びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/30(火)年休「男鹿」

 道の駅あきた港。雨が降り始めていた。起床は455。朝食、昨日寝落ちしたブログの執筆、髭剃り、荷物の片付け。今日の戦略を立てた。本命の秋田県立博物館はなんと休館!ことごとく閉まってるなあ。これでは秋田に来た意味がないぞ!一日どこかで時間を潰すことにした。にかほのTDK関連に行きたかったが、本当にTDKしかなくて、抜け道もなかったので、にかほとの往復だけのために行く気は起こらなかった。これから回る予定だった男鹿をぐるっと先に回ることにした。
 735、出発。男鹿の前に近くの秋田臨海鉄道秋田港駅跡に見に行った。秋田臨海鉄道は2023年5月に解散していた。驚いたことに真新しい駅舎と駅名標があった。駅名標はJRを真似たものだった。なぜ旅客営業してないのに、旅客扱いしてるような駅があるんだ?それに新しいのはどういうことなんだ?ネット記事ではレールを剥がして売ったことになっていたが、とても広くて広すぎる構内にはレールは残っていた。あまり廃線跡のようには見えなかった。
 750、出発。国道7号線を男鹿に向けて北上した。道沿いには風力発電の風車がたくさん並んでいた。
 810、道の駅てんのう。情報を得たかったが、たいした情報はなかった。
 820、男鹿総合観光案内所。ここには巨大な2体のなまはげ像があった。この先が男鹿半島という感じがした。
 8時半、神ガソリンスタンド「オカモト」が現れた。見たら必ず給油する自分ルール。表示167.9円/Lに対して実際は152.6円/L。安定のクオリティ。店の名前を確認したら「男鹿なまはげモール」、凄い名前だと思った。
 男鹿半島の付け根にある寒風山に行くことにした。寒風山は禿げ山だった。まるで阿蘇みたいだった。850、寒風山園地小展望台。広い駐車場には1台しか車が停まってなかった。土産物屋はユンボで解体途中。丘の上の展望台はロープが張られて入れないようになっていた。
 905、寒風山回転展望台。頂上に展望台があった。入場料は500円。展示コーナーがあった。2階男鹿半島・大潟ジオパーク展示室。3階男鹿半島なるほど展示室。意外とよかった。回転展望台からの景色は、別に展望台に上らなくても見えるものだった。床が結構な速度で回ってるのがインパクトがあった。明石の天文台を思い出した。他にももう一ヶ所くらいあったような?
 1005、出発。寒風山を下りて、男鹿半島を海岸に沿って時計回りに一周することにした。ここは1998年のやすをとの旅行で来た場所だった。対向車とのすれ違いで、車を端に寄せすぎて、コンクリートにホイールを擦ったのを覚えていた。
 1020、道の駅おが。情報を仕入れたかったが、たいした情報はなかった。道の駅に珍しくスーパーマーケット併設だった。
 1035、鵜ノ崎海岸。鬼の洗濯板。干潮ではなかったのでよくわからなかった。
 1050、潮瀬崎。帆掛島とゴジラ岩があった。能登の時もそうだったが、奇岩シリーズは辛い。ゴジラ岩は能登にもあったし。それでも見てしまう悲しさ。
 11時、門前駐車場。大きななまはげのモニュメント再び。
 1105、五社堂駐車場。本当は長楽寺の寳物館に行きたかった。寳物館らしきものはあったが、やってなさそうだった。五社堂が何かわからなかったが、森の中にはとても長い石段があった。段は不揃いでワイルドだった。
 11時半、赤神神社五社堂。5つの社が横並びになっていた。とても立派で雰囲気があった。東北にこういうのがあったんだな。ここはなまはげの発祥と言われていた。そのためか途切れなく人がやってきていた。
 12時、舞台島。半島の先にある島のように見える岩場。上部が平らになっていた。酷くない?
 1215、カンカネ洞。海蝕洞は何回も見てるしなあ。増毛の無人島とか能登聖域の岬とか
 1245、男鹿水族館GAO。よくもまあこんな交通の便が悪いところに作ったもんだ。時間的にスルーしたかったが、ここまで来て行かないわけにもいかないだろう。何よりお腹が減っていた。1200円。
 レストラン「フルット」。メニューがほとんどありきたり。自然と「男鹿の鱈としょっつるペペロンチーノ」に誘導された。地元の高校生が考案したらしかった。しょっつるがアクセントになっていた。
 水族館は入ってすぐに青い巨大水槽。大体この巨大水槽で規模がわかるというもの。ここは小さな方だった。巨大水槽には定番のエイやウミガメが泳いでいた。さすがにジンベエザメはいなかった。あとは普通。ここにはシロクマとゴマフアザラシがいた。水族館ではあるが、これが目玉なのかもしれない。
 1525、男鹿真山神社男鹿半島の信仰を集める神社。昔は本山と真山の2つの山と五社堂を修験者が走り抜けてたらしい。
 1540、なまはげ館。なまはげの説明があった。隣の男鹿真山伝承館で16時から実演があった。とてもよかった。なまはげがバンバン壁を叩く音が強烈だった。あとは「う~」という唸り声。なまはげは大晦日男鹿半島の集落で行われるもの。1年の穢れを落とし、新たな気持ちで新年を迎えるための行事であった。私も目の覚めるような感じだった。
 1715、入道崎。1998年に来ていた。灯台までの緑の原っぱがきれいな印象があった。時間が遅いからか店はすべて閉まっていた。広い駐車場には車が1台だけ。広場の草は刈り込まれずに伸びていた。なんだか寂しい雰囲気だった。
 1740、八望台。八方の景色が見えるようだった。近くに一ノ目潟とニノ目潟があった。これらは火口に水が溜まったものだった。展望台から見るよりは一ノ目潟とニノ目潟の間の道路に路駐した方が眺めがよかった。
 秋田に戻ることにした。1810、ローソン男鹿日詰店で店内キッチンのからあげ弁当を買った。車の中で食べた。
 1845、行きと同じ神ガソリンスタンド。ふと操作盤のところにバーコードがぶら下がっているのに気づいた。値下げしてくれるようだった。なんと5円引きで145.8円/Lとなった。他の店より20円安い。これはとんでもないことだった。神ガソリンスタンドはレベルが違い過ぎる!
 1905、道の駅てんのう。ここには温泉があった。1910、天王温泉くらら。普通の温泉だった。風呂上がりにブログを打った。21時まで。

