のために、ジャーナリズムの場に身をおき、挿絵画家としても仕事をする。ユニークでナンセンスな挿絵もある。これは「少女の友」付録の双六を見る事が出来る。大正時代の付録が存在して見れるだけでも大きな発見。

 1929(昭和4)年、川端龍子は独自の青龍社を立ち上げる。その青龍社第1回展覧会図録、ポスターも展示されている。

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21 「鳴門」(部分) 1929(昭和4) 山種美術館 〇ダイナミックな群青色の大波がうねり、波しぶきが飛ぶ。

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24 「草の実(部分) 1931(昭和6) 大田区立龍子記念館 〇紺地に金泥、焼金、プラチナ泥などを使い分けながら、草の逞しく美しき生命力を描く。

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27 「龍巻」1933(昭和8)年 大田区立龍子記念館 〇真逆様に天空から魚が降ってくるような構図にしたセンスに驚かされる。

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30 「花の袖」1936(昭和11)年 山種美術館 〇八ツ橋など琳派を思わせながら実は豊かな花弁の表情と奥行を持つ妖艶な印象がある。

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31 「香炉峰」1939(昭和14)年 大田区立龍子記念館 〇龍子自身が中国大陸の上空を飛行体験による。この大画面では中国の壮大な山脈を描きながら飛行機を半透明にして迷彩色を思わせるデザインとなっている。なんと操縦士は川端龍子自身!

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32 「五鱗」1939(昭和14)年 山種美術館 前期 〇龍子は鯉が好きで好きで堪らないらしい。五匹集まる姿を活写している。一匹朱色が混じることも面白い。

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34 「爆弾散華」1945(昭和20)年 大田区立龍子記念館 〇あの昭和20年夏の東京、川端亭の野菜が実る庭先にも落ちた経験から描く。金を蒔きながらも鮮烈な体験を絵画に昇華させた。

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35 「百子図」1949(昭和24)年 大田区立龍子記念館 〇挿絵画家として活躍した経験から、愛らしい子ども達の姿を描くのはお手の物。上野動物園に戦後、インドから象インディラが贈られる。その姿を大きな円に象を囲む子ども達の様子を描く。

37 「夢」1951(昭和26)年 大田区立龍子記念館 〇平泉で奥州藤原家のミイラが発見された記事から着想を得て描いた作品。棺から蛾が舞い出る幻想的な作品。

38 「花下独酌」1960(昭和35)年 大田区立龍子記念館 〇なんでも自由に活写する腕前で自画像のような河童が花咲く樹の下で独り酌を傾ける贅沢な境地。

40 「白堊と群青」1962(昭和37)年 東京美術倶楽部 〇旅行した際のスケッチから青空に白壁の館、そこに孔雀が雄一羽、雌二羽が屋根に留まる美しい姿を描く。

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47 「鯉」1930(昭和5) 山種美術館

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52 紙製手提げ袋(龍子絵付け) 〇孫の工作に祖父川端が描いた合作で家族への愛が感じられる。

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「短冊」大田区立郷土博物館ほか

龍子は俳句も嗜み松尾芭蕉と同じ行程で旅に出たり行動派。

俳句の短冊もいくつか展示されている。

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73 松竹梅のうち「竹(物語)」1957(昭和32)年 山種美術館 〇竹取物語を意識して筍から光が!ファンタジックな一面。

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74 「十一面観音」(部分) 1958(昭和33)年紙本・墨画淡彩 大田区立龍子記念館 〇信仰心が篤く自邸にも仏堂を作っていたそう。

 後期作品の見どころはチラシやポスターでも紹介されている作品。後期もぜひ行かねば。

36 「金閣炎上」1950(昭和25)年 東京国立近代美術館 

33 「八ツ橋」1945(昭和20) 絹本金地・彩色 山種美術館 

 夏の暑中見舞いに相応しい「鳴門」のグリーティングカードや山種美術館の名品がお土産として持ち帰ることが出来る。

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また今回の和菓子は、夏らしく涼やかな色合い味わいがあるのでお勧めしたい。

