石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)
1180年、小田原市南部の石橋山で行われた源頼朝挙兵後最初の合戦で治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。平家方の大庭景親らの軍に大敗し、頼朝は再挙のため一時安房に逃れた。安房より再挙後、鎌倉まで勝利を続け、結果として頼朝は関東を制することになる。
左:大庭景親 右:梶原景時 いずれもネットから拝借 治承4年(1180年)8月、ついに頼朝は以仁王の令旨を旗頭に挙兵を決意します。頼朝34歳、伊豆に配流されてから実に20年後のことです。まず、伊豆国目代の山木兼隆を倒します。まあ、ここまではよかったのですが、世の中、そんなに甘くなく、このあと頼朝は散々な目にあいます。 1.石橋山の戦い 2.坂東の勢力図 3.坂東武士の理念「一所懸命」の意味 4.坂東武士が頼朝勢に加わった理由 5.まとめ 1.石橋山の戦い 山木を破った頼朝軍は相模国を目指すのですが、兵力はわずか300騎といかにも少なく、合流するはずの三浦軍も悪天候のため参戦できない状態。それど…
今回のテーマは鎌倉のチクリ魔こと梶原景時です。 今回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中村獅童さんが好演していますが、「俺は鎌倉の讒言王になる」と言ったかどうかは定かではありませんが、珍しく頼朝の信任厚く鎌倉殿ベスト13(鎌倉神13)にも選ばれた御家人で、登場曲はサザンの「鎌倉物語」ですo-_-)=○☆(>_<)ウソツケ。 義経失脚への讒言をはじめとして、数多くの後家人を鎌倉殿にチクって代表入り(鎌倉殿のベスト13)したことで、ドラマや小説等では嫌われ者のヒールな悪役がほとんどです。今回の大河も北条が主人公なので、最後は吾妻鏡に基づくチクリ魔ということで幕を閉じました。 梶原景時のルーツ 梶原…
さて、今回は石橋山の戦いについて。治承4年(1180)、源頼朝公が平家打倒を掲げて決起したものの、大庭景親ら平氏方に敗れた戦いじゃ。 石橋山古戦場碑
第五回「兄との約束」を視聴した。 「吾妻鏡」で予習していたから、石橋山の戦いで「兄」に何が起こるのかは知っていたけど、キツかった。悲劇は苦手だ。(;_;) 三千の兵を率いる大庭景親に、たった三百の兵で立ち向かった頼朝勢は、あっけなく壊滅。 頼朝を守りながら逃げのびた北条家の人々は、負けてブチ切れる頼朝の器の小ささに呆れつつ、再起のために別行動を取ることになる。 頼政と義時は、甲斐の武田氏に援軍を求めに向かい、宗時は太りすぎて鎧が窮屈な工藤茂光と一緒に、北条館に戻ることに。 片岡愛之助の演じる北条宗時は、源氏嫡流の頼朝をヨイショする夢見がちなお調子者というキャラで、北条家の嫡男としては、危なっか…
「石橋山の戦いってどんな戦い?」 「石橋山の場所はどこ?今の何県?」 「石橋山の戦いは、誰と誰が戦って、どっちが勝った?」 このページをご覧の皆さんは、そのような疑問を持っているかもしれません。 石橋山の戦いは、源頼朝率いる源氏方300騎と大庭景親率いる平氏方3,000騎が神奈川県小田原市と真鶴市の間にある石橋山で激突した戦いでした。 戦いは、数に勝る大庭景親率いる平氏方の勝利に終わります。 敗れた頼朝は伊豆の山中に逃げ込み、真鶴から脱出し対岸の安房に落ち延びました。 今回は、頼朝が敗れた石橋山の戦いについてまとめます。 石橋山の戦いの主な登場人物 源氏方 源頼朝 北条時政 北条宗時 北条義時…