2024/04/29(月)祝「遊佐&にかほ」

 道の駅鳥海ふらっと。よく眠れた。1時頃にトイレ。そっからはあんまり。起床は445。びっくりするくらい県外ナンバー祭りだった。見た感じただの古い感じの道の駅だが、ここには一体何があるのだろう?朝食、昨日のブログの修正、髭剃り。
 555、出発。天気はイヤな感じで曇っていた。605、丸池様。田んぼの中の小川に沿って歩いた。小川の水はとても透明で、まるで水がなかったかのように川底が見えた。小さな橋を渡り森の中へ。少し中に入ったところで、木立の間から緑色の水面が見えた。池の直径は20m。深さは3.5m。瑠璃色という表現を使っていた。濁ってはおらず透明で着色した美しい池だった。
 625、石原莞爾墓所石原莞爾東京裁判の酒田出張法廷の際のエピソードが強烈でありずっと気になっていた。たまたまGoogleマップに出てきて知った。国道7号線から脇道に逸れると、プレハブとお墓があった。プレハブには簡単な石原莞爾の説明書きがあった。石原莞爾は最後は遊佐で自主独立の農場を作ろうとしていたらしい。お墓は大きな土饅頭の上に標柱が立っていた。
 645、旧石原莞爾墓所。元々石原莞爾の墓は別の場所にあった。そこは保安林の中にあることから今の場所に移転されたのだが、元々の方もそのまま残った。実は最初にGoogleマップを頼りに古い方からチャレンジしたのだが、行き方がわからずに失敗していた。改めてネットの力を借りてチャレンジした。ネットを見ないととてもたどり着けそうにない場所にあった。ここもまた土饅頭に標柱が立っていた。それにしても2箇所に分かれてるのは奇妙なことだった。
 715、十六羅漢岩。海岸の岩に十六羅漢彫られていた。数は30くらいあった。全部は探さなかった。これらは近くのお寺の寛海和尚が1864年から5年をかけて彫ったものだった。いい仕事をしたなあ。
 750、三崎公園展望台。日本海に突き出た岬になっており、テントを張ってる人がたくさんいた。眺望はよくなかった。その上曇っていたからなにがなんやら。奥の細道に出てくるのが売りのようだが、よく知らなかった。これが奥の細道という道があったが、ほとんど獣道だった。ほんとかな?
 805、鳥海ブルーライン鳥海山が雪を被ってたからスルーするつもりだったが、3日前に開通したらしい。全長35km、1100mまで一気に上がるとのこと。せっかくだから逝ってみた。
 いきなり「11km先凍結注意」の看板が出てきた。ノーマルタイヤだから凍ってたらイヤだな。一瞬スルーしようかと思ったが、この季節にスタッドレス履いてる車なんていないだろう。そのまま逝くことにした。
 ます霧が出てきた。下から見ても曇ってたから仕方ないか。でも、霧を抜けると晴れていた。そういうもんなんか?海の方を見ると樹海と雲海が見えた。山の裾野が伸びて、V字に切れ込んだ谷はところどころ雪が残っていた。どれもなかなか見られない景色だった。
 8時半、鳥海山鉾立。5合目で標高1100mだった。ここから上には雪がかなり残っていた。たくさんの車がいて、みんな本格的な雪山登山の格好をしていた。冬山にこんなに登ろうとする人がいるとは思わなかった。中にはスキーを持ってる人もいた。バックカントリースキーだろうか?
 840、鉾立ビジターセンター。ビジターセンターには大抵簡単な説明しかないが、ここもそういう感じだった。
 9時、大平展望台。景色は鉾立と似たようなもんだった。庄内平野と海の境目が見えたが、遠くはもやっとしていた。
 鳥海山から下りて、国道7号線を北上して象潟に向かった。この道は1998年のやすをとの東北旅行に行く前に通ってるはずだった。うっすら覚えているような?
 950、道の駅象潟ねむの丘。6階展望室。ここからは象潟、鳥海山日本海が見渡せた。象潟は奥の細道松尾芭蕉が歌に詠んだほど、松島のように海の中に島が点在する場所だったが、1804年の象潟地震で2m地面が隆起して全部陸地になってしまった。ここからの景色は正直あんまりよくなかった。どこが島だったのかわかりにくかった。玉こんにゃくを売ってたので買った。150円。
 1010、蚶満寺(かんまんじ)。こちらの方が象潟が見えるのではないかと期待。駐車場から見た象潟はどこかで見たことがある景色だった。きっとテレビか何かで見たことがあるのだろう。ネットで調べると、この寺には猫が多いらしかった。でも、2匹しかいなかった。拝観料は300円。少しなやんだが、もっと象潟が見える場所があれば後悔しそうなので入ることにした。中からは象潟は見えなかった。入らなければよかった。
 象潟の観光は期待していたが、島がわかりにくくて辛いかなと思った。郷土博物館が休みなのも痛かった。日本海沿いを北上して仁賀保へ移動した。にかほは江戸時代の鳥海山の爆発で火砕流が流れ出た場所で、そのためか家も田んぼも少なくてだいぶ寂しい雰囲気だった。にかほには都市対抗野球の影響でTDKがあることを知っていた。にかほにはあちこちにTDKの名前があり企業城下町の様相だった。
 1055、白瀬南極探検隊記念館。この施設のことは知らなかった。この時間になるととても晴れていた。辺りは湖があり、芝生が広がり、屋外には巨大な帆船や象の遊具があり、子供らがたくさん遊んでいた。遠くには白い鳥海山が鎮座していた。とても気持ちのいい場所になっていた。
