mrbq(松永 良平 blog Q)

2012-01-23 ア・スマイル・アンド・ア・リボン その5

楽屋から出てきて席に着こうとしたとき、

見かけた顔が話かけてきた。


マイケル・シェリーだ。


2001年にマーシャル・クレンショーとの来日公演を

ぼくが手伝って以来の仲。


当時、彼は

ソロとしても良い感じのアルバムを出して売り出していたけど、

ぼくは彼がティーンエイジ・ファンクラブのノーマンとやったデュオ、

チーキー・モンキーのアルバムが好きだった。


現在もミュージシャンとして作品をつくり続けている彼だが、

ニューヨーク・エリアでの現在の知名度は

ニュージャージーのFM局WFMUの専属DJとしてだろう。

毎年秋にNYで開催されるWFMU主宰のレコード・フェアで、

必ず年に一度は再会する。


「そう言えば去年の秋、トムのことを話したよね」


そうだった。

WFMUの会場で30分ほど立ち話をしたとき

話題の中心はトムのことだった。


あの日

表は季節外れの雪だった。


まだその時点ではトムは入院していなかったけれど、

表立ったニュースがないことに

ファンがなんとなく気を揉んでいたのは確かだった。


いけねえ、いけねえ。

またしんみりしちまう。


ところでマイケルは

ここしばらくのNRBQには点が辛いということも

ぼくは知っていた。

それでも近くでライヴがあれば顔を出す。

彼はそういう辛抱強いタイプ(粘着質とも言う)のファン。


でも今日は

ちゃんとファースト・セットから通しで見てるのだという。


「最近のQはどうなの?」

「いいね。バンドのアンサンブルがどんどん固まってきてる」


お、意外に前向きな答え。


「特にスコット。

 彼ほどすごいギタリストは若手ではなかなかいないよ。

 ジャズもカントリーも簡単に弾いてみせて、

 テリーのやりたいことがわかってる」

「だから、こうして見にきてるってわけだ」

「そうだね。

 スコットは昔のアルにも匹敵するよ」


そこまで話したところで客電が落ちた。


「じゃ、またあとで」


ぼくらはそれぞれの席に戻った。

MCがバンドを紹介し、

足早にメンバーが舞台に駆け上がっていった。

なつかしい匂いのする

駆け込み方だ。(つづく)

2012-01-22 ア・スマイル・アンド・ア・リボン その4

テリーとぼくの

話がしんみりとしかけたとき

楽屋にだれかが入ってきた。


本当なら

ぼくが一番会いたかったひと

ジェイク・ジェイコブスだった。


「よっこらしょ」と日本語で言ったわけではないが

すこしくたびれた様子で

ジェイクはぼくたちの近くに腰掛けた。


確か今70歳くらいのはず。

12年前に日本に来たときも

ずいぶんお年寄りに見えたけど

あのころはまだ50代だったんだなあ。


ジェイクが来たところで

テリーも話を打ち切ったので

ぼくはあらためてジェイクに自己紹介をした。


「実は12年前にあなたにインタビューしているんですよ」

「そうなの?

 わたしはもう歳だから、そんな昔のことは覚えてないなあ」

「そのときに新作をつくっているというお話だったので

 出来上がったらこの取材を記事にしますと約束したんです。

 だからそれから12年待ちました」

「そうだったのか、それはごめんよ(笑)

 それにしても、あのときの日本は楽しかったな」

「新作に入ってる曲も、いくつかやっていましたよね。

 キンクスについての曲とか」

「そうだったね。

 実は、日本でのコンサートで

 ひとつだけ後悔していることがあるんだ」

「なんですか?」

「あのときわたしは弾き語り用に

 エレクトリック・ギターを選択してしまった。

 あれは絶対にアコースティックでやるべきだったよ。

 今でも反省してる」


12年も前の日本公演のことを

今もそんなふうに後悔してるなんて。

ジェイクの意外と“気にしい”な一面と

あのときのパフォーマンスを

この才人にとっては忘れ難い晴れ舞台として覚えているという事実の両方に

ぼくはすっかり感じ入ってしまった。


「日本のひとたちはみんなやさしかった」


そうジェイクが言ったとき

さらに楽屋にスコット・リゴンが戻ってきて

彼も2年前に日本に行ったときの話をしはじめ、

そこから話題が別の方向に転んでいったので

ぼくもそろそろ楽屋を出ることにした。


セカンド・セットの準備が

はじまるんだ。(つづく)