治承四年八月、伊豆で挙兵した源頼朝は、二十三日、平家方の大庭景親との石橋山の戦いで敗れ、真鶴岬より海路小舟で脱出、安房国へと向かいました。 なぜ安房を目指したのか? 当時内房沿岸は対岸三浦半島の三浦氏の影響が強く源氏の味方を得られやすかった 安房の有力武将・安西景益は頼朝の郎党であった人物で現時点で数少ない頼朝の味方である彼の協力を得たかった 安房は陸の孤島であり平家方の追撃を一時的にでも防ぐ上で都合がよかった と考えられています。 源頼朝上陸の碑 「吾妻鏡」によれば、「二十九日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を合具し、扁舟に棹さし安房国平北郡猟島(現千葉県鋸南町竜島)に着かしめ給う。北条殿以下人…
はじめに奈良時代の終わりから始まるこの時代は、794年に平安京(現在の京都)が新たな首都として建設されたことにより幕を開けました。この時代は、約400年間にわたり、日本の文化、政治、社会が大きく変化し、今日に至る多くの日本の伝統や文化の基礎が築かれた時期です。奈良時代からの移り変わりの背景には、政治的な安定を求める動きや、中国の唐の影響から脱却して独自の文化を発展させようとする試みがありました。平安時代には、中央集権的な国家体制が確立され、貴族中心の政治が展開されました。これにより、文化や芸術が大きく花開き、日本古来の美意識や価値観が形成されていきました。特に文化面では、和歌や物語文学が隆盛を…
昨年の今頃、證菩提寺*1を紹介したが、その中で国の重要文化財の阿弥陀三尊像について簡単に触れた。その三尊像が横浜市歴史博物館の「横浜市指定・登録文化財展」で展示されている。しかも撮影もOKということなので、早速出掛けた。まずはお揃いのところから、 中央が阿弥陀如来坐像、写真の左側が右脇侍の勢至菩薩立像、右側が左脇侍の観音菩薩立像である。三尊像はそれぞれ木造で漆箔が施され、平安時代末期に造立された。12世紀ごろの和様彫刻の典型的な作風で、仏師は京都、奈良で活躍した一流の仏師と推定されている。また国の重要文化財に指定(1925年)されている。阿弥陀如来は、大乗仏教で信仰の対象となっている如来(釈迦…
2月19日 例年より暖かい影響か、 千葉県安房郡鋸南町の頼朝桜が開花しました。 その昔、 石橋山の戦いで負けた源頼朝が 鋸南町の竜島海岸に上陸して再起を図ったんですって。 それにちなんで、 通称「河津桜」と呼ばれる桜のことを 鋸南町では「頼朝桜」と呼んでいるそう。 頼朝桜は 保田川に約600本 、佐久間ダム公園に約400本 、佐久間川に約400本の 約14,000本植えられているそうで、 日本一の桜の名所を目指しているとのことでした。 鋸南町の中心に位置する 「JR 保田駅」を降りると、 早速頼朝桜がお出迎え。 さすが日本一の桜の名所を目指しているだけあります。 鋸南町では、「頼朝桜まつり」と…
どうも、前回の続きです。 宝戒寺隧道を抜けて最初は北条高時腹切りやぐらのある東勝寺跡に向かいます。 前回はこちら senri-nchu.hatenablog.com
こんにちは☀️めぐ丸です☺️ 房総半島ツーリング🎵 最初の目的地は【佐久間ダム親水公園】http://sakumadam.com/ 河津桜といえば河津や南伊豆、神奈川県松田町などが有名ですが、千葉県鋸南町も河津桜がたくさん植えてあるんです。 タイミング的にはちょっと早いようだったんですが、この日を逃すと今年は河津桜を見に行く機会はないがもしれないので😅 実際に行ってみたら、思ったよりも花が開いててきれいでした🌸 河津桜だけじゃなく、水仙や梅も咲いていました。 この辺りの河津桜は【頼朝桜】と呼ばれています。 由来を調べたら源頼朝とゆかりのある土地で、Googleマップを見てたら偶然、おもしろいも…