 施設の中身は南極探検黎明期の苦労話が事細かに説明されていた。特に白瀬矗が子供の頃から北極探検に目標を定め、稼業のお寺を継がず軍人になったのは驚いた。偉人というのはスタートから違うものだ。また白瀬矗は最初に占守島に派遣されたメンバーだった。最初に北千島に派遣されたメンバーは、ほとんどが越冬に失敗して亡くなったことは知っていたが、まさか白瀬矗がその生き残りだったとは。あとは資金集めに奔走して、後に借金まみれになったとか、日本初の記録映画を撮っていたとかワクワクする話が盛り沢山だった。
 1320、ローソンにかほ平森店。店内キッチンのサンドイッチを食べた。玉子サンドとカツサンド。どちらもめっさおいしかった。変な話、名物とか食べるよりこういう方が安心なんだよなあ。
 TDK歴史みらい館。滅多に来れるところではないからものすごい期待していた。無慈悲な休館orz。近くにあるフェライトこども科学館も閉まっていたorz。また来なきゃいけないのか?
 1350、院内油田跡地。道の駅象潟で知った。山の中の狭いすれ違いもできない道を対向車が来ないようにひたすら祈りながら上った。すると、突然小さな小屋が現れた。
 説明にはポンピングパワー棟となっていた。中には石油を汲み出すための動力を産み出す大きな円盤が水平に設置されていた。これを回してカムにより直線運動に変換した。小屋の中は油の臭いがした。土は黒くて油が染み込んでいた。
 外の少し進んだところには櫓がたっていた。「やぐらR31」という名前がついていた。31番目の櫓という意味だそう。院内の石油は、臭津(くそうず)と言われていて、昔から路頭していたそう。平成7年まで採掘していたことに驚いた。
 日本海沿いをさらに北上した。由利本荘市に入った。ネタがなかったので、14時半、道の駅にしめで情報を集めた。何にも得られなかった。さらに北上。国道7号線は起伏が大きい丘を何度も越えた。まるで北海道のオロロン街道が劣化したような道だった。1505、道の駅岩城に寄ったが、何にも得られなかった。まさか由利本荘市で見るところがないなんて。
 1515、日本ロケット発祥記念之碑。国道から海岸の小路に入ってすぐのところにあった。昭和30年に東京大学生産技術研の糸川博士が日本初のペンシルロケットを飛ばした場所だった。目の前には砂浜があり、当時の村の名前を取って道川海岸といった。
 昼間はなるべく観光に徹して、移動を短くしたいのだが(ドライブは別)、思いがけず秋田市に到着してしまった。まさか観光資源がこんなにないとは思わなかった。
 前倒しで久保田城に行くことにした。久保田藩戊辰戦争で唯一東北の藩としては新政府軍についた。そのため庄内藩南部藩からぼこぼこにされた。久保田城では実際の戦いは起こらなかったが、秋田港には新政府軍からの援軍がたくさんやってきた。ぜひその辺りのことが知りたかった。そのキーとなるであろう佐竹資料館は長期休館中orz。計画を立てないからこうなるorz。
 16時、千秋公園のコインパーキング。千秋公園の名前は聞いたことがあったが、久保田城があった場所だとは思わなかった。久保田城は、石垣がなく、天守閣もなかったらしい。
 1610、久保田城御隅櫓。閉館の20分前。慌てて展示を見た。歴代の佐竹家の説明がされていた。今でも秋田県知事は佐竹さんである。旧幕府についた方はことごとく勢力を削がれたが、秋田は新政府軍についたからなのかもしれない。
 16時半、出発。駐車料金は100円だった。せっかく秋田に来たのだからきりたんぽを狙った。1645、駅前駐車場。
 17時、秋田きりたんぽ屋本店。開店前に5人くらい並んでいた。ギリギリ入れた。私の後ろはアウトだった。きりたんぽ小鍋、比内地鶏のもつ煮、じゅんさいいぶりがっこ。別に特段おいしいって訳じゃないんだけど、食べちゃうんだよなあ。途中で一品サービスがあったり、きりたんぽの紙芝居があったり、いろいろ工夫がされていた。紙芝居の最後は「とっぴんぱらりのぷう」で終わった。これは「めでたしめでたし」という意味とのこと。めっさ腹いっぱいになった。もうダイエットは無理だな。というか最初から破綻してたわ。会計は5555円。わざとなのかよくわからん。
 18時、撤収。1810、駐車料金は300円。腹いっぱいでプールなんてとても無理だった。温泉を探した。
 1820、天然温泉華のゆ。なんのことはない。ルートインだった。900円。風呂は清潔感があり広かった。得したような気がしたが、風呂上がりにゆっくりできるスペースがなかった。これは大きなマイナスだった。
 1910、MEGAドン・キホーテ秋田店。フェイスタオルを買いたかった。プールに行ったために手持ちが足りなくなってしまった。店内はバカみたいに広くてどこにタオルがあるのかわからなかった。ドンキは宝探しみたいで面白いなんて聞いたことがあるが、冗談じゃない。ただの時間の無駄だと思う。2階になくて、1階にあった。6枚買った。
 1950、出発。道の駅に向かった。すぐにローソン秋田川尻総社町店。朝食のパンを買った。
 2015、道の駅あきた港。本当に港にあった。大きな貨物船が停泊していた。目の前にはポートタワーセリオン。高さ100m。闇夜の中に青く光っていた。展望室は無料なので上ってみた。秋田市内が見渡せた。どこがどこだかはさっぱりわからなかった。窓ガラスの一角に吉田輝星のサインが書かれていた。金足農で2018年夏の甲子園準優勝投手。ちょっとサインするには早すぎたんじゃない?