2012-01-21 ア・スマイル・アンド・ア・リボン その3

場内にはいると

雰囲気はアフター・アワーズ。


現在のNRBQのメンバーである

ギターのスコット・リゴン、

ベースのピート・ドネリー、

ドラムスのコンラッド・シュークルーンが、

そこここでなじみのお客と立ち話に興じていた。


そして楽屋口のほうに

テリー・アダムス。

なじみのお客さん数人と

いつものように楽しげに会話している。


この10日間のツアーには

サックスとトロンボーンのホーンズが参加している。

トロンボーンはドン・アダムス(テリーの兄)ではないけれど、

デューク・エリントンの最晩年のビッグバンドに

在籍経験のある名手アート・バロン。

サックスは

NRBQのホール・ウィート・ホーンズとして

来日経験もあるクレム・クレムリック。

だから、彼の顔はとてもなつかしい。


あ、ジェイク・ジェイコブスもいた。

あとであいさつをしないと。


まずはジャン・ジャンの言ったとおり、

テリーにぼくが来ていることを告げよう。


おずおずと近づいてみる。

すると向こうから話を中断して

「ヘーイ」と声をかけてきてくれた。

なぜぼくがここにいるのか

話さずとも彼はもうわかっているような気がしたが

それでもなにか言いたかった。


「トムの家に行ってきたんだ」


テリーは不意に本音がもれたようなまじめな顔をして

「あとで楽屋に来い」と

小声でぼくにささやいた。


そして

お客さんとの話を切り上げると

ぼくに手招きをして楽屋へ。


すこし話を。

ここに書けないというほどの打ち明け話ではないけれど、

ふたりだけの話を。

トムの話を。

短い言葉で尽きない話を。(つづく)

2012-01-20 ア・スマイル・アンド・ア・リボン その2

イリジウムは

レス・ポールが亡くなるまでの数年間

毎週月曜日にライヴを行っていたことでも有名だ。


それから、

つい何年か前までは

毎週日曜日のブランチ・コンサートはボブ・ドロウがやっていた。


ぼくはボブ・ドロウは見ることが叶わなかったけれど、

レス・ポールは一度だけ見ることが出来た。


イリジウムの夜のスケジュールは

きっちり決まっていて

毎晩8時と10時の2セット。


入れ替え制だが

客が望めば居座ってもよい(チャージは2回分払う)。


もっとも

ライヴは生き物なので

なかなか時間通りにことは進まない。

レス・ポールを見たのは

10時スタートのセカンド・セットだったが

結局すべてが終わったころには

夜1時近かったと記憶している。


それでも

長蛇の列をなすサイン待ちの客が切れるまで

89歳(当時)のレス・ポールはちゃんと接していて、

その肉体の頑丈さにおどろくと同時に

ミュージシャン稼業というものにまつわる覚悟みたいなものを

見せられた気がした。


そのイリジウムでのNRBQ。

初日のファースト・セットは

時間の都合で見逃してしまったけれど

10時スタートのセカンド・セットには間に合いそう。


急ぎ足で階段を降りていくと、

ローディーのジャンジャンに出くわした。


99年以降の日本ツアーのすべてを担当した腕利き。

ジョージ・クルーニーを若くして

すこし酒にだらしなくしたような感じのイイ男。


英語では“John John”なので

本当は“ジョンジョン”と呼ぶべきなのだが

テリーもみんなも“ジャンジャン”と呼んでいるので

ぼくもそれにならっているというわけ。

最近はあちこちのバンドから声がかかってお忙しのはずだが

今回のツアーでもテリーのアシストをするんだな。


懐かしい顔を見て、

「いよー、ひさしぶり」とハグ。


「トムのことは残念だったな。

 テリーに会えよ。

 今しがたファースト・セットが終わったところだから」


なにげない言葉だが

ぼくはごくっとツバを飲み込んだ。


テリーと会う。

シラフで泣かずに会えるのかな、おれ。(つづく)