新国立劇場中劇場での初春歌舞伎公演を見てきました 国立劇場時代、こんな立て看板ありましたっけ? 仕事ではフォントとしてたまに勘亭流を使用することがありますが、筆で書けるというのは本当に素晴らしいですね。 中劇場の特徴としては、ラウンド状にカーブしているという点、あと花道が作れないという点です。古典で花道がないと、基本の形などういう進行が知らない演目だと本来の見どころがわからないことになります 演目は 梶原平三誉石切(石切梶原) 芦屋道満大内鑑 葛の葉 勢獅子門出初台 の3本です 石切梶原 梶原平三(菊之助)は平家方だがかつて石橋山の戦いで頼朝の命を助けた事がある人物。大庭景親(彦三郎)と俣野景…
安房 鋸南から南が旧・安房国のエリア。千葉県の一部ながら、昔は相模との関係も深かったみたいです。そんなことを思いながら国道を南下。 △鋸山の麓を越えると、安房・鋸南町。 ▲保田郵便局(千葉・51局/全国・3101局) 局番:05073 風景印は見返り美人、日本寺大仏、鋸山、保田海岸。 △鋸南町・勝山、大黒山 港を抱え込むように聳えてます。古い港って、海沿いにこういうポコッとした山がありますよね。勝山はクジラ漁が盛んだったようです。 ▲勝山郵便局(千葉・52局/全国・3102局) 局番:05050 源頼朝上陸の地碑と東京湾の浮島。小田原・石橋山の戦いで敗れたあと、真鶴から舟でここへ渡ってきたそう…
神奈川県横浜市泉区下飯田町にある富士塚城に行ってきました。鎌倉時代の武将、飯田五郎家義の館があったとされる場所で、飯田城、飯田五郎家義館とも呼ばれています。飯田家義は石橋山の戦いで大庭景親の娘婿であることから初めは平家方に着きますが、戦いに敗れた源頼朝を助け、富士川の戦いでは源氏側として戦い活躍しました。のちに梶原景時の討伐にも関わります。 富士塚城跡の城址碑がある富士塚公園。城跡は富士塚公園の東側の住宅街や墓地となっている丘陵にあったらしく遺構はありません。 富士塚公園にある説明板。 富士塚城の丘陵の遠望。境川を挟み湘南台が見える立地でした。
源頼朝が挙兵をし、石橋山の戦いで敗れ安房に逃れ、そこで兵を集めて房総半島を回って鎌倉に入った。頼朝は敵対した者の所領を奪った。これは日本史上画期的なことで、それまでは武士は朝廷からの恩賞を目当てに働き、敵の所領は奪わなかったのである。頼朝は東海道を支配し、元号が養和、寿永と変わってもその前の元号を使い続けた。朝廷に従わないという意志の表明である。ここに、八幡太郎義家の後三年の役の踏襲がある。 白河法皇の謀略~清和源氏の苦悩 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」 で述べたように、義家は後三年の役で戦費を朝廷から支給されず、やむを得ず貢納を滞らせてそれを戦費に当てた。そして役が終了すると、朝…
今朝の仁右衛門島 今朝の夜明け前に房総の家に到着。 日の出は雲が掛かって見られなかった。 先日、TVの離島発見という放送で房総の家のベランダから望める仁右衛門島が報じられていた。 netからの記事 房総半島の千葉県鴨川市太海の沖合約200mと言う太平洋に面した周囲約4kmの小島が「仁右衛門島」(にえもんじま)である。 千葉県に島があるの?と疑問に感じる方もおられるかと思うが、この島は、なんと千葉県「最大」の島で、なおかつ歴史がある島なのだ。古くは、蓬島(よもぎしま)、波太島(なぶと)と呼ばれていたようだが、今では、地図を見ても、仁右衛門島としか表示されていない。人の名が島の名前になっている由来…