2024/04/28(日)「鶴岡&酒田」

 道の駅月山あさひ博物村。夜中は時折車の音がうるさかった。それに少し山側に入ったからか寒かった。おかけでぐっすり寝たとは言えなかった。起床は5時。朝食後、昨日のブログを書いた。内容は盛りだくさんだった。朝9時まで施設が開かないので書く時間はたっぷりとあった。虫取りして髭剃り。
 道の駅には近くの観光名所が示されていた。その中に横綱柏戸記念館を見つけた。これは行かねば。他にも即身仏のある寺が3つもあった。凄くひかれたが、これでは本来の秋田までたどり着くことができないw。即身仏は前に酒田で見たのでスルーすることにした。
 825、出発。845、鶴岡市櫛引スポーツセンター。横綱柏戸記念館はスポーツセンターの一角にあり、まさかの駐車場満車。近くの河川敷に停めた。今日は天気は夏みたいに暑くて雪を被った月山がよく見えた。スポーツセンターの前には柏戸のブロンズ像があった。とてもリアルにできていた。後ろから見ると、月山と被って印象的な景色となった。
 9時、横綱柏戸記念館。無料。誰もいなかった。柏戸大鵬とともに柏鵬時代を築いたことで有名である。きっと旧櫛引町の英雄だったに違いない。私には引退してからの鏡山審判部長の方が馴染みがあった。柏戸の優勝回数は5回であり、大鵬の32回とは大きく引き離されていた。これは大鵬が強かったというのもあるだろう。大鵬の影に隠れている分、逆にひかれるものがある。巨人大鵬玉子焼きに対して、阪神柏戸目玉焼きは通好みを表すと知った。展示で印象的だったのは、鏡山部屋が再現されていたことだった。真新しい土俵はとても神聖なものに思えた。
 950、出発。本命の致道博物館に移動した。庄内平野の田んぼの中を進んだ。こんなに田んぼしかなくて平和そのものなのにどうして庄内藩は最強だったのか?進行方向の北側には月山とは違う頂上が尖った雪を被った山があった。鳥海山だった。これもまた月山と同じく存在感があった。10時、鶴岡公園西駐車場。
 1010、致道博物館。1000円。2014/1/5以来2回目。庄内藩好きの私には見落とせない場所だった。前回とても内容が豊富であり、床がとんでもなく冷たかったのを覚えている。前回は、展示はすべてきちんと見ることをモットーとしていたが、今回はどうせ忘れるだろうからポイントだけを押さえるスタイルで。
 ①旧西田川郡役所。郡役所なんてあったっけ?この10年間ですっかり忘れていた。見た目は木造の擬西洋建築。1階はドールハウスコレクション、磁器コレクション、2階は縄文弥生など簡単な出土物の紹介だった。どうやら昨日3年ぶりにオープンしたばかりだったみたい。お祝いのお花が飾られていた。
 ②旧庄内藩主御隠殿。戊辰戦争の展示があったが、10年前がどんな展示だったのかはまったく思い出せなかった。展示はすべて写真で撮った。庄内藩の戦いを詳しく動画で説明していたが、写真を撮りたかったので動かないポスターでやって欲しかった。鶴岡の人は戊辰戦争のことをあまり知らないらしい。これは鶴岡が戦場にならなくて、領地外で戦っていたからだ。賊軍だったというのもあるのかもしれない。いつか時代が進んでもっと有名になって欲しいと思う。
 關雎堂(かんしょどう)という部屋で、お茶を出してたので小腹も減ってたことから食べることにした。とちもち。浅入りほうじ茶つき。500円。中にはこし餡が入っていた。黒糖みたいな味がしてとてもおいしかった。
 ③旧鶴岡警察署庁舎。見た目はこれも木造の擬西洋建築。警察署で唯一の重要文化財だそう。
 ④美術展覧会場。ここでは特別展「大名酒井家の名宝」をやっていた。国宝の刀が2振り出展されていた。でも、刀のことは何がいいのかさっぱりわからないんだよなあ。
 ⑤重要有形民俗文化財収蔵庫。⑥民具の蔵(旧御隠殿土蔵)、⑦旧渋谷家住宅(豪雪地帯の多層民家)。いずれも民俗系展示なのでパス。前に足下が凍傷になるかと思ったくらい寒かった3箇所だった。
 致道博物館を撤収し、昼食の店を探した。元城跡の鶴岡公園を越えて一番近そうなお店に行った。1155、肉菜バルNIGOO。店の中はおしゃれな感じだったけど、白い煙が充満しててもわっとしていた。こんなん最近見ないけど?満員だったので少し待った。山形牛ステーキプレート(白米大盛)。いたって普通においしかった。
 鶴岡公園に戻った。1245、荘内神社。寳物殿もあったが、特に面白くなかった。1250、大寳館。10年前にも訪れていたので、今回は外観の写真だけ撮った。
 1305、出発。酒田へ移動することにした。山形道鶴岡ICから日本海東北道へ入り酒田IC下車。
 13時半、南洲会館。昨日の南洲神社の隣にあり展示があったようだが、閉まっていた。西郷さんへの信仰はぜひ聞いてみたかった。
 1350、土門拳記念館。昨日下見済み。建物の設計は谷口吉生。特別展「植田正治土門拳ー巡りあう砂丘ー」をやっていた。植田正治が被写体にポーズを求めるのに対して、土門拳は絶対非演出を唱えていた。2人は表裏一体の関係と言えよう。写真とともに2人のコメントが掲示されていたが、どれも哲学っぽくて深みがあり興味深かった。こないだの岡本太郎もそうだった。芸術家は感覚を言葉で表現できなければいけないのかもしれない。
 展示には常設がなかった。結局、土門拳がどういう人かは、展示室に置いてあったマンガ「鬼の眼土門拳」を読むしかなかった。土門拳の言葉として「写真は肉眼を超える」「モチーフとカメラの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」は面白かった。マンガの説明力は素晴らしかった。あらゆる説明はすべてマンガで説明してもいいのではないか?
 15時半、出発。酒田にはもう一ヶ所行きたい場所があった。
 1545、本間家旧本邸。本間家は北前船で財をなし、当時日本一のお金持ちだった。そして、幕末最強であった庄内藩を資金面で援助した。この建物は武家屋敷と商家造りが一体となった珍しい造りだった。本間家の力を現してると言える。案内のお姉さんに「江差の本間家と関係あるんですか」と聞くと「よく聞かれるんですが、わかりません。もしかすると、どこかで繋がってるかもしれませんね」と言われた。
 16時、別館。道路を挟んだ向かい側にあった。こちらは完全に商家だった。お土産も売っていた。本間家は今もお金持ちなのだろうか?
 1610、出発。酒田ラーメンを調べた。すると「満月」があと20分で閉店だった。ダメ元で行ってみた。
 1620、満月酒田本店。営業中だった。行列もしてなかった。2014/1/4以来2回目。チャーシューワンタンメン煮玉子トッピング大盛1450円。スープを飲むと、煮干しの味がした。これは昨日の花鳥風月よりも味が深いぞ!あとは一心不乱に食べた。ここもまたチャーシューやワンタンがおいしかった。因みに海老は入ってなかった。これは人気ナンバーワンになるだけあるわ。大満足だった。
 1650、出発。日和山公園に夕日を見に行った。途中の上り坂には見覚えがあった。10年前に歩いたところだ。確か映画「おくりびと」のロケ地になったビルがあったはず・・・なかった。記憶違いかな?
 1655、日和山公園第二駐車場。公園の入口に「おくりびとのロケ地」というビルの入口を模した看板が立っていた。取り壊されたか?
 1705、日和山公園の展望広場のベンチに座り、ブログを打ちながら夕日が沈むのを待った。1805、夕日が沈むところが灌木に被っていたので場所を変えた。こっちの方が海の上に光の道ができていた。寒かったのでダウンジャケットを取りにいった。戻ると他の人もやってきていた。でも、夕日は厚い雲の中に消えて行き、光の道もなくなった。
 1825、出発。昨日プールに行かなかったし、連日ラーメンを食べているので、今日はプールに行くことにした。1835、酒田市光ケ丘プール。520円。とにかく水が熱かった。クロール30往復。休憩。クロール20往復。2500m。20時半で切り上げた。シャンプーが使えたので今日の温泉はなし。
 2050、出発。北に行きながら道の駅を狙った。21時、給油。178円/L。この辺りはどこも高かった。ファミリーマート遊佐西浜店で朝食のパンを買った。2125、道の駅鳥海ふらっと。書き込みで満車と書かれていたが、ほとんど埋まっていた。サーフィンかな?
 今日は駆け足で鶴岡と酒田を駆け抜けた。10年前を補完する位置付けだった。じっくり回りたかったが、それはまた次の機会にしよう。余白を残しておくことも大事だ。