2012-01-19 ア・スマイル・アンド・ア・リボン その1

これから書く話は

2012年の1月17日と18日の2日間、

マンハッタンのジャズ・クラブ、

イリジウムにNRBQの2デイズを見に行ったときのこと。


もともと

ぼくがこのライヴを見に行く予定を立てたのは

ジェイク&ザ・レスト・オブ・ジュエルズの名義で

素晴らしいソロ・アルバムを発表した

ニューヨーク・グッドタイム・ミュージックの生き証人

ジェイク・ジェイコブスがNRBQをバックに歌うのを

見ておきたかったからだった。


ところが

その直前の1月6日

NRBQで30年以上にわたってドラムを叩き

デブで巨体で愛くるしいキャラクターと

博学という言葉になんか収まりきらない愛情で

音楽に接し

レコードを収集してきたトム・アルドリーノが

亡くなってしまった。


単に尊敬すべきミュージシャンという以上のつきあいを

ぼくはしてきたという自覚があり

ひどく動揺した。


その動揺は

その数日後から

NRBQとして10日間ほどのツアーを始めることにしていた

テリー・アダムスにとってもおなじこと。


いや

おなじことだなんて言うのは

おこがましい。


悼むとか

偲ぶとか

そういうこぎれいな言葉ではまとめようもない

荒れ狂う感情の波と

重くてつめたい悲しみに

一緒に生きたぶんだけ

ひとはさらされる。


それでも

彼らはロードに出ることを決めた。


無二の盟友の死。

言葉にするとたったの七文字しかないが、

実際には、その喪失感ははかりしれない。


トムの愛した音楽が鳴っていることが

たむけになると思えるし

仕事をすることで

すこしでも気が晴れるってこともあるだろう。


ぼくたちもそれを願う。

それに

しょんぼりとしたNRBQなんて

間違ってもぼくは見たくない!


そう思いながら

ブロードウェイから地下へと

イリジウムの階段を降りた。


すこし長くなるかもしれないけど

この2日間でぼくが見たこと

だれかと話したこと

感じたことを

書いていきます。


無二の友人の追悼というより

愛すべき数寄者たちの音楽と人生をめぐる

群像劇みたいなものに仕上げられたらしあわせなんだけど。(つづく)

2012-01-18 告知です

このブログの日付は1月18日ですが、

今現在はもう2月2日です。


時系列的には思いきりとんじゃってますが、

告知です。


2月4日(土)

都内2ヶ所でイベントをハシゴします。


その1。


東京新木場STUDIO COASTで開催されるライヴ・イヴェント

De La FANTASIA 2012」のなかの

トーク・コーナー「Raymond Scott Exhibition」に出演します。


近日中に発売予定のCD「レイモンド・スコット・ソングブック」の企画者である

デザイナーの岡田崇さんとのトークを務めさせていただきます。


基本的には

ぼくはお客さん代表といいますか

「うわあー!」と驚き目を見張る係でありたいなと。


タイムテーブルはこちら


直前にceroやテニスコーツも出演が決まって

さらに幅の広い感じになりました。


当日券も発売されるそうですから

寒中ではありますが

この素晴らしい顔ぶれにご興味ありますかたは是非。


で、

その2。


イベント終了後は

恵比寿にレコード持って移動します。


いつもお世話になっている

恵比寿のcafe tenementにて

恒例のレコード・パーティー「GARDEN」へ。


「GARDEN」

2/4(土)@恵比寿tenement

東京都渋谷区恵比寿2-39-4 (TEL : 03-3440-6771)

20:00 - 26:00

charge free(要オーダー)


