思い掛けぬ出来事があって、天皇元服の決め事も伸びのびになっていたが、 二十五日に無事に行われた。 基房は、太政大臣に昇任したが、 何となく割り切れない昇級でもあった。 年も明けて、嘉応三年正月、無事に元服が済み、 清盛の娘の徳子(後の建礼門院)が十五歳で女御になった。 内大臣、左大将、藤原|師長《もろなが》が、左大将を辞任した。 この顕職の後釜《あとがま》をねらって、 猛烈な就職運動が始ったのである。 即ち、徳大寺大納言実定《とくだいじのだいなごんじってい》、 花山院中納言兼雅《かざんいんのちゅうなごんかねまさ》、 新大納言成親《しんだいなごんなりちか》(故中御門藤中納言家成の三男) の三人が…