2024/04/27(土)「羽黒山」

 道の駅天童温泉。2時に一回トイレに起きた。どうやら明らかに膀胱がもたなくなってきている。そっから寝直したけど、今日はあんまり眠れなかった。ずっと少し寒かった。北に来たからだろうか?起きたのは515。やはりここでも車は多かった。朝食、昨日のブログの修正、髭剃り、虫取り。
 今日は羽黒山に行くことにした。ここには出羽三山神社があった。その中には国宝の五重塔も。本当は出羽三山(月山、湯殿山羽黒山)をすべて回りたかったのだが、月山神社は山頂にあり、本格的な登山になる上に、まだ雪が積もってるらしかった。行くなら夏だな。因みに98年夏のやすをとの東北旅行で出羽三山をそれぞれ回ったような気がするが、ほんとはどこに行ったのかまったく記憶がなかった。その時の写真を見るしかないなあ。
 640、出発。素直に西に行けばいいのになぜかナビは東北中央道の北進を選択。東根ICから新庄IC下車。国道47号線を西に進んだ。この国道は最上川に沿っていた。最上川は狭い山間に緑色の雄大な流れを見せていた。しかもくねくね。松尾芭蕉が俳句を詠み、斎藤茂吉は短歌を詠んだ。人を魅了するものがあるのだろう。球磨川までいかないが、江の川のようだった。そして、途中からは陸羽東線がランデブー。陸羽東線はこんな厳しい地形を走っていたのか?なぜ廃止議論にならないのだろうか不思議。
 国道47号線から南へ分岐。山間の平野を立谷沢川が流れていた。釣りキチ三平に出てきそうな穏やかな清流だった。緑の山の向こうには雪を被った白い山が見えていた。きっとあれが月山だった。あれを登るのは無理だと納得。緑色の平野はしばらく続いた。対向車は全然来なくて、2、3台の地元の軽トラしか見なかった。ただひたすら静かで自然豊かな美しい景色、ここには東北の遅い春があった。
 羽黒山有料道路料金所は400円。道路は登りとなり、825、駐車場となった。羽黒山のどこに着いたかわからなかったが、地図の看板を見ると頂上のようだった。まずはトイレ。有料だった。100円。
 少し参道を歩くと、出羽三山歴史博物館があった。開館は10時からだった。さすがに90分も待つのは辛いと思った。
 目の前が大きく開けた。そこには見たことのない形の大きな鐘楼があった。茅葺きの屋根だった。その後ろには、本殿らしき建物。この本殿も少し変わった見た目をしていた。これは三神合祭殿だった。ここには出羽三山の神様を一ヶ所にまとめて祀っていた。後で知ったのだが、鐘楼も三神合祭殿も重要文化財だった。
 国宝の五重塔を探すと、ここではなかったorz。五重塔は参道を2km下った山の麓の方にあった。あちゃー、なんで最初からそっちに行かなかったんだ?400円払う必要もなかったのに。今さら参道を下る気はまったく起きなかった。明らかに順番が逆だからだ。参道は美しい杉並木だった。めっさ雰囲気がよさそうだった。ここまで来て上らなかったら後悔するだろう。
 850、出発。車で麓に降りた。905、いでは文化記念館の駐車場に駐車。
 手ぶらでお茶も持たずに出発。説明によれば、石段は2445段だった。今までで一番多いかもしれない。まずは立派な石造りの鳥居が現れた。ここからは神様の領域であることを示していた。すぐ先には真っ赤な随神門が現れた。いよいよ参道の始まりだった。
 上りを覚悟してたのに、激しい下りだった。参道の両側には大きな杉が並んでいた。戸隠神社の杉並木よりは小ぶりだが、この大きさでも江戸に植えたのではないかと思った。石段はとてもきれいで形の整った石を使っていた。これもまた好印象だった。空気は若干ひんやりとして澄んでいてとても気持ちよかった。今までで一番よい参道かもしれないと思った。下り階段の先には小川が流れていて、赤い太鼓橋がかかっていた。右の方には糸を引くような滝があった。
 915、国宝羽黒山五重塔。杉の木立の向こうには美しい五重塔が建っていた。通常の五重塔と違い全体的に白かった。木立の間から降り注ぐ光を浴びて光り輝いていた。神秘的な景色だった。何度も写真で見た景色ではあったが、とても感動的だった。
 ここから上り階段が始まった。参道には一の坂から三の坂までがあった。ここは一の坂だった。引き返すなら今のうちだと思ったが、構わず前進した。最初あまり段差が高くなくて二段飛ばしで上っていたが、上に行くに従い傾斜が強くなったため、すぐにバテた。上り階段は若手なのだ。息が切れて、色んな人に追い抜かされた。向かいの人に「こんにちは」と言われるのはいいのだが、追い越される時に言われるのはなんとなく屈辱だった。休み休み上った。時間をかけた方がいい運動になると言い聞かせた。
 急な坂は落ち着くとしばらく平坦な道となった。しかし、平和な時間はほんのわずかだった。次に二の坂が現れた。道の脇には石の柱があり、「二の坂」と書かれていた。二の坂は上が見えなかった。完全に心を折りに来ている坂だった。一歩一歩ゆっくりと上った。汗が噴き出て上着を脱いでシャツ一枚になった。いつも思う。なぜ神社や寺は山の上にあるのだろうか?山を神様と見立てるのもあるだろうが、参道を上ってるうちに無心になるとか、息が切れることで吊り橋効果を狙ってるのではないだろうか?
 突如坂の途中に茶屋が出てきた。945、二の坂茶屋。これは絶対寄るやつでしょ?休憩はもちろんだが、水分補給もしたかった。力餅が名物だったが、ダイエットのため、ところてんを選択。500円。外にある木製の椅子とテーブルからは鶴岡市内を一望できた。鶴岡市内は田んぼばっかりだった。庄内平野は米どころだというこを思い出した。ところてんはお酢とカラシでいただいた。ツルッとしたのど越しはひんやりしていて疲れた身体に染み渡るようだった。一緒に出てきたお茶もまた身体に吸い込まれるようだった。
 955、出発。二の坂の次は少し平坦となった。この先には三の坂が待ち受けていることがわかっていた。そして、三の坂もまた強烈だった。目の見える範囲を上り切ったら、そっからまだ先が続いてた。これもまた心を折りに来ていた。二段ロケットを上った時に、遂に赤い鳥居が見えてきた。人は終わりが見えてくると、疲れを忘れるものである。変な話、もう終わりなの?と思ったくらいだった。とても2445段には思えなかった。サバ読んでる?
 1020、出羽三山歴史博物館。今度は開いてるだろう。建物の中は電気がついてなくて開いてる雰囲気がなかった。入口の扉に貼り紙があった。「冬季休館、四月下旬の開館になります」。今は四月下旬だよな?中からおばさんが出てきたので聞いてみた。「今日やってます?」「明後日からです」。