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2017-05-31 名刀礼賛―もののふ達の美学@泉屋博古館分館

2017年6月1日(木)〜8月4日(金)

住友コレクション 泉屋博古館分館  

名刀礼賛―もののふ達の美学

黒川古文化研究所が所蔵する刀剣、刀装具の名品を揃えて蔵泉屋博古館分館で展覧できる。関東初の展覧会。

今回、黒川古文化研究所の川見典久氏(黒川古文化研究所研究員)は日本金工史の専門家であり、黒川古文化研究所は素晴らしい研究成果が所蔵品選集『刀剣』

動画でも観る事が出来る。「黒川古文化研究所の刀装具

中世時期の太刀が揃い珍しい品揃えである。

今回は特別内覧会で特別撮影許可を頂き、展覧会の様子を一部紹介したい。

太刀は谷型、刀は山なり型に展示するのだそう。

国宝 短刀 無銘(名物 伏見貞宗)

鎌倉時代黒川古文化研究所蔵

後藤一乗 瑞雲透鐔 江戸時代後期

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落語「金明竹」にこの刀装具の金工職人が出て来ることを教えてもらう。

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2017-04-29 開館30周年記念特別展 柿右衛門展@戸栗美術館

開館30周年記念特別展 柿右衛門

2017年4月1日(土)〜5月14日(日)

戸栗美術館

渋谷区松濤の閑静な住宅街の中に開館して30周年記念特別「柿右衛門展」が開かれている。

10:00〜17:00 会期中無休

○今展会期中は毎週金・土は20時まで開館(最終入館は19時30分まで)

出展作品リスト

 柿右衛門とは、「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色で暖かさを感じる白磁に、華やかな赤の上絵具を主に絵付けを施した「柿右衛門様式」と称されるうつわ。

初代柿右衛門が赤絵の焼成に成功し、1647年には製品を長崎で売り出されました。やがてオランダの東インド会社が買付けヨーロッパに送り出す王侯貴族の憧れの的となり絶大な人気を誇ります。

ザクセン王はこの美しい白磁を我が物にしたいとマイセン窯で試作を試み、ドイツで磁器作りが成功していきます。こうなると東インド会社はやがて輸出をやめてしまいます。その途端、あれほど人気だった柿右衛門も輸出事業の縮小によって「濁手」素地の製法が18世紀のうちに失われてしまいました。

 その「濁手」素地の製法を昔の文書から試行錯誤の研究を重ね復興したのが11代目明治期世界万博に出品し好評を得ました。そして引き継がれるのが12代・13代です。

 つづく14代柿右衛門氏は先代達よりその技術を受け継ぎながら、写実的な植物の姿を捉え意匠として赤と白で描く方法を生みだします。

 そして平成26年に襲名された15代酒井田柿右衛門氏が、伝統を守りながらも現代に生きる柿右衛

門を作り続けています。最大級の壺や大皿なども出品され、繊細な桜花、愛らしい団栗、デザインも色合いもとても微笑ましく人柄が感じられます。

 近現代の歴代「酒井田柿右衛門氏」のを11代から15代までの作品を眺めると、伝統の中に個性が見えてきます。昔の教科書にも「柿右衛門誕生秘話」が紹介されていて、それも面白く読めます。

 戸栗美術館の館蔵品を中心に、典型的な柿右衛門様式の丁寧な作行の製品から染付併用の製品、輸出先である西欧の需要に応じた様々な器形も興味深いものです。また、ドイツ・マイセン窯による柿右衛門写し製品も、同意匠の伊万里焼と並べると白磁の色の違いや絵柄の稚拙さが感じられて微笑ましくもあります。

 どうぞ戸栗美術館で「これも柿右衛門!?」と驚いてみてください。

 

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