DJ:内田靖人/渡邉誠/松永良平


今回より、この3人がレギュラーになります。


ぼくの合流はすこし遅れますが

シングル盤いっぱい持って行こうかなと。

2012-01-17 三匹の猫と一匹のドラマー その15

よく晴れた冬の寒い朝

駅まで迎えに来てもらい

車で目的地に着いた。

鍵をあけてなかに入る。

昔はこの家に来ると

なかでたいていやかましく音楽が鳴っていて

ドアをどんどんと叩いたり

ドラマーの名前をおおきな声で呼んだりしなくちゃいけないことがよくあった。

それでもなかなか通じなくて

3分間のポップスがフェードアウトする瞬間を見計らって

名前を呼びかけたら気づいてくれた。

そのときにおおきな三毛猫も一緒に着いてきて

わずかに開いたドアのすき間から外に出ようとうかがうものだから

彼は「ダメだよ、ダメだよ」と猫を抱きかかえた。

きょとんとした顔をしたその猫の名をドラマーはやさしく呼んだ。

その名前がぼくも好きだった。

今はもうそのドラマーも猫もいない。

猫はもう2年くらい前に

この家を去っていた。

正確な年齢はわからないけど

十数年は生きたと思う。

王様を失ったこの家をぼくが訪れたとき

ドラマーはもっと気落ちしてしまっているかと思ったものだけど

彼はなんとかふんばって気丈にふるまってみせていた。

ケンカの仲裁役を失った二匹の猫

メグとフェデラルは

ますます激しくやりあっていた。

戦国の歴史が物語るように

領主を失った領土をめぐる争いは

どうしたって血なまぐさくなる。

「でもね」

ドラマーは言った。

「最近わかったんだ。

 フェデラルは争いを望んでないよ。

 むしろ気が荒いのはメグのほうだった」

王様亡きあと

秘められていた女王様の性格があらわになったということだろうか。

実際

メグは以前ほどシャイに身を隠したりせず

ときおり悠然と姿を現した。

からだつきもすごくおおきくなっていた。

「前は隠れてるあいだに自分のエサを食べられちゃっていたけど、

 今は好きなだけ食べられるからね」

ドラマーはそんなことを言っていた。

そのメグとフェデラルも

もうこの家にはいない。

ドラマーが入院してこの家にいなくなったとき

二匹はそれぞれ別の家にもらわれていった。

あとでわかったことだが

自分に万が一のことがあったらそうしてほしいと

ドラマー自身が以前から決めていたのだという。

猫もドラマーもいなくなった家に足を踏み込むことを

ぼくはすこしおそれていた。

泣いてしまうんじゃないかと思っていた。

一歩二歩……

案内をしてもらいながらキッチンを通って奥のほうへ。

すでに遺品の整理や掃除の手がかなりはいっていて雑然とはしていたけれど

急な入院だったことを示すようにいくつかの部屋のなかは

彼が暮らしていたそのままの様子が比較的残されていた。

ぼくとドラマーが

いく晩もいく晩もレコードを聴き明かしたリヴィングは

まだほとんど手つかずだった。

毎日毎週毎月のようにつくっていた自分選曲のCDのためのメモが

書きかけのまま残っていた。

おおきなからだで

長年ドラムを叩き続けて太く曲がった指で

彼はちいさなかわいい字を書くのだ。

そして

自分の絵や

かわいい絵本や絵葉書や雑誌から切り抜いたイラストや写真を

コラージュしてジャケットをつくり

一枚の作品に仕立て上げていく。

彼のCD(それ以前はカセットテープ)から

ぼくが学んだことは計り知れない。

単に珍しい音源を入れているぞというような自慢とは無縁の

音楽を聴いていてたまらなくなってしまう気持ちを

そのままドキュメントすることのたいせつさを教わった。

音楽の名前や背景をいちいち説明したって

実は

なにひとつ音楽の核にあるものを説明していないということを教わった。

オリジナリティとは

だれかがすでにやったとかなにかに似ているとかの先着争いではなく

自分だけの愛しかたの強さの問題なのだとも教わった。

そんなことを

ドラマーはこの部屋で最後までやりつづけていた。

みんなの前でドラムを叩いたり

全米をツアーするミュージシャンとしての仕事はもう終えていたけれど

音楽を骨の髄

心の底まで愛するという意味での音楽家は

さらさらやめる気持ちはなかったと思う。

その証拠が

ここにはそのまま残っていた。

太い足をきちんと折り曲げて正座して

疲れてきたら片肘をついて横たわって

ぎょっとしたり

ポンと手を叩いたり

うっとりしたりしながら

彼はいつも音楽と一緒にいた。

かたわらには愛する太っちょ猫がいて。

気高いメス猫と気まぐれなオス猫は

遠くに音楽を聴きながら

どこかの部屋でまたにらみ合っていて。

たぶん

あの三匹の猫は

世界でいちばん音楽を聴いた。

世界でいちばん音楽を愛した者が

毎晩のようにかけつづけたレコードを

いつだって聴いていた。

そんな素晴らしい特等席に

いくつかの夜だったとはいえ

ぼくも同席出来たことを心から誇りに思う。

そして

やっぱりすこし(とても)さびしい。

でも

あの太っちょ猫は

無愛想なふりして

きっとよろこんでいるかもしれないな。

まいったな。

また一晩中レコードが鳴りっぱなしの

やかましい夜がこっちでもはじまるぞって。









トム・アルドリーノとタフィに。