 1035、下山開始。降りるのは得意だ。走るように降りた。1050、二の坂茶屋。もう一回ところてん。これは明らかにやりすぎた。長い人生を歩んできてそんなこともわからないのか?
 1120、下山。ところてんでお腹は減ってなかったが、名物のそばを食べたかった。「とうげの味処大川商店」。お土産屋さんの一角に飲食コーナーがあった。こういう店には入ってはいけないのだが、この辺りに他には店はなさそうだし。なめこおろし二色盛り大盛(そばと麦きり)。1250円。玉こんにゃく150円。やはりあんまりだった。余計なものを食べた。
 1220、いでは文化記念館。400円。出羽三山が現在、過去、未来を表すことがわかった。
 1315、出発。宿坊街を抜けた。お寺のような宿坊が結構たくさんあって驚いた。雰囲気は高野山ぽかった。
 1320、羽黒山正善院黄金堂。宿坊街の中にあった。重要文化財だから一応押さえで見に来た。びっくりするくらい名刹の雰囲気があった。門からして年期が入っていた。門にはたくさんの草鞋が掛けられていた。門の先には、左手に立派な閻魔様の石像、地蔵が何体も並び、右手には古くて赤いお堂。正面の黄金堂の説明では、三十三観音があるらしかった。中を覗くと、お堂の中にはたくさんの金色の仏像が。東北にこんなに仏像があるのか?びっくりした。入口には南京錠がかけられていて入れなかった。拝観希望の際には向かいの建物に連絡するようになっていた。迷ったけど、ここまで来たら行かないわけにはいかない。呼び鈴を押した。しばらくしたらおじさんが出てきた。開けてくれることになった。
 門のところで待ってると、来たのは作務衣を来たおばさんだった。門の草鞋のことを聞いたら、昔はここが羽黒山の入口で、足の悪い人が山に上れないので草鞋をここにかけて上ったことにする風習があったとか。そのうち山に上る人が実際に山の上まで草鞋を持っていってあげるようになったらしい。気さくな感じの人で「カメムシが多いので気をつけて下さい」と言われた。鍵を開けてもらって中に入ると、畳の上には見たこともないくらいカメムシがいた。おばさんはホウキとちり取りで掃除していた。
 お堂の中は暗くて、おばさんがろうそくに火をつけてくれた。すると、真ん中に3体の座像、両脇に15体ずつの立像が現れた。素晴らしかった。彫りは浅くて平安ぽかった。でも、見たことのない衣服の表現だった。顔は金色で江戸ぽかった。仏像の年代はわからないらしかった。東北に京都の例をそのまま当てはめられないからなあ。顔も江戸に改修されてるとか。
 内陣の周りをぐるっと回れた。元々羽黒山にあった仏像を神仏分離の際にはここに移したとか。これってもの凄いお宝ではないか?門の入口の閻魔様も元々赤い橋の前にあった。そして川は三途の川を表していたとか。ここには五重塔の中の仏像があった。国宝の中の仏像は国宝でないのか?なぜここにひっそりと?他にも印象的な大黒天が二体。これってみうらじゅんが見たら歓喜しそうな奴だなあ。どれも物凄く価値がありそうなものばかりだった。
 おばさんとの会話は楽しかった。比叡山の横川の話や、おたけ大日如来の話など、ためになる話ばかりだった。まさかまったく期待してないところでこんな生きた地元の話を聞けるなんて。僥倖以外の何物でもなかった。旅はこれだから面白い。
 1520、出発。元々土門拳記念館に行くつもりだったがすっかり遅くなってしまった。それでも一応行ってみることにした。場所が南の鶴岡か北の酒田かを気にしてなかったので、酒田だったのには焦った。まだ鶴岡を見てないのに。
 1610、土門拳記念館。飯森山公園という大きな公園の一角にあった。展示のボリュームがありそうなので、明日に先送りすることにした。
 1620、南洲神社。偶然飯森山公園の一角にあった。戊辰戦争で敗れた庄内藩は、新政府の西郷隆盛から厳しい処分が下されると覚悟したが、寛大な処置で済んだため西郷隆盛を祀るようになった。菅実秀と西郷隆盛が向い合わせで座っている像が印象的だった。
 1635、山居倉庫。ここは米穀倉庫であり、酒田のシンボルでもある。明治に建てられた10棟の蔵が連続して並んでいた。ここには2014/1/4にも訪れていた。ずっと再訪したかった。今日は中にも入ることができた。中の一部は土産物屋さんになっていた。裏手の欅並木を楽しみにしていたが、期待どおりに美しかった。
 1720、出発。酒田はラーメンが有名だった。月系ラーメンというらしく、店の名前には「月」がついた(流石に「らあめん花月嵐」は違うだろうが)。前は「満月」というラーメンを並んで食べたことがあった。味は覚えてなかった。今日は「満月」は閉まっていたので、17時半、「花鳥風月」。花鳥風月ラーメン大盛。醤油ベースにアゴだしを感じた。スープは薄くて、アゴだしはあんまり好きじゃない。前に村上で食べた「ちくら」の方が尖ってたかな?具はチャーシュー、シナチク、普通のワンタンと海老ワンタン、半熟卵。海老ワンタンが特徴でおいしかった。これはもっと流行らすべき。
 1820、出発。プールに行こうかと思ったが、お腹いっぱいだった(行く気ないだろ)。夕日がきれいだったので湯野浜温泉に行くことにした。でも、途中で日は沈んでしまった。日本海東北道を酒田ICから庄内空港ICまで。一区間かい!
 1850、山形県県民の海・プールスパール。1時間しかなかったのでスルーした。
 19時、奥湯野浜温泉龍乃湯。高級旅館でイヤな予感がした。やはり2時で日帰り入浴は終わったらしかった。このパターン多いなあ。
 近くに鶴岡市湯野浜下区公衆浴場があったので行ってみた。すると、明らかに駅名標が。もしかして、駅跡?車を降りて写真を撮った。駅跡の確信はなかったが、サイクリングロードになっていた。後で調べると山形交通湯野浜線の湯野浜温泉駅跡だった。予期せずに駅跡に遭遇することがあるんだなあ。
 公衆浴場は渋い見た目をしていたが、駐車場の場所がわからなくて散々迷って撤収したorz。
 数%を求めて鶴岡市内へ。暗闇の田んぼは漆黒の闇であり、まるで海のようだった。
 1950、庄内おばこの里こまぎ天然温泉こまぎの湯。600円。温泉らしいけど、まったくそんな雰囲気はなかった。入浴後はブログを打った。
 2055、出発。21時半、道の駅月山あさひ博物村。真っ暗で静かでびっくりした。疲れたので、ブログを書かずに寝ることにした。