日本史上で特に印象深い出来事も偉人もいない千葉県(ひどい) えーと源頼朝が石橋山の戦いで敗れて逃れてきたとか 市川・船橋戦争、五井戦争、松山戦争とか 大名自ら脱藩し新政府軍に歯向かったため、唯一改易されて第二次世界大戦くらいまで存命だった最後の大名の林忠崇(請西藩)とかぁ… うーん何とも言えない🌞 これマジ?知識が戊辰戦争あたりに偏り過ぎてるだろ ネット上で 「日本史上で一番影の薄い?(役に立ってない?)都道府県決めようぜ」 みたいなスレを見た時に 「うーんこれは千葉県🌞(千葉県民感)」 となりました。 県立中央博物館での歴史ゾーンの薄っぺらさをみれば自明の理である(ひどい) チ、チバニアン……
神奈川県藤沢市と言えば…やっぱり江の島ですかねえ。 江の島自体ももちろん面白かったのですが、ちょっとした思い出が。 着物が気になって話しかけられたのに始まり、居合道の話になり、江の島から水族館あたりまで江の島大橋を一緒に歩きました。 地元のおじさんと(えー やだ、私のコミュ力高すぎ…? そんな江の島から少し離れた藤沢市の辻堂駅が題材。 駅前に巨大なショッピングモール テラスモール湘南があるし綺麗な街並みで住みやすそうな印象。 湘南モールフィルもあるよ!! 全てが揃い土日には全藤沢市民が集結する… そんなテラスモール湘南すぐ近くに意外な施設がある! 藤沢市 藤澤浮世絵館 www.fujisawa…
源頼朝が平家を滅ぼし、北条氏が実権を握るまでを描いた昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 平家は物語の序盤で滅びました。 2012年の大河ドラマ「平清盛」を私は視聴していません。当時私はものすごく忙しかったのです。 松山ケンイチさんの演技は魅力的ですし、コアなファンも多いと聞きますので、NHKオンデマンドで視聴してみたいという思いはあるのですが、どうもあの暗い画面が苦手です。 「平清盛」の画面が暗いのは当時のイメージを忠実に再現しているのであり、京都の汚い様子も史実なのだと大学の先生が講義の中で説明していました。 貴族が平和に政権を握っていた平安時代。 武士が台頭した鎌倉時代。 その隙間に存在し…
こんにちは。今回は神奈川県・湯河原町にある『城願寺』の参拝録です。境内に生える樹齢推定800年といわれる古木・巨木の「ビャクシン」で知られているお寺で、湯河原の”トリプルパワースポット”のひとつとして、温泉の街・湯河原町の人気の観光スポットになっています。 寺号標 駐車場は2ヶ所ありますが、辿り着くまでの道がかなり狭いので注意。徒歩で参拝される方は、JR「湯河原駅」から徒歩8分ほどの距離。途中から上り坂になります。 『城願寺』は、山号 萬年山、曹洞宗のお寺です。ご本尊は聖観世音菩薩。 参道 木々が生い茂る参道を上っていくと、山門が見えてきます。 山門 ど~んとそびえる2本の大きなイチョウの木に…
炎環【電子書籍】[ 永井路子 ]価格: 682 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 編集者として活躍していた永井路子が初めて世に出した4編からなる短編集で、翌年直木賞を受賞した。後に上梓する「北条政子」とともに武家政権のあけぼのとなった鎌倉初期を舞台とした物語で、大河ドラマ 「草燃える」の原作となった作品。「悪禅師」と「黒雪譜」の影の主役は源頼朝とも言えるが、「いもうと」と「覇樹」は、源氏に代わって執権として権力を握る北条一族の「血」を見事に描いている。 1 悪禅師 主人公の阿野全成は、父は源義朝、母は常盤御前。頼朝の異母弟にして義経の同母兄にあたり、義経の幼名牛若に対して今若と呼ばれていた。幼…