2024/04/26(金)年休「天童」

 那須高原SA。一度415にトイレに起きた。寝床の中が温かくてとても気持ちがよくて二度寝した。起床は615。SAにはとても車中泊が多かった。もしかすると、増えてるのかもしれない。朝食後、髭剃り、虫取り。
 650、出発。東北道から東北中央道へ。東北中央道は奥羽線でいうところの板谷峠。それなのに対面通行で重いトラックが道を塞いでいたorz。栗子トンネルは8972m。無料で通れるトンネルでは最長。8時半、南陽PAで戦略を練った。かみのやま温泉IC下車。
 845、セブンイレブン上山金生店。近くのスカイタワー41の写真を撮りたかった。スカイタワー41は山形の田園地帯に突如現れる高層マンション。乗り鉄の頃からインパクトのある景色で気になっていた。ネット記事によれば、住むのは便利らしかった。ここからは建物が近すぎて田園地帯であることがまったく伝わらない写真だったので、場所を変えた。近くの川の堤防から撮ると満足いく写真となった。こうやってイメージは作られていくんですね。
 910、斎藤茂吉記念館。600円。JR奥羽線斎藤茂吉記念館前駅があるため気になっていた。2022/11/3には駐車場に車を停めるところまで近づいていたが、ようやく今日念願が果たせた。建物は洗練されていた。谷口吉生の建築だった。確かこれから行くつもりの土門拳記念館も谷口吉生の建築だった。谷口吉生がどういう人かは知らないけど。
 斎藤茂吉は教科書に出ていたので知っていたが、何をした人かは忘れていた。俳句?短歌?詩人?斎藤茂吉は短歌の人だった。斎藤茂吉の短歌がこれでもかというくらいに散りばめられていてとても内容は多彩だった。斎藤茂吉正岡子規の門人である伊藤左千夫に師事した。正岡子規の流れを組むことで写生写実主義がベースとなっている。斎藤茂吉が提唱したのは実相観入である。実相観入とは表面的な写生にとどまらず、対象に自己を投入して、自己と対象とが一つになった世界を具象的に写そうとするものだそう。
 因みに斎藤茂吉は医者に養子にだされた。養父は日本で初めて民間で精神病院を建てた人である。斎藤茂吉もその跡を継いだ。学生時代から短歌を始めて、色々な文人達との交流があった。そのメンバーは森鴎外芥川龍之介石川啄木などそうそうたるものであった。斎藤茂吉の長男も次男も有名で、次男は北杜夫である。こういうのを見てると、環境って大切なんだだなと思う。
 たくさんの短歌を見てると、自分も詠めるような気がしてくるのは不思議なもんで。短歌に現代的な表現を組み込んだら新しいんじゃないかと思ったら、ロビーに短歌コンクールの結果が張ってあった。その中の小学生の作品がとても衝撃的でぶっとんだ。小学生の発想の飛躍と無垢さには誰も敵わないのかもしれない。
 11時半、出発。12時、給油。1205、山形駅東口交通センターの駐車場。「かかし」へ。2023/11/3以来何回目かわからないw。私はここのねぎ塩牛タン定食ご飯大盛が大好きだ。前回ちょっとアレっと思ったが、今回はどうだろう?うーん、やはりインパクトがなくなってきたかな?次は別のメニューにした方がいいかも。
 12時半、出発。駐車場は30分200円だった。ツルハドラッグの駐車場で戦略を立てた。1255、出発。天童に向かった。天童には昨年訪れてるが、プールに行っただけだった。ベースにあるのが2012/3/20。電車で来て、日帰り温泉を探したが、散々歩いて全滅した。今日はその悪い思い出を上書きしたかった。
 13時半、天童駅のパルテ駐車場。天童市将棋資料室。320円。将棋の歴史や駒の種類など。展示は小規模だった。もっと大々的にやればいいのに。「どうぶつしょうぎ」があったのには笑った。
 14時半、栄春堂。ここでは将棋の駒や盤を売っていた。外国人の職人さんが一心不乱に駒を彫っていた。店の中には「将棋の小さな博物館」があった。内容はだいぶ古くて資料室とも被っていた。入場料は無料なので、何か買うことにした。しかし、木駒は高かった。あまり欲しくはなかったけど、400円のシャーペンにした。シャーペンが400円?
 1455、天童公園の舞鶴山。ここは人間将棋の会場だった。人間将棋とは人一人が一つの駒になり、広場を巨大な将棋盤に見立てて対局するイベントである。緑の原っぱの奥が高台になっていた。高台から原っぱを眺めるのだろう。高台には将棋の駒の形をした将棋供養塔があった。何を供養するのだろう?
 1520、将棋むら。別名天童タワー。国道13号線沿いに大きな将棋の駒を模した立体看板があり、見た目のインパクトがあった。中は昔ながらのドライブインだった。
 1540、天童織田の里歴史館。名前からしてあまり乗り気でなかったのだが、時間潰しで。そしたら、ここは元々、天童市立旧東村山郡役所資料館という名前であり、立派な木造の洋館が建っていた。私は江差以来郡役所の建物にひかれてるのである。俄然やる気が出てきた。220円。
 天童藩織田信長の次男信雄の子孫が統治した。幕末の戊辰戦争では、長州藩の命令により家老の吉田大八が中心となって庄内藩を攻めたが、後に奥羽越列藩同盟に参加して庄内藩と同じ陣営になることとなった。面白くない庄内藩は吉田大八を差し出せと言った。そして、天童藩は吉田大八に切腹を命じた。私はこの話を知らなかった。まるで赤報隊と同じではないかと思った。因みに私は庄内藩が好きなのだが、天童では町を焼き討ちにしただの完全に悪者扱いされていた。
 1640、山形県総合運動公園屋内プール。2023/11/4以来3回目。プールは中3日。このままだと旅行中にブクブク太りそうなので、泳ぎたくて仕方がなかった。今日は晩飯も抜くつもりだった。280円。安い!プールまでの道や更衣室やプールには見覚えがあった。泳ぐ時に身体を伸ばしてたら気持ちよく泳げたが、最後は足がつりまくった。まだ1時間泳げたが、さすがに止めた。26.5往復。休憩。28.5往復。2750m。
 12年前のリベンジで天童温泉に向かった。途中、倉津川の両岸がライトアップされていてとても美しかった。
 19時半、ほほえみの宿滝の湯。ここは日帰り温泉でネットの評判がすこぶるよかった。安くて、接客も抜群とのこと。確かに入り口のところにたくさんのスタッフがいて手厚くもてなししてるのがわかった。若い男性スタッフに「日帰り温泉ってやってます?」と聞くと、「2時に終わりました。この辺りはどこもそれくらいで終わりますね。大衆浴場なら1箇所ありますよ。確かはな駒・・・」。100点満点の素晴らしい接客だった。
 1940、天童温泉はな駒荘。350円。安い!もしかしてと思い、受付でシャンプーがあるか聞いたら、おじさんに「ある」と無愛想に言われた。ここの口コミは愛想がないだったことを思い出した。愛想を求める訳じゃないが、普通にできないもんかな?脱衣場も注意書きだらけだった。浴場はこじんまりとしていた。泉質は臭いも色もなく、温泉ぽくはなかった。温水プールの後だから、湯船に長く浸かる必要もなかった。シャンプーしたらすぐに出た。風呂上がりはソファーに座りブログを打った。こういうのって久しぶりだなあ。
 21時、出発。2110、ローソン天童糠塚店で明日の朝食のパンを買った。2115、道の駅天童温泉。広くてたくさんの車が停まっていた。
 今日回ったところは博物館としては展示はわかりにくくていまいちだった。未だに検温と消毒がセットで残ってたり、どこも一様に写真撮影禁止なのも面白くなかった。一方で斎藤茂吉記念館に行けて、天童にリベンジを果たせたのはよかった。なにより泳げたから花丸だ。

2024/04/25(木)「出発」

 今日からGWの旅行に行くつもりだった。今年も東北、狙うは秋田を中心とした日本海側。15時半に退社。17時過ぎに帰宅。ボストンバッグに着替えやら旅行グッズを詰め込んだ。シェーバーの充電を一杯にしたり、スマホの写真をハードディスクに移したり、風呂に入ったりした。1840、部屋を出た。外は暑いくらいだったが、防寒対策用のダウンジャケットを忘れたことに気づいて部屋に戻った。1850、再出発。1910、マクドナルド14号稲毛店。1945、給油。やっと出発。お腹が少し痛かった。
 東関道から外環へ。外環にはトイレはなかった。渋滞してたらイヤだなと思ったけど、大丈夫だった。すると、給油口の扉が開いているのに気づいた。うおっ。でも、それ以上開かなかった。閉め忘れても大丈夫なようにできてるのかな?東北道に入ってすぐ、2035、蓮田SA。トイレに駆け込んだ。2105、出発。あっ!給油口!2120、羽生SA。給油口の扉を閉めた。
 仙台まで行くつもりだったのに眠くなってきた。最近、寝るのが早かったからなあ。2235、那須高原SA。ここで寝ることにする。

2024/04/24(水)「堕落」

 起床は525。昨日の608はギリギリだったので、今日の622発はさすがに混んでるかなと思ったら、なぜかガラガラだった。GWの影響にしては早過ぎるので、内房外房からの接続か?ジョルダンで調べると、やはり内房外房の接続かわないようだった。一度一覧表を作る必要があるかな?
 今日は泳ぐ気マンマンだったが、GWが近いということでサボってしまった。新浦安のサイゼリヤ。GW明けからは絶対頑張らねば。

2024/04/23(火)「弛み」

 起床は520。608発は端っこに座れた。
 プールはサボり。追い込んでもどうせGWだしなあ(悪い癖)。新浦安のサイゼリヤ。カラオケに行こうとしたら休みだった。併設してる「やるき茶屋」を「やるき酒場」に改装してるらしい。何がちゃうねん!

2024/04/22(月)「再開」

 起床は545。もっと眠りたかったけど、ほとんど眠れなかった。体重は65.5kgまで増えていた。またイチからやり直しか。639発の車内を見ると、一つも席は空いておらず無理だと諦めたら、奇跡的に1つ空いていて座ることができた。
 19時、新習志野のプール。プールは中6日。前半素晴らしかったが、あまり距離は伸びなかった。後半はだらけてしまった。クロール14.5往復。休憩。クロール9.5往復。2400m。

2024/04/21(日)「京都」

 東横イン奈良王寺駅南口。610、起床。6時半に朝食。3日連続一番乗り!身支度をしてから、午前中に行く場所を調べた。昨日テレビのニュースで舞洲ネモフィラがきれいと紹介していた。720、チェックアウト。今にも雨が降りそうな天気だった。
 731発大和路快速。大阪の降水確率は90%だった。西九条で桜島線に乗り換え、807発桜島行き。まさか乗り潰し以外で桜島に行くとは(驚)。しかも、立つ人がいるくらい混んでいた。これらの人たちの3/4はユニバーサルシティで降りていった。まるで舞浜かと思った。終点桜島には大阪万博のポスターが貼られていた。大阪万博はさらに沖の夢島で行われる。島の名前の付け方が東京と同じなんだよなあ。桜島で降りた人たちの大半はゾロゾロとそのまま西に歩いて行った。どこに行くんだろうか?通勤だろうか?
 ついに小雨が降り始めてきた。桜島駅前にはそれっぽいバスが一台ハザードを点けて停まっていた。桜島駅前バス停。乗ったのは私を含めて3人だけ。開園時間には早すぎるし、天気も悪いからだろう。でも、バスの席はほぼ席は埋まっていた。北港観光バス。210円。大阪のバスでICカード使えないなんて。820出発。とてつもなく巨大な橋を渡って舞洲へ上陸した。ここから先は初めての区域だった。地図上では巨大な埋め立て地にしか見えないが、サッカー場や野球場があり、意外と栄えている印象だった。ただバスしかアクセスがなく、土地の使い方を持て余してるというか。
 735、ホテル・ロッジ舞洲前バス停下車。先程よりも雨の勢いは増して、傘が必要だった。ネモフィラ祭りは大阪まいしまシーサイドパークというところで開催されていた。チケット売り場には傘をさした30人くらいが並んでいた。開園ダッシュかますには人が多すぎた。ブログを打ちながら待った。
 9時前に列が動き始めた。当日券は1500円。昔の私なら決して払わなかっただろう。今の大阪の人は舞洲くんだりまで花を見るためだけに1500円も払うのだろうか?
 目に飛び込んできたネモフィラ畑は、まるで水色の絨毯のようだった。しかし、思ってたより規模は小さいように思えた。さすがにテレビの切り取りかと思ったが、園内をよく見るととても横に長くて、見ようによっては地平線までネモフィラ畑が続いていた。ここには100万株のネモフィラがあるようだった。あいにくの天気だったが、どんより曇った空もまたネモフィラの水色にはマッチしているように思えた。
 ネモフィラは直径3cmくらいの小さな花で、真ん中が白く外側が水色だった。青いバラがないように、水色の花というのは珍しいかもしれない。一株からは茎がニ十本くらい出てて、いくつもの花を咲かせていた。高さはくるぶしのちょい上くらいで、テレビによれば雑草が生えると花が見えなくなるので除草が大切だとか。ネモフィラの中には時折花全体が白かったり、同じ種類かわからないけど、鮮やかなオレンジ色の花があった。
 940、撤収。955発のバスでJRユニバーサルシティ駅前まで。思いがけずユニバーサルシティ駅に行くことになった。皆が高級リゾートホテルの中に入っていくので後についていったが、エレベーター待ちしてるとさすがに違う感じがしてきた。一旦入り口に戻り、入り口のところにいた格好いいホテルの制服をきたきれいなお姉さんに駅の場所を聞いた。お姉さんは満面の笑顔で「ホテルのエレベーターで3階に行っていただいて、右に曲がるとメインフロントがありますので、そこを真っ直ぐ行けば駅です。雨で足下が濡れているのでお気をつけて進んで下さいね」、ここも夢の国と同じようだと思った。
 こんなところを通っていいのだろうかと思うようなきれいなホテルの中を歩くと、外国みたいな町並みの場所に出た。まるでイクスピアリではないか!舞浜のようでいて大阪には不釣り合いな施設ではないかとも思ったが、たくさんのお客さんで賑わっていたので、最近はそういうのが支持されるんだろうなあと思ったり。
 1035、大阪下車。1045、スナックパークのいか焼き。隙あらばいか焼き。いや、これが一番の目的かもしれない?30人くらい並んでいた。朝からご苦労さんやな。いか焼き、デラバン、和風デラ、ネギいか焼き。これぞ大阪グルメや!
 1140、阪急大阪梅田発京都河原町行き特急。1225、京都河原町到着。1240、上島珈琲店河原町店。ミルクココア大は800円。インバウンド価格かと思ったら、めっさデカイココアが出できて大満足だった。
 13時、ミープル。いつものイナさん、ウメさん、Mさん。アグリコラ。家庭教師とホラ吹き。両方満点。盤面はボロボロ。序盤でかまどとレン窯両方行ったのが敗因かと。楽しかったからいいか。
 donpaが来て、ゼロ。ゲシェンクたほいやウミガメのスープ。ハーベスト。スカルキング。
 19時半、撤収。今日の駅弁は「黒毛和牛100%お疲れ様です!牛めし京都ロケ弁です!」(京都太秦穂久彩)、前回初めて買ったけど、ダントツにおいしくて、しかも値段も控え目。失くならないで欲しいなあ。20時半ののぞみで東京まで。「新幹線0号」を思い出してしまったw。帰宅は24時。
 今回の遠征は楽しかった。先週のつくばから完全に潮目が変わったみたいだった。たった一日あれば、状況は逆転できると思えたのが大きかった。我慢して仕事して泳いでてよかった。結局、一時期の感情に流されるよりもやることをやった方が大きいのだ。まだまだ綱渡りな状況は続くけど、明日からも頑張ろう。あと一週間頑張れば次はGWだ!